三本杉「瀧尾」弘法大師
弘法大師が全国各地に行脚された「日光」で820年に創建したとされる瀧尾(たきのお)へ。神宮についで広い神域をもつ二荒山(ふたらさん)神社別宮の瀧尾神社。ご祭神は「田心姫命(たごりひめのみこと)」水の神様。「白糸の瀧」が流れる。
今でこそ、徳川家康の東照宮が有名だが、その元をつくった勝道上人(しょうどうしょうにん)(735-817)が766年開山。勝道上人は、役行者(634-701)以来、山岳修行の道を開いた一人。767年、最初の堂、四本龍寺(紫雲立寺 しうんりゅうじ)を築いた。これが二荒山神社の起源。現在の本宮神社(二荒山神社別宮)あたり、男体山の方角に祈っていると紫雲石から紫の4つの煙がたなびき男体山の方へ向かった事から。782年、男体山(日光山)登頂に成功、中禅寺湖を発見し、神宮寺(中禅寺=立木観音)を建てた。勝道と空海(774-835)は仲介人を通して知り合い、勝道は空海に託す。空海は、文集「勝道上人日光開山記」を記した。817年、83歳で遷化した。
瀧川が滔々と流れ、鬱蒼とした森の中で独特の湿気がある。しかし、なぜか温かみのある地。ここに来ると心が安堵する。空海がこの地にいた。恐るべき健脚である事は承知しているが、高野山から日光まで距離にして700㎞。簡単にここへ来ることはできないのだから、縁があるに違いない。御神木「三本杉」の生命にあやかりたい。
瀧尾道を輪王寺に向かい下ると開山堂【世界遺産】が。東照宮と比べ人がほとんどいない事に驚く。むしろここが拠り所になるのに。
四本龍寺、開山堂、勝道上人の墓、仏岩等と出逢う事は偶然でなく必然だったと思う。香車神社(三宮)、陰陽石、上人の墓で手を合わせた。なぜか、上人の弟子の三基の墓にパワーを感じた。そして「仏岩」にたどり着いた。元は、頭上に岩があり、そこに祀られていた。その岩は崩れ今は絶壁の窟にある六体の石像(梵天、帝釈天、四天王のうちの二体、不動明王)。風雪に打たれながら慈悲深い御顔。その中の奥にある地蔵様は特別な光を感じた。前回と同様に何かを感じ取り、じんわりと感動が滲み出た。
(ブログ友のamaさんが同じ事を感じられたので、何かあると思います。)
1200年の時空を超えた悠久の時を日光で体験できる事は、大変ありがたい事なのです。
「瀧尾」たきのお 実は、大雨で上流からの流木が滝つぼに溜まって汚れてしまった。とても残念に思う。
石碑。
左側に瀧川が流れ、鬱蒼とした森の中に運試しの鳥居が。石が穴を通れば願いが叶うそう。3回まででできるかどうか。
楼門。明治時代までは、力士像があったとか。
拝殿。
唐門の横に 良縁を願う「縁結びの笹」
「願い橋」自分の歳と同じだけ数えて渡ると願いがかなう。
最も神聖に感じられた御神木の三本杉の前にて。実は、左側に一本が横たわれています。
三本杉のすぐ西側に「稲荷神」が。弘法大師と稲荷は深い縁があります。
これは「子種石」。謂のある石だとわかる。
瀧尾道を輪王寺に向かって下がると開山堂【世界遺産】がある。
御本尊は、千手観音。
産の宮(さんのみや)別名「香車神社」
勝道上人の墓。
仏岩 左の青い岩は、青龍か。最もミステリーなゾーン。
勝道上人は、この仏岩の上に葬られたが、東照宮がつくられるときに移された。そして、現在は、開山堂の中にあるという。慈悲深い御姿。
言葉では表せないエネルギーがこの辺りから発せられている・・・