「殉国七士」第六五回 慰霊祭が四月二九日 愛知県幡豆町の「殉国七士廟」で 午後二時から執り行われました。「戦争は 勝者の思うがままでよいのか」
お国のために戦い、指揮などをした(東條 英機以下)七名 東京裁判(極東軍事裁判)で昭和23年12月23日(今上天皇の誕生日)に処刑を執行(戦争責任者)の遺族の申し入れに対し GHQは遺骨の引き渡しを拒否。日本では「亡くなったら仏さま」の考えが一般的です。
弁護士の三文字氏は、命懸けで火葬場から遺骨を集め、盗み出し 伊豆の興亜観音堂に安置。もちろん遺骨とわからないように。時は十数年経ち 昭和35年8月、愛知県三ヶ根山に 遺骨を祀る慰霊塔を建立 今日に至る。今日は慰霊祭、百五十名余が参列。九十歳代が多い。私も、玉串奉納させていただき、貴重な体験になりました。
この碑文をよく読むこと。当時の思いが刻みこまれている。
元最高裁長官の三好氏が 「東京裁判の費用27億円は政府が負担。東京大空襲、各都市など10万人以上の市民が犠牲になった事 原子爆弾の投下など。戦争に勝てる者に対し、戦争責任はないのか」と話された。
私なりに考えてみる。「戦争を正当化する」、批判する人がいるのだけど、それは うがった見方です。戦争に負けたときの仕打ちが当然のように思っている人たち 「仕方のないこと」という。知らなさすぎる。知らせていくことの大切さを改めて感じました。「70年前の事知ってお前が得するのか。」言う人がいましたが 私は損得でなく 過去の事の受け止め方が変われば 人生や将来が変わると考えています。
極東軍事裁判の真実 そして 靖国神社の A級戦犯(戦争責任者が正しい呼び方)この7名の御士の遺骨を祀る処があることは 日本の誇りです。私は、戦争を肯定するつもりはありません。ただ 平和に何が必要か考え共有することが大切だと考えています。
戦後 GHQによって指示があった事を受け止めた当時は「自虐史観」だった。戦後70年、未来に対して 現在の考え方を 変えていきたいと思います。
隣には比島観音がありました。フィリピンも日本軍だけでなく 市民が巻き添えになった。