ブラームス/交響曲第4番ホ短調作品98
諦観と連綿
ハイドンが108曲つくった交響曲の世界。 モーツァルト 41曲 ベートーヴェン 9曲
マーラー 9曲+「大地の歌」 ブルックナー 0番 + 9曲
ロマン派 シューマン 4曲 メンデルスゾーン 5曲(習作は別途)シューベルト 8曲 チャイコフスキー 6曲 +1曲 ドヴォルザーク 9曲
近代 シベリウス 7曲 スクリャービン 5曲 ラフマニノフ 3曲+1曲 ・・・
古典派を守ったブラームスは4曲 ブラームスは 人生の節目に交響曲の世界を展開したのだろう。
ベートーヴェンの第九が巨人のごとく重圧を与えていて おいそれと交響曲を発表するわけにはいかなかったのである。
そのため第1番は40歳台で 構想から21年の歳月をかけて完成する。「リヒテンタールにて」と記されている。
交響曲第1番ハ短調作品68 1876年完成 (43歳)
交響曲第2番二長調作品73 1877年完成 (44歳)
交響曲第3番へ長調作品90 1883年完成 (50歳)
交響曲第4番ホ短調作品98 1885年完成 (52歳)
※第5番は 完成せず 間奏曲作品118-6が 緩徐楽章として構想されたものだった。
第4番「甘酸っぱいサクランボ」は、ブラームスの事をわかっている音楽仲間からも 受け入れにくかった。
1880年代は、リスト、チャイコフスキーなど「古典は時代遅れ」との認識があった。ベルリオーズはすでに異色の交響曲をつくっている。
「懐古的で退歩している」とフーゴー・ヴォルフは第3交響曲を批判。たしかに、今までの交響曲とは違う。テーマが霧のようでメロディーが少ない。
動機だけが目立つが、冗長な感じがしないでもない。唯一、第3楽章だけが突出していて後に映画で使われる。大学教授のような音楽は面白くない。
リスト、チャイコフスキーのシンバル一つの方が面白いと。ブラームスは音楽評論から二分されたのである。
しかし、ブラームスは自信のほどをうかがわせている。自分よりも「この音楽はよくできている」と。「甘酸っぱいサクランボ」の事。
連綿した音の世界、情熱的なものとセンチメンタルなものを対照的に構成、古典を守りながら進歩していた。
コーダは普通は長調だが、この曲は短調になっており、悲壮的なメッセージが込められている。
交響曲が初演されるまえにピアノ4手版が試演されている。聴いてみると ハンガリー舞曲のような ベースの奥深さと高めの旋律のバランスが ブラームスらしい事がわかる。 4手リサイタルは 大変貴重である。藝大(交響曲シリーズ) 東京音大(2台のピアノのための演奏会 ピアノコンチェルトの世界)などが 演奏会を実施している。
第1楽章 ホ短調 2分の2拍子 アレグロ ノン トロッポ 悲壮的 メランコリックなラプソディ
クライマックス トレモロ 今度はベースが先行するかたちで 高音が追いかける。変奏技術の集大成と呼べるのでは。循環形式とは違うものの、ブラームスの霧の中からの主題。
第2楽章 ホ長調 8分の6拍子 アンダンテ モデラート ホルンの導入はイ短調?ともとれる古い音階。ピチカートで牧歌的な響きがある。
第3楽章 ハ長調 4分の2拍子 アレグロ ジオコーソ スケルツォ 力強い楽想 リズムが特徴。ホルンが彩りを添えている。トライアングルが出てくる。もちろん 全弦楽器パートが奏する姿はシンフォニック
第4楽章 ホ短調 4分の3 アレグロ エネージコ エ パッショナート パッサカリア(変奏曲)バスの一定の音の流れが繰り返され 印象付けている。
暗い焔が情緒的。バッハのカンタータ第150番「主よ、われ汝を仰ぎ望む」の主題が使われている。
長調に転じたときのフルートが「慰め」ともとれる旋律を奏でる時も バスは一定の働きをしている。安らかなる響きが途中制止。
短調の回帰で悲壮が爆発した。全体的に重いが、ブラームスの職人的で綿密な仕上げが昇華した。
コーダは長調ではない。フィナーレは、怒涛の如く突進するような「エネージコ」響きをひとつに集める。
ブラームスらしい緊張のある締め方である。
ブラームス 交響曲第4番ホ短調作品98 4手ピアノ版