Category: マイノート

大槌町 災害ボランティア


さきの3月11日 東日本大震災 胸をいためておりました。

私の恩人で 大船渡にいる 連絡がとれなくなっていて・・・
GOOGLEパーソンズで ようやく 元気でいることがわかりましたが 電話はつながりません。
それは 東京の知人を通して知った情報
おそらく学校で 春休みから連休まで 避難所として 待機する一方 自宅に帰られなかったと思います。
どんな過酷な状況におかれているか 私の知る由もないが 耐えていることだろうと思うと 一度会いたいのです。

ボランティアバスを出してくれることになり 4泊5日の災害ボランティアに参加することになりました。
岩手県の 大槌町です。事前に状況をスライドショーなどで見てその状況に言葉をなくしてしまいました。

「できることがあるなら」そう思いバスで北陸道で新潟まわり 仙台 花巻へ。
花巻から1時間で 釜石の近い大槌町へ到着。朝であったが 静まり返っていて 建物もなくなっていた・・・
まるで 戦禍に倒れた町のようだった。

私たちの役目 それは がれき撤去。がれきは一度に20年分もたまり、自衛隊が運んでくれる以外には自治体が処理ならず、1年で1割しか処分されてなく、至るところの敷地に集められ放置されている。

大槌町桜木町は 津波が川を逆流し被害を受けた。一時は4階部分 7-8mに達したと住民の方が話してくれた。そのため 塩水と川の泥が混じった匂い。その泥が通常の土壌にかぶさった。その泥には 写真、CD、生活用品もまじっており それを選別するのががれきの撤去である。そして 土を河川敷に運ぶ作業 これらは手作業で行われる。当日 雨が強く降ってきた。地元の社会福祉協議会は気を遣って時間短縮を要請。できるところまでやろうということで作業が進められた。翌日も同作業をする。地元の方と話をする機会をえた。「津波の怖さ 7-8m 町営住宅にいた人 5階に逃げた。ベランダまで水が来ていた。」

貴重な体験になった。県災害ボランティアに登録している。力になってくれる人がいたら ぜひお願いしたい。

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大槌町から約1時間の「遠野」 震度5だった。まだ 被害が少なかったようだ。しかし 同じ岩手県でも全然状況が違う。岩手県は四国地方の半分を占めるほどの面積。被害の大きいところを助けなければ・・・


コミュニケーション教育と舞台芸術


コミュニケーション教育と舞台芸術(ミュージカル)

皆さんも生き生きと毎日を過ごしてみませんか。言葉と体と感情を使って。コミュニケーションしようとする気持ちが大切。自分を表現する事が苦手な人が増えています。

コンピューターはコンテクストを持ちません。YES NO キャンセルかしかありません。
例えば、この場面を想定してあなたはどうしたいですか。

例)あなたが列車で座っていると向いにある人が座ってきました。
あなたはどきどきしています。向いの席の人が顔をあげ 目が合いました。
どちらまで行きますかと声をかけられました。あなたはどうしますか?
A はい 東京まで B はい 東京まで あなたのほうは?
C 目をふせ黙っている D なぜ聞くのと怒る E 他

こうしたら相手はどうなるだろうと予測できますね。他というのがありますね。人間ならではのことです。コミュニケーションしようと思えば自分からも切り出す。そういう訓練が欧米に対して足りないのです。コミュニケーションする気持ちでもって言葉を表わす方法を考えていく。それがコミュニケーション能力の活用であり、学校では演劇でコミュニケーション教育を説いています。

私たちはなぜ、観劇やライブに行ったりするのでしょう。それは、コミュニケーション能力を潜在的に活用しているのではないでしょうか。自分は何かができなくても共感できるのです。うたに感動するのも同様です。再現芸術である役者(演奏者)は場面を考え、役作りをしている。協調性、相手を思いやる気持ち、達成感を得ます。

言葉は力を持っています。時として人を傷つけてしまうこともあり、愛を感じて幸せな人もいるでしょう。うたと動きと演劇で感情を表す総合的な芸術が舞台芸術です。演劇を学ぶということは、
言葉、体、感情を使って表現すること。演劇を見るということは、感動を共感できることだと思います。コミュニケーションをシミレートすることは、セルフイメージを高めることにもなります。

平田オリザ コミュニケーションデザインの講義を聴いて


11/9 鈴木希彩 赤い手袋の奇跡 ~信じる心 教育にミュージカル~


~信じるこころ ミュージカルを子ども教育に~ 8歳の少女がホームレスの人生を変えた。心温まる物語。

ミュージカルはドラマ教育といい、アメリカやイギリスでは舞台芸術を学び教育現場に常駐している。
観劇は、コミュニケーション能力を高めたりやシミレーションによる相互の立場の理解に役立ち、心を豊かにする。訓話よりも舞台芸術でテーマを上演し 教育効果をあげることができる

「赤い手袋の奇跡 ギデオンの贈りもの」
「ひとりミュージカル」ライブ会場は、あっという間の65分間を共有していた~

出演  鈴木希彩(のあ) 音楽 深町エリ 脚本 人見はる菜 原作 カレンキングズベリー

あの翻訳家 小沢瑞穂さんも翻訳しながら涙したといわれる感動の物語。
「神様が少女にくれたプレゼント。クリスマスに起きた本当の奇跡」

ギデオンは8歳の女の子。彼女は 天使のようなやさしい心を持っていた。
ギデオンは 困っている人をほうっておけない。
自分がもらった小遣いでパンを焼きホームレスにあげていた。
あるとき、ギデオンはアールというホームレスに出会う。
アールに クリスマスプレゼント渡したいので受け取ってくれるかときいた。
アールはクリスマスなんか大嫌いだ。プレゼントそんなものいらないという。
ギデオンは、自分で気づかないうちに白血病に侵されていたのだ。それでもアールの心を救おうとクリスマスプレゼントを用意した。
プレゼントの袋に赤い手袋をいれ 手袋にはBELIEVEの文字を刺繍した。またプレゼントの袋には心をこめて絵を描いた。
最初 アールはプレゼントを受け取ったが 開く気にならず ギデオンに対しても「ほおっておいてくれ」と拒絶した。
そのショックのあまり、ギデオンが病状を悪化させてしまった。
ギデオンのただひとつの願いそれは、アールがプレゼントをあけてくれ笑顔になってくれること。
信じる心を取り戻してくれることを神様にお願いした。

アールの過去は12月22日に交通事故で妻と娘を失ってしまった。クリスマスプレゼントが赤い手袋であった。
挙句の果てに仕事もなくなりホームレスになったのである。そして赤い手袋も盗まれなくなってしまった。

アールはプレゼントをあけて見た。そうしたら なんと赤い手袋があるではないか。
そこにはBELLIVEの文字が。これは奇跡だ。
私はひどいことをした。ギデオンに謝りたい。彼女の病気を救えたらと 白血病の治療費を差出し ギデオンは 2ヶ月後に退院することができた。

「ギデオンはアールの笑顔を取り戻したかった 何も信じなくなったアールの心を温めたい」それが奇跡を生んだ。クリスマスの奇跡はそれを信じる人に起きる。

主な登場人物
A ギデオン 高声 純真無垢な8歳の女の子で天使のような声。讃美歌などクリスマステーマの曲などを 感動的に表わす
B アール 中声 声に表情と重さがにじむ 粗暴な人。ギデオンからのクリスマスプレゼントにより 今までの過去の訣別 人生を変えた奇跡に感謝する その深い歓びの歌はクライマックス
C 語り 中声 ストーリー語るナビゲータ役。明解でかつ言葉に抑揚をつける 各場面の切替は十分な間合いをとっている。

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ピアノの歴史


Piano forte」(Klavier)⇒「ピアノ」は、1700年代 Italyのバルトロメロ クリストフォりによって ハンマーが弦を打鍵する方式で発明。それまでは、チェンバロ・ハープシコード等 弦を弾(はじ)いて発音する楽器だった。この楽器の源流は、クラビコードやツィンバロン等がある。また、「Forte piano」があるが音色が全く違う。ベートーヴェンの月光ソナタの1楽章は、フォルテピアノ用特有の記号がついている⇒Senza sordino(弱音器をはずして・・・)

「ピアノ」の特色は、硬い音色も柔らかい音色も出せること、単音から重音まで発音できること、ペダルを使うことにより響きを豊かにすることができる。楽器が大きいこともあるが、デュナーミクの迫力は、ピアノならでは。弦長が2m程度あるので 音の伸びが違う。楽器の特性上コンサートホールに向いており、演奏上、音の響きを考えることが特に重要である。

楽譜を見れば 音楽 楽器の発展が垣間見ることができる。

楽譜に細かな記号がほとんど付されていない時代。舞曲が主流だったので あまりに激しい表情の音楽はなかったと思われる。J.S.Bachの時代主旋律は管弦楽器が主であった。コントラバスがなくヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロを通奏低音として使った。当時は、宮廷音楽家になり 宮廷音楽を書くのが音楽家の夢であった。やがて 宗教曲から劇付随音楽へ時代が変わり、ヘンデルのメサイアなどオラトリオが流行った。また、オペラが流行したが、世の中を風刺した内容を取り上げることにより、支援者がいなくなるのである。音楽家は自分の音楽を理解してくれる「パトロン」が必要になった。また、一般家庭にも音楽を楽しむ風潮が広がった。F.Schubertは連弾曲が多いことでも知られる。出版社や献呈者が現れるのがこの頃である。W.A.Mozartのアリアは、声楽を発展させた。後に、シューベルトは、「リート」(ピアノ伴奏)の分野を開拓した。

音楽は 12音階(平均律)とともに神の創造したものである。音楽家は建築家とは違うとベートーヴェンは言っていた。弾き手は高度なテクニックを習得すれば その音楽を奏することができる。しかし テクニックを要求しないまでも 美しい音楽はたくさんある。音楽は時間と言葉を超越したもので、空白の時間を埋めてくれ、満たしてくれる。

ピアノ音楽は 一人でできるオーケストラ。音楽が大衆化し サロン・コンサートが開かれ 芸術家と視聴者との対話が繰り広げられた。
芸術を理解できるのか それとも共感できるのか いずれにせよ 感情が大切なのである。

美術での感情とはまた違うのである。音楽は、その瞬間に消えてゆく立体的なオブジェである。美術の場合は、その創作物そのものに感動すること、または その芸術家が背景にあり感動することもある。音楽の場合は、聴覚に訴え、そのイメージが脳裏に焼き付けられる。

一方、L.V.Beethovenの楽譜は、細かい記号が付されている。ピアノは当時最も発達した楽器で モーツァルトの時代のスクエアピアノは、持ち運びに便利なものの大きな音で叩くとすぐ弦がきれ、音が著しく悪くなってしまう。ただ、野外での演奏ができたこと、馬車で引いて運搬していたという。ベートーヴェンとF.Lisztは「ピアノ壊し」で有名であった。彼らのコンサートでは、ピアノが常時3台以上運び込まれたのだ。そのベートーヴェンにも楽器が贈られ、最高音F(7オクターブ)を使った「熱情」ソナタ等、画期的なピアノ曲が生まれる。
一方、調性を達観した音楽は、民族性の音階を使用する「国民音楽派」が出現。ショパン・シューマン・ブラームス・ムソルグスキー・チャイコフスキー・サンサーンス・フランク・ドビュッシーなど、ピアノ音楽が大きく変わっていく。

 


2012.2.18-19 第3回「全国なにわシャンソンコンクール」


2月18日~19日第三回全国なにわシャンソンコンクールが大阪中之島公会堂で行われた。

審査委員長に、永田文夫氏、審査員に加藤修滋氏、岡田みどり氏、パトリックヌジェ氏、三木原浩史氏、そして私。 テープ審査の後、1日目は二次審査で52名から30名を選出、 2日目は本選で30名からグランプリ1名 準グランプリ2名他入賞者を選出。 神戸、浜松、大阪などシャンソンコンクールはあるが、特長は予選、本選と二日間出場できること、日本語シャンソンで応募できること、プロアマ問わず応募できること。 10代から70代までの出場者。50代~60代が多かったが、その意気と若さに驚いた。出場者は自分のシャンソンを表現し、聴衆も感動したと思う。 入賞者の記事はこちらに掲載 日仏シャンソン協会関西支部 http://www.tcn.zaq.ne.jp/akbja707/chanson.html

シャンソンは、「3分間のドラマ」といわれ、主人公になりきって表現する。 曲の構成は重要である。 歌う言語、語りやメロディー、振付など、歌い手としてシャンソンをどう表現するか。 発声は、語りか歌か シャンソンらしい発声が望まれる。感情移入をどの程度行うか。 フランス語のうたをシャンソンと呼ぶのだが、フランス語のうたがアメリカにわたり日本に入ってきた英語のシャンソンもあるし、アルゼンチンなどからフランスにわたり日本にはいってきた曲など様々である。

選曲については一定のラインが引かれているが簿妙でもある。 原語で歌うかどうか。日本語に訳詞されているもの、オリジナルで訳詞したものを使用する場合など、歌詞をどう表現するか鍵になってくる。うたは詩が重要である。 シャンソンは、愛をうたうものが多い、戦争や人生をうたうものもある。内容も大切である。 舞台に立つとき(マナーやステージマネジメント)、伴奏者とのかけあい、マイクの使い方、振付、衣装など総合力で競われる。 コンクールは登竜門であるが、プロアマ関係なく、年代を問わず シャンソンを全国各地から聴かせていただける機会になればと思う。 「輝いて生きる」ことをあらためて感じた。今後もシャンソンを歌ってほしい。

2月18~19日 大阪中之島公会堂で 第3回全国なにわシャンソンコンクールが開催された。(主催:日仏シャンソン協会関西支部)
審査委員長 永田文夫(日本訳詞家協会会長) 審査委員 加藤修滋(日仏シャンソン協会 日本支局長)岡田みどり(日仏シャンソン協会 関西支部長)パトリック・ヌジェ(アコーディオニスト)
三木原浩史(神戸大学大学院国際文化学教授)と私(NPO法人日本アコーディオン協会 理事)だ。

テープ審査 2次予選 52名より30名を選出し 本選 30名から入選者10名を選出 グランプリ 1名 準グランプリ 2名 敢闘賞
7名 のうち グランプリ・準グランプリには、巴里祭に出演の権利が!

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プラハ


チェコのプラハは、「百塔の街」として知られる。チェコ共和国は、人口1000万人程度。プラハは、100万人程度。1300年代より 神聖ローマ帝国の首都になり、栄華を極める。ゴシック様式の聖ビート教会をシンボルに、多くの建造物を残す。カレル橋の袂には、プルタヴァ川(モルダウ)が流れ、世界でも最も美しい情景を魅せている。ここで、ドヴォジャーク、スメタナが生まれ、また、モーツァルト縁の地である。画家アルフォンヌ・ミュシャもここで生まれた。

ちなみに、サルバトール教会は、07年プラハアコーディオンフェスタが行われた場所で、ドヴォルザークの国葬が行われたところでもある。
料理は、ザウワークラフト(キャベツの酢漬け)パン、ジャガイモ、スープ等温かくて美味しいものである。ビールは、バドワイザー等世界有数の生産を誇っている。
言語は、チェコ語が母国語だが、ドイツ語や英語が通じるところもある。世界遺産としては、プラハ・チェスキークルムロフが1992年登録された。

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