Author: nishikunn

☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ

2025.10.23(木)13:00「おきがるタイム」FM816 vol.301


2025.10.23(木)13:00「マコルネのおきがるタイム」シャンソン・昭和歌謡・アコーディオン FM816 パーソナリティ マコルネ【ネットラジオ(リアルタイム配信)アプリなしで視聴】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

【予定曲】オレンジのハッピーハロウィン je t’aime encore   Broken Vow 最後のコーヒー 真珠採りのタンゴ ラブ・イズ・オール まつり 野菊 秋の子 四季の歌 思秋期 柿の木坂の家

【コラム】日中は暑くて半袖。夜も蒸し暑さが残り、エアコンが欠かせない。ようやく日中もしのぎやすくなったと思ったら。北の方は雪です。紅葉は遅いらしく、秋は短い。


ショパン/前奏曲嬰ハ短調作品45


ショパン/前奏曲嬰ハ短調作品45

1841年作曲とみられる。チェルニシェフ公爵夫人に献呈。完成直後にウィーンの出版社から、「ベートーヴェン記念アルバム」に掲載する作品を依頼され、最初ショパンはポロネーズ第5番作品44を提案したが、曲が長すぎるとの事で、この前奏曲に決まった。しかしながら、メンデルスゾーンが「厳格な変奏曲」を提示している。その他の原因もあったか。1841年、ショパンはピアノ・デュオ・コンサートでリストに協力した。そして、ピアノ協奏曲第3番の創作に向かっていた頃。作品46は、演奏会用アレグロである。

ソステヌート、2分の2拍子。前奏曲というタイトルがついてるが、「幻想曲風」である。リズムらしい強拍が見られない。極めて現代音楽を予兆する雰囲気。ドビュッシーは影響を受けた。転調が素晴らしい。Gis E Dis Cis E Fis Gis 和声の構成音と旋律が絶妙。

この音楽は、PPからFまでだが、弱音志向が強いので柔軟かつ、音の粒を揃えてかつ瞑想的に。透明感溢れ、倍音をよく聴き、ペダルの効用が左右する。
幻想的なカデンツァ。協奏曲第2番2楽章に出てくるものが美しいのだが。このカデンツァは、ショパンの崇高さを示す。解決方法として、練習曲作品10-3の中間部や25-6などの重音のスケールや表現が参考になる。

このレベルの音楽になると、目をつぶって耳を澄ませて聴きたい。動画は便利だがちょっと違う。言い換えると、音の奏でているイメージで音楽を想像する。
調性というかカラーを感じながら。嬰へ短調は、嫉妬深く暗く、変ト長調は、柔らかく明るい、変イ長調は、強さもある。

演奏が終わる頃には、一握りの落葉が(涙)。ショパンの嬰ハ短調は慰めである。

 

ショパンの難しさの究極にあるカデンツァ 協奏曲第2番2楽章に出てくるものが美しいのだが。他に練習曲作品10-3や25-6などの音楽や表現が参考になる。

ショパンの銅像のあるワジェンキ公園


第19回ショパン国際ピアノコンクール 4/23-5/4 – 10/2-10/20


安積 4/23-5/4 – 10/2-10/20

5年に一度の国際的に権威のあるショパンコンクール 戦前から社会主義国も資本主義国も参加する音楽・ショパンの共通言語を世界ではかるコンテスト。
予備審査が4月23日から行われ、世界28カ国から162名が予備予選に参加し、一次予選に66名が選出された。ここに、他の指定されたコンクールで2位以上を獲得した19名のシードが追加され、85名からのスタートとなる。
ショパンコンクールに出場するのは、夢を叶えるために、ピアニストになるために、人生を称賛できるものである。誰しも、生活があり、人となりがあり、それがあっての出場。遺憾なく発揮することを願うばかり。リスペクトします。
日本人は13名。Kaito Kobayashi Shiori Kuwahara Shushi Kyomasu Yumeka Nakagawa Yulia Nakashima Yuya Nishimoto Arisa Onoda Jun Shimada Miyu Shindo Mana Shoji Tomoharu Ushida Miki Yamagata Ryota Yamazaki

第1次予選 10月3日〜10月7日
第2次予選 10月9日〜10月12日
第3次予選 10月14日〜10月16日
本選 10月18日〜10月20日

予選がはじまり、熱い演奏が繰り広げられている。

第2次予選へは。40名が選出された。日本人は5名。Shiori Kuwahara Yumeka Nakagawa, Miyu Shindo Tomoharu Ushida Miki Yamagata,

第3次予選へは、20名が通過、日本人は3名。福島県出身の牛田智大さん(25)、東京都出身の桑原志織さん(30)、愛知県出身の進藤実優さん(23)。

3次予選ライブを聴いていた。凄く重要な局面であるので、聴きどころ。集中力のとぎれない「ショパニスト」の音楽は感動だった。ショパンの絶妙なテクスト。ソナタ2番、3番どちらを選ぶか。難しい選択だけれども。私的には、2番が好きだが。2番は全体の雰囲気が醸成されているかだ。第1楽章の中間部のバスの狂気じみた表現はショパンとてなかなかない表現。第2楽章の唐突なぶつかる音を弾き切る。第3楽章は「葬送行進曲」第4楽章の無窮動「愚弄するスフィンクス」をどうするのかにかかっている。
3番には音のキレが要求される。第3楽章のノクターンがなぜここに持って来られているか、意味を感じながらなど。

本選への11名の選出が決まった。日本人は2名。東京都出身の桑原志織さん、愛知県出身の進藤実優さん。

1. Piotr Alexewicz (Poland)
2. Kevin Chen (Canada)
3. David Khrikuli (Georgia)
4. Shiori Kuwahara (Japan)
5. Tianyou Li (China)
6. Eric Lu (USA)
7. Tianyao Lyu (China)
8. Vincent Ong (Malaysia)
9. Miyu Shindo (Japan)
10. Zitong Wang (China)
11. William Yang (USA)

本選が終了、厳選な審査の結果、入賞者が決定。

1位 Eric Lu

2位 Kevin Chen

3位 Zitong Wang

4位 Shiori Kuwahara

4位 Tianyao Lyu

5位 Piotr Alexewicz

5位 Vincent Ong

6位 William Yang

入選
David KHRIKUL
Tianyou LI
Miyu Shindo

特別賞
コンチェルト賞 Tianyao LYU
マズルカ賞 Yehuda PROKOPOWICZ
ポロネーズ賞 Tianyou LI
ソナタ賞 Zitong WANG
バラード賞 Adam KALDUNSKI

素敵なエントリーをありがとう!今後のご活躍を願います。

昔の演奏家に習いなさいというと、もちろんだがすべてではない。感性は、時代とともに変わっていく。コンテスタントが感じるショパンのリズムに対して講評があったようだ。
コンテスタントは、ネットやデジタル音楽を聴く機会に恵まれすぎているなかで。今の若者が軍楽隊の音やポーランド民謡を聴いて何を感じるだろうか。
ショパンのポロネーズやマズルカの秀逸な演奏は、普遍性を追求した結果である。マズルカ賞は、特別賞のごとく、ショパンコンクールでは重要視されている。
また、本選でのピアノ協奏曲では、マズルカやクラコヴィアクがあり、それをどう弾くかがカギになる。さらに、今回から初導入された「幻想ポロネーズ」の演奏。ポロネーズの名前こそあるが「幻想曲」の作品。不協和的な和声で、明るい作品とは言い難いが、複雑であるからこその展開や再起で際立たせるが、コーダの決然たるポロネーズのリズムとオクターブの多用は祖国ポーランドの誇り。ショパンはチェロソナタ作品65の頃、創作力は少なくなってきた。以降、大規模な作品を書いていない。
晩年の作風でもあり、若年時の協奏曲と晩年の幻想ポロネーズの演奏は、いかに感動の余韻を残してくれるでしょう。
ショパンの性格的小品などの考え方として、バラード、スケルツォ、ソナタはある程度、一般的な解釈で弾いた方が無難だが、ファンタジーの部分をどうイメージし表現するかによっても広がりや響きが変わるだろうと。
バラードでは、時にドラマティークに感じるが、節度を持って弾く。スケルツォでは、おしゃべりの如くクレッシェンドやデクレッシェンドをコントロールし、中間部の瞑想をどうするか。ソナタは、雰囲気の異なる主題、動機の印象付けや内声の浮き出しで印象が変わるはず。
他方、個性がかまわないと弾き切るコンテスタントだとポゴレリッチまではいかないけど。これは「ショパンでない」と言われてしまうかもしれない。ここは、ショパンコンクールの場であるから。

 

 


日本が動き出す 2025.10.15


一年近くつとめられた石破総理大臣が、日米関税交渉の一段落した2025.9.7に辞職した。その後、自民党では後継者をたてる「総裁」選びがあった。2025.10.04、高市早苗新総裁に決まった。日本はじめての女性自民党総裁だ。
首班指名選挙が行われるのだが、2025.10.10に連立与党の公明党の斎藤代表は解消を告げた。自民党は、単独で、首相指名選挙にのぞむ事となった。少数与党であるが、政権を担うためには、過半数を確保したい。野党の中で連立に協力してくれる党はどこなのか。政党は、考えの集まったグループで政策がそれぞれ。まとまるのかが焦点。野党が団結し過半数を超え、党首の名前を書かれると、事実上敗北してしまうシナリオがある。高石氏は動き始めた。主要な党首との会談を行い、ご挨拶と、連立についての考えや首相指名選挙への考えを確認できた。そして、動きが活発化した。

日本維新の会の吉村代表と2025.10.15に会談、連携に向けて政策協議をはじめる事で一致した。吉村代表は、先日、大阪・関西万博2025の大仕事を終えたところ。ご苦労様と言いたい。維新の会は公約の第一歩は「身を切る改革」から。他に、副首都構想(旧大阪都構想+α+バックアップ機能を追加)を公約の一つと掲げている。しかし大阪府民は大阪都構想を2度、反対してきた。府では実行されている「身を切る改革」が、国政ではなかなか難しいところを改革できるか。

今、日本の状態は、東京圏の一極集中で人口の3割にあたる2900万人がいる。地方からの流入で、地方は人口減少がおき、格差が生じている。地方の自治がおざなりになる懸念がある。大阪圏(広意義では関西圏)はというと1900万人。大阪は、日本の地方の代表である。そこがためになる政策をするのは地域創生と政治安定にもつながる。江戸時代はそうだった。町人文化で江戸と程よい距離を保ちながら是々非々で自治をしてきた。それは合理性。

これで、日本女性はじめての首相誕生に近づいたと言える。過半数までには、あと2が必要だが、状勢が変わった事で、高市氏に投票する議員が他の35名から2名いればよいので、首相指名選挙は、よほどの番狂わせが起きないかぎり
高市氏が勝利するのだろう。しかし、維新も気をつけなければならない。自民党は、のらりくらりかわすところがある。国民民主党との約束は?
年収の壁の法制化で、103万から160万へ移行する予定だが、178万円の壁は不明。また、ガソリン減税はどうなったのか。自民党に今、目に見える変革が求めなければならないのがわかっているだろうか。

そして、国民の中流階級までがもがいている。大企業ほど、設備投資する余裕がなく、回収コストが重なり、人件費削減に手を出さずにいられない状況。景気の底上げを支援するのがまず大事だ。私も実感しているのだが、8月の猛暑の時期に、売り上げが減るのは予想できるが、それにも関わらず値上げをする商品。手を出せなくなる。また、10月から最低賃金をあげるように提案されている。企業は、売り上げが維持できないと賃金をあげられないだろうから、消費が活気なくなれば、賃金を上げても実質賃金は下がる事になる。
そして、アメリカは利下げをしているので、微妙である。雇用や企業を守る意味での利下げ。日銀の公定歩合の利上げで、倒産が増える可能性がある。日本は、舵取りが難しいところだが。

明るい未来に向けて、取り戻してほしい。「和を以て貴しとなす」


リラ・クラシック 2025.10.18(土)7:00 「ショパン」vol.153


2025.10.18(土)7:00「リラ・クラシック」は、クラシック音楽でリラックスする60分。第3週・第5週 パーソナリティ マコルネがお届けします。【ネットラジオ(リアルタイム配信)で視聴可】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

【曲予定】ショパン/ポロネーズ第6番「英雄」作品53 ワルツ第6番「子犬のワルツ」作品64-1 練習曲第3番ホ長調「別れの曲」作品10-3 練習曲第7番嬰ハ短調「恋の二重唱」作品25-7 ピアノ協奏曲第2番ヘ短調作品21

【コラム】10月17日は、ショパンの命日。5年に一度のショパン国際ピアノコンクールが開催されています。それも19回目、100年の歴史を持つ。国際コンクールが開催できるのは、喜ばしい事です。3大コンクールは、エリザベート王妃コンクール、ショパンコンクール、チャイコフスキーコンクールで、名の知れたヴァン・クライバーンコンクールや、かつてのロン・ティボーコンクールも知名度が高かった。国際音楽コンクール世界連盟に加盟しているのは20数あり、日本は浜松国際ピアノコンクールなど6つがある。
ショパンコンクールは、世界でもっとも愛されているコンクールの一つだと思う。ショパンの全作品は200数あり、ワルツやノクターンをはじめ、親しまれている。

日本人3人を含む計20人が3次予選に進んだ。福島県いわき市出身の牛田智大さん(25)、東京都出身の桑原志織さん(30)、愛知県大府市出身の進藤実優さん(23)。10/13現在

第19回ショパン国際ピアノコンクール
2025.10/2(木)〜10/23(木) 会場:ワルシャワ・フィルハーモニー
◎開会記念コンサート 10/2(木)
◎第1次予選 10/3(金)〜10/7(火)
◎第2次予選 10/9(木)〜10/12(日)
◎第3次予選 10/14(火)〜10/16(木)
◎本選 10/18(土)〜10/20(月)
◎入賞者披露演奏会 10/21(火)〜10/23(木)


「蔵王温泉」大露天風呂


「蔵王温泉」大露天風呂

山形県の山形市南東部、蔵王連峰の西麓にある温泉。標高880m。西暦110年頃、東征した日本武尊に従った吉備多賀由(キビノタガユ)によって発見され、多賀由から転じて高湯と呼ばれるようになった。共同浴場は上湯、下湯、川原湯が。春から秋にかけて、「蔵王温泉大露天風呂」が作られ、蔵王温泉の名物となっている。(11月下旬~4月中旬は冬季休業) 温泉の守護神として「酢川温泉神社」があり、少彦名大神を祀る。

全国で2番目の強酸性の硫黄泉。ここは浸かり湯のみ。源泉かけ流し。一度川の川湯に石を組み、庵を建てた素朴なつくり。上流は女湯、少し下が男湯。白い岩や平石でできた湯床。湯は水色。源泉に近い方は熱く、段の下がったところはぬるめになっており長湯できる。入浴後、硫黄の香りが翌日でも残る。たしかな硫黄泉。

さて、温泉の神様「酢川温泉神社」。240の石段を登ってたどり着く。

【御祭神】大国主命 少彦名命 須佐之男命 軻遇突智神

清和天皇「三代実録」のくだりに「出羽国六位上酢川温泉神従五位下」とある由緒ある神社で蔵王修験の三宮一社 山岳信仰神社のひとつ。

 


智恵子記念館~二本松~


智恵子記念館~二本松~

二本松市智恵子記念館という。高村 智恵子(たかむら ちえこ、1886年(明治19年)5月20日 – 1938年(昭和13年)10月5日、旧姓:長沼)は、日本の洋画家、紙絵作家。夫は彫刻家・詩人の高村光太郎。彼女の死後に光太郎が出版した詩集『智恵子抄』でも知られる。智恵子は柳八重の紹介で光太郎と出会った。創作に悩んでいた時、紙絵の創作をすすめられた。1912年(明治45年)4月、太平洋画会展に2点の油絵を出品し、6月には団扇絵展を開催。1913年(大正2年)9月、上高地に行く光太郎を追い、一緒に絵を描いた。翌年、光太郎と同棲をはじめた。活動の拠点は東京だが望郷の念は福島にあった。。1929年、実家が破産し精神的に病むようになる。1932年、自殺を図る。1935年(昭和10年)、南品川の精神病院「ゼームス坂病院」へ入院した。創作力を取り戻し、紙絵の作品を多く制作。1938年、肺結核で亡くなった。ゼームス坂病院跡地に慰霊碑「レモン哀歌の碑」がある。

安達太良山の薬師岳展望台に「ほんとの空」(智恵子抄より)の標柱がある。「あれが阿多多羅山、あのひかるのが阿武隈川。智恵子は東京には空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。」

光太郎と鞍石山(智恵子の杜公園)を歩き、そこから安達太良山を見た。1992年、酒蔵であった高村智恵子の生家が再現、裏庭に智恵子記念館が開設。記念館には彼女の油絵、紙絵が展示されている。

 


2025.10.9(木)13:00「おきがるタイム」FM816 vol.301


2025.10.9(木)13:00「マコルネのおきがるタイム」シャンソン・昭和歌謡・アコーディオン FM816 パーソナリティ マコルネ【ネットラジオ(リアルタイム配信)アプリなしで視聴】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

【予定曲】オリンピックマーチ ラ・メール オクトーバープレリュード 10月のハンカチ 満月 高校三年生 学生時代  雨降りお月 十五夜お月さん 夜霧の第二国道 いい日旅立ち 三日月娘

【コラム】10月13日(月・祝)は、スポーツの日。発端は、1964年開催の「東京オリンピック」で旧称は「体育の日」。スポーツを楽しむのはもちろん、健康チェック体力診断など。

古関祐爾記念館をたずねて:作曲家の古関祐爾は、福島県出身で生涯に5000曲に及ぶ曲を残した。作風はマーチで六甲おろしや栄冠は君に輝く、オリンピックマーチなど。楽器を使わず楽譜に記した事が驚き。記念館には作業場が復元されている。


阿久悠記念館~明治大学~


阿久悠記念館~明治大学~

1937年〈昭和12年〉2月7日 – 2007年〈平成19年〉8月1日[3])は、兵庫県淡路島出身の放送作家、詩人、作詞家、小説家。数々のヒット曲の歌詞を生み出し、日本歌謡界の黄金時代を築いた。1959年(昭和34年)に広告代理店・宣弘社(現在の電通アドギア)へ入社。コピーライター・CM制作を手がけながら、1964年(昭和39年)から放送作家として活動。1966年(昭和41年)に宣弘社を退職し、放送作家、作詞家としての活動を本格化させる。デビュー作はザ・スパイダースのグループ・サウンズデビュー曲「フリフリ」のB面「モンキーダンス」(1965年)。本格デビューはザ・モップスの「朝まで待てない」(1967年)オリコンチャートイン。生涯、作詞した作品は5,000曲とも。ジャンルは歌謡曲、演歌、フォークソング、コミックソング、アニメソング、CMソング。日本テレビ 『スター誕生!』で番組企画・審査員として関わる。

主な作品

1971年「また逢う日まで」尾崎紀世彦
1974年「宇宙戦艦ヤマト」ささきいさお
1976年「北の宿から」都はるみ
1977年「勝手にしやがれ」沢田研二
「思秋期」岩崎宏美
「津軽海峡・冬景色」石川さゆり
1978年「UFO」ピンク・レディー
1980年「雨の慕情」八代亜紀
1981年「もしもピアノが弾けたなら」西田敏行

6834.0万枚(2015年) – 作詞家歴代2位
他に小説『瀬戸内少年野球団』など

2010年、明治大学アカデミーコモン地階に阿久悠記念館が開設。ちなみに古賀政男も明治大学出身でつながりがあった。明治大学の神田駿河台キャンパスのアカデミーコモン地下1Fには開校140周年を迎えた「大学史展示室」があり、歴史を偲ばれる。
そのフロアに記念館がある。興味深いのは、この職業は、自宅にいながらなので、家族のめんどうをよくみたとされる。そして、サインペンと野球観戦記や26年にわたる日記。常に文字にする事をいとわなかった。

作詞は、秋元康、松本隆、松井五郎をはじめ シンガーソングライターにも優れた作詞家がいる。1970年~80年代の歌謡曲全盛期の歴史に名を遺す。
私の中では、作品として「津軽海峡・冬景色」や「雨の慕情」、そして「もしもピアノが弾けたなら」など親しんでいる。

雨の慕情 八代亜紀

詞の一文 女が男を追慕して雨を眺めている 雨雨降れ降れのフレーズ を3分間のドラマに仕立てている素晴らしい作品。何気ない歌詞のなかにも阿久悠の世界で文学である。

心が忘れた あのひとも
膝が重さを 覚えてる
長い月日の 膝まくら
煙草プカリと ふかしてた
にくい 恋しい にくい 恋しい
めぐりめぐって 今は恋しい
雨雨降れ降れもっと降れ 私のいい人連れてこい


デイサービス演奏


デイサービス演奏25.9.29

先日は、デイサービス演奏でした。
今回は、参加人数が増えていて、けっこうな事でございます。
ふだん、声をあまり出さない方も 歌を歌っていたと施設の職員は驚きます。
みなさんの青春時代に、それぞれの思い出に浸りながら。記憶を呼び覚ます。


古賀政男音楽博物館~代々木上原~


古賀政男音楽博物館~代々木上原~

1904年(明治37年)11月18日 – 1978年(昭和53年)7月25日)は、昭和期の代表的作曲家であり、ギタリスト。史上二人目、また、作曲家としては初となる国民栄誉賞を贈られた。栄典は従四位、勲三等瑞宝章、紫綬褒章。明治大学商学部(旧制)卒業。少年時代に弦楽器に目覚め、青年期はマンドリン・ギターのクラシック音楽を研鑽しつつ、大正琴を愛した。その後は、作曲者として数多くの流行歌を世に送る。生涯の楽曲は5,000曲といわれ、「古賀メロディー」として親しまれている。

1931年、日本コロムビア専属となった。当初は作曲に自信がなく文芸部の社員を希望していたが、結局、作曲家として契約した。このとき、東京音楽学校在籍中の藤山一郎と出会いで古賀政男の人生を大きく変えることとなる。1931年の『酒は涙か溜息か』『丘を越えて』1932年の『影を慕いて』(藤山一郎 歌唱)がSPレコードでヒット。1948年(昭和23年)に近江俊郎の『湯の町エレジー』がヒット。1964年(昭和39年)に美空ひばりの『柔』は190万枚を売り上げ、1965年(昭和40年)の第7回日本レコード大賞を受賞。1966年(昭和41年)の『悲しい酒』が145万枚のミリオンセラー。作曲活動の傍らで1958年(昭和33年)に日本作曲家協会を創設し、初代会長。この翌年に服部良一らとともに創設したのが日本レコード大賞である。

1997年に開設した「古賀政男音楽博物館」 代々木上原駅から商店街を抜けたところ、井の頭通りに音楽博物館はある。古賀はこの周辺の土地を持っていた。広大なエリア。
1F けやきホール、ミュージアムショップ
2F 大衆音楽の殿堂顕彰エリア。令和6年は、坂本龍一が顕彰された。
3F 古賀政男の世界、古賀メロディーを楽しむ、小企画展示。マンドリン、ギターやピアノ、書斎の再現。屋外テラスも併設。小企画展示では、秋のテーマの曲を展示。
B1F 音楽情報室、カラオケスタジオ。

私の中では「影を慕いて」や「東京ラプソディ」「悲しい酒」、そして「東京五輪音頭」(三波春夫 歌唱)聴いていたい曲。

 

 

 

企画展 秋のテーマ 歌謡史を掘り下げる。情報の発信とわかりやすさがよい。


吉田正音楽記念館~日立~


吉田正音楽記念館~日立~

吉田正 1921年(大正10年)1月20日 – 1998年(平成10年)6月10日)は、日本の国民歌謡作曲家。茨城県日立市出身。生涯作曲数は2400曲を超える。都会的で哀愁漂うメロディーは都会調歌謡と称され、ムード歌謡から青春歌謡、リズム歌謡まで幅広く手掛けた。吉田正門下として、吉永小百合をはじめ、鶴田浩二、三浦洸一、フランク永井、松尾和子、橋幸夫、和田弘とマヒナスターズなど多くの歌手を育て上げた、戦後の日本歌謡史を代表する作曲家の一人。

戦争の悲惨な体験をした。満州で敗戦し、シベリア抑留された。その時の思いは「昨日も今日も=異国の丘」で、国内に作曲家知らずで反響を呼んだが、1948年に復員し、作曲家として活動を開始。1953年「街のサンドイッチマン」、1957年「有楽町で逢いましょう」、1962年「いつでも夢を」(吉永小百合と橋幸夫)、1968年「ぶらくり丁商店街」を舞台とする「和歌山ブルース」(古都清乃)でヒットを飛ばす。1998年、死去(77歳)。作曲家として3人目の国民栄誉賞を受賞。

2004年、故郷の日立市神峰公園(標高130m)に記念館が開設された。ここは市民の憩いの場で、かみねレジャーランドをはじめ、動物園、遊園地、市民プールがある海を見渡せる公園。橋幸夫が2012年から名誉館長をつとめられた。
訪れてよかった。日立駅から歩いたが3㎞、45分。暑い日で。バスでいってもかみね公園口から坂を登るのは変わらないし、バスの便数が少なくて。駅通りを歩きながら昼飯をチャージして、記念館まで歩く。キャリーの荷物が一緒だが、この急な坂はなかなかキツイ。しかし、遊園地や動物園などなんだか楽しいエリア。頂上付近には展望台があり景色がよい。

記念館は5F建ての立派なミュージアム。1Fの映像コーナーで、1曲3分くらいの解説付き動画がみられる。20曲。歌とともに時代を学ぶ。ショップコーナーが併設。2Fパネル展示とCDジャケットギャラリー204曲のヒット曲、3Fピアノ展示、4F作曲体験、5Fレストランから展望は気持ちよい。ここでコンサートが行われている事も。

私のお気に入りは「霧子のタンゴ」甘い低い声のフランク永井。そして、言うまでもなく「異国の丘」(竹山逸郎、中村耕造の歌唱)これは秋川雅史で聴いた時に、鳥肌がたって何度も聴いた。悲しみと戦争はダメな事を伝える。

 

内観は撮影禁止エリア ただし、5FのレストランはOK。詳しくはこちらで。