Author: nishikunn

☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ

野尻湖の伝説


野尻湖 伝説 ナウマンゾウ

長野県最北端に位置する信濃町にある自然湖 標高650m 南北2.5㎞ 東西3㎞ 深さ38m の湖沼。県内最大の諏訪湖に次いで大きいが、容積は野尻湖の方が深いため大きい。
約7万年前、黒姫山が噴火し溶岩流が下った。斑尾山の谷を堰き止め、野尻湖ができたと考えられている。野尻湖マラソン、ナウマンゾウ博物館などがある。
東側は、湖岸よりかなり離れた周遊道路。

不思議な事に、寒冷地にも関わらず、冬季に湖面が凍結しない。そのため、舟が出せワカサギ釣りが盛んである。諏訪湖では神事に「御神渡り」があるのだが、数年に一度となっており、温暖化の影響ではないかと指摘されているのだ。

1948年、ナウマンゾウの化石が発見され、世界的に知られた。日本の化石長鼻類研究の草分けであるナウマンに因んでナウマンゾウと呼ばれている。ナウマンゾウは、氷河時代や15,000年前まで生息していたと考えられ日本、アジアに分布しているゾウの種類。1962年から発掘調査が行われている。ちなみにナウマンゾウの化石は、日本だと東京都心など広域に発見されており、亜種かどうか研究が続けられている。湖西側にナウマンゾウ博物館があり展示されている。

湖の中、北側に琵琶島(宇賀神社)があり、舟、またはボートで辿り着ける。西側は、黒姫山 東側は 斑尾山に囲まれた野尻湖。

野尻湖は自然湖 (諏訪湖は丸い形だが)変化の富んだ形となっている。また、深さもまちまちで 棲みつく魚が豊富。

黒姫山が聳え立つ。

西側の湖畔 野尻湖ナウマンゾウ博物館。

野尻湖 琵琶島 湖の北西に浮かぶ。舟やボートで辿り着ける。

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野尻湖と黒姫山に因む伝説

戦国時代、小館城主、高梨摂津守政盛に黒姫という可愛らしく、賢い娘がいた。
ある日、政盛は家来を連れ東山で花見の宴を開いた。

同席していた黒姫の姿を見た大沼他の主は、自分に貰い受けたいと、
立派な侍に化け、政盛に懇願したが断られた。

そこで侍は、思い切って自分の素性を打ち明けた。
政盛は、大蛇に一人娘をやるわけにはいかないと、難題を持ちかけた。

その難題に、大蛇は傷つき動けなくなった。
政盛は死んだものと思い、約束を守らず城に戻った。

死ななかった大蛇は怒って、一族の四十八他の主と共に池の水を一度に押し流した。
箱山のお陰で城は流されずにすんだ。

しかし黒姫は、大蛇の恨みを受けながら生きていけないと、
信濃と越後の境にある池に身を投げて死んでしまった。
その後、この山を黒姫山というようになった。

中野祇園祭の日には、空が曇り雨が降るという。
この時、黒姫が雲に乗って、小館城に里帰りするといわれている。


戸隠高原「鏡池」 


戸隠高原「鏡池」 戸隠山と紅葉の名所

戸隠山(1904m)は信仰の山 一不動 二釈迦 三文殊 四普賢 五地蔵 六弥勒 七薬師 八観音 九勢至 十阿弥陀 と名が付いている。その先が尖る高妻山(2353m)だ。

蟻の塔渡、剣の刃渡など クサリ場で最大の難所とされる。

前回の戸隠高原、9月中旬のもの。まだ、夏山という感じ。10月中旬は、2000m級の山が紅葉をはじめる。

戸隠神社奥社入口駐車場から

「鏡池」からの戸隠連峰 カメラマンが20名ほど来てシャッターチャンスをみている。

「鏡池どんぐりハウス」レストハウス いい場所にある。周辺の道が狭いので県道36号線沿いの駐車場に停めて歩いてくる人もいる。

戸隠連峰をみるには、戸隠スキー場からの眺望がよい。ゲレンデの頂上は、怪無山(けなしやま)1549m
裏山(左側奥)は、瑪瑙山(めのうやま)1748m で飯縄山(1917m)の稜線上にあたる。

ゲレンデを登ってきたところから戸隠山(1904m)尖った山は高妻山(たかつまやま)2353m


如法寺 大悲閣観音堂 弘法大師


如法寺 大悲閣観音堂 弘法大師創建 中野市

清水寺と同じ懸崖造。本尊は木造不動明王立像で、脇侍に金剛童子、勢多阿童子

創建は807年(大同2年)、空海がこの地を訪れた際、自らが千手観音を彫り込み安置したのが始まり。826年(天長3年)、真如法親王の時代、七堂伽藍に三十六坊を構える寺院となった。12世紀頃の『今昔物語集』に登場し、薬蓮という沙弥の僧が阿弥陀経の功徳によって極楽往生を遂げたという説話がある。その後、一時衰退するが1412年(応永19年)領主の高梨規政が再興。1561年(永禄4年)川中島の戦いで堂宇が焼失。江戸時代、四代将軍徳川家綱が篤く帰依し堂宇などを再建。

大悲閣(観音堂) – 1836年(天保7年)に造営。格間には観音の彩色絵図が描かれている。堂内には木彫千手観音像が安置され、鎌倉時代作の阿弥陀像や大日如来像。他に弘法堂がある。

中野市は、中山晋平記念館がある。市内随一の東山公園にそびえる堂宇が「如法寺 大悲閣観音堂」東山公園からは、市内を一望できる。
それが「北信五岳」。戸隠山、飯縄山、黒姫山、妙高山、斑尾山の事。


三段紅葉「白馬」唐松岳、丸山、八方池


三段紅葉「白馬」唐松岳、丸山、八方池

前日、夕方から雪に変わり、初冠雪。天気予報では、特に雪の予報はなかったがそれは平地の話でなく、志賀高原、穂高、そして白馬連峰の事。
秋雨前線が、雪を降らせた。通常では低気圧が太平洋沿岸を発達しながら通過、寒気を引き込み風のぶつかるところで発生した雲が気温の低下で降雪する。
で、この時期以降に登る人は、軽アイゼンを持って行った方がよい。

3000m級の高山では、10月上旬に吹雪いたり降雪はあっても積雪になるかだったが、今回は積雪4㎝だったよう。冬が到来した。実際、白馬でも気温が7度に。はく息が白い。
全国的にも、11月下旬から12月上旬の気温になったところもあり、冬の寒さに驚いたのでは。

前日夕方、栂池へ入ったが底冷えがした。足元が冷える。それもそのはず。栂池の上が雪雲に覆われ初冠雪したのだから。夕焼けの白馬連峰白馬連峰がピンク色に染まる。芸術だ。

「道の駅」で待機し仮眠をとった。夜中3時に目覚めた。それが寒さだったのかも。黒菱ラインに乗るため林道をゆく。夜はちょっと怖い。道幅狭くシカが出そうな道。昼でも対向が大変。帰り、マイクロバスが側溝にタイヤが脱輪し、JAFを呼んでいるとの事だった。慎重な運転をしてほしい。実際、ツアーバスがここを通っている。大型同士の対向は待避所でないとキビシイ。段差に気をつけて。

黒菱ラインを使わない登山ルートが一般的。下の「八方駅」から八方ゴンドラリフト「アダム」とアルペンクワッドリフト、グラートクワッドリフトの3つで標高差1060mを40分で登り、高度を稼ぐことができる。リフトは、時期により稼働時間が異なる。秋時期「黒菱ライン」は、8時15分から16時40分まで。しかも今シーズン最終日だった。唐松岳への日帰り登山は微妙な状況。山荘に宿泊した方がよさそうだ。というのも、理論上は登り下りで7時間30分。日帰りで行けるような気がするが、それがそうでもない。まず、受付に並んできっぷを購入する。もちろん、開店してから。人気のコースなので、待ち時間が発生する。今回は、コロナ対策の同意書に記入する時間が別に必要。cocoaアプリをインストールしておくと短縮できたかも。窓口に並んだのが、8時5分(10分前)100人ほどが列をつくって待ち、リフトに乗ったのが8時38分だから20分ショートしている。リフト2本で20分くらいかかる。降り場「八方池山荘」に9時00分に到着。帰りは、16時40分に間に合うように。土日は人が多く、登山道が混むから。唐松岳に登る人は、今の時期だと八方池でゆっくりしていられないと思う。

強者はこう考える。ならば、リフトの稼働時間前に登山開始し黒菱から2本のリフト区間を自分の足で高度150m稼ぐ(1時間はかかる)。夜中、ヘッドランプつけて登る人や朝早く登る人がいる。リフト道は荒れた道ではないが急坂で体力の消耗を覚悟して。こうすることにより、唐松岳「日帰り」が可能にできる。帰りは、リフトで降りた方が。急坂は膝への負担が大きい。

【コース】八方池山荘(1830m)⇔ 唐松岳(2696m) 標準タイム 登り 240分 下り 210分
今回は、八方池山荘 ⇔ 丸山(2430m) 登り 200分 下り 130分

【登り】黒菱平(1680m)8時40分 リフト2本 八方池(1830m)9時00分
八方池山荘(1830m)9時00分 石神井ケルン(1974m)→ 八方ケルン(2035m)→ 八方池(2060m)10時10分 撮影など → 第3ケルン(2090m)→ 扇雪渓(2361m)11時40分 → 丸山(2430m)12時20分

【下り】丸山(2430m)12時50分 → 扇雪渓 13時7分 → 八方ケルン 14時7分 →石神井ケルン 14時21分 → 八方池山荘 15時00分 (※八方池に寄らず)
八方池山荘 → リフト2本 黒菱平 15時20分

まず、前日の栂池の上、白馬連峰の夕焼け

白馬からの朝焼け 雲海の上にうっとり 歓声があがった。老いも若きもカメラ、カメラ。

これが「三段紅葉」

八方池 思ったよりこじんまりとした小さい池。それが、鏡池で白馬連峰をうつしだす。

白馬を護る神、飯森神社奥社。

積雪は、4㎝ほどだったが、早朝、木道の一部は凍結していた。軽アイゼンをすすめる理由がここにある。昼に雪は一部とけていた。

扇雪渓(おうぎせっけい)もうひと頑張り。見上げると高度差があるが、意外とすんなり上まで行ける。その先が、大変だった。

丸山へ到達。今回のミッション完了。しかし、あと1時間早ければ、唐松岳登りたかったな。夏時間ならリフトが6時15分スタートだから可能。
頂上までは、ここから標高差260mある。ここまで600m登ってきた。

今回のメイン、不帰の嶮(かえらずのけん)Ⅱ峰(北峰、南峰)を見たかった。日本三大キレットの一つ。猫耳のよう。右側の切れ落ちは「天狗の大下り」

白馬五竜方面 やはり冠雪した白馬連峰がいい。

唐松岳方面 またにしよう。雷鳥にも逢えるかな。ハイマツとナナカマドがたくさん生えているので、きっと森の中にいる。


錦秋の「志賀高原」


錦秋の「志賀高原」

昨年は初秋に「四十八池めぐり」で志賀山に登り大沼池を俯瞰した。今回は、錦秋の志賀高原、できれば大沼池の紅葉を。

志賀高原は、上信越国立公園で指定されている広大な地域で志賀高原、奥志賀高原に分けられる。渋温泉、草津温泉、野沢温泉の一部も入る。横手山、志賀山、焼額山などの1500m~2000mの山に囲まれ 上信越特有の植生が独特の地形を作り出している。また、雪が深いので低木が多い。いわゆる見る紅葉ではなく、触れる紅葉。カエデ、ブナ、コナラなどの赤や黄色の濃い色が映し出され落葉を踏みしめ秋の終わりをしみじみ感じた。この日は、朝から霧雨、気温は8℃。蓮池は神秘的だった。紅葉は最盛期を迎えていた。国道292号線沿いの旭山(1500m)の色鮮やかな紅葉には見惚れた。晴れてくれればよかったが、まあこれも紅葉を見るのにちょうどよい。

一足はやく冬支度。そういえば、りんご畑をたくさん見かけた。今年は無事に収穫できますように。

大沼池の伝説 大沼池は、酸性度が高く魚が棲んでいない。カササギは水辺にいた。湖面が濃い水色をたたえている。天候、角度により様々な色に変化する不思議な池。黒姫の物語がある・・・

これが、昨年の大沼池。志賀山から9月中旬。左側の池尻から中央、レストハウス「エメラルド大沼」や、島の鼻のような大蛇神社を通る。
池尻から大蛇神社の鳥居が遠くながらみえる。

志賀高原自然保護センター(建物内に長野オリンピック・パラリンピック記念館があり、聖火リレーのトーチや金・銀・銅のメダル等を展示。)に入口にある標示板。
隣に山の駅「志賀高原」

大沼池(1694m)へは、いくつかのルートがあるが、今回は「清水公園」(1550m)から往復する。

標高1500mなのに、白駒池のような2000mにあるようなコケが植生している。

滝がある。静かな森に絶えない瀑音。

ほら、人がいるでしょう。声をかけられた女性。沼尻やエメラルドセンターでも出逢わず・・・

池尻に着いたが、ほとんど何も見えない。曇っていて小雨が時々ぱらつく。

レストハウス エメラルド大沼

曇って何にも見えない。風が強いというわけではないのに、湖面が波立っているのはなぜ?もしや大蛇がいるのでは。
弁財天 大蛇神社の祠と鳥居へと。

いつごろ創建されたか不明だが、木の根に祠。

幻想的な風景。

池尻に戻ってきた。天気が回復すると こんなにも湖面の色が違う。

大沼池を散策。片道5㎞ほど。池尻から神社までを含む。四十八池めぐりのコース。落葉をふみしめて。それにしても人があまりいない。
蓮池あたりのビジターセンターはけっこう車が停まっていたのに。しかし、今日が最終日で、料理もカフェのみらしい。冬支度かな。

片道5㎞ほど往復10㎞よく歩けた。大沼池にある弁財天、大蛇神社の鳥居は神秘的だった。そんな事より、不思議な事が。
ほとんど人と逢う事がなかったが、後ろから女性が歩いていた。トレッキングスタイルだ。30代くらいの、動植物の研究をされているのかな。アクティブでさわやかな感じ。こちらは、写真撮りながらなのでゆっくり目。途中、左側に滝が見えたあたり、女性が私を追い越した。「こんにちは」と声がしたので、こちらも返した。その後、先に行かれたのだが。池を周遊する(半周)コースのどこにも女性の姿はなかった。レストハウスでは、2人の男性と1組の夫婦とだけ。早足で進んでいる感じはなかったのだが。

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大沼池に棲む大蛇は志賀高原の守り神でしたが、嫁はいませんでした。

ある春、いつものように見るからに立派な若者に姿を変えた大蛇は中野東山の花見に詣で、
一人のとても美しい女性と出会いました。この女性は時の中野の最高権力者である、
小館城の殿様高梨摂津の守政盛の娘、黒姫でした。

二人は互いに惹かれあい、恋をしました。

しばらくの交際の後、若者は
「私は大沼池の主で、志賀高原の守り神の大蛇です。私にあなたの娘の黒姫を下さい。」
と願い出ましたが、

殿様は
「人間でもないものにどうして娘をやれるものか」
と言下に断りました。

しかし若者はあきらめず毎日毎日城を訪れお願いしました。

根負けしたのか、殿様は
「わしの乗った馬の後をついて城の周りを七周できたら姫をやろう」
という条件を出しました。

若者は喜んでこれをのみましたが、これは罠でした。

殿様は城の周りに刀を逆さにして植え、その上で大蛇を走らせ、殺そうとしたのでした。

その日がきて若者は殿様の後をついて走り出しましたが、
殿様は馬の名手、追いつけなくなった若者は大蛇の姿に戻り後を追ったからたまりません。

大蛇の体は逆植えの刀に裂かれ、傷つき血は流れ、恐ろしいありさまになりながらも、
約束どおり七周まわりました。

殿様の計略どおり大蛇は倒れ、起き上がってきませんでした。

しかし、やがて息を吹き返し起き上がってあたりを見回した時、
誰もいないのに気づいた大蛇は、殿様が約束を破ったのを知りました。

怒りに震え志賀高原に戻った大蛇は、一族郎党の手を借りて雨雲を呼び、
暴風雨を起こし、さらに志賀高原中の池を決壊させて大水で小館城を流そうとしました。

中野の村に大洪水が起こり、人も動物も飲み込まれ、
田畑は流され中野一体は壊滅状態になったのでした。

中野の東山が楯になって濁流から難を逃れた小館城から、
すっかり流された城下をみて悲しんだ黒姫は、事態を収束しようと決意し、
ひとり大沼池に身を投げました。

それを知った大蛇はそれまでおこしていた雲を散らし、
洪水を止め大沼池に戻っていったのでした。

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毎年八月に大蛇祭りが行われている。


「中山晋平記念館」童謡・流行歌・新民謡


「中山晋平記念館」 長野県中野市 童謡・流行歌・新民謡の作曲 1770曲

志賀高原で散策することになり、午前中から昼過ぎまで。しかし、冷たい雨で気温は8℃。昼すぎに雨があがった。
今日は、中野市に滞在することに。気になっていた「中山晋平記念館」を訪れる。

時報とともに、中山晋平作曲の歌が鐘のメロディーとなり流れる。何ともウェルカムな。記念館の展示作品については【撮影禁止】

まず、22分間のビデオ鑑賞。中山晋平1887年(明治20年)3月22日 – 1952年(昭和27年)12月30日)の人生を知る。その後、展示作品をみてゆく。展示館は円形になっていて、グランドピアノ、オルガン、蓄音機がある。資料は、代表作品の楽譜、自筆譜面、レコードなど。別室では、オルゴールで作品を聴いたりでき、白いピアノが展示してあった。また、歴史年表や作品一覧を網羅していて驚いた。

中山晋平は、父を幼少の頃に亡くし、長男として母を手伝い、一旦は勉強を諦めた。その後、音楽の勉強を志望し藝大に入学し、卒業とともに師範となった。島村抱月、北原白秋、野口雨情、西条八十から依頼され、名物コンビとなった。芸術座の松井須磨子の歌での「カチューシャの唄」は、中山晋平の名を知らしめた出世作。校歌、市歌なども手掛け「波浮の港」「砂山」「カチューシャの唄」「ゴンドラの唄」「てるてる坊主」「あの町この町」「東京行進曲」「シャボン玉」「証城寺のたぬきばやし」など多くの作品が親しまれている。

信州中野市の豊かな自然。ここからあの旋律が生まれた。


上高地「岳沢」紅葉


上高地「岳沢」紅葉

八ヶ岳は、お花畑が横岳、硫黄岳などにあるが 全体的に岩稜帯が多い。上高地はどうかな。
なぜ、上高地は人が多いのか、その理由も何かわかるかもしれない。

さて、朝一番に立つといい事があるという。その一、早朝のお猿さんの毛繕いに立ち会い。二、午前11時に天気は持ち直し最高で午後1時頃まで続く。三、上高地のグッズ、トレンドに出逢える。

この時期は「涸沢カール」に多くの登山者が訪れ、特に週末、テントの数は1000に上るといわれている。もちろん、山小屋は満杯で、人、人。混雑はあまり好きでない。

上高地「岳沢」の風景が大好きだ。上高地の岳沢道をふみしめ到達、穂高連峰の絶景をみた。今回、岳沢小屋までの道は、槍穂をよく登る岐阜からの男性と話しながら登れたので、時間があっという間だった、感謝。ほぼ標準の2時間で到達。話をきく。横尾、涸沢経由、穂高縦走、前穂高、岳沢におりて上高地へ戻るとの事、凄い体力。多分、40㎞を一気に。涸沢の紅葉は10月上旬に終わっていた。本谷や横尾の屏風岩の紅葉がこれから。そして、岳沢の紅葉が最盛期。

上高地は「神降地」だった。天気がよいのが、何よりのご褒美。

【コース】 登り 210分 下り 170分 上高地(1500m) ⇒ 河童橋 ⇒ 岳沢湿原 ⇒ 岳沢道 ⇒ 風穴 ⇒ ガレ場 ⇒ 胸突八丁 ⇒ 岳沢小屋(2170m)
食事・休憩30分 岳沢小屋 ⇒ お花畑 ⇒ カモシカの立場 ここまで60分

河童橋の袂にて。早朝、お猿さんの毛づくろい。20頭近くいて、橋の欄干をロープつたいに登る芝居が見れた。餌を探している。赤い実を食べていた。

岳沢湿原。木道が整備され歩きやすい。岳沢道 ここからはじまる。

岳沢小屋までのほぼ中間地点「ガレ場」の手前「風穴」のあたりで、野生のサルの雄叫びをきく。大柄のサルで、登った木の上から奇声をあげている。上高地なら餌があるだろうが、こんなところでは餌がなくて大変だよ。熊に襲われるかもしれない。

ガレ場に到達。ここから、標高500mの直登で岳沢小屋に近づくが、冬山の雪渓道となっているよう。夏道は日差しが強いからジグザグに登るルートが一般的。
(帰り、岳沢小屋からガレ場までの大きな石や岩が連続する道を直接下りている人を見かけたな。楽なんだろうか。厳密に言えば、時期の登山道指定から外れている。)

雲っていたが、ポイント10分の8「胸突八丁」あたりで晴れてきた。当然、暑くなってくる。

岳沢小屋に到達。上高地 6時出発 バスセンター 6時40分 登山届提出、開始(河童橋など)7時10分 岳沢道 7時40分 岳沢小屋に10時10分。

小屋から前穂高方面へ進める。テント場。まだ、夏に咲いている花が少しあった。「白馬兵馬の平」でも秋口に見た花。強いなって。

これをみるためにここに来たようなもの。岳沢の紅葉、凄いな。

河童橋、梓川、帝国ホテルが見える。ここまで来たんだ。約5㎞

戻ってきた。この景観にホッとする。あそこまで行ってきたんだ。


「森の祈り」C.W.ニコル追悼展


「森の祈り」C.W.ニコル追悼展 黒姫童話館「童話の森ギャラリー」 2020年9月2日(水)~11月30日(月)

ニコルさん【C.W.ニコル クライヴ・ウィリアム・ニコル 1940.7.17 ー2020.4.3 ウェールズ生まれ日本人】2020年4月3日、79歳で永眠された作家、環境保護活動家。

17歳でカナダに渡る。
1962年、空手、柔道を学ぶために日本に滞在。
カナダで、モントリオールの漁業調査局で水産哺乳類技師となり、バンクーバー島などで調査捕鯨に従事。
その後、日本大学で日本語および水産学を学ぶ。

1986年、「アファンの森」と名付け、森の再生活動をはじめた。
1995年、日本に帰化。
2003年、環境省 エコツーリズム推進会議委員。
2016年、天皇皇后両陛下が「アファンの森」に御来訪。

執筆・著作活動など多方面で活動。
著作本は「冒険家の食卓」(1982)「風をみた少年」(1983)など、多数を出版。

「黒姫童話館」は、世界の童話がテーマのアート・ギャラリースペース。1991年(平成3年)にオープン。童話・民話などの資料を展示。
童話作家、いわさきちひろ、松谷みよ子、ミヒャエル・エンデの展示。読み聞かせのイベントを開催。

 

 

 

 

展覧会を見た感想。

ニコルさんの人生と考え、人柄に改めて感動。正統な考え、方法をもって対峙してゆく。意見をわかりやすく述べ共感を得る。
言葉では表されない思いが。

一つあげるとすれば、雪の降るところにテントを構え、湖で釣った魚を七輪で焼き、その場でいただくというもの。
ニコルさんから言えば、ジビエもありがたく食物として感謝を以ていただく。ただし、食事の前に黙祷をしてから。

日本は世界でもまれにみる自然の豊かさは世界随一と認められる。一方、禊や穢れをはじめとして、習慣や定着した固定観念が拭えないところに疑問を持ち提唱した。
日本は島国でグローバルな世界的な考えに追いついてないところが様々ある・・・その通り。タブーとされた事にふたをするようなところがあると思う。

童話館と黒姫高原の散策で森林浴。五感が洗い流された・・・


2020.10.22(木)13:00「おきがるタイム」vol.182


2020.10.22(木)13:00「マコルネのおきがるタイム」FM816
【ネットラジオの視聴方法がPC スマートフォン タブレット共通に】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

【予定曲】Eruption エディ・ヴァン・ヘイレン 人の気も知らないで ダミア 枯葉 イヴ・モンタン バラのタンゴ ベーレン楽団 夜のタンゴ さわち美欧 ブルーライト・ヨコハマ いしだあゆみ 魅せられて ジュディ・オング 砂山 かやの木山 東京のバスガール 初代コロンビアローズ おーい中村君 若原一郎 サザエさん

【コラム】台風が去り、寒気が入り、昼間は夏日が終わりました。紅葉が標高の高いところからはじまっています。この番組のオープニング・テーマ曲「JUMP」のヴァン・ヘイレンのギタリスト、エディが永眠しました。リードギターの神様として、1977年、22歳で披露した神がかりな「Erupution」でのパフォーマンスは伝説になりました。また、筒美京平氏が逝去しました。「サザエさん」「ブルーライト・ヨコハマ」「17才」「魅せられて」「卒業」等、アイドルのデビュー作、代表曲となり、50年にわたる活動で高いセールスを記録、日本の音楽界を駆けてきました。

エディ・ヴァン・ヘイレン 22歳でEruption のタッピングのパフォーマンスは伝説となった。ギターのスタイル・設計にこだわり自身のポリシーで「フランケンシュタイン」モデルをつくりだした。


「エディ・ヴァン・ヘイレン」追悼「JUMP」


「エディ・ヴァン・ヘイレン」追悼 アルバム「1984」より「JUMP」Van Halen

本名:エドワード・ヴァン・ヘイレン (1955年1月26日 – 2020年10月6日)65歳、天才は永年の眠りについた・・・

リードギターの「タッピングプレイ」のテクニックを広め多大な影響をあたえた「リードギターの神」の一人、音楽家。一本のギターでここまで弾ける事に驚嘆した。
また、キーボードも堪能で作曲は鍵盤で行っていた。「JUMP」は、世界じゅうで知られている名曲。エディは、リードギターとキーボードを弾いている。

80年代、グループ「ヴァン・ヘイレン」は、パンチの効いたデイビッド・リー・ロスのヴォーカルが印象でアルバム「1984」全世界で1000万枚以上を売り上げた「ダイアモンド・ディスク」。しかし、デイビッド・リー・ロスあってのヴァン・ヘイレン。彼が1986年、ヴァン・ヘイレンを脱退しソロ活動「ヤンキー・ローズ」等、ヒットを飛ばした事も注目だ。「ヴァン・ヘイレン」は、サミーヘイガーをヴォーカルに迎えアルバムをリリース、ヒットした。

特に、ERUPTION (1977)【噴火】で登場するエディのギタープレイには、超えたものがあった。当時22歳、天才と情熱。
ヘヴィメタ、ハードロックだけでなくクラシックの垣根をも超越し衝撃を受けた。

「JUMP」等、学生時代によく聴いた曲の一つ。当時、YOUTUBEはなかったから想像するに。MTVは、よく見ていた。
改めてプレイ、パフォーマンスの凄さがわかる。

トピックになっているが、ヴァン・ヘイレンのアルバム【リマスターバージョン】がリリースされているので聴いてみたい。

 

Van Halen Eruption Guitar Solo