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【曲予定】ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 セルゲイ・ラフマニノフ ピアノ ストコフスキー指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1939年録音(SP 復刻版より ※多少 音質がよくないと思われます)
パガニーニの主題による狂詩曲より 主題 1-5 18 22ー25変奏 小山実稚恵 ピアノ アンドリュー・デイビス 指揮 BBC放送交響楽団
【トピック】ラフマニノフの《交響曲第1番》は、今でこそ重要な業績と看做されているが、1897年の初演時には批評家の酷評に遭った。ラフマニノフは鬱傾向と自信喪失に陥り、創作不能の状態となる。1899年にロンドン・フィルハーモニック協会の招きでイギリスに渡ったラフマニノフは、ここでピアノ協奏曲の作曲依頼を受け創作を開始するが、再び強度の精神衰弱におそわれる。1900年に友人のすすめでニコライ・ダーリ博士の催眠療法を受け始めると快方に向かい、同年夏には第2、第3楽章をほぼ完成させた。最大の難関として立ちはだかった第1楽章も同年12月頃に書き始め、1901年春には全曲を完成させた。初演は大成功に終わり、その後も広く演奏されて圧倒的な人気を得た。
ラフマニノフ自身のピアノの演奏 指が長い 人差し指が長く屈曲している。
2m近くの大男が ピアノに座ると 一番低い椅子の高さでも ピアノの底板にあたってしまう。
音楽はロマン的である。
ロシア革命の混乱の最中に母国を離れたラフマニノフは、帰国することもかなわずアメリカ合衆国でピアニストとしての生活を送るようになった。彼はアメリカでピアニストとしての名声を獲得する反面、演奏家活動に多くの時間が割かれることとなった。加えてロシアを離れたことで母国を喪失したという思いも強く、想像力の枯渇を感じるなどして作曲にはなかなか取り組めなかった。そんな中、1931年に夏の休暇を過ごすためにスイスのルツェルン湖畔に建てた別荘で1934年6月3日に作曲を開始し、同年8月18日に仕上げられたのがこの曲である。初演は1934年11月7日、ボルチモアにてラフマニノフのピアノ独奏、ストコフスキー指揮、フィラデルフィア管弦楽団により行われた。後にこの作品はミハイル・フォーキンによってバレエ化された。
CM イッツ・ア・ソニーでもお馴染み
羽生弓弦 フィギュアスケートでも ラフマニノフの曲 使われている。1番も 浅田真央さんで使われていた。
https://youtu.be/hFxZPOgIyW8?t=16m31s
16分31秒 第18変奏 ラフマニノフの 癒しの音楽 こういうハーモニーはなかなかない。