Category: 自然

2025夏山シーズン


2025夏山シーズン

いよいよ夏山シーズンがはじまった。5月連休あけから11月中旬まで。2025の話題としては、富士山への入山の事。入山料が4000円だと。高すぎる。最近、無謀な登山者が後をたたない。国外の観光客が少なからずいるが、実は国内の意味不明の登山者がいる。自分の意思で登山を決めたのだから、基本は下山できないとね。しかし、シーズン外での滑落事故、ひどすぎるレスキュー要請に頭を痛めていて、このような体制になったのは仕方がない。午後2時をすぎての入山は、登頂する予定なら無謀な計画である。そして、1日4000人以上で規制をかけるという。トラブルが起きる恐れがある。団体などが入山する場合、途中の人数で規制に達したため 首切りみたいなことできるのかな。例年だと開山は7月10日前後で、閉山が9月中旬。山小屋のオープンとともに、一定の期間に救護所が開設される。逆に言うと、開山時期でなくても入山できるけれども。登山道が整備されてなかったり、積雪による滑落の危険が高い。トイレが閉鎖されていたり、山小屋が空いてなかったり、困ることが多い。当然、レスキューなど依頼できないと思った方がよい。

ちなみに2022年に登った事がある。開山の直前で診療所が開設してなかった。トイレは使えた。山小屋は開いていた。高度3300mの山小屋で高山病に近い動悸やのどの渇き、軽い頭痛があった。一見頑健そうなに見える人でも、ひどい高山病となれば手当を受けても、結局下山せざるを得ない。そして、五合目の2300mから3700mへの高度差への対応不足。寒さで体力を奪われることや強風。砂地で足が進まない事。装備不足など論外。富士山は他の山岳と全然違う。高度3700mでは7月の穏やかな日で昼頃、気温0℃。他の山でトレーニングしてから登るのがベター。また、特有の下山時の急坂で滑落や膝を痛める人が多い。私は、山上ヶ岳や伊吹山など片道4時間、往復7時間ほどの登山経験をしてから登った。しかし、下山の最後、膝を少し傷めた。他に何かできる事がなく、スカイライン沿いのお店でかつ丼を食べ、家に最速で帰った。酸素量は地上の3分の2しかない。気圧の変化は体にダメージを与え、戻るまで1週間くらいかかった。

さて、2024は、金剛山からはじめて 6月 尾瀬 八ヶ岳(天狗岳、根石岳)上高地 7月 居里谷湿原 白馬大池「船越の頭」 立山「天狗平」 8月 木曽駒ヶ岳 9月 御嶽山 御巣鷹の尾根 10月 浅間山 上高地岳沢 11月大台ヶ原
2023は、浄土平、車山湿原、八島ヶ原湿原、池之平湿原、平標山、三本瀧、米子大瀑布、野沢温泉、戸隠山、白馬大池、志賀高原、浅間山
2022は、藤原岳、伊吹山、山上ヶ岳、富士山、御嶽山、高見石、宝登山、西穂独標、焼岳、小浅間山
2021は、蓼科山、尾瀬、苗場山、草津白根山、赤兎山、立山、白馬大池、湯ノ丸山、飯縄山、浅間山・・・

2025年はどのようにしようか。登った事のないところにも行きたい。好きなお山にはやはり登りたい。

 


初夏を感じる


初夏を感じる

新緑の頃、庭の花がさきはじめる。

今年も、スズランがさきはじめた。イギリスなどでは5月1日にスズランを贈ると幸福が来るという風習がある。
それから、紫蘭の花が、今年は早い目に咲いてきた。

もう1か月もすれば梅雨に入り、紫陽花が咲くと思う。相変わらず、紫陽花の花木は枯れたままだ。これが見事に再生するから不思議だ。

 


瑠璃色の地球 富士山


瑠璃色の地球 富士山

わけあり、出張。
空港へのアクセスは、最寄りまで50分。新幹線までのアクセスが90分を考えると便利がきく。早朝の便を使うと一日を有効に利用できる。飛行時間は50分~60分。新幹線は最速2時間21分。本数も多い大動脈だが、最近多い遅延や運休。数分遅れてもかまわないが、遅延で終日運休とか何のためにお金を払っているのかと。飛行機の場合、飛ばない理由は天候によるものが大きく、ある程度予測ができる。(代替機が補充できないので運休する場合もある。)LCCの場合、ボーイングでなくエアバスを使っているところが圧倒的に多いが、中規模の旅客に向いている。また、パイロットがうまい。滑走路をくまなく使っていて着陸の衝撃も最小限で安心できる。LCCは、経営の効率化を図ってかなり努力されている。チケットカウンターやチェックインのオンライン化、ターミナルのゲートの場所、ボーディングブリッジやタラップの設置やシャトルバスなど。ありがたいものだ。

羽田空港から都心までは40分ほど。ただし、羽田空港のターミナルが大きく、電車までターミナルを移動するのに時間がかかる事がある。また、成田空港は都心まで遠く感じている人が多いが、本数が多く以前より時間が短縮されているので利用しやすい。東京→成田空港 最速50分(JR成田エクスプレス)。京成上野→成田空港 最速43分(京急線スカイライナー)ただし、人身事故など時々遅延が発生しているので時間に余裕を持って。以前、飛行機に乗り遅れた事があったので。

高速バスは、4列で狭く多少の我慢は仕方ないが、3列や2階建てのもあってデラックス化している。3列だと少し価格はあがるがカーテン仕切りがあり快適さが増す。2階建ては、一度に多く運べるため単価がおさえられている。

という事で 関西空港第1ターミナル → 成田空港第3ターミナル 連絡バス 第2ビル駅 → 京成上野

東京駅八重洲南口(鍛冶町) 2階建てバス → JR大阪北口高速バスターミナル  でした。

 

紀伊半島上空

高度約10000mから富士山上空

高度を下げて千葉県上空


恵利原の水穴


恵利原の水穴 罔象女大神(みつはめのおおかみ)

なかなか行けないところ。以前、雨がきつくなったり入口がわかりづらく迷う事もあった。駐車場の心配をした事がある。
どんどこ道を行くと、空気が変わった。神路山のダム沿いらしい。そして、中央構造線が近い事もあり、水の出どころ。あと、磁場がゼロに近づく。

左側に小さな滝があり、水が落ちてくる。禊をしたという。右の道をすすむと鳥居があり、水穴や祠が。水穴は小さめ。神話「天の岩戸」伝説の地のひとつ。
樋が2つあり水が垂れる。市内は24℃で暑かったが、ここに来るとヒンヤリ。

 


神宮「特別参拝」


神宮「特別参拝」

約2000年前に第11代垂仁天皇の皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)が紀元前8年頃から40年かけて各地14カ所をまわり、最終的に伊勢に創祀されたという。皇室の祖神である天照大御神《内宮》と豊受大御神《外宮》を祀る

外宮 正宮(しょうぐう)豊受⼤神宮 雄略22年(西暦478年)高倉山に鎮座
別宮 土宮 風宮 多賀宮
勾玉池
御厩 神馬 晴れを祈願する白い馬「桜澤号」

内宮 正宮(しょうぐう)皇大神宮 垂仁天皇26年(紀元前4年)神路山、島路山に鎮座
別宮 荒祭宮 風日祈宮
四⾄神(みやのめぐりのかみ)

その前、まず先に「二見興玉社」を参ること。

あるアンケートによると、内宮しかお参りしない人が多いとききます。半数は外宮をお参りしない。おかげ横丁があるから(笑)。天照大神は内宮にあるから。
これは、日本神話を義務教育で積極的に取り上げる事をやめているからです。まあ、混沌としている部分があり謎めいてますね。もうちょっと知ってくれたらと思っている人がいるかもしれない。
中学の社会の授業では、神話時代や邪馬台国はおぼろげだった。古墳時代の仁徳天皇と飛鳥時代の聖徳太子以降ですね。教科書は戦後の事は薄っぺらく。教諭によるが、プリント授業は近代が多かった。戦後、GHQによる皇室の解体と新憲法で「政教分離」を唱えました。タブーとされてきたように思う。2000年代に入り第一次安部内閣では、教育基本法を改正し「愛国心」を養うことが盛り込まれました。日本よ、日本人よ。世界の真ん中ではばたけ!しかし、よく知らない。例えば、日仏協会の会合では、フランス人留学生や日本企業に勤務されている方がおられます。話をすると、自分の国ではこうだが、日本ではあなたはどう思いますかと意見を求めてきます。その時に、うまく答えらない。また、高校で社会の授業がありますけど。一年次は現代社会、二年次は世界史か日本史、三年次は地理か倫理政経のいずれかを選択で、日本史を学ばなくてもよい。事実、私は日本史の授業を受けておらず大学受験に使用しなかった。今はどうなっているだろうか。

いつからか、特別参拝をしている。外宮の火除け橋は、迎えいるというか、人にやさしい印象を受ける。まず外宮の正宮に。圧倒されるが、全体をみることはない。続いて、風宮の唯一神明造の神殿に近づき拝するとき、五感で思う。内宮は、宇治橋の大鳥居の前で気持ちがひきしまる。受付を済ませ、内宮の正宮の帳の左側で待機し、案内していただく。楫をし、塩で清め。御垣内の左側をまわって聖域に入る。玉砂利が大きいが音を感じながら。そして、中央よりに案内される。ひときわ大きい中重鳥居の前で。二礼二拍手一礼、深々と低頭。ありがとうございます。個人的な祈願は、荒祭宮で。

正宮の巨大な古殿地が清浄に保たれているのをみると、これが日本なんだなと。遷宮という神宮では20年に一度、出雲では60年に一度。未来に引き継ぐ準備ができていて、それが2000年近く行われてきた事に驚く。(途中、戦国時代頃には資金がなく荒廃してしまったが、復活している)

二見興玉神社 「かえる」が印象的

外宮 火除け橋 駐車場から少し遠回りするが、表参道からまずは、この橋を渡って。

外宮の正宮 大きな社殿に圧倒される。感謝の祈願。

唯一神明造りを間近にみられる「風宮」、ここで拝すると五感で思う。


「土宮」

「多賀宮」

神宮の外宮 御厩 神馬を祀る

内宮へ おかげ横丁手前の駐車場から入るが直前の駐車場も空いていた。宇治橋からシラサギの姿。

私は、内宮では、五十鈴川の御手洗場で手を洗い禊。別宮「瀧原宮」では、そうすることになっているから。水のパワーを感じる。小魚が泳いでいた。

内宮 正宮 ここから上は撮影禁止。鳥居をくぐって左側に特別参拝の案内がある。

内宮 正宮を参拝した後、荒祭宮を参拝する。手前にある「御稲御倉」社殿。

一番最後に参拝する「風日祈宮」へ

お気にいりの風日祈宮(かざひのみのみや)

正宮の帳から参拝すれば終わりではない。内宮は正宮を中心にお参りしますが、祈願は感謝のみである。そこで個人的な祈願は、荒祭宮に。少し道がジグザグしていますが、ここをたどる道が
御稲御倉(みしねのみくら)神宮神田で収穫された抜穂を保管する倉庫で「御稲御倉神」として祀り、高床式社殿。外幣殿(げへいでん)神宝をおさめる高床式社殿。そして、一段高いところにある荒祭宮(あらまつりのみや)「荒御魂」荒々しい力を持つ神でものすごいパワー。天変地異や人智を越えた事が起きてしまう。もしか大祓詞の「瀬織津姫」か。ここで真剣に祈願する。

そして、内宮の終いに風日祈宮。授与所から「帰り道」するのか人が少ない。橋のたもとでは、心地よい風が吹き、島路川の流れ。何しろ、神風を吹かせた神なのだから。


嵯峨天皇奉献「華道祭」いけばな嵯峨御流.【旧嵯峨御所 大本山 大覚寺】


嵯峨天皇奉献「華道祭」いけばな嵯峨御流.【旧嵯峨御所 大本山 大覚寺】1200年の歴史ある大沢池の桜ながし。

催し「観月の夕べ」や「龍頭鷁首舟」の遊覧、大沢池特設舞台、五大堂観月台での生演奏が行われる。

大覚寺旧嵯峨御所大覚寺門跡 御製「後世、花を生くるものは宜しく之を以て範とすべし」

嵯峨野に平安時代初期の嵯峨天皇(786-842)離宮。空海が、弘仁2年(811)離宮内に五大明王を安置する持仏堂の五覚院を建てたのがはじまり。その後、貞観18年(876年)、皇女の淳和天皇皇后が離宮を寺に改め「大覚寺」とした。宮廷風の建築や皇室ゆかりの伽藍を配置する。勅使門(唐門)、御影堂、心経殿、御影堂の東に五大堂、西に宸殿、宸殿の北に正寝殿。南北朝時代(1272頃~1336-1392)には南朝「大覚寺統」の院御所としていた。亀山天皇時代にもめていたが、1392年「明徳の和約」により南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に「三種の神器」を渡し、南北朝が統一、おさまった。

この日、気温は23℃まであがり、はじめて冷房が欲しくなった。上着はいらない。半袖はちょっと寒いかな。朝から照り付ける日差し。桜流しでしょう。大覚寺には、紅葉の時期に大沢池の散策で訪れている。何年か前から「華道祭」にうかがっているが嵯峨御流の華道はよい。嵯峨天皇が大沢池の「菊が島」で花を手折ったのがはじまりという。SAGAS 世界の22の支部の共同作品。この期間は、大覚寺の屏風にもいけばな展示があり格別。御所の天井の低い空間に豪華で雅な花。生け花が形式的なものでなく、花を生かしている(雅に生き生きとしている)点が感動。花器も一体感があり、桜のように立ち止まってみていたい芸術。大沢池の「龍頭鷁首舟」船着き場の雰囲気も素晴らしい。写経や茶席もあるとか。

大阪万博の開催前日、ざわざわした気でいる。名神「吹田」JCT出口からひどい渋滞、左側車線にいたため巻き込まれる。右側を通り抜けていけば松原方面は何の問題もなかった。

 

 

 

唐門(勅使門) – 嘉永年間(1848年 – 1854年)再建。

宸殿(重要文化財) ‐ 後水尾天皇より下賜され、東福門院(後水尾天皇中宮)の女御御殿を移築。「宸」は「皇帝」の意。南正面の西側が「牡丹の間」(33畳)、東側が「柳松の間」(18畳)、奥の西側が「紅梅の間」(22畳)、東側が「鶴の間」(12畳)。襖絵「牡丹の間」の牡丹図と「紅梅の間」の紅梅図は狩野山楽の作。

心経前殿(御影堂) ‐ 伽藍の中心部、大正天皇の即位式に使用された饗応殿で、1925年(大正14年)に後宇多法皇600回忌を機に下賜され大覚寺へ移築。心経殿の拝所となり、その左右に嵯峨天皇、弘法大師(空海)、後宇多法皇、恒寂入道親王の像を安置。

宸殿前庭 – 一面に白砂が敷き詰められ、右近の橘と左近の梅。

安井堂(御霊殿) – 東山にあった安井門跡蓮華光院の御影堂を1871年(明治4年)に移築。後水尾天皇像を祀る。

五大堂本堂。天明年間(1781年 – 1789年)建立。当初は伽藍の中心部(御影堂前の現在、石舞台がある位置)にあったが、1925年(大正14年)御影堂が移築された際に現在の位置に建てられた。堂は写経道場として用いられており、東側の濡れ縁「観月台」から大沢池を望むことができる。本尊の五大明王像は霊宝館にある。

五社明神社 – 伊勢内宮、伊勢外宮、八幡社、春日社、住吉社の神を祀る。離宮嵯峨院の鎮守社で、空海が勧請した。
中央 – 不動明王 – 大日如来の教令輪身
東方 – 降三世明王 – 阿閦如来の教令輪身
南方 – 軍荼利明王 – 宝生如来の教令輪身
西方 – 大威徳明王 – 阿弥陀如来の教令輪身
北方 – 金剛夜叉明王(東密系) – 不空成就如来の教令輪身 または 烏枢沙摩明王(台密系)

閼伽堂 – 閼伽井は、嵯峨天皇の命で空海が建立した嵯峨院の持仏堂「五覚院」の閼伽井として掘られたもの。

華道祭 正装に身をつつんだ人が行き交う。

SAGAS 世界22かの支部との共同

嵯峨御流 さがごりゅう 宸殿の屏風にこの時期だけ特別に展示。格別である。花を生かす。花器との一体感。桜のように見惚れる。

華道祭 茶席もある 雅な

菊が島 嵯峨天皇が手折った事でいけばな発祥となった 多くの水鳥がいる。

桜ながし

勅使門

いけばな発祥の地

嵯峨御流華道芸術学院


又兵衛桜「一本桜」


又兵衛桜「一本桜」

一本桜 樹齢300年。安土桃山・江戸時代の武将「後藤又兵衛」の事。永禄3年(1560年)に播磨国姫路の山田村に生まれる。文禄元年(1592年)の朝鮮出兵にも従軍し、加藤清正配下の森本一久らと一番乗りを競った。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは石田三成家臣の剛槍使い、大橋掃部を一騎討ちで討ち取る武功を挙げ、戦後は黒田家重臣の一人として筑前六端城の一つ、大隈城の城主となり、16,000石を与えられた。慶長19年(1614年)、大坂の陣で、旗頭として天満の浦で采配から「摩利支天の再来」と称される。大坂夏の陣の道明寺の戦いで討死した・・・

伝説が多くあり、その一つが、大阪夏の陣で辛くも逃れ、大和の宇陀字本郷の鉱泉で傷を癒した。僧侶となり隠居していたとされる屋敷跡に又兵衛桜(本郷の瀧桜)のシダレザクラの一本桜。
宇陀は、初代神武天皇が大和平定で活躍したところ。2000年のNHK大河ドラマ『葵 徳川三代』のオープニング映像で登場して以来、有名になった。2017年に行った時は、最寄りの駐車場がいっぱいで、民家の臨時駐車場に停めるのが、段取りがわからず困った事を覚えている。

2025年、見事に咲きはじめる状況を知らせるXのポストが「11万のいいね!」を記録していた。画像がきれいに撮れている。注目されているんだなと。混雑を承知で、早朝に行った。又兵衛桜は、まさに今、見ごろ。7時前だというのに、専用駐車場は満杯手前でかろうじて入れた。三脚を構えた人が多い。また、近くにいってスマホで撮影する人もいる。カラーバランスが絶妙。黄色の花水仙、ピンクの桃。薄桃色のヤエザクラが。巨大な玉垣、新緑の草色、小川の流れ。中には半日ずっとチャンスをうかがっているとか。

又兵衛桜で幸せにしてもらっている人が全国にたくさんいる。


百名山 美ヶ原「王ヶ頭」(2034m)


百名山「美ヶ原」(2034m)
八ヶ岳中信高原国定公園の最北部にある高原「美ヶ原高原、王ヶ頭」は、日本百名山の61座。
王ヶ鼻(2,008m)、茶臼山(2,006m)牛伏山(1,990m)、鹿伏山(1,977m)、武石峰(1,973m)などの峰からなり、
王ヶ頭(2,034m)が最高峰。

三城牧場(さんじろぼくじょう)(1600m)からのぼる。山肌が見えるとたまりません。岩稜にすぐ目がいきます。

「美ヶ原高原」には、日本一高い標高にある道の駅と「山本小屋ふる里館」(立派なホテル)、王ケ頭ホテルがある。

「美ヶ原」は、長野県のほぼ中央に位置し、台地は約600haの草原、360度展望が望める地。
王ヶ頭には電波塔があり、林立する光景は圧巻。

「美しの塔」高原の中央にあるシンボルタワー。鉄平石でつくられた。昭和29年に遭難を防止する目的で、登山者に知らせる霧鐘塔として造られた。
開拓者・山本俊一翁のレリーフと山の詩人・尾崎喜八氏の詩文が刻まれている。

美しの塔、王ヶ頭の電波塔 これを見に来た。ジブリの世界。カリオストロ城、要塞、トトロの森の雰囲気。
ここへ来ると 帰りたくなくなってしまう。他にはないところ。ここでは 宿泊所も美術館もあるので
ゆったりと過ごせる。時間を忘れよう。

雲上の世界。しかし 霧が多く視界不良となることがよくある。午後からはガスがでる事が多い。
自然の厳しさのなかで 牧牛は 生きている。

 

三城牧場から 王ヶ頭(2034m)の電波塔をのぞむ。

道の駅「美ヶ原高原」

山本小屋ふる里館

 

牛伏山(うしぶせやま)(1990m)

なだらかな稜線上「美ヶ原高原」

王ヶ頭(おうがとう)の電波塔 丘陵にたつ要塞 左手が美ヶ原牧場。


北八ヶ岳「双子山」(2224m)「カモシカ」


北八ヶ岳「双子山」(2224m)

前回は、北八ヶ岳「雨池」(2108m)を中心とした山歩きだった。今年は、梅雨明けが早く雨が降らない日が多く、「雨乞い」をしたい気持ちであった。
麦草峠 標高2000mなのに 気温が30度で閉口した。快適な山歩きではない。異常な状態。こういう年ほど 全体的に温暖化ではあるものの 寒暖の差が大きく、一気に気温が下がることがある。

さて、八ヶ岳のなかで最も人気なのは北八ヶ岳にある「白駒池」。長野県一の紅葉観光地。駐車場が渋滞することがある。
北八ヶ岳には、他にも池がたくさんある。雨池 亀甲池 双子池 みどり池 など。麓には、「御射鹿池」(みさかいけ)「蓼の海」など、
たくさんの貯水池、人口池などに紅葉の森が映し出される幻想的な風景。その代表が「白樺湖」だ。自然に溶け合っている。

今回、双子山に登る。時間は 1時間ほど。頂上は 360度見渡せる絶景で 蓼科山 北横岳などが 目前に聳える。
登山口は 大河原峠(2093m)から。蓼科山への登山口でもある。登山届は出すこと。

八ヶ岳の紅葉は、平地より1ヶ月ほど早い。動物たちも冬支度。熊が目撃される事があるようだ。私は、今まで一度も遭遇した事はない。
子猿を見かけた。道沿いにじっとしていたが、近づくとすばしっこい。

そして、カモシカの親子。体長1mほどもない、愛嬌のある姿。こちらに驚く様子もない。
斜面で餌を探していた。国指定 特別天然記念物 絶滅危惧種。熊が出ないと思ったルートのときは 鈴はつけない主義なので。
そういえば 動物のかん高い鳴き声がしていたような。

シラビソ コメツガ カラマツ カエデ それぞれが紅葉し美しい。

双子山から双子池までは稜線の気持ちの良いルート。標高の高いところに自然池がある。

おっと、熊ではない。特別天然記念物「カモシカ」の親子にであう。なかなかない事。餌を探していた。


伊豆七不思議「大瀬埼」


大瀬埼 駿河湾富嶽三十六景のひとつ 静岡県沼津市大瀬にある。沼津市から「あわしまマリンパーク」を経由し海岸線をすすむ事、約1時間、伊豆半島西北の端に位置し、「伊豆七不思議」のひとつ「神池」がある。

白鳳時代(684年)大地震がこの地を襲った。その際隆起し、突如あらわれた「琵琶島」。東側は砂浜 西側は大きな石がごろごろとしている。伊豆半島は、元はひとつの火山島。爆発し隆起、断崖絶壁の地形をつくりだし、フィリピンプレートに沿って日本列島に接近してきた。最接近するにつれ 海底が隆起 海がなくなり陸つづきになった。さらに押し縮められ 丹那山地となった。箱根に「大湧谷」があるが、その周辺は地殻エネルギーのたまりやすい場所。現在も、1年に数センチ、北西に移動している事で ひずみが生じ内陸地震がおきているのである。

大瀬神社(おせじんじゃ)という。引手力命神社(海の守護神)を祀る。突端には灯台があり、ダイビングスポットとして夏場など人気のスポット。海に従事するものは ここに祈願に来る。

さて、大瀬岬のような形は 砂嘴(さし)とよばれる。ここが特別なのは 淡水の池「神池」が存在すること。海から50mと離れていない。池の南側端と海の距離はで20mほどしかない。池に海水がかかってもおかしくないのだが、淡水の池をまもっている。しかし池の色は 若干緑色をしていて 独特の風合い。この日は、猛烈なシケで 海側では潮がどっぷりと飛沫をあげているのに この神池は何と穏やかなことか。

神池であるがゆえに 科学的な調査はあえて行っていない。この地を永久に保存するために。草木や魚をとったりすると 祟りを引き起こすとされている。崇りについては、事故や原因不明の病気で亡くなっている。自然は豊かだ。鯉が3万匹いるよう。近づくと、口をパクパクと餌をねだっている姿に驚く。隣に、餌を販売している。

この海岸は、ビャクシンの木々が生い茂る。「ビャクシン」は、130本以上の樹があるのだが。現在の御神木は 推定1500年以上。甚く感動したのは、これらの巨樹に 大きな石ころが樹の中にめり込んでいる。とってあげたい気持ちがあるのだが。御神木は、基本触れられないから。強風に耐えている、その姿には驚嘆しかない。

 


天竜峡 紅葉


天竜峡(標高382m)ライン下り。天竜川は、長野県諏訪湖を源流に太平洋へ流れ注ぐ一級河川。全長213kmあまり。伊那・飯田・愛知県の一部・浜松市・磐田へ。天竜川というと、新幹線の車窓からみえる天竜橋と富士山が印象的。

天竜峡は 川幅が狭く入りくんでいるために 奇岩など景勝に富むところ。日本は四季折々の景色が万とある。夏は 冷涼な気候で避暑ができ 秋は紅葉が楽しめる。

姑射橋(こやきょう)から 散策コースが整備されている。龍角峯(りゅうかくほう)をのぞむ

 

つつじ橋 全長80m 防護ネットは2011年ごろに設置された。吊橋 弾力に富む。雨の後は 滑るので気をつけて。

姑射橋(こやきょう)から

エメラルドグリーンの色 ライン下り 3社が運営している。2011年に転覆事故が起き、以来 救命胴衣を着けるようになった。もちろん 安全管理には気をつけている。

下りは船着き場へ。そして 電車またはバスで上ってくる。電車は 3駅分。天竜駅へ戻った。

天竜峡公園には 地元 代田銀太郎が作詞した「モンテンルパの夜は更けて」の歌碑がある。
日本とフィリピンとの友好の徴である。


落葉松 鏡池 白駒池 


落葉松 からまつ 鏡池 秋が深まりました。

カラマツ 針葉樹で 紅葉の時期は黄色に色づく。モミジ・カエデは赤く色づく。
が この周辺では、モミジ・カエデはあまりみあたらない。そう、あの白駒池でも真っ赤に染まる事はない。が、もちろん綺麗。

この池は偶然見つけた。最初から、ここを知っていたわけではなかった。ある時に、ふっと浮かんだ。そういえば 立科はどうだったかな。大門稲荷に御参りして そのとき考えた・・・

蓼科山は 富士山のように裾野が広く 存在感のある山で「女神」がいるとされた。ヴィーナス街道所以である。表からみる蓼科山は、頂上手前まで緑が多く、頂上は岩がごろごろしていて殺風景である。溶岩の粘度が高く、頂上付近にしみだしたので 天狗の岩のような山頂になったのかな。よって樹林は育たない。一方、裾野は広大な森林帯となっている。

カラマツは東日本を中心に植林されたもので林立している。西日本は、杉がほとんどで 落葉松の林は印象が違う。実は、落葉松の原生林も少なからず存在する。

百メートルほど離れたところに「自然林のカラマツ」があった・・・標高2000m 池をみつけた。ある角度からみると 鏡池のように 逆さに映る。

カラマツ という響き 野上彰 作詞 小林秀雄 作曲 混声合唱組曲「落葉松」口ずさむ。「落葉松の 秋の雨に わたしの 手が濡れる  落葉松の 夜の雨に わたしの 心が濡れる・・・」

こちらは「白駒池」紅葉はじめは早かったが 気温が低くならないので 本格的にはまだ。これから見ごろを迎える。この日は、朝から日差しが強い。標高2000mなので 紫外線もきつい。

水に映える 波紋や 光の反射は 貴重な瞬間

苔が育っている。

これは「ミシャカイケ 御射鹿池」(ため池)日の出の時間に行ったが写真をおさめようと多くの方が訪れていた。東山魁夷の作品「緑響く」に表出。
神に捧げるための鹿を射るという神事、御射山御狩神事ゆかり。1933年に完成。酸性池。

ある「ため池」透明度が高く エメラルドグリーンの色。微生物が関係していると思われる。