「散ればこそ いとど桜は めでたけれ 浮き世になにか 久しかるべき」詠み人知らず 令和4年
京都はみやこ 狭いようで広い 洛中 洛東 洛西 洛北 洛南 や 東山 西山 北山 南 と地域分けできる。
また条坊制であるため、南北と東西の交差点を「通り×通り」を使い、河原町通り×四条通りを「河原町四条」と呼ぶ。
あるいは、東大路通り×四条通りの交差点を町の名の「祇園」と呼ぶ等、例外も多数存在する。町で呼ぶ方がわかりやすいようにも思えるが、それがなかなか。
町名では、同じ区にいくつも存在するので正しくない。しかし、京の町屋造りは「うなぎの寝床」と謂われるように「奥行きがあり」辿り着けない。
やはり、通り×通り+町+番地が正確だ。
多くの寺社仏閣がある。京都市の神社800、寺院1700。全国の神社88000、寺院77000と比較するとコンビニが55000店だから・・・
季節を通し、春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪など風情がある。桜の季節、洛東エリアの哲学の道、南禅寺、蹴上エリアが格別だ。水、川、山があればこそのみやこ。桂川、鴨川はもちろんだが、江戸時代の実業家、角倉了以、素庵による桂川や高瀬川の整備や、明治時代の北垣国道による琵琶湖疎水の整備で近代化に貢献した。岡崎エリアの鴨東運河は、琵琶湖疎水の延伸で南禅寺舟溜まりから鴨川西岸に通した。
哲学の道エリアは、銀閣寺周辺でもある。北側は、今出川通りの交差から銀閣寺参道から分岐する。ちょうど「kiharu」のあたり。哲学者西田幾多郎が思案しながら歩いたという。琵琶湖疏水の分水で約1.8㎞の沿道に約450本の桜がある。南側は、若王子橋まで。南から北に流れている。
その後、南禅寺エリアへ。冷泉通りから鹿ケ谷通りに入り南へ進むと永観堂。門をくぐると南禅寺へ。石川五右衛門ゆかりの三門を通る。巨大な遺産に桜が相応しい。それから、田邉朔郎設計の日本遺産「水路閣」へ。ローマ風のアーチ橋で1890年(明治時代)建造された。この上部に水路「琵琶湖疎水」が通されている。鐘楼への道を少し登ると、琵琶湖疎水が弛まなく流れている事に感動。
そして「蹴上インクライン」エリア。「ねじりまんぼ」(歩行者トンネル)まで来る。トンネルのレンガが斜めにねじ曲げられている様。橋上は、舟を運ぶ傾斜鉄道のインクラインで約600mに及ぶ。明治時代から戦後すぐまで活用されていたが、1960年(昭和35年)稼働が停止。1977年(昭和52年)産業遺産として復元に成功。1996年(平成8年)には国の史跡に登録。
鹿ケ谷(ししがたに)、ここが私の散歩【てくてくコース】の始点。「哲学の道」「南禅寺」「蹴上インクライン」を歩く。結婚式の衣装をまとった新郎・新婦や、家族連れ、カップル他、笑顔で桜と戯れる。インクラインからの眺めは絶景。疎水方面、都ホテル方面、北山方面。
哲学の道
琵琶湖疏水は着工から5年後の明治23(1890)年に完成,水力発電を利用,路面電車も走り,京都は活気を取り戻した。また、20年後に第2疏水を建設し,水道と市電を開業し,京のまちづくりができあがった。
水路閣
南禅寺 三門 別名「天下竜門」(空、無相、無作)をあらわす。永仁3年(1295) 西園寺実兼の寄進
現在は、寛永5年(1628) 藤堂高虎が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために再建。
歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」の中で石川五右衛門が満開の桜を眺め「絶景かな、絶景かな」と見得を切る。
法堂
この角度からの三門。歴史の偉容。
そして「ねじりまんぼ」橋上から三方
疎水方面
ウェスティン都ホテル方面
北山方面