Author: nishikunn

☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ

2025.1.26「市ボランティア体験フェア」


2025.1.26「市ボランティア体験フェア」

本日、市ボランティアサークル連絡協議会の会議がありました。
「市ボランティア体験フェア」の企画について、議論されました。

まだ、先ですが、行事は開催することですすめています。
当日は、アコーディオン演奏もありますので、楽しみにしていてください。


24.10.18「街ッち箱」20周年記念音楽祭


「街ッち箱」という名の地域サロン。介護通所サービスでなく、独自の営業スタイル。2004年、高齢者社会を見越し、地域のたまり場、しゃべり場を提供する事を決め、資金を投じ、ログハウス風のあっとホームなサロンが開設。ボランティアスタッフの支えもあり「街ッち箱の日」は、多くが集まり、楽しい会話が弾む。また、レクレーションも充実。オーナーは、池田敏男さん、アコーディオンや大正琴、ギターなど多才で、落語もやられるとか。楽しいに違いない。

私が講師をつとめる「橋本手風琴」が重奏を2曲と、私のアコーディオン独奏コーナーで2曲演奏しました。FMはしもとの事もお話しました。

式典:
昼食
市長ご来館とご挨拶
表彰状授与

コンサート:
大正琴 3組2曲
アコーディオン「橋本手風琴」 重奏2曲 私の独奏 2曲
金剛アコーディオン教室 重奏2曲
吉田親家 講師演奏

おめでとうございます。大変な盛会となりました。楽しいですね。これからも末永く続けていただければと思っています。

屋外設営テントにて、大正琴3組の演奏。額縁からコンサートを聴く。

池田敏男さん アコーディオン、ギター、大正琴を演奏。

「街ッち箱」何というアットホームな居場所でしょう。


リラ・クラシック 2024.10.19(土)7:00 「ショパン」vol.137


2024/10/19(土)7:00「リラ・クラシック」は、クラシック音楽でリラックスする60分。第3週・第5週 パーソナリティ マコルネがお届けします。
【ネットラジオ(リアルタイム配信)で視聴可】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

【曲予定】ショパン/マズルカ作品59 ポロネーズト短調【遺作】
チェロ・ソナタト短調作品65より バラード第4番ヘ短調作品52
アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ

【コラム】ピアノの詩人ショパン(1810.3.1-1849.10.17)没後175年

ショパンは、ポーランド、ワルシャワ近郊の「ジェラゾヴァ・ヴォラ」に生まれ、幼少時を過ごした。才能を発揮し、7歳でポロネーズト短調を発表し、これは第2の国家といわれる。
音楽院では成績が優秀で、漫画も書いた。19歳の頃には、ピアニズムを確立しており、天才だった。ポーランドはプロイセン、オーストリア、ロシアに支配され苦しめられた国民が蜂起したが、ワルシャワが陥落するのを目の当たりにした。国外に出ることを決め、告別演奏会をする時には、2つのピアノ協奏曲が作曲されていた。その後、ウィーンにわたり、父の祖国であるフランスにわたり、ポーランドに帰ることはなかった。ショパンは、フランスで祖国ポーランドの民謡やリズムを用いて作曲し、サロンでピアノを弾いた。ショパンは、ファンタジーに富んだ作品を多く遺した。洗練されたピアニズムは端正で「ピアノの魔術師」リストも敬意を表した。ジョルジュ・サンドとマヨルカ島で滞在中に作曲されたのが、前奏曲集やソナタ2番「葬送」。リアリズムを反映したと思われる部分があり、ショパンの一面がうかがえる。それは激しさである。マヨルカ島、ヴァルデモッサにはショパンの弾いたピアノがある。

 

マヨルカ島、ヴァルデモッサにあるショパンの弾いたピアノ。


2024.10.24(木)13:00「おきがるタイム」FM816 vol.278


2024.10.24(木)13:00「マコルネのおきがるタイム」シャンソン・昭和歌謡・アコーディオン FM816 パーソナリティ マコルネがお届けします。
【ネットラジオ(リアルタイム配信)アプリなしで視聴】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

【予定曲】imagine ニグロのワルツ ティコティコ ドロローソ ボルデル1900 オレンジのハッピーハロウィン 悪魔の子(ヒグチアイ) 平城山 紅葉 僕は特急の機関士で ジェンカ(坂本九) こんな事できたらいいな

【コラム】ノーベル平和賞「日本被団協」受賞が決まりました。原水協「国民平和大行進」のうたう会でアコーディオン伴奏していますが、最近の情勢をみると、平和への思いは一層強まっていると感じます。2025年、戦後80年、NPT会議(国連本部)、ニューヨーク平和大行進に向けて 日本の評価が高まるか注目されます。

坂本九さんの墓に手を合わせました。


被団協「ノーベル平和賞」2024.10.11


被団協「ノーベル平和賞」受賞 2024.10.11

NPT(核兵器不拡散条約)2025年再検討会議の共同採択に向けて

被団協の趣旨:核兵器のない世界への運動「原水爆禁止世界大会」の開催や署名活動、国際会議の開催の提唱など、世界平和への呼びかけを行っている。
1949年3月、アメリカがビキニ環礁の水爆実験をし、第五福竜丸が被爆した。7月、原水爆禁止広島県民運動連絡本部が発足。なお、被団協は、「核兵器のない世界」の実現を訴えてきた。核兵器の使用はしてはならない=核兵器実験の禁止、世界の核兵器、12000発(ロシア4490、アメリカ3708、中国410、フランス290、イギリス225、イスラエル90、北朝鮮40など)の削減=核不拡散の世界会議での共同宣言の採択 CTBT(包括的核実験禁止条約)の発効をめざす。ちなみに被団協は、日本被団協の事だが、経緯は紆余曲折で、理解を深める必要があり、取り違いのないようにしたい。

来年、終戦から80年の節目のこのタイミングに受賞。誠に喜ばしい事というより、ようやくはじまったと捉えることもできる。ノーベル平和賞を無にしないためにも、未来に遺していく覚悟が求められている。2024年の、8月6日広島平和記念式典、8月9日長崎平和祈念式典は行われたが、長崎市がイスラエルを不招待にしたことでアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、カナダの6か国の駐日大使が欠席した。不招待の理由は、イスラエルのガザ攻撃に対して不満だと思われるが、正式なコメントではわかりにくいものだ。6カ国は、代理人を派遣して対応した。その一方、ほとんど報道されてないが、ヒロシマ平和記念式典の前に、駐日ロシア大使のガルージンがヒロシマを訪れ献花し、円卓会議の懇談会を開催した事は注目するに値する。ガルージン氏は、8月9日を期し、長崎平和祈念像前にも代理人を介して献花を行ったのである。こちらの外交には感謝を申し上げるものである。

メディアは偏ってはいけない。また、それに煽られた市民が一方的に攻撃的なSNS投稿が拡散されるのはよくない事。

ノルウェー・ノーベル委員会は「核兵器使用を禁じる基準を守らなくてはならない。被団協は重要な役割を果たしている。今回の受賞は、純粋に核兵器廃絶の動きをとめてなならないという声のあらわれを共有する事の重要性を問うている」と評価している。

私は「国民平和大行進」(正式名称:原水爆禁止国民平和大行進)でのうたう会のアコーディオン伴奏におそらく2005年頃から出演してきました。平和への祈りを音楽で届ける事に賛成。ジョン・レノンの「イマジン」、ジャック・ブレルの「涙」などの作品は、反戦メッセージの歌。最近では、ピンク・フロイドがウクライナ支援の「HEY HEY RISE UP」を歌っている。私たちは、原水禁の事を知らなくても、ヒロシマ、ナガサキに原爆が投下された事を知っている。もちろん、最大のインパクトだが、一方で商業的な歌だとの批判もある。この作品は、オノ・ヨーコのコンセプトの作品であるという。ベトナム戦争が勃発し、アメリカとソ連の「冷たい戦争」時代で、枯れ葉作戦に対する音楽家として何ができるかを考えた時に生み出されたものと私は思う。


2024.10.10(木)13:00「おきがるタイム」FM816 vol.277


2024.10.10(木)13:00「マコルネのおきがるタイム」シャンソン・昭和歌謡・アコーディオン FM816 パーソナリティ マコルネがお届けします。
【ネットラジオ(リアルタイム配信)アプリなしで視聴】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

【予定曲】COSMOS オクトーバープレリュード 黄昏のビギン 10月のハンカチ 天体 まつり 学生時代 小さい秋みつけた かやの木山 いい日旅立ち 出航 Stand Alone

【コラム】10月8日は寒露。露に濡れるほどではありませんが、涼しくなりました。日中、まだ暑さが残っています。晴れの安定した日が続けばお出かけ日和となります。
私は今回は「慰霊の旅」となりました。

御嶽山噴火2014.9.27.1152 から10年。降灰した「二ノ池」手を合わせる。火山への登山者の心得を再確認した。

1985.8.12.1856 JAL123機墜落事故から40回目。慰霊登山 坂本九さんの墓に手を合わせた 空の安全、交通機関の安全を願う

戦没画学生慰霊美術館「無言館」を訪れる。


「岳の幟」520年続く 国の無形文化財


「岳の幟」520年続く 国の無形文化財

ここ上田市でも別所地区は標高500mを超え、寒冷地にかかわらず、少雨地域であり、ため池が多くつくられてきた。永正元年(1504)、旱魃に苦しんだ農民が、夫神岳の雨の神に反物を捧げ祈願したのが始まり。神事は7月15日前後の日曜日に行なわれている。昇る龍を象った幟は、長さ6mの青竹竿に赤・青・黄などの色鮮やかな布。夫神岳の「龗」九頭龍神の祠で神事の後、70本もの幟が山を下り、麓の別所神社でささら踊りし温泉街を練り歩く。521年もの続く神事。日本遺産に登録。

神楽殿から塩田平の子御嶽山(夫神岳)を崇む。幟が美しい。蚕から幟を織り、夫神岳の龍神に感謝と雨乞い祈願し舞を奉納した。先人の智慧がうがかい知れる。

別所神社は、鎌倉時代初期の建久年間(1190-1199年)の創建と伝わり、江戸時代には熊野社としてあった。御祭神は、伊邪那岐・伊佐那美。鳥居の扁額には「本朝縁結大神」とあるが、元は「正一位熊野三社大権現」)

別所神社

「岳の幟」神楽殿 子御岳山(夫神岳)を拝む。幟の飾りが格別。反物を着物や蒲団にし身に着けると、一年間無病息災で過ごす事が出来るそう。夫神岳の九頭竜権現に奉納した布を竹につけ、里宮の別所神社まで運ぶ。舞を奉納。

先人の切なる願いが、絶景を愛で、500年を超える神事につながる。


別所温泉「幸村の隠し湯」


上田市は、真田三代《真田昌幸・信之・信繁(幸村)》の郷である。別所温泉は標高約570mにある信州最古の温泉地で、景行天皇の御代、日本武尊が7か所に温泉を開かれた「七苦離の温泉」。近くに安楽寺、常楽寺、北向観音の北条氏ゆかりの古刹があり「信州の鎌倉」といわれる。平安時代に清少納言が随筆『枕草子』(能因本)で「湯は七久里、有馬の湯(兵庫県)、玉造の湯(島根県)」(三名泉)と賞賛している。平安時代末期には木曾義仲が入湯した。鎌倉時代には塩田平を本拠とした塩田北条氏建立による国宝八角三重塔を有する安楽寺や北向観音が創建された。戦国時代には上田城主・真田氏とその家臣団が入湯していた。「御湯坪」は近代に共同浴場「大湯」となり現在に至っている。共同浴場(外湯)を中心に「大湯」「大師湯」「石湯」がある。大湯は木曾義仲、大師湯は円仁(慈覚大師)、石湯は真田幸村ゆかりの湯として知られている。2004年7月には足湯「ななくり」、2012年2月には足湯「大湯薬師の湯」が設置された。

松本市の隣で長野市や軽井沢町に近い。南部は美ヶ原がある。北部に菅平があり、中央に別所温泉がある。別所温泉は、電車でアクセスでき、こじんまりとした温泉街。よいところは、外湯が朝6時から入れること。真田幸村ゆかりの「石湯」に浸かった。池波正太郎は小説『真田太平記』で「真田幸村が「石湯」に入湯していたと著している。弱アルカリ性の単純硫黄泉。どちらかというと「岩湯」の雰囲気。内湯と露天があり、熱すぎず長湯できる。体を癒やしながら、歴史ある北向観音、安楽寺、常楽寺、別所神社などを観覧できた。静かで落ち着きのある街、いいと思う。

「岳の幟」「北向観音」については、こちらの記事で。(ただいま、まとめ中)

別所温泉の顔「大湯」

大師湯

石湯 「真田太平記」池波正太郎の標石

写真撮影禁止なので、サイトさんから拝借しました。石湯は、内湯と露天がある。内湯は岩の湯のよう。真田幸村の隠し湯。熱すぎず、長湯できた。露天もある。

足湯「ななくり」

 

「七草の湯」旅館・ホテルがある。お湯を楽しみながらおもてなしの食を。ここから「安楽寺」エリアへ。散策で満喫できた。まさに「信州の鎌倉」。

涼を感じる。秋冬はわびざびも。

信州最古の禅寺 鎌倉仏教の曹洞宗「安楽寺」座禅体験はいかが。国宝「八角三重塔」が拝観できる。


高野槙の巨樹


「日本航空123便墜落事故」御巣鷹の尾根


1985.8.12. 18時56分28秒  御巣鷹の尾根「日本航空123便墜落事故」から39年
死者520名、生存者4名、航空機史上最大の犠牲者を出した。事故原因の真実をただしく理解すること。亡くなった方は、戻ってこない。残されたものは、突然の悲劇に人生が変わってしまった。

2024年1月2日「羽田空港地上衝突事故」が起きた。空の安全を片時も忘れず、祈っていた人々に衝撃を与えた。海上保安庁機で5名の犠牲者。旅客機の方はクルーに新人が半数いたとされる中、18分で全乗客・乗員379名を避難させることができた。日頃の訓練が功を奏したといえる。しかし、まずJAL516便が10分遅れていたのはなぜか。着陸するC滑走路上になぜ海上保安庁機がいたのか。みずなぎ1号はADS-Bが非搭載だった。海上保安庁機は、昨日おきた「能登半島地震」の支援物資を運ぶために小松空港から羽田に到着、新潟空港基地に搬送する予定だった。管制官の判断は正しかったのか。JAL機も滑走路に別の機体が確認できれば「待て」で事故を防げる。羽田空港は、最近は離着陸数を増やしていて、2分に1回の離着陸の過密スケジュールが交信のみで事故は起きてなかったが、管制官への過剰な負担が増えていて、ヒヤリハットがあったらしい。

39年経った「日本航空123便墜落事故」は原因について、ボーイング社の修理ミスと事故報告書では記されている。「圧力隔壁」の不備といわれる。それが突然の尾翼折れ、オイル漏れまで引きおこす重大な事態を引き起こすのか。これについては8.12連絡会「茜雲」ー日航機御巣鷹山墜落事故遺族の30年ーに概要の解説と質疑応答が掲載されている。油圧がないと、操縦不能。まず、機体の不良に気づいたのが離陸後12分の18時24分35秒で、それまでエンジン系などのトラブルはなかった。機長、副操縦士、航空機関士のやりとりはボイスレコーダに記録されている。名古屋空港に緊急着陸する事を試みようとし、羽田に戻るのは難しい事や、横田基地からのアシストにより緊急着陸しようとした事。しかし、操縦不能で恐怖の30分間。少しづつ機長は機首をあげさげし懸命に。最終的には力を落とし一気に墜落した。御巣鷹の尾根のU字溝に機体の一部が接触しバウンドし、尾根に衝突した。10Gの衝撃と火災。戦場のような光景。今のようなネット社会でない。しかも、通信手段がない場所。上空から機体の発見はできたが、登山道がない。現地に入るのに沢沿いの急坂を150人体制で登った。現場に着いたのが翌日の午前9時だった。生存者の落合さんは、意識が何度か朦朧としながらも、子どもの声や息をする音が多数聞こえていたと語った。上野村は怒涛の如く、村が戦場となった。バラバラで黒焦げになった機体の一部。ヘリが救出できるところまで、担架を10人体制でかついで急斜面を運び、4往復した。村役場は自衛隊、警察、消防署員、マスコミの大勢が入った事により、ボランティアでおにぎりを毎日つくった。8月14日の成人式は中止。これだけの大規模な事故に、遺体の安置所として藤岡市の体育館の協力を得たが、確認に約4ヶ月かかった。村長の配慮で、日常を取り戻したという。慰霊施設の建設、慰霊祭の催行。遺品の管理、慰霊登山の整備など群馬県と上野村の尽力がなかったら。

この度、私は、慰霊で「慰霊の園」にうかがい、「御巣鷹の尾根」に慰霊登山をした。一般がどう思われるかもしれないが、この事故を風化させてはならない一心で。群馬県上野村へは、国道254号線(長野県佐久市~群馬県富岡市)から下仁田町県道45号線で国道462号線と交わり、道の駅方面へ進めると「慰霊の園」(日航ジャンボ機墜落事故の慰霊塔と納骨堂)がある。距離は20km、車で30分位。資料館では、事故の詳細パネルと遺品展示と映像室がある。映像室でVTRをみた。言葉を失う壮絶な出来事だった。上野村のたゆまない尽力に敬服。続いて「御巣鷹の尾根」へ向かう。慰霊の園から18km、約1時間の道のり。山深いところにある。23年8月には、土砂崩れが発生し、通行止めになった事もある。また、トンネルも多いが、以前よりアクセスがよくなった。堰堤の事業で、登山道の整備もさらにすすんだ。登山道入口の手前に観音像があり、そこに大型の観光バスが停まっていた。これが旧の登山口。そこから1.3km、徒歩で30分の場所が新しい登山口。標高1359mで涼しい。登山用の杖が置いてあった。当時は、登りで4時間かかる大変なものであった。それが1時間足らずで登れるようになった。水飲み場があった。きっとここでお水を汲んで、お墓のお花に水を。途中まで沢の音をききながら。しかし、あの8月12日、灼熱の熱く黒焦げになった機体を想像すると。襟を正して。沢沿いの道が終わると、急坂でつづら折りの道。少し上に小屋が見えた。黒沢完一さんが声をかけてくれた。上まで10分位かな。途中からお墓が。ペットボトルの空がたくさんおいてあった。座席番号と発見場所を示している。墓は、供花されてるものもあれば、そのままになっているものもある。登りきると見晴台(標高1539m)。そこに「昇魂の碑」があった。合掌。さらに、墜落地点を示す碑。それから黒御影石の慰霊碑は520名が刻印されている。また「茜観音」が建立されている。隣には、遺品が保管されている場所がある。また、思い出の品が納めてある「霊安堂」。遺族の方の思いが込められていて涙する。「ち」9E 大島九(坂本九)さんの墓に手を合わせることができた。哀しかったのが、現在、命を織る会の代表をされている美谷島邦子さんの息子の健ちゃん(当時9歳)の墓。あの時がとまったまま。野球のボールや新幹線のおもちゃ、もみの木に赤いリース。いっしょに生きていこうとするひたむきさに泣けてくる。どれだけの愛を感じたか。美谷島さんの社会貢献に敬服。この事故がなければ、栄養士としてつとめられていたのが、人生をこの事故のために慈愛のエネルギーを注いでいる。支援してあげてほしい。そして「御巣鷹の尾根」を管理、整備の上野村の黒沢さんに感謝。まずは、御巣鷹の尾根を歩いてほしいと心から願うばかりである。

追伸:慰霊登山を取材された動画。ダイアナ湯川さんは、生まれる1ヶ月前に父が事故に遭遇し亡くなった。母のイギリスで育ちヴァイオリニストを志す。イギリスと日本で活躍するヴァイオリニスト。クラシックやクロスオーバーを演奏する。DEEN(ディーン)の2002年にリリースされたカバーシングル「見上げてごらん夜の星を」でヴァイオリニストとして参加している。実は、私はDEENのCDを持っていました。今回、初めて娘と慰霊登山をされた。ご活躍していただきたい。

下仁田町から県道を通って南牧村を過ぎ、上野村に入る。ここまで30分くらい。片側1車線でアクセスがよい。

川の駅「上野」川沿いの散策道がある

慰霊の園。この標示板をみると涙が出てきました。当時の皇太子も訪問されました。

1000名が参列できるような広場。

身の引き締まる思い。合掌。奥に納骨堂があり120体が安置されている。

資料館。館内は撮影禁止。事故についてのパネルがある。ここでは、上野村の事故対応の当時の様子が映像で流れます。

御巣鷹の尾根へ向かう。いくつかのトンネルがあり、道幅が狭いところもあり、運転には注意が必要。

登山道入口 貸出用の杖がありました。標高1359m 昇魂ノ碑は1539m 標高差は180m

水飲み場があります。



事故当時のNTSB(米国運輸安全委員会)の委員長 ジム バーネット氏の言葉
「御巣鷹の尾根登山で、私は霊感を受けました。途中、私達はいつも沢沿いに登りましたが、私には、なにか水の流れが、私達に語りかけ、登山を励ましてくれているような気がしました。そして私の願いは、あの御巣鷹の尾根で、又、他の、7つの大陸の全ての墜落現場で、亡くなられた方々への想いが、こんなことを二度と起こさせまいとする私達の努力に、いつまでも力を与えてくださることです。」

沢沿いの道が終わり、急な登りがはじまった。上に小屋が見えている。さらにその上が「昇魂之碑」。

遺族のメッセージボード

たくさんの風車。

御巣鷹の尾根 「スゲノ沢」。520の墓が。

登りきったところに見晴台(標高1539m)

昇魂之碑 合掌

鐘楼

短冊 ここには JALだけでなく、ANAの職員も来られる。警察学校生が清掃登山にみえている。

「茜観音」。遺族でつくる「8.12連絡会」が文集「茜雲」を出版している。

墜落地点を示す碑 心がいたみます。

慰霊碑 黒御影石に520名が刻まれている。

バツ岩 救助捜索の起点とした印。この上に機首が衝突し、機長、副機長、機関士の3名のご遺体の一部が発見された。

沈黙の木 黒焦げになった樹木

坂本九さん(大島九さん)のお墓。

霊安堂

遺族の「思い出の品」の一つ。

U字溝(標高1610m)標示板

U字溝は、39年経ってもまだ残っている。


あの日から10年「御嶽山」2024.9.27


あの日から10年「御嶽山」 2014.9.27.1152 死者58名 行方不明者 5名 忘れない。慰霊の気持ちと立派なお山なので登りたい。

入山者が減り、営業が大変になった。御岳ロープウェイを応援したくて。王滝頂上から上の八丁ダルミと剣ヶ峰へは2023年、規制緩和された。御嶽山は愛すべき山で何度も登っている。前回は、2020.8.1で王滝頂上が解禁された日。他に飛騨口から五の池や三の池へ数回。初回は、黒沢口(六合目)から三の池へ。

御嶽山の魅力。簡単に登頂できる山ではないが、登りがいのある山。九合目【石室山荘】がふんばりどころ。山域は、剣ケ峰、摩利支天、継子岳でとてつもなく広い。登山口および頂上も複数あり、王滝頂上、開田頂上、飛騨頂上など。池が多い。一ノ池(標高2990m)は枯れ池で、雨が降ると火口の割れ目から二ノ池に注いでいるようだ。
ニノ池(標高2905m)は、火山灰が被さっている。わずかに右側と下側に水がある。晴れるとコバルトブルーが美しい。ガスがかかると灰色の池。
三ノ池(標高2720m)は、周囲700m、深さ13mの巨大な池で透明の酸性の水をたたえている。雪解け時は、ドラゴンアイ「魔女の瞳」で美しい。崇められている「ご神水」を汲んできました。
四ノ池(標高2690m)は、雪解け時期のみの小川で湿地帯。五ノ池(標高2800m)は現在、干上がって水たまり程度になっている。六の池が存在するとか。また、滝が多い事。
「幻の滝」四ノ池付近にある。それから「神津の滝」(標高2770m)は日本最高所の滝。賽の河原か、摩利支天から見えるかな。登山道になく、沢沿いを登るしかないので現実的ではない。そして「賽の河原」は壮大で美しい。言葉で表現できなくて唸ってしまう。積み上げられたケルンが。ここでは、御嶽山特有の霊神碑や石仏も無数にある。

ロープウェイ 8時30分~16時15分 時間が限られている。乗車定員6名で、随時乗車できる。これだけ山域が広いと、日帰りでお鉢まわりは無理かな。タイムリミットは摩利支天乗越 12時30分 そこから下山で約3時間をみておく。黒沢口 九合目「石室山荘」の手前の急坂がしんどい。攀じ登る感じ。二ノ池から賽の河原を通り、阿留摩耶天(標高2897m)は見れた。摩利支天乗越から摩利支天までは往復で40分。本当は摩利支天を登りたかったのだが又に。白龍避難小屋からの三の池へ急降下する道は、慎重に。あの急坂はあまり登りたくない。浅間山の草すべりのような道で大きな岩が多い。三ノ池、やはり凄かった。波紋が静かに波打つ。色が微妙に変わっていく。ご神水を汲んだ。不思議な水で前回は2年ほど腐らなかった。

コースタイム:8時45分~16時00分(約7時間15分)
飯森高原駅(標高2150m)登山口 8時45分 七合目《行場山荘》2180m → 八合目《女人堂》2470m 9時50分 → 九合目《石室山荘》2820m 11時5分→ 二ノ池分岐 11時30分 → 二ノ池2908m  11時55分 → 賽の河原 12時15分 → 阿留摩耶天2897m → 摩利支天乗越(白龍避難小屋)12時30分 → 三の池2720m 13時20分 → 《三ノ池トラバース》→
八合目2470m 15時00分 → 七合目2180m 15時45分 → 飯森高原駅 16時00分

「賽ノ河原」標高2800m 全国各地にあるが、御嶽山のは壮大で美しい。至るところに石が積まれケルンが。また、御嶽山特有の霊神碑や石仏が無数にある。般若心経を唱えた。

国道19号線にある道の駅「木曽福島」からの展望台 左は御嶽神社

御岳ロープウェイ 鹿ノ瀬駅(標高1570m) 飯森高原駅(標高2150m)まで 標高差580mを約6分で結ぶ。

飯森高原駅 天井の楽園 高山植物園がある。ここに来るだけでも楽しい。空気が違う。

 

登山口 ここからまずは八合目まで。九合目より二ノ池分岐で剣ヶ峰方面へ行く人が多い。今回は、二ノ池、賽の河原、摩利支天乗越、三ノ池が目的なのである。

七合目 行場山荘

八合目 霊神碑と頂上

八合目《女人堂》 ここから分岐 登りは九合目《石室山荘》 帰りは、三ノ池トラバースでここに合流 ※期間限定

九合目「石室山荘」ここが一番厳しかった。早くあがりたいと思っても、少しづつ進む感じ。王滝道の九合目もキツかった。飛騨道の方がまだマシか。ただ、途中に山小屋はないし。

九合目から二ノ池分岐までの15分。見えてはいるのに、坂が急すぎてなかなか進めない。標高は2900m。空気も平地の3分の2。気温は低いはず、もう汗はかかないが、喉が渇いて。

九合目「石室山荘」

二ノ池分岐から 左 王滝頂上、剣ヶ峰方面、右 二ノ池、摩利支天方面へ 富士山でお鉢巡りは90分だから、御嶽山の方が広い。

二ノ池 御嶽山の火口部で火山灰が降った景色に言葉を失う。水は右側と下側のみ。前回、王滝道の八丁ダルミから剣ヶ峰へは入れなかった。稜線は、剣ヶ峰と一の池方面。

二ノ池 降灰が溜まり砂礫になっていて言葉を失う。下の水は、細長い形。小屋の向こう側の右側は水たまり程度。柵がしてあり、池の水に触れることはできない。

合掌 気象庁は御嶽山、草津白根山での事故は、常時観測していない区域から突然噴火という。しかし、周知されなければ意味がない。また、その事を登山者は知っておく必要がある。

二ノ池山荘(支配人:小寺さん)頂上に近い山小屋 2014年の噴火では、噴石が跳んできて破損した。勇敢な行動により51人を安全に避難。1分1秒、判断が違っていたら全員が死んでいた。

二ノ池山荘さんの思いが伝わってきた。

ガスが出てくると、白と灰色と黄土色の風景に一変。なお、硫黄の匂いもする。降灰が泥状になっているのか。右側がかろうじて残る水。

二ノ池ヒュッテ(支配人:高岡さん)2018年にオープン。被災した「旧二ノ池新館」のオーナーから引き継ぎ、立て直す。あの時を忘れないように、噴石のあった一部屋を当時のままにしている。

宿泊者らしきパーティーとすれ違う。摩利支天と賽の河原がみえてきた。

御嶽山の「賽の河原」

積まれたケルンや、御嶽山特有の霊神碑や石仏が無数にある。

アルマヤ天(2897m)阿留摩耶天

三ノ池、継子岳方面を見下ろす絶景。

ズームアップ。右下が開田頂上で右には、三ノ池トラバースの登山道もみえる。

標柱と祠がみえる。

摩利支天乗越 2936m から剣ヶ峰方面 いかに大きなお山なのか。

あの先が、アルマヤ天。ありがとう、御嶽山と賽の河原。三ノ池に向かいます。

三ノ池乗越から三ノ池まで激坂を下る。

途中「五ノ池分岐」

五ノ池は、飛騨道で3時間30分。標示板がポイントごとにあるのでわかりやすい。また、坂が緩やか。

三ノ池の手前まで来た。見上げる。龍がとぐろを巻いている。

三ノ池 雪解け時にはドラゴンアイがみれる。ただし、その頃は残雪があるので、アイゼンが必要。

魚は棲んでいない。硫黄が溶け出し、酸性の水だから。このところの高温少雨で、少し干上がってきているものの湧き出しの水がありながら一定の水量を保っているのは神秘。ダムもないのに。

水の色が変わっていく

開田頂上 三ノ池(標高2720m) ここからトラバース道 沢を横切るところが何箇所かあり、増水時は通行止めになる。また、斜面の日陰で雪渓が残っていることもある。崖沿いを横歩きするところがあるので、期間限定で通行できる。7月はまだ雪解け時、概ね8月から10月中旬までか。

こういうところは早く通り過ぎた方がよい。

もしかすると 二ノ池から染み出している水がここを下っているかも。

八合目 ここまで来ればメインルート よい場所にある《女人堂》