昭和歌謡 古めかしい名前だ。昭和は 1925年~89年(昭和元年~64年1月)まであった。
私がパーソナリティーつとめる FMはしもと81.6 第2・4木 13~15時 「あきがるたいむ」では、昭和歌謡を取り上げています。特に昭和10年代から30年代の歌謡曲にスポットをあてています。
理由は 団塊の世代がどうやって日本を復興していったのか。その子育ての矢面にたった親達の生き方を学びたいと思ったからです。
キーワードみてみますと
闇市 配給 芋 イナゴ ラジオ歌謡 音楽劇 ナイロン靴下 墨消し モンペ 白黒テレビ 電気洗濯機 電気冷蔵庫(他に炊飯器・掃除機) ミシン 東京タワー 通天閣・・・
歴史をふりかえると これまでの日本になかった国際的な事情がうかんでくる。
12年9月2日 盧溝橋事件 日中戦争へ
16年12月8日 真珠湾攻撃 太平洋戦争
20年2月4日 ヤルタ会談
20年3月10日 東京大空襲
20年3月13日 堺大空襲
20年5月7日 ドイツ降伏
20年6月23日 沖縄戦
20年8月15日 玉音放送
25年6月25日 朝鮮戦争
26年9月8日 サンフランシスコ講和条約
戦後すぐ GHQの占領下におかれた日本 堺の大浜にも 米軍がいて 海水浴をしていた。
そして お菓子をくれた。当時 日本は配給で 食べるものがなく 並んで我慢した。
草やイナゴでも 食べなくてはならなかった。お腹いっぱいに食べられればそれが一番だった。
学校に芋などを植え育てた。教科書に墨を塗りなさいといわれ あるページは全部が真っ黒になった。
天皇陛下のために死ねるのが名誉。直立不動で校長先生の話を聞いた。
それが 間違いということで、墨消しをしたのだ。しかし 戦中・戦後のことは中身が薄い。
2人に一つの教科書。2-3年そんなことが続き ようやく 紐付きの教科書になったという。
校舎も青空で・・・ そんな時 ラジオ歌謡が、唄が歌えると楽しかった。
やっと本を手にしたのは、「国のあゆみ」という歴史本。イナゴを集め、ゆでるだけで何の味も付けずに食べた。 かむと気持ちが悪く、飲み込むと足のギザギザが喉に掛かるので、涙ながらに飲み込んだ。男子も家庭科があり、手縫いで白足袋を作ったり、ミシンでパンツや体操帽を縫った。料理の時間は、皆お腹が減っていたので、うれしかった。体育は相撲を教えてくれた。小さな学校でも一生懸命練習すれば勝てることを知り、良い経験になった。
昭和20年に生まれた女優です