Author: nishikunn

☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ

太郎坊宮・天狗


太郎坊宮 天狗 742段の石段

奇岩で突き出た山がびわ湖周辺にある。山には、神が宿る。赤神山には、太郎坊宮。天狗がいるとされた。

「阿賀神社」。 標高357mの赤神山の中腹にあり、社を守護する天狗「太郎坊」。 本殿の前には、神力によって左右に別れた奇岩「夫婦岩」がある。磐座として欽明天皇の時代に祭祀が行われていた。推古天皇の時代、西暦600年頃に箕作山に、聖徳太子が摂津国に建立する四天王寺で使用する瓦を焼くため瓦屋寺を創建し、箕作山の一峯である赤神山に正哉吾勝勝速日天忍穂耳命を祀る社を建立した。延暦18年(799年)、阿賀神社の神徳に最澄が薬師如来を本尊とする成願寺を阿賀神社の神宮寺として麓に建立。その際、役行者の兄弟子であり、赤神山にいた天狗の太郎坊が山上に現れ、この地に一宇を建立するよう最澄に告げ、山の守護神として手助けしたという。祭神「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)」で、母は天照大神。

山麓の登山口から742段の石段を上る。中腹の祈祷殿前まで車で行ける。そこからでも259段。

前から気になっていた太郎坊山。天狗とは、鼻が高い。上から目線にならないよう気をつける。鞍馬山の天狗の兄分だとか。

中腹にある祈祷殿前駐車場。朱色の社殿、多くの神々が坐する。

のどかな田園風景に、突然現れる奇岩の山。びわ湖周辺が平坦な地なので 遠くからでも山がわかる。

鳥居前に駐車場がある。

石段 742段のはじまり。鍛錬によい。

中腹にも駐車場が乗り入れできる。それでも急な石段、259段を登らなければならない。

参集殿 宿泊ができる。

聖徳太子像

手すりがなくても登れるが、途中、高度感のある石段、手すりがないと危ない。

手水舎からは、みつくり山 十三仏 赤神山方面への登山口がある。

夫婦岩 幅80㎝

本殿 一段高いところにある。

下りの道 一願成就社

百度詣り

役行者像

不動明王

祈祷殿前からの展望。「かわらけ」投げをする的がある。


富士山本宮浅間大社


富士山本宮浅間大社 富士宮市宮町1−1

「富士本宮浅間社記」によれば、第7代孝霊天皇の御代、富士山が大噴火をしたため、周辺住民は離散し、荒れ果てた状態が長期に及んだとあります。第11代垂仁天皇はこれを憂い、その3年(前27)に浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮められましたのが起源。
その後は姫神の水徳をもって噴火が静まり、平穏な日々が送れるようになった。この偉大な御神徳は、万人の知るところとなり、篤い崇敬を集める事となる。富士山を鎮めるため浅間大神をお祀りした。

全国に約1,300社ある浅間神社の総本社、湧玉池の御霊水は「水屋神社」富士山の伏流水。カモがいる。木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)「浅間大神 (あさまのおおかみ)」瓊々杵尊(ににぎのみこと) – 木花之佐久夜毘売命の夫神。大山祇神(おおやまづみのかみ) – 木花之佐久夜毘売命の父神。を祀る。


奥千本「金峯山寺の蔵王堂」


吉野は 役行者

金峯山寺の蔵王堂の力を受けた時。センターサークルは 偉大な 底力を備えている。

紅葉 桜が群落しているので 春 秋は 花の宴に 文化財がはえる。

義経の隠れ塔

奥千本に、杉や桜の老樹におおわれて鎮座する古社。祭神は吉野山の地主神、金山毘古命。

中世以降は修験道の修行場で、藤原道長も祈願したと『栄華物語』に記されています。国宝・藤原道長の経筒を収蔵(京都国立博物館に寄託)。境内左の坂道を3分ほど下ると、義経が弁慶らと隠れた義経隠れ塔があります。

金峯山(きんぷせん)とは、吉野山から大峯山山上ヶ岳にかけての連山の総称で、古代より広く知られた聖域でした。白鳳時代(7世紀後半)、金峯山にて修行していた役行者は、金剛蔵王権現を感得されます。この姿を桜の木に刻んで、山上ヶ岳(現・大峯山寺)と吉野山(現・金峯山手蔵王堂)に祀られました。これが金峯山寺の草創と伝えられています。

明治7年(1874)、明治政府により修験道が禁止となって、金峯山寺も廃寺。しかし、12年後の同19年(1886)、寺として復興しました。昭和23年(1948)には、修験道を宗とする「金峯山修験本宗」の開教立宗を宣言。その総本山として今日にいたっています。

金峯山の蔵王堂(本堂)は、天正二十年(1592)に再建された安土桃山時代最大の建築です。檜皮葺き(ひわだぶき)で、高さが34mという巨大な木造建造物。国宝に指定されています。また、堂内には7m余の秘仏本尊・金剛蔵王権現が三体安置されています。

母子堂 金峯神社

金峯山寺の蔵王堂


草紅葉「車山高原」


草紅葉「車山高原」

車山高原は標高1925mを最高峰。初めて訪れた時は、7月下旬。ニッコウキスゲが最盛期で このあたり一面が黄色にそまる。
9月に草紅葉がはじまる。

車山には 御柱がある。天空の御柱として 登山者を守ってきた。


ムソルグスキー/組曲「展覧会の絵」


ムソルグスキー/組曲「展覧会の絵」

ムソルグスキー(1839‐1881) ロシア五人組の一人というが 独自性に富み孤高の存在でありつづけた。
レービンによる晩年のムソルグスキー肖像画。私が教科書でみた解説は、今ひとつだった。

アルコール依存で 狂気じみた 寂しい人生を終えたのであろうか。彼自身の癖なのか 時代がそうさせたのか。
彼が長生きしていたら ロシア音楽、歌劇はもっと変化していたにちがいない。彼が注いだのがロシアオペラだった。
写実主義のロシア音楽は チャイコフスキーともまた違い 前衛音楽の幕開けでもあった。
「ボリス・ゴドゥノフ」「蚤の歌」などインパクトのある曲を遺している。

出版や演奏会に恵まれず苦労したムソルグスキー。国民楽派のロシア五人組のなかでもひときわ異彩を放つ作曲家であった。

時代は、絶対音楽と標題音楽が混交する。彼は、現実主義で印象派風でもある。

驚くことに 組曲「展覧会の絵」はスタッソフに献呈された。個性的でテクニックが難しいので敬遠された。死後発見された遺作だった。誰もそう思わないだろう。
ラヴェルのオーケストラ編曲で 素晴らしい効果をあげ知られてゆく。テーマパークを通っていく 小品の数々は 子どもたちから大人まで
楽しめる芸術作品である。


プロムナードⅠ 変ロ長調 序曲 明るくはじまる「序曲」。ムソルグスキーがハルトマンの10枚の絵をみてまわる。
心境を音楽にしたもので間奏曲のようでもある。楽譜は 4分の5拍子と4分の6拍子が交錯しているが
ロシアには4分の5拍子の音楽は そこそこにある。

第1曲「小人」変ホ短調 巨人的な迫力のユニゾンと対比される小さな音

第2曲「古城」嬰ト短調 中世の古城で歌う吟遊詩人。月光が浮かぶようだ。

プロムナードⅡ 変イ長調 ある絵に心を奪われて立ち止まったかのように、ピッツィカートで歩みが中断される。

第3曲「チュイルリーの庭」「遊びのあとの子供のけんか」ロ長調 子供たちと女教師のいる公園の並木道が描かれている。

第4曲「牛車(ビードロ)」嬰ト短調 サンドミェシュのブィドゥオはワルシャワ南部の町。虐げられた人がひく牛車の重々しさが描かれている。

プロムナードⅢ 変ホ長調 柔らかな響き。転調。歩みをとめるムソルグスキー。

第5曲「卵の殻をつけたひなどりのバレエ」ヘ長調 ゲルバー(1831-1883)バレエ『トリル』画。ラヴェル版では、小太鼓の右のバチで太鼓の膜をたたき、左のバチで金属ワクをたたく

第6曲「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」変ロ短調 2枚の絵。毛皮の帽子をかぶった、ポーランドの金持ちのユダヤ人とゴールデンベルクはユダヤ人のムソルグスキーが描かれている。

プロムナードⅣ 変ロ長調 再起 力強く

第7曲 「リモージュの市場」変ホ長調 フランス南西部にある都市リモージュの市場で、フランスの女たちが言い争う様子が描かれている。

第8曲「カタコンブ―死者たちとともに死セせる言葉」イ短調 ロ短調 パリにある古代の地下廟を、ハルトマンが光を反射させている。
後ろ姿がハルトマンである。「カタコンブ」親友ハルトマンを追悼する。「プロムナード」の旋律で間奏。最後は、ハープの上行音と弦楽器のハーモニクスで透明。

第9曲「鶏の足の上の小屋」ハ長調 時計のデザイン画。ロシア民話の魔女、バーバ・ヤーガが住む鶏の足のうえの高床式の小屋。うすに乗って飛び回る魔女が描かれている。

第10曲「キエフの大門」変ホ長調 キエフは、ウクライナの古都で、かつてはロシアの首都。1866年「キエフの門」の設計図。中世のロシア正教会を思わせ、頂上には双頭の鷲が。幼子キリストを抱く聖母のイコンが。3つの鐘楼が見える。最後に、「プロムナード」の旋律が再現され、圧倒的な音楽は、鐘の強奏とともに、感動的な幕を閉じる。

 

https://youtu.be/1IOEZhogGzI

Alice Sara Ott – Mussorgsky – Pictures at an Exhibition

https://youtu.be/lgHG6TW8WG8

NHK Symphony Orchestra Valery Gergiev, conductor ロシアといえば レニングラードかサンクトペテルブルクかキーロフかマリインスキーか
歴史のあるオーケストラで指揮をつとめ重鎮である ヴァレリー・ゲルギエフがNHK交響楽団を指揮したときの演奏


2022.6.9(木)13:00「おきがるタイム」vol.221


2022.6.9(木)13:00「マコルネのおきがるタイム」シャンソン・昭和歌謡・アコーディオン FM816 パーソナリティ マコルネがお届けします。
【ネットラジオの視聴方法がPC・スマホ・タブレット共通に】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

【予定曲】ホタル あじさい娘 シェルブールの雨傘 碧空 小雨降る径 ボンネットに太陽 Over the Rainbow 夏の思い出 手のひらを太陽に 城ヶ島の雨 金毘羅船々 アカシアの雨がやむとき

【コラム】6月です。梅雨入り間近ですが、紫陽花が咲き始めました。


2022.5.30「編集長の仕事」2022


編集長の仕事2022 機関誌56号発刊 2022.5.30

2022年度、編集長の仕事がはじまりました。5月30日、8月30日、11月30日、1月30日に発刊される機関誌・会報32ページですが、内容は一字一句足りとも気がぬけません。
これまで 機関誌54号、会報75号、機関誌55号、会報76号を担当し、一年やりぬきました。今年度も担当することになりました。発行日の3週間前から1週間は緊張状態が続きます。とにかく原稿の収集から確認作業が1日で多い時は30人ぐらい多くの画像を交えながらやりとりするので、判断力と集中力のタフさが必要です。

もちろん、編集人として、記事を書く人として、何ページか執筆します。ページのレイアウトも作業します。画像の最適化や、アナログから文字起こしなど。リサーチもあります。今回は、告知、目次、編集後記、自分のプロジェクト「ウクライナ情勢」の事です。

特に校正作業、それぞれのページの掲載者、執筆者に連絡し、作業をすすめます。執筆者が慣れていない場合、連絡が遅れたりで、校正がすすんだ段階で送られてくることもあり調整が必要、また、行事などの未確定の情報を校正をすすめながら記事を確定する場合があります。通常なら校正1,2で初期段階のなおしで3でなおっていれば4で「念校」で「校了」「責了」でデザイナーが入稿最終確認し入稿となります。この間、ディスプレイ上の原稿確認や出力して確認もするので、印刷部数もこの1週間で200ページほどになります。一字一句を最適化します。最近多いのがHPへのリンクやスマホ用にQRコードからダイレクトにリンクするものが増えてきました。なにげなく使用できるようになっています。パソコンでも検索でみつけたりで、URLを直打ちするのも少なくなったかもしれません。伝え方は、時代ともに変わっていきます。

3か月に一度、情報を発信し「アーカイブ」することがとても大事な事だと考えています。

表紙デザインが気に入っています。


世界遺産 「大峯奥駈道」大峯山 1719m


大峯山(1719m)山上ヶ岳(さんじょうがだけ)世界遺産「大峯奥駈道」

ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道(きいさんちのれいじょうとさんけいみち)」の構成資産の一部として2004年(平成16年)7月7日に登録。3つの霊場(吉野・大峯、熊野三山、高野山)と参詣道(大峯奥駈道、熊野参詣道、高野山町石道)が対象。修験道の根本道場である金峯山寺(きんぷせんじ)がある吉野山と熊野を結ぶ全長80kmの修行道。飛鳥時代から奈良時代の呪術師、役行者(えんのぎょうじゃ)(634-706)が開創した。大峯奥駈道には75の靡(なびき)行場があり、修験者は山上ヶ岳山頂の大峯山寺(おおみねさんじ)が戸開けされる5月3日から9月23日の戸閉めまでの間に奥駈修行を行う。ちなみに「大峯」は大峰山脈(吉野~熊野)のことを指し八経ヶ岳(はっきょうがだけ)(1915m、最高峰)弥山(みせん)(1895m)釈迦ヶ岳(1800m)大普賢岳(1780m)をはじめ、南端の玉置山(たまきやま)(1076m)北端の青根ヶ峰(858m)などが連ねる。深田久弥が選定した日本百名山には大峰山(1915m)とあるが、狭義的には山上ヶ岳(1719m)である事から、大峰山脈縦走路の八経ヶ岳(1915m)を指すとみられる。深田は、山上ヶ岳から大普賢岳、弥山、八経ヶ岳を縦走したのだった。そのため、山上ヶ岳は百一番目の山として認知されるだろう。なお、大峯山は女人禁制なので稲村ヶ岳(1726m)が【女人大峰】として登山されている。大橋茶屋手前の「エコミュージアム駐車場」か母公堂からが登山口。

山頂1700mに5つの宿坊があり、龍泉寺、櫻本坊、竹林院など立派。大峰山寺の瓦もそう。どうやって資材を運びあげたのか。ただただ驚くのは、この登山道は、ゴミひとつ落ちていない。ゴミ箱も置いてないので、持ち帰りが徹底されていると思う。途中、洞辻茶屋で食用のタマゴの殻のゴミが置いてあったくらい。山は神が宿るもの。登山が観光用であっても神聖な場所に登る事を心得て入山されてほしいと思う。もうひとつ、素晴らしいのは自然。大峯山脈は標高1300m~1900mで山は険しいのだが、高山植物の宝庫でもある。特に、苔の森があり、フィトンチッドの香りがする。白駒池に代表される八ヶ岳だけではない。紀伊山地(台高山脈、大峰山脈)の大杉谷をはじめとする苔の森、鈴鹿山脈のイブネなど、希少価値の森が存在することを忘れてはならないと思う。

清浄大橋より大峯山《山上ヶ岳》

「西の覗き」から《女人大峯》「稲村ヶ岳」と尖がりの大日山

コース《清浄大橋》標高差806m 往き198分 下り143分[標準タイム 往き190分 下り150分]距離 片道5.57㎞ 往復11.4㎞ 西の覗きから大峰山寺へがわかりづらい。

清浄大橋(913m)6時38分 一ノ世茶屋(1000m)6時46分 一本松茶屋(1080m)7時15分 お助け水(1355m)7時52分【洞辻茶屋】(1484m)8時23分 陀羅尼助茶屋 8時44分 【往き】《油こぼし》8時59分 鐘掛岩(1632m)《西の覗き》(1650m)9時31分 大峰山寺(1719m)9時56分 山頂(お花畑)10時
【帰り】大峰山寺10時24分 ⇒【下り 平成新道】⇒ 陀羅尼助茶屋 ⇒《洞辻茶屋》⇒ お助け水 ⇒ 一本松茶屋 ⇒ 一ノ世茶屋 ⇒ 《清浄大橋》12時47分

・清浄大橋 遥拝所がある。女人禁制結界門のひとつ。
・一ノ世茶屋跡 祠がある。祀っていた役行者像が持ち去られ持ち主に返っていない。罰当たりめ。どうしても欲しいなら、像を製作家につくってもらい購入したらいい。
・一本松茶屋 アーケード方式?の小屋で行者講の休憩所
・お助け水 ルートのほぼ半分。ありがたい湧き水。
・七曲り 沢沿いから標高をあげ九十九折に登る
・洞辻茶屋 大峯奥駈道と合流
・じゅるみ 謎の地点
・陀羅尼助茶屋 立派な小屋
・松清小屋 往き、下りの分岐道。滑落事故が多いので慎重に。救護所がある。
・油こぼし 3か所の鎖場、高度50m。「よく滑る」意味。強風、霧、雨天などは細心の注意が必要。私は、鎖を使えるところは使いながら足場を確保する。一つ目は難易度が低かった。二つ目は三点保持で攀じ登った。イワカガミ群落に感動。ここと「西の覗き」周辺だけ。三つ目は角度があり、鎖を引っ張りコントロールしながらうまくいった。しかし、左に巻く道があるから大丈夫。下を見たが森の景色なので恐くない。槍、赤岳などの「鉄の階段」の方が恐い。
・鐘掛岩 行場のひとつ、奇岩。高度感がある。
・西の覗き 日本三大荒行(大峰山、出羽三山、英彦山)の一つ。 命綱一本、断崖絶壁から上半身を乗り出し、不浄を払って生まれ変わりを願う。向かいの絶壁の巨岩の迫力。先達の「言う事聞くか!絶対守れるか!」「ハイ、守ります」と言わないと。もし、やめられない事があったらここに来るとよい(笑)【死んでも治らないものはどうしようもない】
・大峰山寺 役行者がここで修行し感得し金剛蔵王権現を本尊として開山し1300年。役行者像(神変大菩薩)を祀る。
・お花畑 ササ道、景色がよい。大日山、稲村ヶ岳もよくみえる。

富士山・白山・立山そして比叡山・高野山などかつて霊山は「女人禁制」だった。現在の女人禁制は、大峰山の山上ヶ岳と岡山・兵庫県境の後山の道仙寺奥の院の「行者道」など。その名残がある。ひとつが山上ヶ岳と「母公堂(ははこどう)」役行者の母がここに留まった。他に、高野山と「慈尊院(じそんいん)」弘法大師の母がそこに留まった。山は風紀を乱さないために戒律をまもらせた。その中には「不邪淫」または生傷を負うものは神域立入を禁ズなど他にもあるかもしれないが。山は神聖なもの。白い装束で行に臨むのも、清浄を維持するため。だからといって、女人が否定されているのではない。女性を貴ぶのは、もちろんの事。むしろ、女性を守るためである。山行場には危険が伴うのであった。

大峰山寺 7世紀末に修験道の祖である役行者(634-706)が、金峯山で千日修行を積まれ感得され、蔵王堂を建てたのがはじまり。
本尊は、金剛蔵王権現 また、神変大菩薩(役行者)が祀られている。

登山口に入る前に道の駅「黒滝」で準備。

山上ヶ岳登山口 大橋茶屋の駐車場 駐車料をポスト投函する。

レンゲ辻方面は林道を通り終点に駐車場がある。しかし、登山道が急坂で不明瞭であるため、上級者コースとなっている。
突き当りのレンゲ辻で左手に山上ヶ岳に行けるが、登りで利用するのをほとんどみたことがない。下りは利用する人がいる。右手に稲村ヶ岳への道で山上辻に行ける。

清浄大橋 渡ったところに「遥拝所」があり、無事登山できる事を祈願する。

女人結界門 ここ清浄大橋と他に五番関、レンゲ辻、阿弥陀ヶ森にある。

杉林の中、樹林帯をすすむ。

一ノ世茶屋跡(1000m)

一本松茶屋(1080m)

 

お助け水(1355m) ありがたい力水。飲めるかは掬ってから確認。ルートのほぼ半分(90分)あと1時間ほどで核心部分に到達予定。

沢沿いと平行に登るが、高度差が出てくる。七曲りで九十九折の道に。

二少年遭難碑

【洞辻茶屋】(1484m) 大天井ヶ岳方面、五番関へとの分岐

気温12℃ 風はほとんどない。インナー着ているので寒くなく丁度よい感じ。汗もかかない。

不動明王像

陀羅尼助茶屋

松清店 「救護所」担架運ぶ場所がある

ここから分岐《往き》油こぼし 鎖場3か所 鐘掛岩 ※下りでは使用できません。
《下り》平成新道 急な階段 実は、滑落事故のほとんどがこの場所で起きていることから、慎重にケガのないように。

この階段は急すぎて、体を前傾で板を掴むような感じだった。

鎖場1

鎖場2 攀じ登った

二つ目の鎖場を登ったところにイワカガミ群落が。鮮やかな色で。なんでここにだけ咲いているかな。

鎖場は終わったが見上げるような急坂が続く。

鐘掛岩(1632m)

分岐から合流、ここからはなだらかに。岩盤むき出しの道がある。

西の覗き(1650m)(先達の指導による)捨身行。逆さ吊りで崖下手前にせり出す。

《西の覗き》大日山 稲村ヶ岳

金剛山方面

 

アップダウンの道、山門、ここから大峰山寺の神域。

岩場の道を抜けると突然宿坊が複数みえる。

宿坊の奥に大峯山寺がある。

桜本坊 吉野にもあるけど、大峰山のはこれまた立派な。

目標の「大峰山寺」山頂が

大峰山寺(1719m)

大峰山寺 本堂内陣撮影禁止 神変大菩薩(役行者)像が祀られている。また「裏行場」がある。

山頂(1719.2m)標示

ササ道。目の前の尖がりは、大日山と《女人大峯》稲村ヶ岳

山頂(お花畑)

イワカガミ 特に大型のもの 鮮やかで葉っぱもつるつる。

ウマノアシガタ シロツメグサ《クローバー》の横に咲いているのでなんだか不思議。

森の匂い

苔の森


伊吹山1377m「花の百名山」日本武尊


伊吹山 標高1377m  滋賀県・岐阜県の山 百名山 花の百名山 伊吹山地に属する霊峰。伊吹山の神「伊吹大明神」は大蛇とされる。『古事記』『日本書紀』によると、景行天皇の第2皇子、日本武尊(ヤマトタケル)が東征の帰途、伊吹大明神と戦って返り討ちにあい米原市醒ヶ井の「井醒の清水」で回復したが大和へ帰る途中、三重県亀山市能褒野(のぼの)で亡くなられたと記されている。戦国時代、織田信長は薬草園をつくらせた。1956年、近江鉄道がスキー場を開業したが、2005年頃撤退し、2010年休止。このところの登山ブームで年々、登山客が増えている。登山口は滋賀県米原市からの上野【表登山道】、上平寺など。伊吹山ドライブウェイを利用すれば、岐阜県関ケ原町から山頂駐車場のある九合目まで乗り入れできる。駐車場から山頂までは中央登山道、西登山道などのハイキングコースが整備されている。周囲に大きな山がなく、360度のパノラマ。びわ湖に浮かぶ竹生島が遠く望める。

片道6㎞ 往復12㎞【標準タイム】往き4時間10分 下り2時間30分 メリハリのきいた登山道。七合目、八合目の岩場がポイント。
登山口 5時25分 山頂 8時35分【休憩25分】下山開始 9時【休憩30分】登山口 12時20分 滑ったり転倒なし。股関節に負担が。ストックは重要。
トレーニングできてよかった。12㎞、標高差 1200m 7時間でも疲れない。しかし、朝早くが必ずしもよかったのか。気温的にはよかったが眺望的には午前9時頃から登るとよかったのかな。しかし、暑くなるし帰りが夕方になる。暑い状態での登りはやっぱりしんどい。これはこれでよかった。

登山口 標高220m 標高差 1157m 登りがいのある山。
1合目 標高420m 0.9km 幅の広いゆるい傾斜でザレた樹林帯の道。伊吹高原荘がある。
2合目 標高580m 0.8km 野天で直登の道。ペースがおちる。
3合目 標高720m 0.7km トイレあり 下り60分 登り190分 の標示 野草観察路あり
4合目 標高800m 0.7km え~短いよぉ。3合目からポイントがみえている。
5合目 標高880m 0.5km 自動販売機あり。旧スキー場と平行に登る道。
6合目 標高990m 0.5km 狭くなりザレた道。ここから九十九折の道。
7合目 標高1080m 0.5km 角度が急、岩場で見上げるような道が続く。ここが一番しんどいところ。
8合目 標高1220m 0.5km 厳しい道、ところどころ岩場が。なだらかなところもある。
9合目 標高1300m 0.4km 伊吹山ドライブウェイ山頂駐車場からの登山道が合流し山頂へ。お花畑。
山頂 標高1377m 伊吹山寺「日本武尊」像、弥勒菩薩像。

ひときわ雄大な山容「伊吹山」滋賀県側は「いぶきさん」、岐阜県側は「いぶきやま」と呼ぶようだ。

石灰質の山、つまり古代は海だった。カルスト地形が印象的。平野部での天気予報は午前9時頃から晴れ。しかし「てんくら」では、風速14m、嘘だろう。やめといたほうがいいのかな。午前5時、登山口は曇り、時雨も降った。なんかおかしいぞ。まあ、登っていればそのうち晴れるかな。一合目は、幅広のザレた道で樹林帯で標高200mほどあげていく。30分ほどかかった。二合目へは、野天に出てザレのまっすぐ登る道は地味にしんどい。三合目、ここでほぼ半分かな。そこからだだっぴろい道で四合目が見えている。距離はそんなになく拍子抜けするが急登への前触れだった。右に巻くと旧スキー場の斜面と平行な道。急登への導き。五合目に到達。自動販売機がある。ここから寒くなってきた。六合目、ガスで視界が悪くなる。お昼頃、気温があがると思っていたが、低いまま。七合目「岩登り」が数か所あり、登山道にロープがはってある。強風が出てきた。休憩できるスペースがない。八合目は、強風が凄くて鳥も鳴かない。視界が悪く、寒い。一時、霰が舞ってきた。このままだと低体温症か。パフォーマンス低下。この頃が、一番退屈で歩みが遅くなる。2枚着こんだ。ブレーカーやインナーは必要だ。最後の岩登り。ところどころゆるやかになっているが角度がある。一歩一歩ずつゆっくりでもすすめれば九合目につくだろう。九合目で道はなだらかになった。雨は降っていないもののガスと強風。お花畑は少しだけみられた。そして山頂。あの日本武尊の像。自分の足でここまで来た事は感動。景色は?ガスで何も見えない。頂上付近の風速14mは本当だった。なにか温かいものが欲しい。売店や山小屋があるが、開店前で1軒のみ雑貨店がオープン。20分ほど展望がなくてウロウロしたが、猛烈な風のところに長くはいられない。午前9時から下りる。角度のあるザレ道に対し膝に負担がかからないよう転倒しないように慎重に歩く。七合目で徐々に景色がみられた。平等岩もはっきりとみえた。伯耆大山のような雰囲気。しかし、九十九折は白山のようでもあるが、ここは水飲み場がない。二合目に到達する11時30分には晴れて暑くなってきた。

花の百名山であり、植物が400種類以上植生していて、オドリコソウ、ウマノアシガタ、希少動物ウスバシロチョウがいた。

かえりは道の駅「そばの里」伊吹のそば処「伊吹野」で、彦根の「かつさと」味噌カツがいいね。

三之宮神社 起点

上野登山口インフォメーション 隣に民宿があり自動販売機、トイレもある。駐車料と入山協力金をポストにいれるかたち。登山届をポスト投函。

一合目 旅館「伊吹高原荘」自動販売機がある。おばあちゃんがいて話かけられる。「伊吹山は面白い山だよぉ~」。この旅館、大きめの施設でホールも完備。合宿にいいな。

二合目 ベンチがある。

三合目 トイレあり。植物観察エリアはシカ害を防ぐため、防護柵の中にある。ここまでタクシー専用林道で乗り入れできる。距離を少なくするには、ひとつの方法。

三合目 標柱には 登り3.6㎞ 190分 下り2.4㎞ 60分とある。つまり、山頂の標柱は下り150分だから、三合目までは90分ということになり、急坂であることがわかる。

四合目が拍子抜けする。近すぎるでしょう(笑)。実は700m歩いているらしい。この後、急登の前触れ。

五合目は、右に巻き、旧スキー場の斜面に沿って登る道。

五合目に自動販売機がある。ありがたい。

六合目には立派な避難小屋がある。

九十九折の登りだが、角度は急でない。

七合目 この辺りから角度が急になり、岩場が増えてくる。

角度のある岩場は、滑落に注意。一番しんどいところ。それにしても寒い。

八合目。キツイところを超えた。山頂まで1㎞をきった。見上げるような角度はまだ続くが、なだらかなところも出てきた。

岩場の急登。ロープがはってある。三点保持で重点移動。ストックは使わない。

九合目 伊吹山ドライブウェイ山頂駐車場からの西登山道と合流。なだらかな道で山頂へ。

山頂がみえてきた。伊吹山寺(覚心堂)仁寿年間(851~854)に三修上人が開山。昭和60年、吉田慈敬師が伊吹山寺を再建した。

山頂 1377m ピクスポット この時間、売店はほとんど開いてなかった。

山頂の標柱とあの有名な「日本武尊」の像がみえてきた。

山頂「日本武尊」像 日本神話 東征後、大蛇とたたかい返り討ちにあい、醒ヶ井の井戸の水で回復した。が、大和に帰る途中、三重県亀山市能褒野で没した。
白鳥となり、奈良県御所市と大阪府羽曳野市に陵墓がある。

山頂 弥勒菩薩像。何億年後かに衆生救済されると。

下り七合目から眼下、坂はきつくない。白い建物は6号目の小屋。

天気回復、灌木が少し生えている程度で、草原。

平等岩

湖東地区 竹生島

オドリコソウ

ウマノアシガタ

ウスバシロチョウ


いそのかみ 烏骨鶏


いそのかみ神宮 烏骨鶏(うこっけい)朝参り 「日本書紀」に記述されている「神宮」は、伊勢と石上だけ。日本最古。

季節の変わり目や気候変動や天変地異の前兆など、目にみえないところで人の心、体に負担が生じているようだ。
昔は、月3回(上旬、中旬、下旬)のお参りとしていた。氏神様へは日参りもあったとか。せめてもの、月参りはできうれば続けたい。
また、年2回の大祓も大事とされてきた。遥拝所でなくとも、鎮守の神様へお参りするのが神道としての習慣であった。

年中行事「五節句」で邪気をはらうのが日本の伝統でそれにより災厄を避け護ってきたが、昨今の世の中、自然やみえないものに畏敬を感じない人が多くなり災害が増えたという指摘がある。心構えが大切。

ここでは「朝参り」を推奨しているそう。烏骨鶏、長鳴鶏(ながなきどり)の一種の東天紅(とうてんこう)は縁起がよい。
「コケッコー クックッ・・・」

私は、お参りにあがる前に、必ずコップ一杯の水を飲んでから。背筋をピンとしてゆっくり呼吸し参道をすすむ。
必ず、15分以上は境内にいるようにする。場合により、1時間ほどいるようにしている。
神域の周囲を歩いたりもする。御神木や御神体などいろいろとみることができる。

いそのかみ神宮(五十のいろは)ことたまを大切にする。略拝詞で唱える事。「祓え給え、清め給え、守り給え、幸へ給え」
出雲健雄社 草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒魂(あらみたま)である 出雲建雄神(いずもたけおのかみ)を祀る。布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)の御子神。

七支刀【国宝】十種神宝(とくさのかんだから)
七支刀は『日本書紀』に神功皇后摂政52年に百済から献上された「七枝刀(ななつさやのたち)」で、西暦369年の絶対年数を現す日本史の最も古い資料とされる。

布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)は、天十握剣(あめのとつかのつるぎ)に宿る神。天十握剣とはスサノオが、出雲の国でヤマタノオロチを退治したときに使った剣。ヤマタノオロチを退治したときに尾からでできたのが三種の神器”草薙の剣”。天十握剣は実在し本殿に祀られている。

 

 

雛が6羽 ここの鶏は跳ぶ。木の上、低木の上にとまり夜過ごしている。

花手水

イチイガシの木

出雲健雄社

七座社

禁足地 ここの気が充溢している。立入禁止。最初にお参りするはずの「祓所」がこの先にある。

時期は5月、竹林にタケノコが。長いのも、短いものも。たくさん生えていた。

白河天皇が寄進した拝殿。宮中三殿の一つ、神嘉殿を模している。荘厳。