映画「生きる」~大川小学校津波裁判を闘った人たち~2025.3.11


FavoriteLoadingお気に入りに追加

映画「生きる」~大川小学校津波裁判を闘った人たち~2025.3.11

学校の管理下にある子どもが犠牲になった事故としては戦後で最悪「大川小学校」の悲劇。児童・教員84名の生命が一瞬にして奪われた。未だ行方不明者4名。震災遺構として、後世に伝える。

2011年3月11日14時46分の東日本大震災。日本人の心に大きな爪痕を残している。
私は、2011年6月、大槌町の災害ボランティア、2015年3月、石巻を訪れた。また、2015年6月、大船渡を訪れ17年ぶりの旧友に逢う。その時の記事はこちら。【閲覧注意】

あの風景は、アウシュビッツ収容所と同じくらい衝撃。原爆ドームの建造物の方がまだきれいだと。それは生々しさ。原爆ドームの資料館はもちろん内容が凄まじい。
なぜ、あのような低地(標高1m)に学校がある事が。普通あるはずの2階の上の「屋上」がない学校。校長は不在。教員が対応で口論になり、児童は校庭にいたまま。広域避難所に指定されていた。その場から避難しようとした関係者が引き戻される。「とにかく今すぐ高いところに!」ではないのか。送迎に来た児童の母もここにとどまり死亡。ここが安全でないのはわかっているはずなのに。避難が標高の高い「裏山」(標高372m)でなく川に近い方の少し高い三角州(標高7m)に避難しようとしたのか。津波は8.6m。北上川を3.7㎞遡上した。校舎の2F天井まで浸水した。

小学校の残骸に、言葉がみつからない。地面には津波の瓦礫が散乱している。建立された慰霊碑に合掌する。【撮影禁止】あまりの悲しみで、膝をついてしばらく動けなくなった。すぐ立ち去るなんてできない。その日も、雪の舞う天気。震災の日は、もっと寒かっただろう。

何かできることはないか。祈るしかできなかった。疑問と怒りがこみあげてくる。この映画「生きる」ができた事には大きな意味があると思います。

共感しやすい感動的な奮闘ストーリーがある映画ではありません。起きた事実を記録しているため、見ていて、苦しく、つらい場面があるかも知れません。それでも「誰にも同じ思いを二度としてほしくない」と闘った親たちの生き様を、劇場で多くの方々と一緒に観ていただければ嬉しく思います。 =監督: 寺田 和弘=

《更新》2025.3.11

映画「生きる」~大川小学校津波裁判を闘った人たち~ をみた。十三にあるシアターセブン
トークショー 監督 寺田和弘さん 番組「サンデープロジェクト」の制作。戸田香さん(元テレビ朝日、京都女子大学助教)「政治学」が専門で「寄りそう」をテーマにあげられた。
生き残った教員への配慮も忘れない。裁判では、金額が14億と高額である事が話題となったが、原告は、そんな報道を望んでいなかった。学校側の説明会で唯一生き残った教員の説明は、初回と2回目だったがおかしかった。ハザードマップで、小学校が避難場所になっているが、標高が1mのところがなぜ。どこかの県の地図をコピーしたものであった。避難訓練をしていると学校が嘘の報告をしていたり、教育委員会が実際の避難訓練を確認するなどの管理を怠った。また、聴き取りしたメモを破棄したなど、遺族の疑問と怒りはつのる。新しい校長の就任も画策されたもの。事故調査委員会では、子どもたちの様子についての報告が全く反映されてなかった。裁判をするしかないと思い立ったという。真実を話してほしいのが本意であった。

 

 

3.11を考える会 大川小学校の修理における財政支援を。管理は石巻市。寺田監督の話によると、振込先は現在、使用できないので まずはメールでお問い合わせくださいとの事です。

プロフィール

Avatar photo
nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ