Year: 2018年

霧ケ峰「八島ヶ原湿原」12000年の弛まぬ積層。


八島ヶ原湿原 12000年前に発生した湿原。1939年(昭和14年)天然記念物に登録。

長野県中央部 霧ケ峰高原(1540m~1925m)には 湿原が3つ存在する。
八島ヶ原湿原(1632m)車山湿原(1925m) 踊場湿原(1550m)

湿原は、ミズゴケが植生している。最近乾燥化がすすみ養分が少なくなってきている。
レンゲツツジ、テガタチドリ、バイケイソウ、ヤマドリゼンマイ、アマドコロ、スズランが印象的だった。

ちなみに 植物には観賞用と食物用がある。バイケイソウ、トリカブトは毒性がある。ウドは大丈夫。
アマドコロは天麩羅にして食する事ができる。尚、山菜を私有地などからむやみに採取しないように。

 

ユリ科のアマドコロが咲いた。

こちらは、八島ヶ原湿原から少しいったところ 霧ケ峰湿原と もうひとつは 踊場湿原(通称:池のくるみ)の風景。広大な草原と泥炭層の湿原が広がっている。


八ヶ岳「硫黄岳」の世界


八ヶ岳「硫黄岳」の世界

桜平駐車場(中)(1900) ⇒ 夏沢鉱泉(2060) ⇒ オーレン小屋(2330)
夏沢峠(2433)(ヒュッテ夏沢) ⇒ 硫黄岳頂上(2760)

駐車場は台数の多い(中)がおすすめ。
登山口から 夏沢鉱泉まで ザレ道を下り上り 進む。
これくらいの坂の角度は急ではない。体調の確認と靴やザックの紐の調整等を。

夏沢鉱泉に着いた。女性スタッフが 荷物を担いで往復しているのをみた。
4WDの車で ザレた道を走っていった。よい温泉、スタッフの対応もよいと聞いている。休憩ポイントで売店もある。

次は オーレン小屋へ このルートから 石の大きさが大きくなる。だが 坂はきつくない。
先ほどより 少し長くかかったが 汗をたらたらかくほどではない。
6月ということと 早朝で まだ気温が上がる前だから。

オーレン小屋に着く。ここは 八ケ岳の中継地点。北には 根石岳 天狗岳 南は 硫黄岳 横岳などの縦走ができる。
ここまで 1時間半くらい。スタッフの明るい声がこだまする。

次、夏沢峠に向かう。稜線上の樹林帯なのでなだらか何ともないレベル。時間も予定どおり。ここまで2時間弱。
急に視界が開ける。そこが夏沢峠。ここから八ヶ岳は南北に分かれる。北には 天狗岳 南には 目標の硫黄岳が聳える。
有史以来の大噴火で 頂上付近が吹っ飛んで変な山容をしている。

さて、硫黄岳頂上へ向う。いよいよ 最後の乗越。今までとは違う急な坂。そして、写真にもあったあの頂点まで 簡単にはいかないだろう。
ザレた大きな石、岩を気をつけて段を登る。左手に崖や爆裂火口をみながら気をつけて。
ザレた巻き道で大きな岩を通過するとケルン。そこには、森林限界の斜面が存在していた。
頂上が見えたのかと思ったが、その手前のケルンまでが見えた。
ケルンを3つ超えたのに 頂上に着かせてくれない。日差しが強く汗がふきだしてきた。ここで休憩。
アプローチは標準で70分だが、写真撮りながらなど90分かかった。
ほどほどに人がいるのが、支えになる。道をふりかえると 天狗岳がよく見える。その絶景に 心をうばわれそう。

5つ目のケルン。ようやく頂上に着いた。広い頂上だ。爆裂火口が凄まじい地獄絵図を描いている。稜線上の峰を見渡す。
北は天狗岳ほか市街を見渡す。南は最高峰「赤岳」横岳の稜線など。左手から富士山がみえたのには驚いた。

登りがいのある山 それが硫黄岳。

6月は昼が長い。これを最大限に使って日帰り登山。しかし 工程は 予定として 7時間。
この青い空。気温は 15度くらい 肌寒い 標高は1900m。出発だ。

これが登山口。ここからは 許可車のみ。硫黄岳は 美濃戸口などもあるが。今回は、夏沢鉱泉 オーレン小屋経由。

第一の通過点 夏沢鉱泉へ。ここでは 宿泊もでき 温泉もつかることができる。

ここへ来るだけでも 別世界。賑わっている。これからシーズンだと言うのに。人気の小屋。次はオーレン小屋。

オーレン小屋(2330m)

ここまで 1時間半弱。快適な山歩き。ここから 夏沢峠か 峰の松目経由 どちらかを選択。
今回は 夏沢峠経由で。

なだらかな道の時は、道の状態をよく観察する。この木の橋はいつ頃からあったのだろうか、なんて。

急に視界が開けた。夏沢峠(2433m)に着く。夏沢ヒュッテは7月から営業。
ここを境に 北側は天狗岳への北八ヶ岳への稜線上の道。南八ヶ岳は 岩稜帯の存在する切り立った山上が特徴だ。
南側に 異様なかたちの硫黄岳が聳える。

ここで 栄養・水分補給をして 小休憩。天狗岳よりも硫黄岳の山頂の景色をみたいので。写真をおさめる。

今までとは違う。急登は間違いなく 厳しい登りが。

最初のケルンを発見。もう斜面は 爆裂火口の崖がある。ふりかえれば 天狗岳。

頂上と表記のあるケルンに到着。三角点を探すが・・・ 他の人もその様子はない。
広い頂上 どこでも登頂したことに変わりはない。が 気になるので さがしあてる。

これかな。三角点。どこで 休憩しようか。そういえば 火口があった。

 

爆裂火口。東西に1km 深さ 550m

鳥も頂上の岩場に立った。

こちらが天狗岳方面。右は爆裂火口の崖。

こちらは 横岳 赤岳などの南八ヶ岳方面。

ほとんどの人は 火口付近へ寄ってはこなかった。ここまで来ると 赤岳の後ろに富士山が隠れていたのを
見逃さない。

八ヶ岳は、130万年前からあり噴火活動を繰り返す。20万年前に活動が最盛期。主峰、古阿弥陀岳(推定 3400m)があったが 大規模な山上爆発をおこし山頂が吹きとんだ。現在の赤岳(2899m)は、最高峰。その後、硫黄岳が噴火し火口が吹きとんだ。自然の醍醐味を感じる。


2018.7.21「フリースペース横田」ライブ 18:30


2018.7.21 「ポルトガルギター奏者 山本真也と仲間たちのコンサート」
~ポルトガルの音楽と おみやげ話~ に出演します。

18:30~21:30 フリースペース横田(大和郡山 モスバーガー2F 横田町交差点)

15分 デュオします。にしくん & なってぃ (ピアノ、アコーディオン & リコーダー、クラリネット)
15分 ソロ演奏(ピアノ、アコーディオン)

 

 


菩提樹の花「鵜山」


菩提樹の花は 6月中旬にクリームイエローの可憐な花が咲く。秋には実が成り その実は 数珠などに使われている。

ボダイジュの種類はいろいろあり、インド原産のインドボダイジュ 中国原産のシナノキ科のボダイジュ 西洋ではセイヨウシナノキなどがある。

無憂樹・沙羅双樹 と並び 仏教三大聖樹(仏教三霊樹)の一つ。釈迦が 菩提樹の下で悟りを開いたとされる。
また、沙羅双樹は 釈迦が 2本並ぶ沙羅双樹の下で涅槃に入ったとされる。

そのボダイジュ 空海が唐から持ち帰ったとされ 3本あった。ひとつは京都へ それから西大寺に。
そしてもうひとつが この鵜山にあるとされる。

菩提樹を眺めるだけで 功徳があるとされる。

 

 


オルガンデュオ ヴィジュアル・オルガンコンサート 2018.6.8


オルガンデュオ ヴィジュアル・オルガンコンサート

パイプオルガン奏者 吉田愛さんは 北イタリアに住み 演奏活動を展開している。

今回 日本に夫のアレックスと来日し オルガンのリサイタルを全国で行っている。
もちろん オルガンというとバッハだが、縁の深い作曲家はもとより
バロック 現代 の作曲家をとりあげているところが興味深い。

ヴィジュアル・オルガンコンサート

通常、大ホールでオルガン演奏されているところは 遠くからでしか見る事ができない。
ここでは、演奏の様子をカメラが追う。この試みは オルガン音楽に親しむ機会を生み 音楽への理解 発展に貢献している。

この日の東京オペラシティ 天気は蒸し暑く 何か涼をとりたい気分だ。しかし これでも気温は29度。
心地よい音楽は必要だ。

演奏は 11時45分から12時30分まで。開場は 11時15分ごろからだが 多くの人が列をつくっていた。
今回のプログラムは 冒頭にロッシーニの「セビリアの理髪師」序曲 オルガン連弾バージョン
明るい響きがよい。オルガンは 3つの声を弾き分ける楽器。連弾となると 6つの声をコントロールする。

段差のある鍵盤をくぐらせ 華麗に演奏する。連弾は、多様な音楽を実現していた。
ただでさえ 管楽器の協奏であるオルガンの連弾の音楽は奥深い。

ちなみに オペラシティホールのオルガンの鍵盤の色は、ピアノと同じ。白鍵は白 黒鍵は黒。
チラシに吉田さんの画像が見つからなかったので 演奏会が全国でありますね。
他の演奏会のチラシから。好感を得て ファンが増えるでしょう。

これは 当日のプログラム


「豪徳寺」


「豪徳寺」井伊家の菩提寺。招き猫(まねきねこ)の発祥地とされている。

井伊直弼が寺の近くを通ると 一匹の猫がこちらを招いている。
直弼は 境内に入った。猫のおかげで 雨に濡れずに済んだことから この寺院に寄進をしたという。

招猫殿に招福観世音菩薩を祀り おびただしい陶器の猫の置物が奉納されている。
社務所できくと 猫の置物で願いが成就したら御礼参りで奉納してくれればよい。
また、観音堂に御参りされ奉納してゆく人がいるとか。

こんなにたくさんの猫がずらりと並んでいると なんだかほっこりする。

ちなみに「ひこにゃん」が生まれるきっかけはここにあった。


一杯の珈琲から


一杯の「珈琲」から。戦前の流行歌 藤浦洸 服部良一 霧島昇とミスコロムビア

昔は、子どもは ミルクで コーヒーは大人の飲み物とされていた。苦くて飲めない それもあった。
おいしいと感じたもはいつのころか。
カフェオレに憧れた。大人になると 珈琲を細かい事気にしないで飲んでいた。
しかし、ある時に気づいた。私は アイスコーヒー党なんだなと。もっというと、アイスカフェオレ・・・

何にします?と聞かれると「アイス珈琲」と答える。
ホットカフェは 家で飲んでいるので。ドリップコーヒーでね。
外では 他のものを頼む事にしているのだろう。

そしてここにいる。後味のやさしい珈琲。それが「堀口珈琲」。
名優 森繁久弥が通ったとされる。

千歳船橋駅前にある本店。落ち着く時間である。

 

 


シューベルト/ピアノソナタ第20番 イ長調 D 959(遺作)


ピアノソナタ第20番 イ長調 D 959(遺作)

シューベルト(1797年~1828年)の晩年の1828年の作品。不死鳥の如くあらわれた 3つのピアノソナタ。
実は、ベートーヴェンが1827年3月に亡くなったとき、シューベルトは変わった言葉を口に出していた。
まさか 本当に 自分にふりかかるとは。

シューマンが シューベルトの兄を通じて 遺稿の整理にあたっていた時
交響曲などの楽譜が発見された。交響曲第9番ハ長調「ザ・グレイト」(現在は 8番?)はその一つ。長大な作品とされた。
ベートーヴェンの第九よりは短いが。その曲想の息の長さが そう捉えられた。

そして、ピアノソナタ3部作もそう(遺作)。死後10年経った1838年に出版された。
これが 自筆譜。ソナタ第20番イ長調D959 第2楽章の冒頭。

シューベルトは 最後の年の1月から9月までに 大作を完成させている。ピアノトリオなども。
2台のための幻想曲へ短調D940 や 3つの小品(即興曲風)などがあるが あまり演奏されることはない。
完成しているものだけでも 演奏時間は10時間を超える。

シューベルトは22番のソナタを書いたであろうか。そう考えると この3部作は 大きな意味を持つ。
ピアノソナタは 19番 30分 20番 40分 21番 45分。

速筆・・・ この筆致から 何を読み取るのだろう。

ピアノソナタ第20番 イ長調

 

Alfred Brendel – Schubert – Piano Sonata No 22 in A major, D 959

 

第1楽章 2分の2 イ長調 新しい響きを発見した。ユニゾンは 落着きを取り戻している。

それと裏腹に半音階的な和音でぶつかる響きは、厳そかで不思議なものを提示する。

中間部 機関車の走行のような動機 ベートーヴェンの31番もそうだ。1814年ごろにスチーブンソンがイギリスで蒸気機関車を走行させている。
ブラームスやドヴォルザークは関係した響きを作品に投影しているが。

第2楽章 8分の3 嬰へ短調 「さすらい人のうた」終止短調で ほんの少しだけ抜け出せたかなという箇所が存在する。
シューベルトの彷徨う姿。人は、なぜに孤独なのだろう。

こう考えることもできる。人は生まれる時は「場所を選べない」が死ぬ時は「選べる」。
死に方を知らないから、生きながらえている。それは「寿命」と呼べるものなのであろうか。
先人に私たちは生きている間は逢うことができない。が、肉体が死んだ時、あの人のもとにいける。
魂はずっと生きている。そうでなければ、人間に意味などないのだから。

浮遊するシューベルト。淡々と歩みゆく。その道は突然開けるが「夢」の中である。

不安定な調性。幻想曲風。トリルあたりから 徐々に激しさが加わってくる。嬰ヘ短調の激烈な音の扱い。
これまでになかった。「魔王」のような熱に冒されインフルエンスに苦しむ。

シューベルトが熱にうなされ悪魔的なものが吹き出した。『インフェクション(感染)』と恐れられる部分。
叫び。何に対してなのか。吐露を感じる・・・ 献呈者はなし。自分に対しての慰めなのかもしれない。
再現部で少しでも立ち直れるなら 第3楽章に進めるが あまりにも重たくて哀しくて。

文学家 プリーモ・レーヴィは ナチス収容所から奇跡的に生還できた。殺戮を目のあたりにし、その人の分までも生きながらえる事が彼の使命。
ナチス収容所の残酷さを伝える文学を多く書く。しかし、突然自分で命を絶った。
生に対して肯定的であった彼。残酷さを描くためには心を鬼にしなければならない。
悪の心を抱いたのか、発作的に死を選んでしまった。

死の6か月前、生前葬を行ったK社長は、会に集まった千人に一人一人と握手をし「ありがとう」と言った。ある意味 勇気の要る事だけれども。
彼は花道を築いたのだった。人は生きている時にしか共感しあえない。
それは体験というもので、甘い、酸いなどの感情だけでなく人としての意識、霊的な無意識も遺るもの。

最後のソナタ第21番の第2楽章は、さすらい微笑みうかべ旅立ってしまう。瑞々しいシューベルト。
ソナタ20番の第2楽章は「叫び」があり、そして慰めがそこにある。

第3楽章 4分の3 イ長調 ピアノソナタのスケルツォというより、ピアノトリオを想起する活発な動き。気分をかえて。

第4楽章 4分の4 ロンド イ長調 愛らしい主題を変奏してゆく。歌心が溢れている。半音階的な響きはなく明瞭。
優しさと元気。コーダにはアルペジオとオクターブの跳躍で、活気を見出している。


北八ヶ岳 麦草峠「雨池」


今日は 午前中 雨が降っていて 午後から快晴。南八ヶ岳を周遊し 麦草峠(標高2000m)にきた。

太陽が近いのか 日差しが厳しい。気温が25度だが。木陰に入りたい。
それもそう。樹林帯の中に入れば涼しい。北八ヶ岳は 穏やかな山容と樹林帯に覆われている。

このところの猛暑で ついに雨乞いをする神事が行われたと聞いた。それもそのはず。
水不足での農作物の収穫に影響が出ている。雨よ降ってほしい。切なる願いである。

午後2時からのスタートとなったので 午後6時までに帰ってくる予定。
片道約2時間の行程、縞枯山は 北横岳登頂時に立ち寄ったので。またの機会に。登山届は出すこと。

さて、最初に「茶水の池」をみる。ここから分岐。直接、「雨池」にいくルートだ。
樹林帯は日陰で涼しい。苔や木材の分布する。沢があり そこを越えて行く。
若干 暗めなのが気になる。森林限界だと 樹林が生えない地で風をまともに受けたり雨に濡れる。その分、明るい。
樹林帯の場合は、万が一 ビバークする事になれば目印まで行き 動かずじっとしていること。
基本を忘れては人様に迷惑がかかることになる。

一見何の変哲もない樹林帯は ある意味怖さを感じる。
ここは携帯が通じない。検索もできない。GPSのみを頼りにするしかない。最終的には 冷静さ。

 

道中、樹林帯をすすむ。

木道(これは 木の道を歩きなさい)は重要な意味を持つ。踏み跡と同じ意味である。覚えておくこと。
沢渡り。この木板が何かの事情で移動されたりなかったりすると大変になる。もちろん 緑のロープは張ってあるけど。
暗くなると見えにくい。

晴れていて陽射しが強い時は こんな感じだが 霧雨が降る時などは 幻想的な森林になる。


2018.6.2 デイサービス演奏


2018.6.2 デイサービス演奏

イベントに出演。

定期的にうかがっています。年代は 75歳以上ですが 90歳の方も数名おられます。
私たちが行く頃は お昼寝タイム。そして、起きて 音楽を流しながら 体操をして
アコーディオンの会に備えます。本日は 30名ほどの方と1時間ほど 懐かしい歌謡曲を楽しみました。
間には、施設に珍しいエレクトーンがあり(機種は ELシリーズ データはフロッピーディスク)
こちらの方も 音が出るようなので 弾いてみました。実に、10年ぶりだそうです。施設の方も驚いていました。
ピアノやアコーディオンとは まったく別の楽器ですから・・・