仙台から 大船渡まで 一関 気仙沼 陸前高田 経由 高速バスで4時間 盛駅前 で降りた。
そこに懐かしい17年ぶりに逢うSさんがバス停留所に立って迎えてくれた。面影は変わっていない。電話の声は変わってなかったし あの頃のまま。その当時と同様 優しく対応してくれた。早速 車で町全体を案内、こちらが戸惑っていたが、Sさんの人隣が蘇ってきた。被災された時の事を話してくれた。当時 合唱団で一緒にいて 仲間うちの音楽会をやったとき Sさんがギターで 僕がピアノだったな。Sさんが こちらの事を気にしてくれていた。僕が引っ越した時も 連絡くれていて 続いていたんだ。
私から あの当時の事をすこしつづ話はじめる。GOOGLEパーソンファインダーで見つけた。名簿に載っていなくて、不明だった。東京の知人が 小学校にいることを知らせてくれた。その3ヶ月後 災害ボランティアで 大槌町に行った。この時、連絡がとれなかった。
さらに、1年後 シャンソン歌手 ピアニストと 赤十字基金の一環で 東北支援をしようという企画で 私が協会を通じて 大船渡市の社会福祉協議会に打診した この時 学校関係の方が 協議会にいらして 元気でいることを教えてくれたのだ。連絡がとれた時の事は忘れない。「必ず行くから」 それから月日は流れた。
盛 高台にある学校で 児童は無事でした。が 電気・水道がとまり 電話がつながらない。体育館が古いので 屋根が余震などでおちるかもということで屋外に避難したり 落ち着かなかった。学校の体育館は 避難所となり しばらく 避難生活が続いた。また 運動場には夏休みにかけ 仮設住宅が建てられた。
大船渡駅は流され 更地で 橋 区画の大工事が行われていた。「ハザードマップ」によると 5mの緩やかなかさあげをしたうえで駅の復旧が待たれている。被災は 海だけでなく 会社関連全般におよび 深刻な打撃を受けた。そして、テレビを見ていなかったから 情報がわからなったという。誰かが ワンセグTVで 千葉のコンビナートの炎上した情報が入ってきて「あちらも大変なのね。」と 他方を気遣う気持ち。忍耐強い 東北の。外国の方が 東北の人に感動するというの聞くが 私も尊敬。
陸前高田「奇跡の一本松」に連れて行ってくれた。セメント会社のこと 八木澤商店さんのこと 教えてくれた。それから 津波伝承館や大船渡市立博物館のことなど 調べてくれていた。細やかなところが昔から変わらないSさんの好ましいところ(^。^)
そのあと 大船渡プラザホテルで食事し話を聞いた。穏やかで いつもと変わらないSさんに、ただただ 感謝とSさんの笑顔(ほほえみ)しかない。必ずまた行きます。
これが大船渡プラザホテル 被災し リフォームしながら営業している。現在 平日は 工事関係者が多く利用されるそう。隣に ホテル福富がある。かろうじて再開しているが いずれは 取り壊しし 違うところに建てる予定だとか。それは 自主再建だと。
緻密な計画を遂行するため 情報を集約し 考えに考えた。翌日、市立博物館か 志津川町の旧防災庁舎か。両方可能だろうか ほとんど時間がない。乗り遅れると 帰りの飛行機に影響がでる。
翌日、朝早く、商人橋まで 迂回しながら歩いた。この45号線は基幹道路 仙台方面の高速バスが停車する。碁石海岸にある 市立博物館に向かう。市バスで 一人3便。30分いくと 山から突然海が開ける、碁石海岸という。風光明媚なところにたどり着いた。ここは 松原があり また「世界の椿館」もある。
博物館で 最寄りのBRT碁石海岸口に行く方法を尋ねると タクシーで5分くらいということ。それなら ゆっくり見られる。「大船渡の1000時間」を観賞した。大船渡市は 東日本大震災で 日本で最も早く津波が到達したところである。
写真と 時系列の解説。 14時46分に大地震が起きた時、これは大津波が来ると察知したものの どれくらいの来るかわからない。大津波警報が出た 3分後 最大6mの予想だったから、避難所などの3F以上にあがれば。しかし 15時14分(28分後)この警報は 10m以上に改められ より高いところに逃げることが求められたが その時 電気・電話がとまっている状態で テレビ ラジオ ワンセグ ツィッター 防災情報は届いたのか。
大船渡に到達した津波、「溯上高」(最大駆け上がった高さ)とは違う数値。周期が一定でない 両側から津波が押し寄せ 予想を上回る高さになることがある。
第1波 14時54分(8分後) 20cm
第2波 15時15分(29分後) 3m 引き波と向こうからの白波がぶつかってきた。黒い色をした大きな波。
以前の「津波注意報」は1m未満 (私からすると 1mでも、衝撃で体がもっていかれる)
28分後に 6mから10m以上と変更されていたのだ!
第3波 15時18分(32分後) 8m以上(正確な数値はわからず)私たちがテレビでみた映像だった。
第○波 時間不明 12m
東日本大震災を教訓に、津波警報が改められていることをご存じだろうか。M8.0以上の大地震のとき分析が迅速にできない事がある これには 気象庁での改善だけでなく メディアが使う言葉が変わる。
気象庁は数値を発表するようだ。が
メディアは、1m未満は表示なし(注意報)
3mの津波警報からは「高い」
5m以上の大津波警報の「巨大」と表現することで より高いところに逃げるように促す。
http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/tsunami/kaizen/about_kaizen_gaiyou.html
大船渡駅周辺は なだらかな5mのかさあげ工事をすすめている。実際 津波は10mを超えたとするが その辺り協議が行われ 施策として まとめている。JR大船渡駅の海側は 居住しない商業地は認めている。大船渡市駅周辺は 10m以上の高台に避難できるところに住むのが望ましいと捉える事ができる。
私が 心を動かされたのは 「どれだけの人に支援してもらったのだろう」という言葉。
櫻の咲いた時の 気持ち 何とも言えなかったろうな(涙)日本人の心に響く。
博物館の方に大変お世話になりました。大船渡市立博物館「大船渡の1000時間」 http://www.city.ofunato.iwate.jp/www/contents/1421973827777/index.html
タクシーのドライバーさんと お話をする。大船渡は 新沼謙治でなく「津波で有名になってしまったよ」と、訛りで話してくれた。このあと ハプニングが 私のスーツケースを車のトランクに入れたまま 受け取りそこなってしまい・・・(多分 話しこんでいたから ごめんなさい)先回りしてBRT陸前高田駅まで届けてくれた ドライバーさん ありがとう(笑)。無事に旅はすすんでいます。
BRT 碁石海岸口駅 斬新なつくり 向かいの線を待ち合わせする待避所も備えている。バス専用道路である。ここから 陸前高田 気仙沼 一旦降りて BRT気仙沼線 南三陸町 志津川町 柳津 BRTはここまで 電車に乗換 前谷地 子牛田 仙台 空港までいける。大船渡から 帰りの BRTと鉄道の旅が続いている。次は 志津川町 旧防災庁舎に向かった。