Author: nishikunn

☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ

ファーム富田とフラワーランド「かみふらの」


ファーム富田とフラワーランド「かみふらの」

富良野を代表する景観。

富田忠雄は1953年、ラベンダー栽培で先駆者の上田美一のラベンダー畑を見て、1958年より香料用としてのラベンダー栽培を開始。ラベンダー畑は拡大したが、1972年頃から価格の低い香料が広まり、合成香料の技術が進み始めると衰退。1973年にほぼファーム富田のみとなってしまった。1976年国鉄のカレンダーにファーム富田のラベンダー写真が紹介されると、徐々に観光客やカメラマンが訪れるようになった。また、ドラマ「北の国から」で放送され有名になった。その後はラベンダーの加工を始め、1980年代から香水「フロム」を発売。また、香水「FURANO(フラノ)」を発売。1990年に「ラベンダー芳香フェア」がフランスにて開催。ファーム富田の「おかむらさき」が第1位を獲得。その後、富田ラベンダー資料館をオープンさせるなど事業を拡大し、現在に至る。

旭川2日目の観光、美瑛「青い池」と上富良野岳で曇っていただけに晴れてほしかった。「彩の畑」の絶景を見ることができて嬉しかった。
その前に道を走らせていると「麦わらロール」が見えた。「麦稈」ばっかんとも呼ばれ7月末から見られる一大光景だ。そして、着いた。ここだけ人が多すぎる。外国人も、日本人もやはりここを訪れるんだなと。混みすぎて・・・

それなら、フラワーランド「かみふらの」へ。ここのラベンダー畑も大きいぞ。

ラベンダーにちなむお土産がたくさん。ラベンダーキャンディー、ラベンダー香水、ラベンダーソフトクリームなど何でもある(笑)
実は、この2Fに展望所があるのだが、インスタ映えスポット。絶えず写真を撮るので落ち着いて見られない。それだけ人気があるという事。

「彩の畑」これが見たかった・・・

 

フラワーランド「かみふらの」

お土産がたくさん、寄ってね。メロンももちろん。


秀峰「大雪山旭岳」2291m 


大雪山連峰「旭岳」2291m カムイミンタラ

北海道で最高峰 ただし、高緯度にあるため、本州の標高2500mの山岳に匹敵する気候と高山植物に囲まれる。
登山は、旭岳ロープウェイで標高1600mまで高度を上げ、残りの高度差600mを2時間で登る。

この日は、朝一番の高速バスで札幌から旭川へ移動。2時間かかる。面白いのが、通勤・通学時間帯は電車を利用するしかないのだ(笑)
高速バスの始発は7時で旭川に9時5分に着く 片道2500円 往復4700円。一方、電車は6時30分で旭川に7時56分に着く。高速バスよりはやいが料金は3080+指定席2360=5440円で 倍くらいする。
旭川駅でレンタカーを手配する。早ければ朝8時から営業しているところがあるが、高速バスが着いてからなので出発は10時となった。このあたり、基本的には単日でレンタルするが、複数でレンタルし割安になるところも探せばある。

旭川から旭岳温泉へ45km、1時間。旭岳ロープウェイ山麓から山頂駅まで登る。往復3500円。曇りだと思ったら実際は雨が降った。正午で強い雨。気温16.4℃。残りの時間で登頂は難しいと判断し「姿見の池」周辺を散策。
特に、迫力ある「地獄谷と噴気孔」が見られたのがよかった。時期的にはチングルマの大群落は終わっていた。7月中旬までだろうか。それでも、大自然を満喫できた。

湿原 ロープウェイ上空から

レンタカー 運転しやすい

けっこうしっかりと降っていた 気温16.4℃。レインコートが必要。半袖は寒い。

小雨になったところを見計らって姿見の池周辺を散策。

「地獄谷と噴気孔」迫力があった。


美瑛町「白金青い池」


美瑛町「白金青い池」

北海道上川郡美瑛町白金にある人造池。「白金の青い池」、「美瑛白金青い池」。十勝岳の麓に湧く白金温泉から2kmあまり。

美瑛川左岸の標高約500mに位置し、1988年(昭和63年)12月に噴火した十勝岳の火山泥流災害を防ぐため、1989年(平成元年)堰堤を完成した。そこに水が溜まった。酸化アルミニウムなどが含まれており化学反応で太陽光が反射し、美しい青色に見える。周囲に自生していたカラマツ、白樺等の樹木は、水没し立ち枯れたが幻想的な景観を醸し出す。最初 (1997年)に発見したのは上富良野在住のプロカメラマン高橋真澄で1998年に写真集『blueriver』出版。冬季には期間限定でライトアップされている。

昔は、駐車場が無料で、路上駐車が多く、迷惑だったという。SNS映えの画像で拡散。2024年、有料駐車場が設置され、お店、トイレも完備。道の駅「白金ビルケ」もにぎわっている。

 

2km離れたところに専用駐車場がある。青い池の狭いエリアに、たくさんの人が来て写真を撮っている。天気によって、色の濃さが変わる。
実際は、もっと濃い感じ。色調補正で撮影し、かなり青くみえる。


ケンプのサインピアノ


ケンプのサインピアノ

ドイツ・ピアノの巨匠ウィルヘルム・ケンプ氏
1936年から10回来日、1961年では日本初のベートーヴェン全ピアノソナタ32曲連続演奏会、1970年では「新約聖書」とさらにピアノ協奏曲全5曲のチクルス演奏会の歴史的偉業を成し遂げる。弾き終えたアンコールでは、バッハ(ケンプ編曲):シンフォニア~カンタータ第29番『神よ、あなたに感謝を捧げます』

豊平館は、1880年(明治13年)、現在の札幌市民ホールの地に安達喜幸により建築された西洋風のホテル。明治天皇の札幌行幸にあわせて建設。1881年(明治14年)8月30日から9月2日までの4日間、御在所された。1926年(昭和2年)に豊平館北側に増築する市民会館の前身となる「札幌市公会堂」が建てられた。1936年(昭和11年)にケンプは札幌で演奏会を催行している。1958年(昭和33年)に、札幌市民会館のリニューアルに伴い、中島公園に移設された。札幌市民会館は、その後、リニューアルされ「札幌市民ホール」として運営されている。1997年には、中島公園に札幌コンサートホール「kitara」が完成した。2012年(平成24年)3月まで結婚式場として利用されていた。2016年(平成28年)6月20日より観光施設、貸し館として再オープン。

豊平館は、明治天皇が泊まられた洋館でホテル。公会堂の役目も果たしたという事はピアノがあり演奏会も催行されていたのか。移築後は、部屋を再現し、結婚式場として多くの縁をつないできた。拡張高く、貴重な建築物。登録有形文化財に指定。
スタッフの方が、「ここのピアノ、ケンプのサインがあるの」。どこにあるのか確認しました。

 

中島公園は、札幌市の中心部で緑の多いところ。クラシック音楽専用ホール「kitara」もある。

札幌も気温32.7℃。お濠の水辺の水温が高いので、カモは草むらの日陰で休んでいる。

あっ。ジハンピ発見! どんどん広がるといいな。

中島公園の日本庭園

豊平館 星のマークが印象的。札幌は時計台もそう。ストーブ用の煙突が2本ある。なお、屋根に和風建築の要素を取り入れている。

結婚式場が行われていた部屋。

「祥雲」の扁額

 

 


三浦綾子記念文学館「もみの木公園」旭川


三浦綾子記念文学館 外国樹種見本林「もみの木公園」旭川

「氷点」「銃口」~『死ぬという大切な仕事』へ~

三浦綾子(1922年4月25日 – 1999年10月12日)の人生は、壮絶であった。家族の不幸、代用教員の仕事での罪との闘い。病気。しかし、助けてくれるものがあらわれた。前川氏の存在。生き方を変えてくれた。文学に親しむようになる。
1961年、主婦の友に「太陽は再び没せず」を投稿し入選。1963年、朝日新聞社による1000万円懸賞小説公募に、小説『氷点』を投稿。これに入選し、1964年12月より朝日新聞朝刊に『氷点』の連載を開始。1965年に朝日新聞社より出版され、71万部の大ベストセラーとなり、1966年には映画化された(監督:山本薩夫、出演:若尾文子)。その他、「ひつじが丘」1966 塩狩峠 1968 細川ガラシャ夫人 1975 海嶺 1981 銃口 1994 命ある限り 1996 「死ぬという大切な仕事」2000(三浦光世が綾子から聞き取った)
その作品は100にのぼり、多くに影響を与え、シンガーソングライターの椎名林檎もその一人だという。

1998年6月13日に開館 美瑛川のほとり、外国樹種見本林の「もみの木公園」がある。
発見!「エゾリス」かな。もぐもぐタイムだった。しばらくすると森へ消えていった・・・

発見!エゾリスか。もぐもぐタイムだった。器用に手を動かす。しばらくすると森に消えていった・・・

 

本を買って読むのもいいが、今は「音で読む」サービスを利用するのもよい。プロのリーダーによる文学へのいざない。


国内最高気温41.8℃ 2025.8.5


国内最高気温41.8℃ 2025.8.5

気象庁によると、兵庫県丹波市柏原(かいばら)町で41.2℃を観測。(2025.7.30.14.39)
さらに、群馬県伊勢崎市で41.8℃を観測。国内の最高気温を更新した。(2025.8.5.14.26)

これまで、最も高かったのは2020.8.17日の浜松市、2018.7.23の埼玉県熊谷市で観測された41.1℃。

高緯度にある北海道では「夏は涼しい」と思われていたが、7月24日、北海道帯広で38.8℃を記録した。気温計が壊れ、再度表示されたが、それは40℃。
意外に千葉県の勝浦市は、100年間、猛暑日を記録した事がないらしい。ちょっとした話題になっています。

ここまでになると、日本国内に逃げ場がない。実は、世界的に熱波の影響が出ている。スペインは暑いが、フランス・イギリスも暑くなってきている。

 

 

 

体温を超える酷暑が続き、熱中症対策はもちろんだが、渇水の状態で、農作物への影響が懸念されている。


中島みゆき「ミルク32」


中島みゆき「ミルク32」

札幌にある喫茶店コーヒーハウス「ミルク」。店主は前田さん(77)で2024年に開業50年を迎えた。スタジオが近くにあり、未来のミュージシャンを応援してきた。1978年、発売の中島みゆきの3枚目のアルバム「愛していると云ってくれ」の「ミルク32」に登場。
住宅街の通りに突如、50年前にタイムスリップした。きっと何かある。お店の中に何があるんだろう?

少し恥ずかしそうに入った。テーブル席とカウンター席。この日は、日曜日。13時30分からの開店だが、すでに人は入っていた。しかも、若い女の子が多い。楽しく話をしている。ここは「猫カフェ」で店長ねこ「チビ」と「ココア」「お嬢」がいて、猫関係のアイテムがたくさんおいてある。窓で「チビ」が手招き。愛らしく、手を延ばして甘えてくる。ここの看板メニュー「ジャンボチーズトースト」を食べに来る人もいる。音楽は、オールディーズや洋楽。なかなかよい。大きなSONYのスピーカをはじめ、古いもの。コーヒーを50年間、煎ってきた色は何とも言えない。みゆきさんは、ココアミルクを頼んでいたそうだ。今日は、札幌は暑いが、北海道にクーラーのないところが多い。暑くて、アイスミルクティーを頼んだ。「少しお待ちを・・・みゆきさん目当てで来たんだね」と。「はい」。

伝説のお店は本物だった・・・

みゆきさんの音楽は、小学生の時、いとこがギター弾き語りをしていて聴いた事がきっかけで。当時、LPレコードやカセットテープの時代。「悪女」「世情」が強烈だった。みゆきさんは、音楽番組になかなか登場する事がないので謎の女性アーティスト。しかし「オールナイトニッポン」のトークは度肝を抜かれた。こういう音楽するの?まさしくご本人。多分、最初に買ったのがアルバム「寒水魚」。擦り切れるまで聴いた。「歌姫」をはじめ「鳥になって」「家出」「砂の船」「時刻表」など私にとってはすべての曲が愛しい。絶望した時に励ましてくれた。子どもにはわからないないだろうが「みゆき節」。生きる力を示してくれたのは間違いない。

 

アイスミルクティーをオーダー。


巨大地震 M8.7カムチャツカ半島「津波警報」 2025.7.30 8.25


巨大地震 M8.7カムチャツカ半島「津波警報」 2025.7.30 8.25

地震は地球の地殻変動を示す火山活動の一つ。今回の巨大地震で、火山が噴火。ものすごい大きなエネルギーが動いている。例えが良いのかだが
M6.0: 広島型原爆 1 M7.0: 広島型原爆 32倍 M8.0: 広島型原爆 1000倍 さらにM8.7であるから。ちなみに東日本大震災は、M9.0。

北海道から1400㎞離れているカムチャツカ半島の沖で巨大地震が発生。日本でも震度1から2を観測したが、気にならない程度。しかし、津波警報が発表。驚いた人も多い。3.11を思い出した人が多かっただろう。22都道府県で、避難数は一時、200万人の大事態。車で避難する人が多く、大渋滞を引き起こした。避難所でクーラーがなく熱中症の疑いで搬送されるケースも。北海道では「快速エアポート」の海側の一部路線が運休となったが、札幌と新千歳空港の間では、大きな影響は出なかった。津波は、岩手県久慈港で1m30㎝を観測。種子島で70㎝を観測。大阪湾で30㎝を観測。宮古島で20㎝観測など、はるか2000㎞以上離れていても油断はできない。

遠く離れた地震で実感がなくても。カムチャツカ半島の南には海嶺があり、そこで津波が方向を変え、複雑な動きをする。予測不能な津波。24時間ほどでおさまってきた。

川を遡上する津波。河口の付近には絶対近づかない。垂直避難。


北海道の旅 25.7.27~


北海道の旅 25.7.27~

なかなか行くことのなかった「北海道」に伺う。
交通手段は飛行機で2時間。搭乗手続きは、1時間前に。手荷物検査を受ける。
7㎏を超える荷物(1個:20㎏まで)は預ける。機内には7㎏まで2個の荷物が持ち込める。食事はオプション。

往きと帰りで別々のフラッグキャリアを利用した。朝と夜便にはそれなりのメリットもデメリットもある。
丸々、一日を有効に使う事もできるが移動による疲労もそれなりに。
例えば、関西国際空港の場合、23時9分が、大阪駅までの終電。もちろん、ホテルもあるが、短時間と考えるなら、翌朝まで空港で過ごす事になる。空港内に駐車する方法もあるが、滞在日数が多ければかなり高額となる。
私の場合、隣駅のりんくうタウン駅最寄りの駐車場を利用する。早朝、深夜便が多い中、かなり自由がきく。
土日と平日は、料金がかなり違うし、朝晩の時間帯によっても料金は変わり、ハイシーズンは高めである。ターミナルにより移動時間が変わる。搭乗方法、降機方法の違い。ボーディングブリッジが普通なのだが、タラップを降りて歩く場合もある。
チェックイン方法も違う。最近はオンラインチェックインもできるので、手荷物を預けないなら、時間を短縮できる。また、手荷物が機内用のスーツケースなら持ち込みできるがトータルで7㎏を越えない事。これがなかなか難しい。私のトロリーバッグは節約しても7.8㎏だったので預けた。チケットを購入する際に、プランが決まっていて変更には手数料が必要な場合がある。

飛行機のスペックは、主にエアバス320が使われている。燃費が良い事。巡航速度840㎞/h。6列で180席。仕様はそれぞれだが。J社は、リクライニングあり、P社は、リクライニングなし(最初から傾きが設定されていて固定)
J社は、JALグループ。P社は、ANAグループであり、コードシェア便としての運行がみられる。同じ時間帯の便をさまざまな料金体制で提供し搭乗率の効率化をはかっている。

空の旅の楽しみは、日中は富士山、夜間は市街のネオンが見られるか。今回は日本海よりのルートを飛行中、富士山は見えた。上空からの黒部ダムは見えた。
旅は、少々のアクシデントはつきもの。それがかえっての思い出になる。致命的でなければよいではないか。

往き:関空 8:25 新千歳 10:25 駐車場に7時に着いて駅まで歩く。到着地の新千歳空港が悪天候により旭川空港に変更で10:43着。一瞬、声が上がったが乗客に大きな混乱はなかった。燃料補給後、11:44出発。旭川空港から新千歳空港まで約30分で着陸 12:27到着。一度に2回、飛行機に乗った気分、しかも旭川空港の広さに驚いた。実は、関西国際空港から旭川空港まで直行便はない。JALで伊丹空港から旭川まで季節運航で便がある。また、ジェットスターだと、成田乗り換えで旭川空港に入れる。札幌駅から旭川駅までは、高速バスで往復5000円。

帰り:新千歳 20:10 関空 22:10 深夜に到着する便。搭乗時間は10分遅れたが、到着時間は変更はなかった。しかし、預け荷物の搬送に時間がかかった。ターミナルが広く、連絡バスでエアロプラザまで30分。この時間では、電車で自宅には帰れない。大阪方面の終電。一駅で駐車場、車で帰宅。

湾岸エリア

富士山

黒部ダムかな

新千歳空港が悪天候のため、到着地を変更。機長から説明があったが、すぐ旭川空港に着陸した。緑の多さを上空から見た。

 

新千歳空港の国内線ターミナルビル。映画館や温泉もある。

欠航や遅れ、搭乗口の変更などがある。コードシェア便も確認できる。

関西国際空港 エアロプラザ。


信州新町「かあさんの歌」歌碑


信州新町「かあさんの歌」歌碑

かあさんの歌、窪田聡の作詞・作曲の昭和歌謡。1956年(昭和31年)20歳の時『うたごえ新聞』にて発表された。母親のぬくもりと、戦時中に疎開していた長野県長野市の旧信州新町地区の情景を歌詞にしたもの。
母のイメージは時代とともに変わっていくが、子どもへの愛は、いつも変わらない。また、手作りのものはお金で買えないもの。

うたごえ運動を通じて全国の歌声喫茶に広まった。うたごえ運動は、中央合唱団の関鑑子によってはじめられた戦後の民主運動のひとつで「コーラスによる平和運動」。ダークダックスやペギー葉山によって取り上げられてヒットし、NHKの『みんなのうた』でも放送された。音楽の教科書に掲載された事もある。1989年、信州新町「奈津女橋ミニ公園」に『かあさんの歌』の歌碑が建立された。

「かあさんが夜なべをして手袋編んでくれた」・・・

場所は、道の駅「信州新町」からすぐのところにある。ちなみに、この道の駅にある「そば信」のそばが旨い。冷やしてももちろん。おすすめは「冷やし(ぶっかけ)たぬきそば」ここで「かあさんの歌」の新聞の切り抜きがあった・・・。


東館山1,994m「ニッコウキスゲ」


東館山1,994m「ニッコウキスゲ」

志賀高原の標高2000mクラスの山で高天原から登る事ができる。また、ゴンドラ・リフトで行く事も。県内にある高山植物園の一つ「東館山高山植物園」があり、日本最大で500種類もの高山植物をみることができる。
段々畑の斜面に咲く花たち。ニッコウキスゲの大群落は圧倒的だった。他に、ピンク色のオヤマシモツケ、紫色のハクサンフウロなど。気温は26℃。ほどよく涼しい。蝶やトンボが舞う楽園。

 

これは大沼池 エメラルドグリーンの色 酸性の池で魚は住めない


ニッコウキスゲの大群落は圧巻。

クロサンショウウオの池

東館山の山頂にある祠


名峰「乗鞍岳」3026m 2025.7.21


名峰「乗鞍岳」3026m 2025.7.21

日本の火山としては富士山、御嶽山に次いで3番目に高い山。23の峰を持つ。山頂部は広く南北6km。以前は、ご来光ツアーがあり、何度か利用した。朝3時30分出発し、富士見岳から拝むご来光は神秘的。雲海に大きな太陽。それは宇宙の景観。

マイカー規制があり、岐阜県側から「ほおの木平」バスターミナルに駐車し登山バス。45分ほど。料金は往復3400円。畳平バスターミナルに到着、日本一標高の高いバス駅、2702m、午前8時40分、気温15℃。雨天の場合は、便数を減らすか、運航中止となる。クマが出たと自然センターから報告があり、気になっていたが。標高2700mの畳平では、食物がハイマツしかない。クマは寒さに強いかもしれないが、餌が少ない。生きられないと思う。ただ、登山バスの「ほおのき平」から遭遇する可能性はある。私からすればクマが出ないだろう場所で、熊鈴を鳴らすのに抵抗がある。

この時期に登るには理由があって。7月上旬から高山の「春」。高山植物が花を咲かせる。見事な自然。チングルマの群落。信州の一部と北海道のみ植生する花木。標高2900mの水もないところの岩に張り付いているコマクサは力強い。岩から出る水分を吸い取って生きている。

久しぶり。このところ7月は白馬大池などだったから。17000歩でまあまあ歩いた。気軽に登れるといわれるが、難しさ。それは強風。風速20mは、行く手を阻む。吹き飛ばされそう。霰が一瞬降ったか。夏なのに、気温は8℃以下。途中からレインコートを装備。手が冷えてきた。グローブがないと体温が奪われてしまう。山頂部は白くほとんど何も見えないと言うが、登頂して10分くらいすると、晴れてきた。山頂からは、御嶽山、槍ヶ岳、立山はもちろん、北アルプス、八ヶ岳、南アルプスの展望が望める。そして、日本で2番目の高所にある大日岳の下、権現池(2833m)は素晴らしい。

すぐ登れる魔王岳へは列をつくっていた。お花畑には、チングルマ、イワカガミなどの高山植物が咲きほこる。ライチョウ広場から登山道に合流、ピークにたどり着くと強風がすごい。富士見岳との分岐だが、又にしよう。コロナ観測所を横目に、肩の小屋へ。斜面沿いの道は強風とガスで見えない。肩の小屋でトイレ休憩。ここから頂上小屋までは、気を緩めないでいこう。ザレた道を登っていく。下りは滑らないように。私はなるべくストックを使わない主義。使うなら下りの時に一本。ヒザをあげて登らない。

コースタイム:7時55分 ほおの木平バスターミナル 登山バス 畳平バスターミナル 8時40分
畳平 8時45分 開始 9時30分 肩の小屋 9時38分 頂上小屋 10時28分 山頂 10時38分 下山 10時49分 肩の小屋 11時50分 鶴ヶ池経由 畳平 12時34分

 

ほおの木平バスターミナル(標高1235m)気温15℃。

マイカー規制で、ここから登山バスに乗り換えで45分。畳平に。雨の日は、縮小ダイヤやまた、運行中止になる。

畳平 標高2700mに広がる台地。

 

 

まずは、お花畑とライチョウ広場。

不消ヶ池

強風20mで山頂は視界不良。

高山植物の女王「コマクサ」の群落が励ましてくれる。岩の水分を吸って生きている。

肩の小屋 ここでトイレ休憩 あとは山頂までは気を緩めずに。

頂上小屋 視界不良 ここであったかいココアを飲んで暖をとった。あと10分足らずで頂上へ。

頂上に着いた。朝日権現社

頂上でしばらくすると晴れた。

頂上の標柱 標高3026m

乗鞍本宮【奥宮】

下界の様子 頂上小屋 コロナ観測所がみえる。

日本で御嶽山の二ノ池に次いで2番目に高い「権現池」

右上に槍ヶ岳が。

この辺りからは岩山。厳しい自然。

鞍部 行きは強風が吹き荒れるのでここを早く超えて頂上へ行きたい。帰りは、風がなくゆっくり歩きたい。頂上をふりかえりながら。


肩の小屋 コロナ観測所がみえる。

ハイマツの実。ライチョウが好んでいる。

コマクサがこんなに沢山、自生しているのが驚き。

不消ヶ池(きえずがいけ)夏でも雪渓が残る。

鶴ヶ池