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「神よ憐れみたまえ」小池真理子


「神よ憐れみたまえ」小池真理子

これまでも「柩の中の猫」「無伴奏」「死に向かうアダージョ」などを嗜んでいる。作品「二重生活」映画化もされている。
小池さんの小説は、音楽や楽器が必ずといっていいほど登場する。また、登場人物は輪郭がはっきりと浮かび上がる。それが心地よいしリアルである。
軽井沢図書館でのイベントでお会いできサインをいただき宝物になっている。2017.8
真理子さんの上梓された大作 2021.6 を何度も読む。

短編、長編、いずれにしてもドラマティックな展開に圧倒される。交響曲を聴いている感じなんだな。緩急に意図があり、綿密に構成されている。
終焉は、思わぬ展開に言葉がでない。それは、ブラームスの第4番のシンフォニーのように終章の一句が終わりを深感するのだが、短調で終わっている。(最後、長調で終わっていたらどうなっていたのかな。)再生を願わずにいられない情感となるのだ。ハッピーエンド、ちゃんちゃんではない真摯な向き合い方。それは(残された)「慰め」である。

「神よ憐みたまえ」は、バッハ/マタイ受難曲第39番 Erbarme dich, mein Gott(憐れみたまえ、我が神よ)を想起させるとともに、このフレーズは、ラテン語ミサの「kyrie eleison」のドイツ語読み。悔い改め、信仰宣言し、感謝する。最後は「神の子羊」アーメン。

キリスト教は2000年にわたり、キリストの復活を祝うために毎週日曜日に集まり「主の晩餐」を行ってきた。これがカトリック教会で「ミサ」(感謝の祭儀)の礼拝である。
宗派はさまざまであり、教義のみ優先され礼拝などが伴わない教派もあるよう。もちろん、クリスマスミサや復活祭ミサなどは重要な行事なのでそれをおろそかにする事はない。
イスラム教では、飛行機のパイロットが乗務中、神殿に向かって座礼をする光景があるのだ。キリスト教では教会暦に則り、時季に礼拝を行う事で体系をなしている。また、7日間に一度は仕事をお休みしていた。日本からすると、神社の暦で年中行事の祭礼にあたる。氏子は月に3回は奉参していたのだから。現代は混沌とし帰依する事から離れている。むしろ「心の時代」・・・