ショパンは 「別れの曲」という練習曲(エチュード)を遺している。ショパンが生前つけた標題でなく 映画「別れの曲」で使用されたから。正確には、練習曲第3番ホ長調作品10-3 情緒豊かな曲。左手の伴奏型や 右手の重音のバランスの訓練のため。ショパンの練習曲は作品10と25の12曲ずつ 新しい練習曲が3曲あり 全部で27曲。
ショパンは「練習曲」という概念を変えた。私達が 普段 練習曲としている ハノン チェルニー等は メカニック的な立場からの楽曲。シンプルな構成であり 芸術性よりも 機能を優先としてきた。いきなり 楽曲を弾くとき 苦手な箇所で上手くいかないかもしれない。指ならししてからが理想である。
ショパンは 練習曲を エクゼルシス 「訓練のため」とだけ記入していた事から ピアノの上達のために何が必要かを熟考していた。ピアノ協奏曲を演奏するテクニックを習得するために 練習曲を作曲した。また、練習曲が難しい場合は 前奏曲をテクストとした。単なるピアノの技術の向上でなく 「人が芸術によって成長できる事を単なる練習だけに終わらせたくなかった。」
ショパンと同郷の ピアニスト 教師であった レオポルト・ゴドフスキ 彼は ショパンの曲のパラフレーズを書いた。27の練習曲を編曲し 54曲の練習曲を作曲した。例えば 別れの曲 や 革命のエチュードを 左手のみで 演奏困難な作品にしたてた。木枯らしのエチュードは 右手と左手を交換し 半音階を左手で演奏するように仕向けた。そのゴドフスキが 唯一編曲の手を入れられなかったのが この作品25-7。
それは この音楽にあった。「多声音楽」チェロとフルートの二重唱「恋の二重唱」左手も右手も旋律が同時進行している。これを変えてしまうと この曲のイメージが崩れてしまう。ピアノ独奏曲として 難易度を付け加える事ができなかった。他の作曲家は、チェロとピアノ用等 2つの楽器用に編曲しているのだが。
この曲の凄いところは ショパン自身の強弱記号の表記が最低限度のみ。表現記号がほとんど書かれていない。PPP や FF はあるものの その中間にあたる強弱記号 mp mfがないのは 標準の強さ 弱さがないと言う意味ではない。また PPは 何度も出てくる。
ショパンは 普段は、強弱記号等 丁寧に書いている。アーティキュレーション 運指については 生徒に合わせて記入していた。
この音楽は、自分で 想像し 音を聴き バランスを考える。さらに ふさわしい指使い等も含めて 「考え抜く」ことにある。練習曲の中では 簡単な方かもしれない。しかし 曲想をつけるのは 最も難しい作品のひとつだろうと私は思う。
チェロのようなバス、ピアノが弦楽器のような響きになることが必要。雄弁ではあるが、ある意味、悲嘆に暮れている。高音のフルートは 優しさと悲しさが舞い降りている。中声 (伴奏)は 決して 2つの声を邪魔してはならず、かといって独立したものでなければならない。
Chopin Etude op. 25 no. 7 “Cello” by Marie Kelly
夜想曲風ではじまる バスを響かせる事が大切。2ページ目 バスに変化。
中間部 穏やかな部分は バスが 安息を伝えるような表現。
マイナーになってからは 飛翔する表現。
5段目の最初の1拍目。音のぶつかりは 哀しい音である。その後 低音部 ため息のように伝えてゆく。ちょうど 秋の 木々の葉っぱが落ちて 土に返るような そんな印象を受ける。
低音は 表情記号こそ書かれていないが quasi cello である。もう一度 言う。ピアノはアタックすると減衰するばかりである。それを チェロのように奏するというのは イマジネーションが大切。一つ一つの音に抑揚を持って・・・指のタッチで・・・行う。