7/16(日)御杖神社「祇園祭」演奏 17:00~ 神事は 18:00~ です。「うたの笛物語」さん リコーダー2台(梅本なつきさん 博美さん)とアコーディオンです。
御杖神社は元伊勢のひとつ、大和と伊勢の国境の伊勢本街道に沿った要衝、久那斗神、八衢比古神、八衢比女神を祀る。第11代垂仁天皇の勅命により天照大神の御杖代となった倭姫命が、天照大神をお祀りする候補地として杖を残したとされる伝承の地である。
承平四年(934)には伊勢神宮の神領である太良牟六箇山のうちであった。国津神社が祀られ、黒葛が神宮に奉納されたと『神鳳抄』『寺院神社大事典』に記載がある。『大和志』には、「御杖神社は神末村に鎮座しており、今は葛明神と呼ばれている。17世紀以前は九頭明神、国津大明神と呼ばれていた。これは 牛頭大王、疫神の事。
朝廷は863年(貞観5年)、神泉苑で初の御霊会(ごりょうえ)を行った。これが祇園祭の起源とされている。御霊会は疫神や死者の怨霊などを鎮めなだめるために行う祭祀で、恨みを現世に残したまま亡くなった人の怨霊の祟りであるとされていた。その後も疫病の流行が続いたために牛頭天王を祀り、御霊会を行って無病息災を祈念した これが、1000年以上も続く祇園祭となった。864年(貞観6年)から富士山の大噴火、869年(貞観11年)には陸奥で貞観地震の津波により多数の犠牲者が出た。全国的に天変地異などが続き、社会が混乱する中、国の66本の矛を卜部日良麿が立て、諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓い、神輿3基を送り 薬師如来を本地とする牛頭天王を祀り御霊会を行った。
上水道も冷蔵庫もなかった時代、真夏に多くの感染症が流行し多くの人が亡くなった。夏を越すのも 夏越といわれ 一つの晦日(穢れをはらう儀式)であった。生きてゆく事が大変だった時代
私たちに智慧を遺してくれている。それが歴史から紐解いてみる事が大切になってくる。
これは 昨年のチラシです。
周辺には「岡田の谷の半夏生園」がある。奈良県の奈良県景観資産に登録され 準絶滅危惧種に指定される半夏生。その名は、葉の一部を残して白く色づくことから「半化粧」に由来するとの節や、七十二候のひとつである「半夏生」の頃に花を咲かせるからともいわれている。見頃は7月上旬~下旬