Author: nishikunn

☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ

2021.11.30JAA「機関誌55号」発刊 日本アコーディオン協会


2021.11.30JAA「機関誌55号」発刊 日本アコーディオン協会

本日、手元に届きました。日本アコーディオン協会機関誌アコーディオニスト55号 全28ページ
楽器界、アコーディオンという楽器では日本唯一のNPO法人、世界のアコーディオン協会とも共有しています。

今年3月から編集長を任せられつとめてきました。5月 機関誌54号 8月 会報75号 11月 機関誌55号
三つ無事終える事ができました。

3月にこの話が出た時は、スケジュールがどうなるのか多少不安でした。なぜならページ数、それ以上の原稿作成に関わった方と
タイムリーにコンタクトを交わし、密にコミュニケーションしなければなりません。特に校正から入稿に関わる時期は一字一句まで徹底的に内容に拘り
修正・確認します。徹夜はしたくないのですが、気づいたら朝になっていた事もあります。入稿が決まると一安心です。

発刊で終わりではありません。関係各機関へ出来栄えについてご意見をいただいたり・・・
もちろん、校閲の検証も必要です。

とにかく一年、一通りの事をやるだけです。行事や記事の季節性があるので、それを踏まえ、次回の会報76号に向けて動き出しています。
次回は、1月30日発行予定なので 1月中旬のスケジュールがタイトになります。

今回のトピックとして PIF国際コンクール(イタリア、カステルフィダルドで開催)、CMA世界コンクール(オンライン開催)の情報を掲載しています。
機関誌のお求めは、日本アコーディオン協会 事務局まで 03-5909-3187 FAX 03-5909-3196 メール jaaoffkw@npo-jaa.jp


2021.12.12「クリスマス演奏」


2021.12.12「クリスマス演奏」

2021年 来週から12月 師走です。コロナ禍で、演奏依頼が一時、激減しましたが、今は少しづつ増えてきています。
マスク着用、手指消毒、体温測定など基本的な感染対策は続けましょう。

近々、クリスマス演奏をします。当日、会場でお会いになる方、よろしくお願いいたします。


苗名(なえな)の滝の虹、黒姫山


苗名(なえな)の滝の虹「ウォーターフォール」黒姫山

新潟県と長野県の境にある滝で、妙高高原からアクセス。滝の轟音から地震滝とも謂われる。

黒姫山からの溶岩が関川をせき止めたことで形成された。マグマが冷却されたときにできた、柱状節理が良く発達していて壮観。滝口に岩があり、左右に分かれていた滝が、高田藩が伐採した木を流したところ岩が欠けてしまい現在に至る。落差55mで大規模。轟音が「地震=なゐ」のようであり「なえな滝」そして「苗名滝」となった。古くから知られていて、1800年代の文人画家により多くの作品が遺されている。小林一茶も一句詠んでいる。1995年7月、梅雨の豪雨で地震滝橋が流された。対策のため関川1号砂防えん堤が下流に建建設。売店「苗名滝苑」があり、名物「流しそうめん」が楽しめる。

滝の入り口駐車場からは「徒歩15分 500m」とあるが15分では着かないでしょう(笑)。(何も注意書きがないので)平坦な観光道路と思ったらそれは違う。サンダルは不可でハイキングシューズが必要な登山道のようだ。一つ目の大きい吊り橋は難なく渡れたが、二つ目の小さな吊り橋が幅が狭く対向はできない。次々、人が渡ろうとするので揺れる。高度感があり恐い。子ども園の遠足か園児の団体が吊り橋の向こうにいた。

ツアー客の団体とすれ違いに話を。80歳になるおばあちゃん。やせ細っている。段差のあるハイキング道を歩いて来た。添乗員が「先に行かないでここらで待っていてくださいね」という。多分、200mの標示板を見たからだろう。「娘2人が滝を見に行って写真を撮ってくれるのでそれでいいかな。」もう一人は、70歳後半の方「吊り橋まではあとどれ位?段差の道がキツいわ。滝が見えて来たから私はここまででいいかなって。滝を背景に写真撮ってもらえませんか?」はい、わかりました。

小林一茶 詠み「瀧けぶり 側で見てさへ 花の雲」の石碑が。

一見の価値がある。観光用でここまで見られる滝はそうない。称名の滝(ハンノキ)、那智の滝は素晴らしい。袋田の滝、いつか雪の時期に見たい。中の滝、幻の滝(御嶽山、富士山)がいつか見れるかな。富士山の湧き水から「白糸の滝」軽井沢の「白糸の滝」も趣があった。

一つ目の大きな吊り橋を渡る時にただものでない予感、大きな滝だろう。砂防堰の奥に滝があるのはわかっているが、この景色がよい。4Fの高さになる階段を登りきり、遊歩道に接続。大岩が見え段差の道にさしかかりそこを込めると遠目に滝が見えてくる。二つ目の吊り橋まで近づく。私は吊り橋は渡らず、登山道の脇道を進む。一つ目の大岩を超えて見える場所から大迫力。虹はうっすらと。二つ目の大岩を超えて見える場所からがベストだった。虹が鮮やかに見え横幅も写真に収まる。さらによく見える場所があるのだが、足場が斜めで、写真に入りきらない。一歩間違えれば滝つぼに落ちる。

紺碧の空と紅葉と滝の絵図が絶妙。そこにみた「虹」が凄くて・・・佇んでいたい。軽井沢千住博美術館で「ウオーターフォール」を鑑賞した後だからこそ。

シーズンはすでに終わっていた。売店「苗名滝苑」。11月上旬から4月中旬は冬季休業。積雪時、現地に入る事ができるかは確認してからの方が。

この砂防堰が巨大でこれが一見の価値がある。

この階段が意外にキツい。

ここから300mだと。

あと200m。これをみた時、それ以上進もうと思うかな。この先に滝見があるので足元気を付けて。

小林一茶 詠み「瀧けぶり 側で見てさへ 花の雲」の石碑

滝見の場所。轟音が聞こえている。

大きな滝のあるところは巨大なV字谷や断層があるので日陰が多い。

この吊り橋が恐い。私は、渡らず脇道を進んだ。

大岩の間をぬって瀧見の最前線に向かう。川の水が浸みているところがあり足場がよくないが絶景。

この時期はまだ流量が少ない。雪解けの時期は。地響きがするほど凄い音がするんだとか。

滝つぼが大きい。柱状節理が芸術的。そして、虹。


千住博美術館(軽井沢)と高野山金剛峯寺


千住博美術館 軽井沢にある 自然光を取り入れた斬新なミュージアム。館長は品川惠保。設計は西沢立衛。12月26日〜2月末日は冬季休館。

千住博といえば「ウォーターフォール」という岩絵具を使った絵画が世界的に知られている。

2018年 「高野山金剛峯寺 襖絵完成記念 千住博展 ―日本の美を極め、世界の美を拓く―」 を開催。2020年高野山金剛峯寺へ奉納する襖絵を、先駆けて展覧会で紹介
2021年1月NHKスペシャル「高野山 千年の襖(ふすま)絵 空海の世界に挑む」が放送。

ずっと気になっていたミュージアム。2020年、金剛峰寺を訪れた時、襖絵を拝見した。「1000年」続く絵画として遺ることが望みだとうかがいました。
千住博氏の襖絵とフォールの世界。

「フォール」は滝だが、もうひとつは「秋」でもある。
滝は自然芸術。滝を構成する要素はさまざま。河川や湖の一部が段差になっていて落差が5mを超え、絶えず水が流れているもの。落差のための「崖」がなくてはならない。あるいは渓谷、断層も関係する。滝つぼはもちろん重要。大岩も自然にできたもの。・・・秋の紺碧の空に映える。白糸の瀧や苗名の滝をイメージしていた。

千住博氏の芸術は、自然物を超える何かがある。


「戸隠そば」蕎麦フルコース 蕎麦打ち・・・


戸隠そば 岩手県のわんこそば、島根県の出雲そばと共に、日本三大そばの一つ

山岳信仰の戸隠には、古くから修験者が多い。彼らの食料として、そばが戸隠にはあった。それは「そばきり」ではなく、蕎麦がきやそば餅であったと考えられている。
新そばは、冬の頃が美味いとされている。

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この山岳という言葉にあるように 国土の70%は「森」である日本で、主食の米で生活できるところは大河川の扇状地や河岸段丘などで栽培された。治水が課題で蛇行する河川でたびたび洪水が起き、不作になる事もあった。幕府や大名は、城下町に水路を引いたりため池をつくったりしあるいは利根川にあるような河川の付け替えなど治水に取り組んだ。山間部では蕎麦が主食となった。全国の有名な蕎麦の産地は江戸時代に開かれた。出雲蕎麦は、松本藩から出雲藩へ。会津蕎麦は、高遠藩から会津藩へ、出石蕎麦は、上田藩から出石藩へと伝わった。蕎麦は、干ばつに強く、栄養価に優れている。

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「戸隠そば博物館とんくるりん」そば打ち体験ができる。団体予約もできる。食事は10時~15時、冬期11月末から4月中旬はお休み。

そば御膳 ざる蕎麦、そばがき、そば団子、薄焼き、そばと紫蘇のゼリー。お蕎麦のオリジナルフルコースを堪能。

定員と話。
韃靼人のそば茶をいれてきます。
「ありがとうございます。あ~知っていますよ。食べました。パスタのような蕎麦でした。ざるに入ってなくてね(笑)」
よくご存じで。
「饂飩でなく蕎麦が好きなんです。しかも信州の蕎麦が。東京の尾張蕎麦は出汁醤油から濃いし辛い。刺激が多いですね。」
戸隠の出汁醤油は濃くないが、薄口でもない。蕎麦はワサビがなくても食べられます。蕎麦に塩をかけて召し上がってくださいと申しています。
「そうだった。たしか、戸隠は塩で蕎麦の味がわかるんだよね」・・・

ざるそば
戸隠産そば粉の手打ちそば。

そばがき
蕎麦粉100%のお団子そば。本来のそばの風味が味わえます。食べやすいサイズになりました。

修験者けいもち
そばがきに出汁をきかせて、とんくるりん流にアレンジしました。

そば団子
甘じょっぱい味が癖になるそば団子。

そばゼリー 産物の紫蘇(シソ)を使った鮮やかな朱色の寒天。ベースは「そば湯」。


2021.11.25(木)13:00「おきがるタイム」vol.208


2021.11.25(木)13:00「マコルネのおきがるタイム」FM816 パーソナリティ マコルネがお届けします。
【ネットラジオの視聴方法がPC スマートフォン タブレット共通に】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

【予定曲】LOVE IS ALL サンフランシスコの6枚の枯葉 枯葉 シャッピトゥル インディファレンス 瑠璃色の地球 SEASONS 旅愁 りんご村だより 願い星叶い星 翼をください

【コラム】秋が深まってきました。来週からは12月、2021年が無事過ごせますように。

 

軽井沢高原教会にて


思うに、軽井沢は浅間山の火山史と関連が深い。カラマツの森は形成されてきた。


浅間山(2568m)【前掛山】登頂 賽の河原


浅間山(2568m)【前掛山】登頂 賽の河原

本峰の「釜山」第二外輪山の「前掛山」第一外輪山( 剣ヶ峰、牙山、トーミの頭、黒斑山、蛇骨岳、仙人岳、Jバンド、鋸岳)の「黒斑山」からなる三重式の成層火山。
山体崩壊を起こした山頂付近は、 U字型の「馬蹄形」を形成。左手は浅間本峰の釜山火口で立入禁止。右手は前掛山の山頂へ浅間山の第二火口壁。気象庁は活火山ランクAとしている。

有史以来、大噴火を続けてきたが、天明の大噴火(1783年5月~8月)によって死者1600人、噴煙が北半球を覆い気候不純になり天明の大飢饉をもたらした。最近は、東日本大震災以来、地震活動が活発となっていたが、2019年8月釜山火口で小規模の水蒸気噴火があり降灰した。2021年8月6日より【レベル1】(火口から500m以内入山禁止)の落ち着いた状態とみられていて「前掛山」までの登山道が許可、それ以前は【レベル2】(火口から2㎞以内入山禁止)で黒斑山を山頂としていて「賽の河原」まで入山可能だった。関連施設として「鬼押し出し園」や「火山館」がある。※立入禁止区域に入ると災害対策基本法により罰せられることがあります。

距離 13㎞ 時間 約7時間30分(登り 3時間50分 休憩 40分 下り 3時間)

浅間山登山口 →(4㎞ 未舗装)から浅間山荘へ 駐車場あり
登山口(1410m)→ 一の鳥居 → 不動滝 → 二の鳥居 → 火山館 → 湯の平分岐 → 賽の河原分岐 → (釜山分岐)→ 前掛山(2524m)

危険個所はないと思われる。マーキングに沿って進めば迷う事はない。

ルートは、車坂峠(1973m)からの黒斑山(2404m)(標高差400m)は何度か登ったことがある。2時間30分あれば到達できるし、そんな難しい登山でないと思う。ただ、草すべりがキツイのでどうしようかと思っていた。ほぼ垂直の角度で膝に負担がかかる。今回、浅間山荘(1410m)から前掛山(2524m)(標高差1100m)がはじめて。伯耆大山も標高差が1000m以上だったけど、ペース配分をよく考えて登ればしんどくはなかった。

浅間山荘へは、登山口から4㎞のダート道があり、車が大丈夫なのか心配だったが、そんな大した事はなかった。(唐沢鉱泉の方が険しいところに道をつけてくれている)有料駐車場はきちんと管理されている。浅間山荘で温泉につかるのもよい。

 

前掛山(2524m)なかなか厳しい道のりであった。

2021年は10月20日に初冠雪した。温暖化により風物詩の「雪のガトーショコラ」は12月以降か。前掛山は、黒斑山からの山容は、ずんぐりとしているが、実際は、滑らかな斜面であり広大な裾野。斜めに左方向へ横切り登って釜山分岐に入る。この登りが延々と続きしかも急登。直登(九十九折でもよい)ルートはないものかな(笑)

浅間山登山口 バス停がある。朝夕など新宿方面を往復している。ここから4㎞ ダート道で浅間山荘に入る。カラマツ林がきれい。

浅間山荘に着く。モルゲンロートがきれい。

雲海がみえる。八ヶ岳も。標高1400mにして、屈指のビューポイント。

乗馬体験ができる。テニスコートもある。

登山道 ここから開始 浅間山荘⇔火山館は、登り115分、下り90分と比較的長い事を念頭において。

一の鳥居分岐 不動滝経由 で二の鳥居へ

不動滝から二の鳥居へ。急な階段があるがゆっくり登ろう、二の鳥居からは火山館をめざす。

 

風景が変わって来た。岩盤があらわれる。

火山館の手前で浅間山の山頂があらわす。

硫黄臭がする。源泉が湧いているが冷泉か。

火山館へ到着、ここまで2時間。なんと屋根はソーラーパネル。避難時はここへ下りてくる事。シェルターを備えている。

浅間神社にお参りし山頂へ向かう。

外輪山の黒斑山の稜線が。芸術的で厳しい山肌をみせている。

カモシカ平

湯の平分岐(2013m)草すべりとの分岐点 この急坂がほぼ垂直の九十九折で膝に負担がかかる。車坂峠から前掛山だと帰りはこの登りをクリアしなければならないのでしんどいと思う。草すべりの下りで凄く良いところは、浅間山のド迫力のずんぐりした山容とカラマツ森のパノラマが見られ、徐々に近づいていく景観が楽しい。

賽の河原分岐(2088m)Jバンドとの分岐点 Jバンドの登り下りはそんな大したことはない。個人的には、草すべり ↓ Jバンド ↑ で黒斑山の稜線に入るのがベターだと思う。

賽の河原は広大で、最初はカラマツの森が続く。

しばらくして標高があがるにつれ砂礫が増えてくると同時にカラマツの背丈が低くなり、やがてはなくなり下草と砂礫だけの吹きさらしになる。
至るところでケルンが積みあがっている。この辺りは緩やかな坂。

森林限界、登りの角度がキツくなってきた。前掛山分岐までまだまだ。

このザレた道の角度が急になってくるとツライ。滑りやすい。また、落石に注意。

かなり登って来た。風が冷たい。黒斑山の稜線の向こうにある湖が見えてきた。賽の河原がとてつもなく大きい。

登り切ったと思ったらそこは頂上でなく「釜山分岐」だった。珍客が釜山付近にいる。(立入禁止区域)

で右手に前掛山の山頂が見えるのでもう大丈夫。しかし、ここから25分だと。ゆっくり登ろう。

これが釜山。砂礫の山で荒々しい表情はないが、この奥に火口があり噴煙をあげている。この日は、なんと犬が(リードなし)釜山の山頂方面でこちらに向かって吠えているではないか、茶色の柴犬。連れ戻すのは不可能。(立入禁止区域なので下りてくるのを待つしかない。)

実は、この犬は勝手についてきて登り始めた。犬を連れて登っている人がとの情報があった。とっつぁん、貴方がこの犬を連れて来たんじゃないの~。いやそうでないって。
脱走し勝手にこの山頂まで来てしまったらしい。犬も登山道を選ぶと言う事だ。この犬、寄っていくと警戒するのでリードをつけるにも一苦労いるだろう。飼い主の手に戻ったようである。

こちらは、前掛山稜線。気温0℃、風速12m。風が止めば天国。八ヶ岳、富士山も見えた。穂高も白馬も見える。
しかし、風が吹けば長くはいられない地獄。命がけの行に違いない。植物はわずかに生える。

そこに生命が宿るのが自然の生きざま。死にゆく魂と精進する我に何を与えんとするのだろう。
同じ死ぬなら、天界に近くて火に巻かれるか凍てつくか、それとも下界の「賽の河原」でさまよい屍となるか・・・
賽の河原は、今でこそ登山道が整備されているが樹海のごとく三途の川をさまよう地獄絵図。水はなく樹液のみ。
ただ、カラマツの森があるだけ。しかしそこは天国だった。風がないから。カラマツの絨毯に敷かれそこに或るのだ。

不幸事で親より早く亡くなってしまった子どもが三途の川の河原にたどり着く。そこが賽の河原。親の供養のためにケルンを積む。しかし鬼が来て崩してしまう。何度やっても同じ事。「報われない努力」であり、地蔵菩薩によって救済されるとある。

真ん中の黒岩から水蒸気が出ている。活火山であることを意識する。

爆裂火口を久しぶりにみた。硫黄岳の火口はすごかったが、浅間山は活火山、これからも成長するんだ。

山体崩壊するとだいたいこのような馬蹄形になり窪んだところがカルデラ。

前掛山の標柱と三角点にタッチ。奥にぽっかりとした釜山の火口が少しみえる。右手に巻き道がうっすらと見えるが、ブルドーザーの道かそれとも
峰の茶屋 小浅間山 東前掛山のルートだろうか(立入禁止区域?)。

前掛山の最前線。これより先は崩落のおそれあり、立入禁止。しかし、前掛山の稜線はナイフリッジでなくてよかった。

雲と雲の間から「富士山」がみえた。

登山口に戻って来た。無事帰れてうれしい。帰ろうとすると駐車場に愛想のよい猫が寄って来た。山荘にいるらしい。それにしても愛くるしくお行儀のよい事。


素敵な音楽会「バッハとなかよし」2021.11.20


素敵な音楽会「バッハとなかよし」2021.11.20 富山バッハを聴こうの会

音楽はどこで聴くか大切。ロビーコンサートがこんな素敵なところで、しかも無料でチェンバロの楽器に触れる事ができる機会なんてそうない。
進行は、クラシック音楽の用語を紐解いていく。その説明がわかりやすく、子どもさんもうなづいていた。

音楽をライブで感じるには楽器を見られる事と音をだすところを見て聴く。そうか、あれがバッハの曲だったんだ。それが、この楽器でこの様式で奏されている・・・
音楽会はコミュニケーション。聴き入っているたくさんの聴衆が印象的だった。高野昭夫さんによる企画。富山バッハを聴こうの会を主宰されている。

日独交流160周年公式記念行事コンサート バッハとなかよし
2021年11月20日(土)15:00 18:00
会場:ANAクラウンプラザホテル富山

プログラム:メヌエット 平均律クラヴィア曲集から 6つの小さなプレリュード
トリオソナタハ長調BWV1038 演奏:富山古楽協会 バロック・リコーダー バロックヴァイオリン ヴィオラ・ダ・ガンバ チェンバロによる

フロントやカフェからチェンバロの音色が聴こえてくる・・・

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近々に、音楽会や映画会を企画されています。ぜひおたずねください。

【日独交流160周年】一般社団法人日本バッハ協会 創立記念コンサート

<演奏>
バロックヴァイオリン 寺神戸 亮

<スペシャルトークショー>
第87、88、89代内閣総理大臣  小泉純一郎氏

ライプツィヒバッハ資料財団広報  バッハの宣伝マン 髙野昭夫

<日時>
2021年12月15日(水)
入場料 4,500円
開演 19:00(開場15分前)

<会場>
富山市大手町1-2
富山市国際会議場 メインホール

チケット・お問合せ

チケット情報 アスネット
窓口 オーバード・ホール1階(富山市牛島町9番28号)
076-445-5511 受付営業時間 10:00‐18:00 (定休日/月曜日)
※月曜日が祝日の場合は翌平日休み

オンラインチケット https://www.aubade.or.jp/ticket/
24時間ご予約可能 リンクはこちら

メールでのお問合せ akiotakano.info@gmail.com

 


「リラ・クラシック」2021.11.20(土)7:00 チャイコフスキー&ブラームス vol.90


2021/11/20(土)7:00「リラ・クラシック」は、クラシック音楽でリラックスする60分。第3週・第5週 パーソナリティ マコルネがお届けします。
【ネットラジオの視聴方法がPC スマートフォン タブレット共通に】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

【曲予定】チャイコフスキー トロイカ バレエ組曲「くるみ割り人形」より「金平糖の踊り」
交響曲第6番
ブラームス ワルツ第15番 交響曲第3番ヘ長調より第3楽章 映画「さよならをもう一度」
クラリネットソナタ第2番

【コラム】2021年の秋は短い。10月第1週まで真夏日だった。11月に入ったが、紅葉は平地でもすすんでいるという。
音楽で秋を感じて。チャイコフスキーとブラームスをとりあげます。
チェレスタやバスクラリネットなど珍しい楽器を作曲家は使用しています・・・

 


国果「柿」


柿とは中国から入って来たと思われる果実の一つ。渋柿 甘柿 富有柿 次郎柿 干し柿など 多種多様な種類の柿を日本人は楽しむ。

次郎柿は静岡県森町の松本治郎吉氏(1813-1887年)が1844年太田川で見つけた幼木を自宅に持ち帰り植えたのがはじまりとされています。原木は1869年(明治2年)に火事によって焼失したが、翌年その根元からあらたに芽を出してきた木が育ち、静岡県の指定天然記念物とされている。戦後「次郎柿」と記されるようになりました。

富有柿と次郎柿は柿の一つ。「富有はあごで食べ、次郎は歯で食べる」と言われていて、富有柿は果肉がやわらかく、次郎は硬めで歯ごたえがあることを示している。

さて、柿の見分け方かた食す方法まで

選び方
全体的に赤みが濃く、つやとはりがあり、ヘタがイキイキしているもの。また、ヘタが大きく、実との間に隙間がないものが良い。ここから水や虫が入り、果肉を劣化させてしまうのを「ヘタ隙き」と言う。

食べ方
柿の切り方
ヘタの周りを少し大きめに切り取って縦切りにします。柿は花落ち部分が一番甘く、へたの近くが甘みが薄いので「縦切り」にするとよい。
また、柿の表面に4本の溝がある場合(次郎柿など)は、その溝にそって切り目を入れれば、種を切る事はありません。ヘタのくぼみから包丁を入れて4つに切ると種には当たりません。

栄養と効能
果物の中では酸味ないのが特徴。みかんの2倍のビタミンCが含まれており、1個食べると1日に必要なビタミンCをほぼ満たす事が出来ます。
また、ブドウ糖や果糖、ビタミンB1、B2、カロテンなどの栄養素やミネラルなども含まれ、とても栄養価の高い果物といえます。
高血圧・脳卒中など成人病予防や二日酔いの防止、利尿作用、美肌保持にも効果的です。

☆栄養の宝庫、柿の葉
柿の葉には、柿の実の9倍ものビタミンCが含まれています。ポリフェノールも多く、血管を強化する作用や止血作用があるようです。

柿の雑学
①なぜ柿はしぶい?
甘柿にしても渋柿にしても、未熟のうちはしぶいものです。これは柿の自己防衛によるもので、鳥や動物などに未成熟のうちに実を取られてしまうのを防ぐためであると考えられます。甘柿の場合は、成熟した後に食べられ、種だけは離れた場所に捨てられて、そこから新しい芽が吹き出す・・・そんな柿の思惑があるようです。

③ことわざ
「柿の季節は医者いらず」「柿が赤くなると医者が青くなる」ということわざがあります。
柿を食べると病人が少なくなって、医者は仕事がなくなり青ざめる。それほど柿は栄養価が高いものだという意味です。
ただし、他にも「みかんが黄色くなると医者が青くなる」「柚が色づくと医者が青くなる」という表現もありますから、柿に限らず、秋になると人間は食欲がわいて病気とは無縁になるという広い意味で使う場合もあります。
また、昔は農民が多かったので、「柿が赤くなる⇒収穫のため農民(=大多数の人々)が忙しくなる⇒病気などにかかってはおられない⇒医者が暇になる」という意味で、秋の農家の忙しさを表わしているという説もあります。

④“kaki”は万国共通語

日本で育成された柿は広く海外に伝播していきました。そのため、“kaki”という言葉は万国共通で、正式な学名も「ディオスピロス・カキ」といいます。「ディオスピロス」はギリシャ語で“神から与えられた穀物”という意味が有るそうです。

⑥脱渋は柿いじめ?
渋柿のシブの正体はタンニンです。渋柿ではタンニンが水に溶けていて渋く感じさせるので、水に溶けないように変化させることで“渋抜き”をします。
脱渋の方法はアルコールや炭酸ガスを使う方法が主流ですが、これは言ってみれば柿を半殺しにするという行為です。半殺しにすることによって柿は異常呼吸をするようになり、体内のタンニンを不溶性にするのです。
干柿は渋柿を何日もかけて干すことによって脱渋をします。もしも高温で一気に水分をなくそうとすると、柿が即死してしまうので渋が抜けません。皮をむいてじわりじわりといじめ殺して渋を抜くことが必要なのです。

柿の歴史
現在の柿の祖先は、太古の昔より存在していました。日本でも縄文、弥生時代の遺跡から柿の種が出土しています。ただし、当時の柿は今のような大粒ではなく、もっと小型の実をつけていたと考えられています。
現在我々が食している柿の原木は、1300年程前に中国から伝来したと考えられています。奈良時代には栽培が奨励され、日本中で幅広く作られるようになったようです。16世紀頃には日本の柿がポルトガル人によってヨーロッパに渡りました。また、アメリカに渡ったのは、19世紀中ごろの幕末、ペリー艦隊に乗っていた植物学者が持ち帰ったのが最初です。その後、日本の柿はフランスやスペイン、イタリアなど地中海を中心に広まっていき、現在世界で食べられている柿の大元になりました。その後無数の交配を繰り返し、明治時代になって、その中でも最も優れた品種が認識されるようになります。新潟の八珍(平核無)、岐阜の水柿(富有)、静岡の次郎などが明らかにされたのもこの頃で、果樹園としての本格的な栽培が行われたのは昭和初期になってからのようです。

柿の種類
柿は甘柿が400以上、渋柿が700以上、合計1100種類以上あるといわれています。
もう少し細かく分けると、次の4パターンに区分けすることができます。

①完全甘柿・・・木で果実が堅いうちに渋が抜ける。
②不完全甘柿・・種がない間は渋く、種が少ない時は部分的に渋が残る。
③不完全渋柿・・同上。ただし渋抜けの程度は不完全甘柿よりも低い。
④完全渋柿・・・果実が完熟しても脱渋しない。

☆甘柿の仲間
《富有(ふゆう)》
完全甘柿。冷蔵貯蔵技術の進歩から、今では10月から翌年4月頃まで長期にわたって出回っています。福岡・岐阜・奈良県が生産の中心。
岐阜県本巣郡の原産の甘柿を代表する品種。明治の頃は(居倉御所)の名で呼ばれていましたが、古典『礼設』中にある言葉「富有四海之内」を引用して「富有」と命名しました。この柿を作って農家に富が有るようにとの願いが込められています。

《松本早生(まつもとわせ)》
完全甘柿。
京都府綾部市の松本氏の富有園で、1本が早熟であったことで発見されました。昭和27年に登録された品種です。形質は富有柿とほとんど変わりませんが富有柿よりちょっと小さめで果実が扁平気味。富有柿より2週間ほど早く出荷できます。

《伊豆(いず)》
完全甘柿。
富有とA-4の交配種。農水省果樹試験場で育成された品種です。
富有より小さく果形はやや扁平。果皮は橙朱色で、なめらかで光沢があります。肉質は緻密でやわらかく、果汁も豊富で渋残りもなく、食味も良好ですが、果肉がやわらかく日持ちはあまりよくありません。
出回り期は9月中旬~10月中旬。

《西村早生(にしむらわせ)》
不完全甘柿で、種が少ないと渋みが残ることがあります。9月中旬~10月上旬にかけて熟する早生品種です。
滋賀県大津市の西村弥蔵氏の生垣で発見された偶発実生で、西村氏の名をとって名づけられました。

《筆柿(ふでがき)》   詳しくは筆柿のページをご覧下さい。
不完全甘柿。形が文字通り筆先に似ているのが印象的。愛知県幸田町周辺の特産。小ぶりながら甘くコリコリとした食感で人気があります。

☆渋柿の仲間
《平核無(ひらたねなし)》  詳しくは平核無柿のページをご覧下さい。
不完全渋柿。
新潟県新津市の原産で、山形県では庄内柿、新潟県では八珍、佐渡島ではおけさ柿など、産地によって特有の呼称があります。柿全体の中では富有柿に次いで生産量が多く、和歌山県、山形県、新潟県が主力生産地です。

《刀根早生(とねわせ)》
不完全渋柿。
奈良県天理市の刀根淑民氏によって発見された、平核無より2週間程度早い9月中旬~10月中旬にかけて出回る品種。平均的に平核無よりやや大きめ。渋が少なく脱渋しやすく、早生種のわりには日持ちも良好です。和歌山県、奈良県、新潟県が主力。

《甲州百目(こうしゅうひゃくめ)》
不完全渋柿。
古くから栽培されていた品種で、別名「日本柿」「蜂屋」。美しい釣鐘形をしており、山梨・福島・宮城などで多く生産されています。柿色が美しい、釣り鐘形をした大玉で、渋抜きして出荷されるほか、あんぽ柿や枯露柿としても人気があります。

《紋平柿(もんべいがき)》  詳しくは紋平柿のページをご覧下さい。
不完全渋柿。石川県特産。非常に大型でまん丸。果頂部はとがっていて厚みがあります。弾力のあるソフトな歯ざわりが持ち味。
石川県高松町に、家号が「紋平さ」と呼ばれる家が有り、その家の庭にかつて樹齢100年をはるかに超える柿の木があり、その呼び名にちなんで「紋平柿」といわれるようになりました。

《西条(さいじょう)》
完全渋柿。
細長く、くっきりと4条の溝があるのが特徴。
“さいじょう”には「西条」「最上」「才女」などいろいろな漢字が当てられています。広島県賀茂郡西村が原産地と考えられますが、一説には広島県の西条町に荷が集まってきたのでこの名が付いたそうです。
歴史は古く、戦国時代に毛利氏が中国地方を支配する過程で干し柿にして戦場で携帯食として利用したと伝わっています。この影響で、西条柿は中国地方を中心に栽培されています。

《愛宕柿(あたごがき)》
完全渋柿。
愛媛県周桑郡、東予市、丹原町、小松町特産。晩生種で12月から翌年2月まで出回ります。
名前のいわれは、京都の貴船神社を小松町に迎えたとき、お供えした京都愛宕産の柿の種から実生したからとか。

《最勝(さいしょう)》
完全渋柿。石川県能登の自生品種。石川県の志賀町で特に栽培が盛んで、多くは干し柿にして能登名産「ころ柿」として出荷されます。

《三社(さんじゃ)》
完全渋柿。富山県特産の柿で、特に福光町、城端町などで生産されています。この柿を使って作られた干し柿が富山名産の「あんぽ柿」です。


介護支援講演会21.10.29


介護支援講演会21.10.29

この日は「梅林の里」の集落にうかがった。秋晴れの清々しい空気、それはこの会館が梅林の中にあり、山々を見下ろせる場所にある事から。

「介護支援講演会」を実施しました。歌う、声を出す、話す事がコロナによって体がなまってしまいました。「楽しく少しづつ取り戻していきたい」との事です。


感謝の日「大嘗祭」発祥


感謝の日「大嘗祭」発祥

現在ある「勤労感謝の日」は、単なる祝日ではない。古くから宮中祭祀が行われていた大嘗祭の日であるから。

大嘗祭と新嘗祭は、よく似ているが、大嘗祭は一世一代に行う 大嘗宮がつくられ 内外に知らしめる。

紅玉天皇の頃 はじめられ 連綿と受け継がれてきた。1466年中断。応仁の乱(1467年)から数百年は 経費が捻出できない事から中断されている。
江戸時代 霊元天皇の時代(1687年)に復活した。219年ぶりの事であった。

その発祥は 等彌神社が発祥とされている。境内に鳥見山(標高245m)があり、そこに当初は霊畤(まつりにわ)があったとされる石碑が残っている。
その後、現在地にうつされた。上津尾社 天照大神 下津尾社 神武天皇 を祀る。

歴史的に重要な地である。なぜなら 新元号「令和」の元となる万葉集の「梅花の宴」の序文を記した「
大伴旅人(おおともたびと)」の妹「大伴坂上女郎(おおともさかのうえのいらつめ)」が詠んだ万葉歌碑がある。

大伴坂上女郎(萬葉集巻八-一五六〇)

《妹が目を跡見の崎を秋はぎは此月ごろは散りこすなゆめ》 (跡見の崎の秋萩は ここしばらくは散ってくれるな けっして)

大嘗祭の目的は、収穫への感謝と神が供え物を共に食する事、そして、安寧を祈願し、国家太平を願う。
単に感謝のみではなく、災害の防疫を祈願する祭りでもあった。