「千二百羅漢」愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)(※あだし野念仏寺とは違います)
一つとして同じものはない。ほっこりする。
奥嵯峨野から15分くらい歩く。愛宕山神社の鳥居や平野屋を過ぎて寂しくなる。
愛宕山を登る道 清滝が目の前 喧噪を離れたところがよい。
奈良時代・天平神護2年(766)東山六波羅密寺付近に聖武天皇の娘、稱徳天皇(在位749-758)により創建された愛宕寺。
本尊は「厄除千手観音」また「火除地蔵菩薩」を祀る。鴨川の洪水により廃寺となってしまう。
それを復興したのが僧侶、千観内供(念仏上人)。愛宕山念仏寺とよばれるようになる。本尊を彫った。
この千手観音は、左右非対称の慈悲の姿をあらわしている。
大正11年(1922)に本堂が奥嵯峨野に移築された。また、昭和30年(1955)仏師西村公朝が住職を拝命し復興された。
この西村公朝氏は、東京芸術大学を経て三十三間堂の修復など昭和の大修理を成功させた人物。東京芸術大学名誉教授。
釈迦が入滅した時 五百名が集まり 後に七百名集まった事に因んだのか。
昭和55年(1981)仏師でなくても 仏像をつくることができると発願し、五百羅漢で満たそうと呼びかけた。
平成3年(1991)当初は、五百体だったが後に七百体を追加。「千二百体羅漢落慶法要」が十年をかけ厳修された。
平成3年(1991)「ふれ愛観音」をつくりお堂を建てた。目の不自由な方が触れてもよい、触れられる事を喜ぶ観音とある。
【これまで 仏様は拝むもので触れる事はご法度でした】※撫でてもよい仏は その旨説かれています。
静かなところ。時期は初夏。蛙の鳴く音がコダマする・・・大量にカタカタ・・・
帰ろうと思っても この鳴き声を聞くと 帰れなくなる。何とも風情がある。