晩秋 山紅葉
木々が赤く染まるのもいいが 山全体が紅葉するのは美しい。
この川はかつて、宮・寺社を製作する材料を舟で運んだ。要衝の地である。
この嵓から見える景色。古くから信仰の対象とされた。自然と神は一体化する。神と人間は、神社での祭祀によってむすびつき、歴史をつむいできた。神社(寺社)は 明治時代の廃物希釈まで同じところにあった。つまり 神社のご神体や寺院のご神体が山であった。神社は 神をつかさどり 寺院は 菩提や念仏 座禅・行・仏門など。神を崇拝し、寺で行をする。心のよりどころであった。
笠置山 標高288m 一周800mの歩き(ただし 運動靴で)「正月堂」に本尊 弥勒大磨崖仏をを安置する。堂内のご本尊は神々しい。全長15mもの巨大な絶壁に仏画を掘る事は、何か神がかった事でしかないと思った。東大寺の高僧もここへきて行を修めていた。二月堂、三月堂などの起源は ここ笠置寺にある。
天平勝宝3年(751年)東大寺の開山、良弁の弟子の実忠が笠置山で修行中に、竜穴を見つけ入ると、天人の住む天界(兜率天)に至り、そこにある常念観音院で天人たちが十一面観音の悔過を行ずるのを見て、これを下界でも行いたいと願った。『東大寺要録』(嘉承元年1106年)によると、実忠和尚が二月堂を創建し、初めての東大寺の十一面悔過が天平勝宝4年(752年)2月1日から14日間行われたと伝えられる。
ちなみに 龍穴(このお寺に滝はなくて 行は胎内くぐりをする)を千手窟といい ここから弥勒菩薩の住む兜率天につづくとされた。
そして 十三塔が焼失した後に石塔を建てたのは 理解できる。五輪塔の事を思い出した。地,水,火,風,空を表わし 町石道の標石となったのだが。後世に残したいとのあらわれである。
また、後醍醐天皇行在所跡がある。南朝の盛隆は ここ何十年か詳細に分かってきた。後醍醐天皇の奇蹟は日本史上重要でありそれをたどる遺跡がある。