Year: 2022年

京都御所 1331-1869 


京都御所 1331-1869

エンペラー 歴史都市 京都 日本の中心であった。現在の首都は「東京」となっているが。
京都の人は「奠都」だと思っています。「遷都」ではありません。明治時代、奠都でお公家さんらが東京へ一時的に引っ越しされたんや(騙されたのか、それなら仕方がないか)なぜかというと、京都には、歴代天皇の陵墓があるし、いずれかえってこられると信じている。しかし、大正天皇陵がはじめて関東につくられた。「おかしいぞ」と思っているに違いない。

奈良県、橿原の宮に神武天皇が創設、日本国のおこり 2600年前ともいわれる
古墳時代(257?-592)仁徳天皇(313-399?)がおさめた
飛鳥時代(592-710)飛鳥京(592-694)難波京(645-793)大津京(667-672)藤原京(694-710)
奈良時代(710-794)平城京
平安時代(794-1192) 平安京 長安の都 五行の考えに従い現在の京都御所の西に建てた都(794-1331)
鎌倉時代(1192-1333)は、東伐のために、鎌倉に幕府をおいた。
南北朝時代(1333-1392)後醍醐天皇と足利尊氏との戦いからはじまる 南朝 北朝 にそれぞれの天皇をたて 交互に即位した 後小松天皇のときに合一された。
室町時代(1336-1573)は、京都の室町、きわめて御所に近いところに幕府がおかれ、朝廷の実権まで掌握されてしまう。
戦国時代(1467-1615)を経て応仁の乱(1467)があったが 京に都はあった。戦国時代は、安土桃山時代(1568-1600)も含む。
江戸時代(1600-1868)幕府は江戸城(現在の皇居)におかれた。

文化庁が2023年3月27日、京都に移転することが決定している。

京都御所はみる価値があり、迎賓館は外交の玄関となるだろう。文化遺産の継承をリードしてほしい。もちろん、東京をはじめ、全国の史跡を活性化するために。

京都御所 見学が可能。


「リラ・クラシック」2022.6.18(土)7:00 ベートーヴェン vol.99


2022/6/18(土)7:00「リラ・クラシック」は、クラシック音楽でリラックスする60分。第3週・第5週 パーソナリティ マコルネがお届けします。
【ネットラジオの視聴方法がPC スマートフォン タブレット共通に】

【曲予定】ベートーヴェン/さらばピアノよ
弦楽四重奏曲「大フーガ」ピアノソナタ第32番ハ短調第2楽章 交響曲第3番変ホ長調「英雄」第4楽章

【コラム】ベートーヴェン/1770-1827 エリーゼのために 月光ソナタ 運命交響曲など不朽の名作を多く残している。


第36回「ビバ・アコーディオン」2022.6.12《コロナ禍》開催


第36回「ビバ・アコーディオン」2022.6.12《コロナ禍》開催 HP:http://viva-acco.seesaa.net/

新型コロナウィルスは、徐々に感染者が少なくなっていますが、それでも一日15000人は確認されています。
ただ、重症化するリスクが減っているのでコロナ禍明けに向けて 日本ではWithコロナ政策で感染対策がすすめられています。
ということは、重症化した人は、後遺症が残るレベルだと報告されているので。リスクのあるところを避けるとなるでしょう。
一方、軽症である人は、1-2日でなおるとされており、極端な事をいえば、医者にかかる必要がないといえますが、その代わり自覚症状を頼りにするので
他人に感染させてしまう可能性もあります。

3年ぶりに開催でき、ほっとしたところです。3年前の150名参加の3分の2の参加で運営的には苦しかったが、繰り越し分があったので今回は、何とか乗り切れると思うが、
次回同じような事はできないので、何らかの工夫をしなければ。実行委員からみると、発表会もできなかった個人、団体、サークルの方が全国から一堂に会し
アコーディオンという同じ志を持ったものが共有できるのは、一年に一度、ビバ・アコーディオンの果たしている役割もそれなりにあると思います。

参加していただきよかったと思います。今回、コロナ禍で練習ができなくて不参加になった方も、次回は参加され、今回より増えてくることを希望します。
さて、御年91歳 現役最高齢のタンゴアコーディオニスト 杉村壽治 と 潤いのあるピアソラ管楽カルテット「クレモナ」のセッションは、大変盛り上がりました。

 

 


お多賀さん


お多賀さん 「多賀大社」国生みの神 イザナギ イザナミ を祀る。神武天皇の7代先祖。天照大神の父母とします。
イザナギ 5番目の男神 イザナミ 5番目の女神

天地開闢の時、高天原に相次いで三柱の神(造化の三神)が生まれた。
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)高御産巣日神(たかみむすひのかみ)神産巣日神(かみむすひのかみ)

その次に 宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)天之常立神(あめのとこたちのかみ)が生まれた。そして、
国之常立神(くにのとこたちのかみ)豊雲野神(とよくもののかみ)が生まれる。これらは、独神といわれる。

最後に五組十柱の神が生まれた。
5番目の対神 伊邪那岐神(いざなぎのかみ) 伊邪那美神(いざなみのかみ)が生まれた。
イザナギとイザナミは神々から貴方たちが国生みをしなさいと告げられた。
・・・中略 イザナギとイザナミは、おのころ島ができ降り立ち、そこで淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐島、対馬、佐渡島・・・最後に本州を生んだ。
・・・中略 イザナギは禊をした。左目から天照大神、右目から月読命、鼻から須佐之男命が生まれた。

つまり、お伊勢参りするなら、もちろん多賀神社にもお参りを。

お杓文字(おしゃくもじ)奈良時代、元正(げんしょう)天皇が病に伏された際、多賀大社の神官たちが治癒を祈念し、強飯(こわめし)を大きな杓子に乗せて献上しました。元正天皇が無事快復されたことで、杓子は縁起物となり、「お多賀杓子(おたがしゃくし)」と呼ばれるようになりました。

 


「富士山」百景


「富士山」百景 火山である。マグマがたまりいつか噴火するだろう。それと伏流水のおかげでマグマが冷やされ穏やかなのかもしれない。湧き水、温泉など多くの恵みがある。
前回、富士山が爆発して、宝永火口ができたのは江戸時代(1707年)最近は、東日本大震災の2011年3月11日14時46分から1日後の余震で、3月15日22時31分46秒に発生し、地震の規模はマグニチュード6.4。静岡県富士宮市で最大震度6強を観測した。あの時は、富士山大爆発で大騒ぎになった。とんでもないエネルギーを放出し、壊滅的なダメージを与えるかもしれない。富士山は、冬季冠雪する日本国の信仰の山である。安藤広重、葛飾北斎をはじめ、富士百景が親しまれてきた。

山宮浅間神社 遥拝所から 標高386m
十里木高原から 標高800m
水ヶ塚公園から 標高1450m
十国峠から 標高771m

五島十国はこちらを指す (1)大島 (2)利島(3)新島(4)神津島(5)三宅島

(1)相模国(さがみのくに=神奈川県西部)
(2)武蔵国(むさしのくに=神奈川県東部と東京都、埼玉県)
(3)安房国(あわのくに=千葉県南部)
(4)上総国(かずさのくに=千葉県北部)
(5)下総国(しもうさのくに=千葉県中部)
(6)遠江国(とおとおみのくに=静岡県西部)
(7)駿河国(するがのくに=静岡県東部)
(8)伊豆国(いずのくに=静岡県伊豆半島)
(9)信濃国(しなののくに=長野県)
(10)甲斐国(かいのくに=山梨県)

山宮浅間神社

十里木高原から

朝霧高原から

水ヶ塚公園から

十国峠から


太郎坊宮・天狗


太郎坊宮 天狗 742段の石段

奇岩で突き出た山がびわ湖周辺にある。山には、神が宿る。赤神山には、太郎坊宮。天狗がいるとされた。

「阿賀神社」。 標高357mの赤神山の中腹にあり、社を守護する天狗「太郎坊」。 本殿の前には、神力によって左右に別れた奇岩「夫婦岩」がある。磐座として欽明天皇の時代に祭祀が行われていた。推古天皇の時代、西暦600年頃に箕作山に、聖徳太子が摂津国に建立する四天王寺で使用する瓦を焼くため瓦屋寺を創建し、箕作山の一峯である赤神山に正哉吾勝勝速日天忍穂耳命を祀る社を建立した。延暦18年(799年)、阿賀神社の神徳に最澄が薬師如来を本尊とする成願寺を阿賀神社の神宮寺として麓に建立。その際、役行者の兄弟子であり、赤神山にいた天狗の太郎坊が山上に現れ、この地に一宇を建立するよう最澄に告げ、山の守護神として手助けしたという。祭神「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)」で、母は天照大神。

山麓の登山口から742段の石段を上る。中腹の祈祷殿前まで車で行ける。そこからでも259段。

前から気になっていた太郎坊山。天狗とは、鼻が高い。上から目線にならないよう気をつける。鞍馬山の天狗の兄分だとか。

中腹にある祈祷殿前駐車場。朱色の社殿、多くの神々が坐する。

のどかな田園風景に、突然現れる奇岩の山。びわ湖周辺が平坦な地なので 遠くからでも山がわかる。

鳥居前に駐車場がある。

石段 742段のはじまり。鍛錬によい。

中腹にも駐車場が乗り入れできる。それでも急な石段、259段を登らなければならない。

参集殿 宿泊ができる。

聖徳太子像

手すりがなくても登れるが、途中、高度感のある石段、手すりがないと危ない。

手水舎からは、みつくり山 十三仏 赤神山方面への登山口がある。

夫婦岩 幅80㎝

本殿 一段高いところにある。

下りの道 一願成就社

百度詣り

役行者像

不動明王

祈祷殿前からの展望。「かわらけ」投げをする的がある。


富士山本宮浅間大社


富士山本宮浅間大社 富士宮市宮町1−1

「富士本宮浅間社記」によれば、第7代孝霊天皇の御代、富士山が大噴火をしたため、周辺住民は離散し、荒れ果てた状態が長期に及んだとあります。第11代垂仁天皇はこれを憂い、その3年(前27)に浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮められましたのが起源。
その後は姫神の水徳をもって噴火が静まり、平穏な日々が送れるようになった。この偉大な御神徳は、万人の知るところとなり、篤い崇敬を集める事となる。富士山を鎮めるため浅間大神をお祀りした。

全国に約1,300社ある浅間神社の総本社、湧玉池の御霊水は「水屋神社」富士山の伏流水。カモがいる。木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)「浅間大神 (あさまのおおかみ)」瓊々杵尊(ににぎのみこと) – 木花之佐久夜毘売命の夫神。大山祇神(おおやまづみのかみ) – 木花之佐久夜毘売命の父神。を祀る。


奥千本「金峯山寺の蔵王堂」


吉野は 役行者

金峯山寺の蔵王堂の力を受けた時。センターサークルは 偉大な 底力を備えている。

紅葉 桜が群落しているので 春 秋は 花の宴に 文化財がはえる。

義経の隠れ塔

奥千本に、杉や桜の老樹におおわれて鎮座する古社。祭神は吉野山の地主神、金山毘古命。

中世以降は修験道の修行場で、藤原道長も祈願したと『栄華物語』に記されています。国宝・藤原道長の経筒を収蔵(京都国立博物館に寄託)。境内左の坂道を3分ほど下ると、義経が弁慶らと隠れた義経隠れ塔があります。

金峯山(きんぷせん)とは、吉野山から大峯山山上ヶ岳にかけての連山の総称で、古代より広く知られた聖域でした。白鳳時代(7世紀後半)、金峯山にて修行していた役行者は、金剛蔵王権現を感得されます。この姿を桜の木に刻んで、山上ヶ岳(現・大峯山寺)と吉野山(現・金峯山手蔵王堂)に祀られました。これが金峯山寺の草創と伝えられています。

明治7年(1874)、明治政府により修験道が禁止となって、金峯山寺も廃寺。しかし、12年後の同19年(1886)、寺として復興しました。昭和23年(1948)には、修験道を宗とする「金峯山修験本宗」の開教立宗を宣言。その総本山として今日にいたっています。

金峯山の蔵王堂(本堂)は、天正二十年(1592)に再建された安土桃山時代最大の建築です。檜皮葺き(ひわだぶき)で、高さが34mという巨大な木造建造物。国宝に指定されています。また、堂内には7m余の秘仏本尊・金剛蔵王権現が三体安置されています。

母子堂 金峯神社

金峯山寺の蔵王堂


草紅葉「車山高原」


草紅葉「車山高原」

車山高原は標高1925mを最高峰。初めて訪れた時は、7月下旬。ニッコウキスゲが最盛期で このあたり一面が黄色にそまる。
9月に草紅葉がはじまる。

車山には 御柱がある。天空の御柱として 登山者を守ってきた。


ムソルグスキー/組曲「展覧会の絵」


ムソルグスキー/組曲「展覧会の絵」

ムソルグスキー(1839‐1881) ロシア五人組の一人というが 独自性に富み孤高の存在でありつづけた。
レービンによる晩年のムソルグスキー肖像画。私が教科書でみた解説は、今ひとつだった。

アルコール依存で 狂気じみた 寂しい人生を終えたのであろうか。彼自身の癖なのか 時代がそうさせたのか。
彼が長生きしていたら ロシア音楽、歌劇はもっと変化していたにちがいない。彼が注いだのがロシアオペラだった。
写実主義のロシア音楽は チャイコフスキーともまた違い 前衛音楽の幕開けでもあった。
「ボリス・ゴドゥノフ」「蚤の歌」などインパクトのある曲を遺している。

出版や演奏会に恵まれず苦労したムソルグスキー。国民楽派のロシア五人組のなかでもひときわ異彩を放つ作曲家であった。

時代は、絶対音楽と標題音楽が混交する。彼は、現実主義で印象派風でもある。

驚くことに 組曲「展覧会の絵」はスタッソフに献呈された。個性的でテクニックが難しいので敬遠された。死後発見された遺作だった。誰もそう思わないだろう。
ラヴェルのオーケストラ編曲で 素晴らしい効果をあげ知られてゆく。テーマパークを通っていく 小品の数々は 子どもたちから大人まで
楽しめる芸術作品である。


プロムナードⅠ 変ロ長調 序曲 明るくはじまる「序曲」。ムソルグスキーがハルトマンの10枚の絵をみてまわる。
心境を音楽にしたもので間奏曲のようでもある。楽譜は 4分の5拍子と4分の6拍子が交錯しているが
ロシアには4分の5拍子の音楽は そこそこにある。

第1曲「小人」変ホ短調 巨人的な迫力のユニゾンと対比される小さな音

第2曲「古城」嬰ト短調 中世の古城で歌う吟遊詩人。月光が浮かぶようだ。

プロムナードⅡ 変イ長調 ある絵に心を奪われて立ち止まったかのように、ピッツィカートで歩みが中断される。

第3曲「チュイルリーの庭」「遊びのあとの子供のけんか」ロ長調 子供たちと女教師のいる公園の並木道が描かれている。

第4曲「牛車(ビードロ)」嬰ト短調 サンドミェシュのブィドゥオはワルシャワ南部の町。虐げられた人がひく牛車の重々しさが描かれている。

プロムナードⅢ 変ホ長調 柔らかな響き。転調。歩みをとめるムソルグスキー。

第5曲「卵の殻をつけたひなどりのバレエ」ヘ長調 ゲルバー(1831-1883)バレエ『トリル』画。ラヴェル版では、小太鼓の右のバチで太鼓の膜をたたき、左のバチで金属ワクをたたく

第6曲「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」変ロ短調 2枚の絵。毛皮の帽子をかぶった、ポーランドの金持ちのユダヤ人とゴールデンベルクはユダヤ人のムソルグスキーが描かれている。

プロムナードⅣ 変ロ長調 再起 力強く

第7曲 「リモージュの市場」変ホ長調 フランス南西部にある都市リモージュの市場で、フランスの女たちが言い争う様子が描かれている。

第8曲「カタコンブ―死者たちとともに死セせる言葉」イ短調 ロ短調 パリにある古代の地下廟を、ハルトマンが光を反射させている。
後ろ姿がハルトマンである。「カタコンブ」親友ハルトマンを追悼する。「プロムナード」の旋律で間奏。最後は、ハープの上行音と弦楽器のハーモニクスで透明。

第9曲「鶏の足の上の小屋」ハ長調 時計のデザイン画。ロシア民話の魔女、バーバ・ヤーガが住む鶏の足のうえの高床式の小屋。うすに乗って飛び回る魔女が描かれている。

第10曲「キエフの大門」変ホ長調 キエフは、ウクライナの古都で、かつてはロシアの首都。1866年「キエフの門」の設計図。中世のロシア正教会を思わせ、頂上には双頭の鷲が。幼子キリストを抱く聖母のイコンが。3つの鐘楼が見える。最後に、「プロムナード」の旋律が再現され、圧倒的な音楽は、鐘の強奏とともに、感動的な幕を閉じる。

 

https://youtu.be/1IOEZhogGzI

Alice Sara Ott – Mussorgsky – Pictures at an Exhibition

https://youtu.be/lgHG6TW8WG8

NHK Symphony Orchestra Valery Gergiev, conductor ロシアといえば レニングラードかサンクトペテルブルクかキーロフかマリインスキーか
歴史のあるオーケストラで指揮をつとめ重鎮である ヴァレリー・ゲルギエフがNHK交響楽団を指揮したときの演奏