Author: nishikunn

☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ

2019年6月8日(土)「ブレーメンの音楽隊」出演(ユニット)


2019年6月8日(土)「ブレーメンの音楽隊」出演(ユニット)

【動物音楽劇 ~動物との共存を考える~ 出演します】ブレーメンの音楽隊 6/8(土)2ステージ A 11:00(練り歩き)11:10(ステージ) B 13:00(練り歩き)13:10(ステージ)【入園無料】うだアニマルパーク動物学習館 リコーダー ねこ ギター ロバ アコーディオン にわとり パーカッション いぬ 音楽家ユニットのコンサート。(TVで事前告知されました・・・)


おかげ詣「新しい御代」伊勢神宮


おかげ詣 「新しい御代」を祝う。「令和元年」年間800万人が参拝する伊勢神宮まいり 2019年5月3日

一生に一度はお伊勢さん。夢であった。その昔、一般の参拝が認められていませんでした。人は鳥居の前で参拝したのでした。
そういう神聖な場所なので心構えが大切です。
御籤がありません。おまいりした日が吉。正宮には賽銭箱がありません。私幣禁断。自由参拝でなく【正式参拝】をされるのがベターでしょう。

伊勢神宮と呼ばれるが 正式には単に「神宮」。14の別宮、43の摂社、24の末社、42の所管社の125の神宮からなる。
書記、神名帳などによる社格 石上神宮 出雲神宮 鹿島神宮 香取神宮 天皇を祀る社格として 橿原神宮 平安神宮 明治神宮 吉野神宮 熱田神宮 など。
垂仁天皇 26 年(紀元前 4 年)に内宮が創建、雄略天皇22年(478年)丹波 眞名井から遷座され 外宮が創建された。
祭主に黒田清子さまがなられました。

式年遷宮が行われている。第1回遷宮(持統4年=690年)途中120年ほど中断はされたものの 第62回遷宮(平成25年=2013年)まで受け継がれている。
遷宮には、正宮、別宮の社殿、御饌殿、鳥居などの殿舎や装束、神宝、橋梁も含まれ、永きにわたり技術の継承が行われた事に驚嘆する。
外宮から左側通行で内宮は右側通行で参拝する。

外宮正宮 豊受大神宮 豊受大御神 五穀豊穣への感謝
内宮正宮 皇大神宮  天照大御神 皇祖神(三種の神器 八咫烏が御神体)日本国民総氏神 育てに感謝
個人的なお願いごとは、それぞれの別宮に。

外宮 第一別宮 多賀宮 別宮 土宮 月夜見宮 風宮 下御井神社【所管社】度会国御神社【摂社】大津神社【末社】
内宮 瀧祭神【所管社】第一別宮 荒祭宮 別宮 月読宮(中村町)瀧原宮(大紀町)伊雑宮(磯部町)風日祈宮(同社地内)倭姫宮(楠部町)
子安神社【所管社】大山祇神社【所管社】

清浄な神聖な地 伊勢神宮。禊ができたのかな。常若というようだ。好みは 月読宮・・・
外宮正宮の凛とした空気。「多賀宮」「風宮」では参拝直後、さわやかな風が吹いたのが不思議だった。
内宮の五十鈴川に感動。島路山、神路山の自然が鮮やか。別宮 瀧原宮では川で清めるのだが心に残っている。
そして正宮 石段の高いところにあり緊張する。何もないところに何かがある。巨大な神殿。
正式参拝されている方もちらほら見かける。第一別宮「荒祭宮」も石段の高いところにある。
別宮 風日祈宮は冷涼な空気が漂って心地よかった。
授与所では、御饌、御神楽、祈祷、札、御守、御朱印、神棚などに行列ができていた。

【外宮】古殿地の玉砂利に感銘。厳かで鎮まる。清浄に保ち雨風をしのぶ。次の20年に備えているのだ。
「大斎原」熊野本宮旧社地の広大な神域に祠があり【神域内は撮影禁止】とても厳かで心鎮まる処であった。

外宮正宮

外宮 多賀宮

【内宮】


宇治橋より

五十鈴川 手水舎でもよいが 川で清めるのは特別

内宮正宮

内宮 荒祭宮

ねじれ木 中央構造線上にある木で時折、磁場を失いねじれる木の事。頭痛や病気がなおる人がいるとか。


おかげまいり「浜参宮」


おかげまいり 一生に一度はお伊勢へ。御代「令和元年」に。2019年5月2日朝

はじめは「無垢塩祓」を受ける浜参宮を。

「日の出」を拝みに二見ヶ浦へ。禊の場所。
立石さんの沖合に興玉神石が鎮座。道ひらきの神を祀る。
神徳を受けた人が蛙を献納したことにより「かえる」がある。

隣に「天の岩屋」が。また、竜宮社【摂社】もある。

鳥羽 日の出 5時1分9秒 日の入り 18時38分56秒
鳥羽【標高1.19m】満潮 5時3分(71㎝)と17時26分(72㎝) 干潮 11時16分(ー81㎝)と23時26分(ー63㎝)

多くの人が日の出を拝みにやってきた。新しい御代を祝う。
海辺は風が強く寒い印象だが、この時は風がなく穏やかな日の出だった。

周辺の御塩殿【所管社】からは御嶽山がみえる・・・


2019.7.21「うたのひろば2019」出演


2019.7.21「うたのひろば2019」出演

会場:サンスクエア堺ホール JR堺駅西口徒歩3分
開演:13:00 終演 16:00

「堺・泉北うたのひろば2019」 うたごえ協議会の団体による地方予選大会(審査)
実行委員会が月1回おこなわれ 各団体の交流やエントリーの詳細など調整しています。

毎回 素晴らしいうたを響かせています。

「うたう会」での出演。演奏でのエントリーと 引き続き うた伴奏をします。
出演は シャンソン&タンゴ 兵藤まき子さん(フルート)&アコーディオンと共演。

もうひとつ 合唱団の出演に共演します。

「堺ぞうれっしゃ合唱団」 指揮 小池哲夫 ピアノ 中島優美 フルート 花室知佐 アコーディオン 西辻善則

当日は よろしくお願いします。こちらは 前回のもの。

 


ショパン/ポロネーズ第5番嬰ヘ短調作品44


ショパン/ポロネーズ第5番嬰ヘ短調作品44(1841年作曲)

ショパン(1810-1849)のポロネーズは全部で18曲ある。青年期に書かれた「序奏と華麗なポロネーズ」(1829)作品3(チェロとピアノ)
アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ(1831、1834)作品22(ピアノと管弦楽、またはピアノ独奏用)がある。情熱的で華麗なテクニックを散りばめている。
生前に出版されたのが7曲、遺作として出版されたのが3曲(作品71)+6曲(作品番号なし)となる。
7歳の時に作曲したポロネーズト短調(遺作)が最初の作品で、この曲は「ポーランド第二の国歌」といわれるほど膾炙されている。

ポロネーズは、ポーランドの民謡舞踏風の4分の3拍子とリズムが特徴で、第2拍が強調されシンコペーションなどが使われている。右手や左手の内声が表現され重厚で華麗である。また活気にあふれたものと陰鬱で感傷的なものとに分かれる。

よく知られているのが、第3番イ長調「軍隊ポロネーズ」第6番変イ長調「英雄ポロネーズ」第7番変イ長調「幻想ポロネーズ」
他の作品は、時々演奏されるが知られているとはいえない。5番をイーヴォ・ポゴレリチの演奏で知って衝撃を受けた。強靭なテクニック。
陰鬱だが情熱に溢れた曲でファンになった。個性的な表現がショパンコンクールで話題をさらい、審査員のマルタ・アルゲリッチは「彼は天才よ」と。

ポロネーズ第5番嬰ヘ短調作品44(1841)「悲劇的」と謂われている。私的には「闘牛士のマンボ」の如くこの曲の転調が色彩を添えている(嬰ヘ短調 → へ短調)

そういえば、宇多田ヒカルの「Wait & See」(ヘ短調 → 嬰ヘ短調)激情の切なさ + 遠隔転調 が出てくる。さりげなく唄っているが そこには 深刻な調性を使い シグナルを鳴らしている・・・

 

Ivo Pogorelich – Chopin polonaise op.44

Ⅰ 序奏 嬰ヘ短調 主題(A B A´ B´ A”)
Ⅱ 中間部 イ長調 C B C´
Ⅲ マズルカ イ長調 D E D E
Ⅳ 再現 嬰ヘ短調 主題(A´ B A コーダ)

Ⅰ-A ショパンが「新しいファンタジー風のポロネーズができた」と手紙に書いているが、オクターブの徹底した表現は 素晴らしい効果をあげている。

ⅠーB ヘ短調 変イ長調

1-A´ 左手のパッセージが凄い。オクターブで強調されるだけでなく 音の広がりにも拘っている。

 

Ⅱ イ長調 オクターブの舞踏のリズムが強烈で 何に向かって行進しているのだろう。

Ⅲ マズルカ イ長調 穏やかで牧歌的。ショパンの新しいファンタジー。

【appendix】再現部の直前。このスケールが難しい。

Ⅳ コーダ 情熱がこもっている。左手の上昇するスケールがクライマックスを築く。
だんだん弱めていく。距離が遠くなっていくイメージ。


「改元」平成31年4月30日~令和元年5月1日


平成31年4月30日~令和元年5月1日「改元」

2019年の「改元」は無事完了しました。その瞬間です。
第125代明仁天皇が退位され 明仁上皇となられました。
第126代皇太子浩宮さまが 天皇に即位され 今上天皇徳仁【天皇陛下】となられました。

生前退位は、200年ぶりの事です。また、前回「昭和から平成」は31年前でした。
明仁上皇は80歳を持って引退するつもりであったとか。現実には、そう簡単にいかなかった。象徴としての役割は益々輝かしく日本国民に寄り添い果たされこの日を迎えられたわけです。象徴としてのご公務だけではありません。

宮中祭祀を日々執り行っています。毎日 日供の儀(にっくにのぎ)毎朝御代拝(まいちょうごだいはい)
毎月1、11、21日 旬祭(しゅんさい)四方拝、春季皇霊祭、秋季皇霊祭、新嘗祭、大祓など 自らが出席し続けられた事に驚嘆します。
言葉ではあらわせない灌漑深いものと一抹の寂しさがあったと思われます。

徳仁天皇は59歳、史上2番目に高齢での即位となられました。この事を重く受け止め、宮内庁周辺が柔軟に対応し事にあたらなければなりません。
80歳になられるのは20年後です。人生80年の超高齢化社会となりましたが ご公務は大変で国内で災害が起きれば全国を慰問する公務が増えます。
災害が少ない時代となることを願います。また、これからの時代にあったご公務をされることに感謝します。

うつりかわりをビデオでふりかえります。

昭和天皇大喪の礼 (平成元年2月24日)明仁天皇陛下、美智子皇后陛下は喪に服しておられた。

天皇陛下 即位の礼 正殿の儀 (平成2年11月12日)

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)

天皇陛下85歳 誕生日会見 (平成30年12月23日)車の運転をやめられると発表された

退位礼正殿の儀 (平成31年4月30日)

剣璽等承継の儀 (令和元年5月1日)

新天皇陛下、皇后雅子さま 皇族方 一般参賀 (令和元年5月4日)6回お出ましになられた。参賀者数は,141,130人。

 

 


2019.5.9(木)13:00「おきがるタイム」vol.147


2019年5月9日(木)13:00~15:00「マコルネのおきがるタイム」サイマルラジオ対応 FM816
(インターネット放送)(PC) http://csra.fm/asx/hasimoto.asx
※ スマホは、アプリの設定をご覧ください。 http://816.fm/?page_id=71 

【予定曲】川の流れのように 可愛い花 すみれの花の咲く頃 夜明けのうた 花咲く丘に涙して 花の素顔 カチューシャのうた 千の風になって 平城山 エリカの花散る時 山のロザリア 岸壁の母

平成31年4月30日~令和元年5月1日 新しい時代の幕開けです。2019年は お正月が2度やってきた気分です。
柔軟に対応できるように備えたいもの。また、災害、事故などが起きないことを願います。

4月29日は、ロータリークラブのゲスト出演でした。留学生30名の前で。オリジナルの歌集を制作。ローマ字表記と英訳を掲載し
歌ってもらいやすいようにしました。日本の代表的なうたをアコーディオンでガイドし、全員合唱しました。私としては、珍しい和服を羽織りました。
国際交流に役立てばと思います。


2019.4.29ロータリークラブ「国際親善」ゲスト出演


2019.4.29 ロータリークラブ「国際親善」ゲスト出演

ロータリークラブ「作って食べて国際交流」のイベントでゲスト出演しました。
留学生30名は マレーシア・シンガポール・インドネシアなどアジアをはじめ国際色豊か。
お国の料理を食べて交流しよう。日本のうたをコーラスしよう。

着物を羽織りました。

日本のうたをアコーディオンでガイドしコーラスしました。時に英語をまじえながら・・・
「スキヤキ」は知っているとうなずいてました。他の曲も、日本を代表する唱歌です。
オリジナルでつくった歌集は、何かの時に歌っていただければ嬉しいです。

主催者の方、ヘルプの方、大変ありがとうございました。

 

 


「メーデー演奏」2019.4.28


「メーデー演奏」2019.4.28

第90回 堺メーデーでの演奏。これまでで最大の700名が参加しました。

アコーディオンは7台、合唱隊は30名が うたのコーナーで合唱先導、全員合唱。

新緑の頃、肌寒い日でしたが 5月の香りがしました。

 


2019.12.14「全国ボランティアフォーラム2019」


2019.12.14「全国ボランティアフォーラム2019」

全国ボランティアフォーラム 12月14日~15日 東京都で開催されます。全国社会福祉協議会 関連行事。

前回 2018は 軽井沢でありました・・・

私は、県ボランティア連絡協議会の理事として 全国の交流、知恵を集め 推進したいですね。

 


近つ飛鳥「叡福寺」聖徳太子


三太子の一つ「上之太子」と謂われる。本尊は如意輪観音。聖霊殿(太子堂) 金堂、多宝塔、聖徳太子廟【磯長墓〈しながのはか〉】など伽藍堂宇が見事。聖徳太子御廟と母、穴穂部間人皇女と妃、膳部菩岐々美郎女の「三骨一廟」がある。「近つ飛鳥」は古事記での記述がみられる。

聖徳太子は生前、推古天皇28年(620年)この地を墓所と定めた。伯母にあたる推古天皇が土地建物を寄進し、墓守りの住む堂を建てたのが叡福寺の始まりとされている。平安時代、嵯峨天皇らが参拝しており、平清盛は堂塔の修理を命じた。空海・良忍・親鸞・日蓮・一遍などが参籠した。天正2年(1574年)の織田信長による兵火で、建物は失われた。慶長年間(1596年 – 1615年)、後陽成天皇の勅願により豊臣秀頼が伽藍を再興。

藤棚が咲き始めた。聖徳太子といえば 御札紙幣。五千円札、一万円札で御馴染であった。