Year: 2018年

天皇皇后両陛下「軽井沢町行幸啓」


天皇皇后両陛下「軽井沢町行幸啓」 軽井沢町千ケ滝にて

千ヶ滝は別荘地として知られている。西側の大日向(おおひなた)は 昭和天皇が御製を詠まれたところ。
軽井沢は浅間山の噴火とともにあった。律令時代に東山道がしかれ 江戸時代に中山道が整備された。
江戸時代に、天明の噴火により大災害となった。明治時代、いちはやくキリスト教の宣教師ショーが別荘地を建てこの地に住む。文豪、芸術家らが集う場所となった。
電気鉄道の敷設は苦難の中すすめられた。碓氷峠の眼鏡橋に代表される隊道である。また西武、三井などを中心に別荘地整備がされ 旧軽井沢 新軽井沢 中軽井沢 南ヶ丘 追分などの街区が形成。北軽井沢は、群馬県嬬恋村 長野原町である。東京からの日帰り観光もできる避暑地として世界的にも知られ 愛されている。

ところで、この日は 気温33℃ 猛暑の勢いはとまらない。今年の軽井沢は 日中9日ほど30℃を超えたが 朝晩は涼しい。翌日の朝は14℃ 寒いくらいだった。

天皇陛下は84歳 美智子皇后は83歳 いつ何時にも、勇気を与えてこられた。
天皇陛下は軽井沢のテニスコートで美智子さまと出逢いになられ1959年(昭和34年)4月10日ご成婚された。2019年4月に「御成婚60年記念」となられる。

この日は千ヶ滝の「セゾン美術館」にうかがおうと停車していると 警察から「間もなく通行止めとなりますので 車の移動をお願いできませんか。天皇陛下のお姿見られますか・・・」という。思えば1993年(平成5年)6月、皇太子殿下・雅子さまご成婚パレードを四谷見附の交差点で日の丸を振ってからになる。

指定の場所に行ってみると 続々と人が集まってきた。住民を中心に。私服警官から指示がありそれに従った。軽井沢が「御用邸の候補」であった事について住民から話をきいた。

護衛パト  白バイ SP そして・・・瞬間は訪れた。

天皇陛下・美智子皇后の御姿を拝しました。感動。御料車でなくマイクロバス。
手をふられました。オーラがでていて言葉がみつかりません。つつましく手をふりました。
(御写真撮影できました)

平成最後の夏が終わろうとしていました・・・


2018.10.16-2019.1.20「ルーベンス展」


ルーベンス展 国立西洋美術館 2018.10.16-2019.1.20

アントワープ・ノートルダム聖母大聖堂 「キリストの降架」

ルーベンス Cathedral of Our Lady(Antwerp)
(バロック期 フランドルの画家 1577年6月28日 – 1640年5月30日)ドイツ → イタリア → アントワープ(ベルギー)

いよいよ10月から国立西洋美術館で公開される。ルーベンスの宗教画、愉しみだ。
私は、図録を所有している。それは ルーベンスの名画を集めたもので 大きなサイズで重い・・・。

 

その名を知らないものはいないだろう。世界的画家 ミケランジェロ・ピカソ・ゴッホ・ルノワール・シャガール・フェルメール・・・
日本ではリュベンスとも云われている。それは アントワープ大聖堂におさめられている「キリスト」にちなむ4点の絵。

キリストの昇架(1610)キリストの復活(1612) キリストの降架(1614) 聖母被昇天(1626) バロック美術の最高峰。

そのなかで キリストの昇架 キリストの降架 は、当時は お金をはらってでないと見られなかった絵。
どれだけ この絵を見たかったことか・・・

この絵を見る直前にネロは亡くなったのだ。そして、パトラッシュとともに 天に召され旅立っていく・・・
その時、天井には聖母被昇天の絵があった・・・「フランダースの犬」のエンディング。

原作は無名な作品で、このような結末でなく、日本のアニメーションがエンディングを脚色し感動を与え不朽の作品となった。
ヤン・コルテール(研究家)の役割により、2016年12月モニュメントが建てられた。

Nello and his dog Patrasche,main characters from the story “a dog of flanders”,symbols of true and eternal friendship,loyalty and devotion.

「この物語は 悲しみの奥底から見出すことのできる 本当の希望と友情であり
永遠に語り継がれる私たちの宝物なのです」

キリストの降架


2018.8.24-26「軽井沢国際合唱フェスティバル」


軽井沢国際合唱フェスティバル2018.8.24-26

軽井沢の地に軽井沢大賀ホールがオープンしたのが2005年。その年の8月から始まった「軽井沢合唱フェスティバル」は、2013年より「軽井沢国際合唱フェスティバル」と名称をあらためました。国内外から多くの合唱団、講師をお招きし、また多くの合唱人が集い、学び、音楽を楽しみ、深める発信地となってきました。

 

 


2018.10.7「こおりやま音楽祭」出演


2018.10.7「こおりやま音楽祭」出演

にしくん & なってぃ (アコーディオン & リコーダー)で 出演します。
梅本なつきさんは リコーダー奏者でもあり クラリネット奏者です。
時間 会場が決まりました。11時30分 常福寺(じょうふくじ)さんです。
大和郡山市柳4丁目42 当日 お会いになる方 よろしくお願いします。


デイサービス演奏の事2018.08.20


デイサービス演奏の事 2018.08.20

定期的にうかがっています。今日は、「アコーディオンの歌う会」。楽しみにしてくれてました。
前回の事も 覚えていただいていました。

通所される方の健康増進のために さまざまな事が行われています。ストレッチは大切ですね。
元気な声が合わさりました。また、うかがたいと思います。

エレクトーンがあります。弾く人がいませんでした。今日は この楽器の音も活かされました。


鏡池


額井岳(標高822m)の麓に 鏡池がある。標高530m 気温21℃ 「龍王ヶ渕」

三方を森に囲まれ 湧水が注いでいる。天の恵みか 窪地に清水が溜まった。穏やかな水面。一部水草があり それが 鏡池独特の風景をうみだした。
四季折々の景色が愉しみである。

カエルやバッタ 魚がいる。また 水草が浮かぶ。草花が植生し、湿原を形成した。

ここは 堀越神社の神域でもある。堀越神社は雨乞いの神。

『豊玉姫命』を祀る。神武天皇の父方の御祖母。本殿内の御神体は桶の中にある石である。旱魃のときには向渕の農民や近隣からも祈雨の祈願でお詣りし、龍王ケ淵周囲を松明を持って「雨ヲタマワレ、タマワレ、タンブリ、タンブリ」と宣う。『豊玉姫命』は海神『大綿津見神(おおわたつみのかみ)』の娘。天孫・邇々芸命(ににぎのみこと)が大山津見神の娘木花佐久夜毘売との間にもうけた火遠理命(=山幸彦)と結婚し、鵜茅不合葺命(うがやふきあえず)を生む。鵜茅不合葺命は、トヨタマヒメの妹・玉依姫神に養育され、後に玉依姫神との間に神倭伊波禮毘古命(=神武天皇)をもうける。天王寺の茶臼山にある堀越神社は、崇峻天皇が御祭神で徳川家康が大坂冬の陣で陣を張った事で知られる。

後朱雀天皇の時、向淵の目代藤原時廉が、観音の霊夢に感じ、清浄の浴地を求めてこゝまで来た。見ると、可愛いゝ童子二人が、池水に浴してゐた。童子等は、時廉の姿を見て大いに驚き、早速上って羽衣をつけながら、『我等は、人界の者ではない。この池は、善女龍王の都、底は無くて、天竺の無熱池に通じてゐる。それで、吾等は天から降って浴してゐたのだが、人間に此事を知られた上は、もうダメだ。』と云って、クツを履くひまさへなく、あわてゝ天上してしまったと云ふ。


「駅西夏まつり」出演2018.8.18の事


「駅西夏まつり」出演2018.8.18の事

近鉄京都線「高の原」駅。奈良市北部と京都府木津川市南部の境界。住みやすさと便利さから 若年層が多く活気のある町づくりとなっている。
26年目となる。ゲストで出演。にしくん & なってぃ (アコーディオン & リコーダー)

18:00から開始 すいか割りが 子どもたちと行われ 歓声がとどろいた。命中は 4人に1人くらい。以外に難しいんだなと感じた。
出店は かきごおり フランクフルト 焼き鳥など・・・自治会の方が調理されている。

賑やかなところで 夏の風物詩 浴衣を身にまといます。これで、涼しさと気軽さを。
18:30から約1時間のステージ。音響がよく気持ちよく演奏ができました。ジャンルもさまざまな選曲。

この時期は いろんなところで 盆踊りや夏まつりがあります。演奏で夏を感じたひと時でした。
自治会の方にはよくしていただきまして。ありがとうございました。

すいか割り。歓声が沸いた。


龍鎮渓谷


龍鎮渓谷

室生湖に注ぐ上流に位置する渓谷。橋のたもとから静かな水の音が聞こえてくる。穏やかな流れ。この上に滝がある。
岩陵帯があり 険しい山中を歩いていく。しばらく行くと 小さな滝壺が。それが丸くて透明度が高く底が深い。

さらに行くと 結界がみえた。「龍鎮の滝」の入口である。瀧壺がエメラルドグリーン 吸い込まれそう。気温は21度。

滝に降り立った。穏やかな滝で 対岸に龍鎮神社の祠があり 渡っていく。
岩にへばりつくような感じでたっている。涼しさが半端ではない。それは 冷やかさでなく神秘的。

 

 


「万燈会」2018.8.15真田山旧陸軍墓地


「万燈会」2018.8.15 真田山旧陸軍墓地

大阪市天王寺区にある。実は、全国に陸軍墓地は80以上 海軍墓地は8以上 あるとされている。が これ以上あるかもしれない。
1871年(明治4)に 真田山が陸軍埋葬地となる。これが「真田山陸軍墓地」のおこりである。

その後 西南戦争 日清戦争 日露戦争 満州事変・・・などで戦火に倒れた
兵士と 生兵 戦病死 外国人捕虜 軍役夫 など 5100基の墓は 想像を絶する。
8200余の遺骨が 忠霊堂(仮納骨堂)に。身元の調査も行われた。が、墓参される方はごく一部。
墓は草が生え 墓石が劣化で割れているものもある。これら管理・修復をし 後世に伝えていかなければならない。

戦中は軍が管理していたが、戦後、政教分離で軍の管理から外れた。これは国有財産であり、国から無償貸付契約による大阪市が維持管理を行っている。
しかし、負担が大きく公益財団法人 「真田山陸軍墓地維持会」が大阪市に協力し、墓地の管理をしている。
また、環境維持活動としてNPO法人「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」の協力を得ている。

ところで軍人墓地の 墓の形は神道型とされ 四角錐が一般的である。(その他の形も存在するが)戦死すると 靖国神社に祀られることにより神道式になるのだろう。
私の祖父の兄(由秋氏)は戦死したので 一般の墓でなくこのかたちだった。(遺骨がないので遺品が入っているのみ)
やがて、戦後50年経った吉処に 軍人の墓を合祀し、合同慰霊碑が建立されている。(仏教では法要が33年の次は50年)

本日は、17時から 清掃 18時から 蠟燭たて 19時から 燈火
燈火式 開式 唱歌斉唱(吹奏楽団による演奏)。巨大な墓地に一年に一度この日、音楽が奏されるのは意味がある事だと思う。
作業をするだけでなく 音楽で共感できたような気がする。

おそらく200名位は集まったのだろう。清掃をしていたら 猫があらわれた。前の時にもいたような。白猫である。
今回は、墓の水鉢に首を突っ込んで水を呑んでいた。多分 のどがかわいたのだろう。人間馴れしているようだ。

 


曽爾高原


曽爾高原 倶留尊山(標高1038m)と亀山(標高849m)の西斜面から麓に広がる高原。

「お亀の湯」から 数キロ車で登ってゆくと 駐車場へ。そこから 30mほど行くと 突然広がる草原。
草原のイメージは 霧ケ峰の車山高原や 志賀高原など 限った場所に存在する。

ここだけ特別な場所といえる。お亀池は、湿原の植生。長い間に泥炭層が積り 現在のかたちとなった。
標高700m前後で 気温は午後4時で25度と 下界よりは涼しい。夜には もっと気温が下がるだろう。

草原の休憩場所では カメラの撮影が。バーベキュー風もあり 楽しんでいた。絵になる処である。
10月初旬には ススキで金麦色の絶景が見られるという。