Author: nishikunn

☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ

2020.9.10(木)13:00「おきがるタイム」vol.179


2020.9.10(木)13:00「マコルネのおきがるタイム」FM816
【ネットラジオの視聴方法がPC スマートフォン タブレット共通に】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

【予定曲】セプテンバー ドミノ 生きる時代 黄昏のビギン タンゴ・イタリアーノ 遠くなる街 SARA 里の秋 秋でもないのに 若い季節 くちなしの花 時代

【コラム】9月に入りました。2020年(令和2年)厳しい猛暑が続いています。涼しいところに身を置き、熱中症にお気をつけください。ちなみに、猛暑はいつ頃からいつまでかというと 早いところだと5月13日から10月9日まで記録されています。最も長い年間の猛暑日は「45日間」だそうです。「秋分の日」まで暑さを乗り越えていきましょう。

称名滝(しょうみょうだき) 日本最大 落差350m 4段にわたる 立山 標高3000mからの雪解け水が1か所に集まる瀑布。右側は、雪解け時期のみにあらわれる幻の滝「ハンノキ滝」で落差500m。

 

 

 


「はけの森」武蔵野台地 カワセミ


「はけの森」自然に溢れ 落ち着く場所。武蔵野台地の小金井は、都内でも緑と水に恵まれている。台地を古多摩川が削った崖が「はけ」と呼ばれている。ところどころから湧き水が流れる。潤いと光の反射がきれい。

ICU(国際基督教大学)の広大な緑地に驚く。猫が居心地よいのかたたずんでいる。

武蔵野公園を通過。カワセミがみられるという都内でも有数のビュースポット。そして、はけの森カフェに。独特の空間。庭園がこんなところに。
静か。カウンター席には、窓辺から緑が眺められる。

ランチ・・・有意義な時間を過ごせた。

はけの森には美術館と併設のカフェがある。

「はけの森美術館」中村研一による油彩画、素描、陶芸作品 パレット等の絵画用具、愛用品 中村研一と関連のある画家の作品 を所蔵。

「はけの森カフェ」 http://hakenomori-cafe.net/


ベートーヴェン/ピアノソナタ第30番ホ長調作品109《晩年3作》


ベートーヴェン/ピアノソナタ第30番ホ長調作品109《晩年3作》

ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィア」作品106で、ピアノを超えるシンフォニックなとてつもない金字塔を打ち立てた。当時、誰も弾けるものがいなかった。難解の3楽章、長大なフーガなど。楽器泣かせ、出版社泣かせの作品。当時の楽器は、ベートーヴェンの強打に、演奏会にピアノが3台持ち込まれるなど耐えられるものでなかった。モーツァルトの時代と違い民衆のための音楽を神が書いた。それがベートーヴェン。出版社は売れるはずがないと嘆くが、本人は自分の芸術のために書いたのだと。これ以上の作品が誰が書けるか。ルドルフ大公に献呈。ベートーヴェンの天才ぶりは、この作品の第3楽章の冒頭の2つの音の修正に対して、半年前に楽譜を提出したのに、拘りをみせている事だった。

フルートまたはバイオリンの伴奏を持つピアノのための10の主題と変奏 Op.107(1820年)、25のスコットランドの歌 Op.108(1818年)を経て
ピアノソナタ第30番ホ長調作品109 晩年の3作がはじまったのだった。これらと「ミサ・ソレムニス」作品123や交響曲第9番ニ短調作品125などが並行されていた。

シューマンの「交響的練習曲」への影響も考えられる。ブラームスのピアノソナタ第3番の第1楽章の展開部や第2楽章の第1主題などへの影響が見られそう。
当時のピアノは最低音のFまでだったが、より下のD♯のキーが登場し音域が拡大している。ちなみに、第31番変イ長調では、さらに下のCのキーが登場している。
きっと新型のピアノでベートーヴェンは作曲をしていたに違いない。

 

この曲は、第3楽章の主題にこそ焦点がある。幻想曲的に構成されている。

第1楽章 4分の2 ホ長調 何でもないような G♯ B E G♯ C♯ E F♯ G♯ と走句
右手は、長3度 4度 長3度 4度 長3 4度 5度 6度(転回3度)
左手は 5度かオクターブ(8度)かのいずれかである。
途中終止でもう9小節目で第2主題は即興的に奏されるべき。アタッカで第2楽章へ

第2楽章 4分の3 ホ短調 スケルツォ フォルテで悲劇を告げる 運命的な楽想。ベートーヴェン特有のリズム。しかし、流れがつくられ武骨な感じでもない。

第3楽章 4分の3 ホ長調 主題と6つの変奏 テーマは16小節だが、前半と後半に分かれる。バッハのゴールドベルク変奏曲を参考にした作品。G♯ E C♯ D♯ B G♯ ・・・
主題  4分の3 16小節 対位法的で広がりを感じるテーマ
変奏Ⅰ 4分の3 32小節 ワルツ ベートーヴェンらしいカンタービレ。
変奏Ⅱ 4分の3 32小節 前半 左手、右手の両手でバランスよく音楽を奏で、後半は重音のシンコペーションが特徴。
変奏Ⅲ 4分の2 32小節 対位法で 左手の走句とスタッカートが特徴。
変奏Ⅳ 8分の9 32小節 アリア風で低音部を謡わせることが大事。
変奏Ⅴ 2分の2 40小節 フーガが登場。凝縮された音楽。躍動が大切。
変奏Ⅵ 4分の3 35小節 + 回帰 主題 16小節 主題の伴奏型が 4分音符、8分音符、16分音符、トリルに発展。右手の9の和声が印象派に
熱情ソナタの第2楽章のような左手の動きが。

これが 意表をつく第1楽章 2つの主題からなり 即興的に弾かれるべき

それに対し 決然と打ち叩かれる第2楽章の主題。運命のよう。

第3楽章は 主題と6つの変奏からなる。主題は、アリアのよう。

第2変奏 両手で音の流れをつくる。シューマンの交響的練習曲によく似たところがある。

第3変奏 主題が右手で、左手の交互にあらわれ スタッカートが印象的にしている。

第4変奏 8分の9 ゆったりとしていて無窮動ともいえる徹底した動機活用が穏やかな楽想を生んでいる。

第5変奏 フーガ 決然たる動機で ベートーヴェンも得意にしている。型にはまらないよう、小節数を拡大し コーダへ引き継いでいる。

第6変奏 + 再帰 テーマ 音符が細かくなる。

左手の低音部のトリルが印象。

最初のテーマがこのように変化するのは、ハンマークラヴィアを書き上げたベートーヴェンだからこその創作力(芸術)。


立山「称名瀧」日本三大名瀑


立山「称名瀧」(しょうみょうだき)

日本一の落差350mを誇る四段構成の滝。一段目(最上部)70m、二段目58m、三段目96m、四段目が126mで、滝つぼの直径は60m、深さは約6m。国指定の名勝および天然記念物であり、日本の滝百選、日本の音風景100選に選定されている、日本三大名瀑(華厳の滝、那智の滝、袋田の滝)に数えられる事も。法然が滝の轟音を「南無阿弥陀仏」という称名念仏の声と聞いたことに由来する。この断崖を一気に流れ落ちる称名滝(左)とハンノキ滝(右)が見える。

畏れ多いのだが、この滝の落差を登攀(とうはん)し上流に突入する兵がいる。日本最後の「地理的空白地帯」。日本一の落差を誇る大峡谷「称名廊下」。立山連峰を源流とし、雪解け水などを含む弥陀ヶ原を流れた川がここに集まる。落差だけでなく、峡谷の細さも世界級のゴルジュ。エメラルドの清水。高さは200メートルのV字谷で、長さは9km程。最近、日本で初めて歩いた人がいるようだ。道のないところを進むのが驚愕。まだまだ日本は奥が深い。そういえば、黒部峡谷トロッコ終点「欅平駅」(けやきだいらえき)から黒部ダムまで、日本で最も危険な秘境道、幅50㎝ほどで崖下100mの「下の廊下」「水平歩道」「旧日電歩道」があるが。レベルの高い話・・・

称名瀧に行くには、立山町から立山方面へ。立山黒部アルペンルートの立山駅の北側を車で桂台ゲート(時間指定あり)をくぐり称名平(しょうみょうだいら)駐車場まで。
「立山黒部アルペンルート」は(マイカー規制をし)ケーブルカー、ロープウェイ、トロリーバスなどを乗り継いで観光できる。標高3000m級の山々が連なる北アルプスを貫く世界でも有数の山岳観光ルート。長野県大町市「扇沢駅」から富山県立山町「立山駅」までの総延長37.2kmを、乗り物で、雄大な自然や絶景を楽しめる。立山エリアはかなり広く、立山 美女平 弥陀ヶ原 室堂 大観峰 黒部 などがあり 剣山も含まれる。雄山(おやま)標高3,003 m、 大汝山(おおなんじやま)標高3,015 m、 富士ノ折立(ふじのおりたて)標高2,999 mの三つのピークを「立山」と呼ぶ。立山三山は、浄土山は「過去」、雄山(立山)は「現在」、別山は「未来」とされ篤く信仰されてきた。

こちらの称名平から八郎坂経由で弘法バス停まで行き、室堂までバスで行き来する方法がある。もちろん 桂台のゲートは時間指定がある事を了解したうえでの事だが。ちなみに、八郎坂はヤセ尾根の上、崖・ザレ道で険しいので雨天時は使用しない方がいいだろう。立山駅から室堂まで利用し、立山に登るのが一番スマートだと思う。

さて、称名滝。称名平駐車場から徒歩で30分。この迫力に圧倒される。滝見台に着く1㎞も前から滝風が吹き、ここだけ天気が違う。標高1000m、涼しい。

 


日光真光教会礼拝堂(1914年建築)


日光真光教会 日光「世界遺産」エリアから西参道沿いに目をひく建築。

アメリカ人宣教師、ガーディナー(1857-1925)は、1880年(明治13年)立教大学校(現立教大学)初代校長として来日した。聖路加病院、香蘭学園、エリザベスサンダースホームなどを運営する聖公会の宣教師、教育者、建築家であった。大正3年(1914年)ゴシック風の聖堂を建築した。

ラファエロによる作品「キリストの変容」をモチーフとしたステンドグラス。教会のオルガンがある。そして、ガーディナーの墓がある。

 

 

 


【世界遺産】日光の勝道上人「開山堂と仏岩」


【世界遺産】日光の勝道上人「開山堂と仏岩」原点

ここに開山。勝道上人の木像が安置。西に香車堂。北に勝道上人と弟子の墓所。そして、東に仏岩。早朝は、朝露と朝霧に覆われ神秘的でした。もちろん、誰もいません。東照宮や輪王寺が雅なのもわかるがある事に出くわしたのでがっかりした。もっとも歴史を支えてきた勝道上人は何を思うだろう。

勝道上人のお墓に来た時、何かいにしえの重みを感じていました。日光の原点がここにあることを感じないわけにはまいりません。そして、絶壁の窟に仏岩。風雪に打たれながらの六体の仏のお姿。その中でさらに奥にあるお地蔵様に、ただならぬ慈悲を感じ、心をうたれたのです。
(お大師様は、若い頃、四国の洞窟の中で修業を重ね道を開きました。そんな事を思いながら。)

この「仏岩」に惹かれ辿り着いたに違いない。お大師さんを通じ、十時間かけ「尾瀬」に着き「日光」に赴いた。「日光に来るなら瀧尾道に進め」と諭されたのだ。
調べてここに来たのではなかった。勘だけ。いつの間にか「開山堂」へ辿り着いた。そして、最も霊感のある「仏岩」に逢わせてくれた。
言葉では表現できない感動があって震えていた。奥に鎮座されている地蔵様。何かを言おうとされている・・・じんわりとくる涙でした。

実は、勝道上人がここで荼毘に付されたのだ。日光を開山し、今も尚、気に懸けておられるのだと。悟りと情けや寂しさ・・・
勝道上人の墓所は、日光の山中、基本にかえるところ。いつでも鏡のように自分に問いかける。

後日、他の方のブログで、仏岩の記事がありましたが、ここは「涙が出てとまらない」とありました。やはり何かあるんだなと考えています。
画像からでも、言葉では表せない慈悲深いものを感じます・・・逢わせてくれて有難い

「産の宮」香車堂とも。香車は、突き進むが、後戻りはできない駒。ここの駒を借り、妊婦が安産祈願をすれば、無事出産できるとある。
成就後、駒を返納し祀っているので、多くの信者が絶えない。

勝道上人と弟子の墓所。静寂で温かさがあった。

元は、上方の岩壁に仏の姿をした岩が並んでいたが、地震で岩が崩れ消失し「仏岩」のみが残った。
七体のうち六体が膝の高さまで埋もれている。(帝釈天・多聞天・梵天・不動明王・広目天・持国天)

愛おしさが溢れ、強烈な印象。私はこの事を一生忘れないだろう。ものすごい何かを問いかけてくる・・・
私は、この地に来なければならないと思う。国の平安と人々の幸福を祈る事。

それは、勝道上人が、空海(弘法大師)に告げていた事である。留学していた唐で
恵果阿闍梨より大日如来を意味する「遍照金剛(へんじょうこんごう)」名を与えられ密教の第八代の伝法者の地位についた。
「私に持っているものをすべて授けた。だから早く日本に帰り、この教えを持って天皇に仕えて、国の平安と人々の幸福を祈りなさい」
これが、京都の高雄山寺、東寺、嵯峨大覚寺、和歌山の八方蓮華の高野山、真言宗の開創へとつながるのである。


めがね橋「アプト道」碓氷峠


めがね橋「アプト道」~ 碓氷第三橋梁 ~

群馬県安中市にある鉄道橋。碓氷川に架かる煉瓦造の4連アーチ橋で、信越本線横川駅 ―軽井沢駅の橋梁の一つ。設計者は、1882年(明治15年)に鉄道作業局技師長としてイギリスから日本に招聘された技師のパウナルと古川晴一。高崎駅と直江津駅を結ぶ信越本線のうち、1893年(明治26年)に竣工。全長91 m、川底からの高さ31 m、煉瓦造の橋の中では最大規模。1997年(平成9年)9月30日 、北陸新幹線(高崎駅 – 長野駅間)開通で、信越本線横川駅 ⇔ 軽井沢駅が廃線と駅廃止となる。横川駅からこの橋までの旧線跡が遊歩道「アプトの道」13㎞、約4時間のハイキングコースになっている(※18時~ トンネル内の照明が消灯します)。2012年3月に碓氷第三橋梁~旧熊ノ平駅間1.2kmを延伸し、4月1日から横川~熊ノ平間、全長5.9 kmとなった。なお平成9年に廃止となった 信越線横川~軽井沢間の下り線を使用し、トロッコ列車を運行している。

《トロッコ列車》
【行き】「鉄道文化むら」⇒「まるやま駅」⇒「峠の湯」
【帰り】「峠の湯」 ⇒(※まるやま駅は停車しません)⇒「鉄道文化むら」

《アプト道》主なルート
信越線 横川駅 → 碓氷峠 鉄道文化むら → 関所跡 → 変電所跡 → 峠の湯 → めがね橋 → 熊ノ平駅 → 碓井湖 → 峠の湯 → 信越線 横川駅

碓氷川の流れが涼しい。こんな落差のあるところにトンネルを通すという計画は、よく考えたものだ。街道のなかでも難所だったでしょう。測量技術の高さに驚く。少し離れたところに新しい信越本線の橋がある。中仙道は、熊野皇大神社の旧碓氷峠を通過する旧中仙道、旧国道18号線、国道18号碓氷峠バイパスがある。旧国道18号線のカーブは184か所もあり交通量の多さに対応できなくなっていた。国道18号線バイパスは、日光のいろは坂に匹敵する45か所のカーブがあり勾配も8パーセントで高め。曲がってからさらにRの角度の深く、パワーハンドルによるコントロール以外にも気を遣う。雨天時や夜間は大型車との対向に注意が必要である。特に下りは大変。できれば、高速道で通過したいところ。

2016年(平成28年)1月15日1時55分頃、首都圏の学生達を乗せたスキーバスツアーの大型バスが、国道18号碓氷峠バイパスのカーブ45か所中、43か所目で転落、乗員・乗客41人(運転手2人、乗客39人)中15人が死亡(うち乗員は2人とも死亡)、負傷者26名と戦後最悪クラスのバス事故となった。入山峠付近に「軽井沢スキーバス転落事故」の慰霊碑がある。戦後最悪の「飛騨川バス転落事故」から私たちは学んだはずだった・・・

 

 

 

 

 


翡翠の里「奴奈川」


翡翠の里(ひすいのさと)「奴奈川(ぬながわ)」

新潟県糸魚川市は日本でも唯一の翡翠の産地。糸魚川周辺には、蛇紋岩が多く存在するので見つけられるかな。(※翡翠狭での採取は禁止されています。)

 

翡翠とは、金より珍重されていた。「生命の再生」を意味する。金属のように錆びることがない事、非常に硬い石なので永遠にその艶を保つことができるという。色は、翡翠色の深緑が知られているが、ピンク色、黄土色、白色もある。翡翠は、日本古来から「三種の神器」のひとつ「八尺瓊勾玉」に使用されてきた。三種の神器は、日本神話の天孫降臨にアマテラス(天照大神)がニニギ(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)に授けたもので皇室代々に今も伝わる。八咫鏡(やたのかがみ)天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を指す。勾玉は、生まれる前の胎児の形で、子孫繁栄を願い縁起物とされている。出雲では、玉造りが盛んであった。

・翡翠狭(小滝川) 明星山(1118m)のふもと。この明星山はサンゴ礁からできた山。石灰岩から成る。クライミングの名所。
・翡翠海岸 小滝川の支流の姫川は日本海に注ぎ、海岸に打ち上げられヒスイ海岸では「ヒスイ探し」イベントが行われ、専門家の鑑定を受けることができるそうだ。

・翡翠神社(奴奈川神社)越後国一宮。天津神社の末社で同じ境内にある。奴奈川姫命を主祭神とし、後に八千矛命(大国主)が合祀された。第12代景行天皇時代(130年)の創建で、孝徳天皇(594年~654年)の勅願所であったと伝えられている。『延喜式神名帳』には式内社として記されている。奴奈川姫は、祭祀具「翡翠」を支配していた巫女王。豪族は、翡翠を持っていることが条件とされた。日本神話に奴奈川姫命の元を出雲の八千矛命が訪れ、大層気に入った。姫は大国主命に歌を贈答し 一日後に求婚を受け入れ、結婚した両神の間の子が建御名方命(たけみなかたのみこと)であり、姫川を遡って信濃国に入り諏訪大社の祭神である。元々は、糸魚川市蓮台寺の奥・柳谷にあったが、元暦二(1185)年に山崎に移り、その後現在地に鎮座された。

天津神社は、第12代景行天皇御代の創建で第36代孝徳天皇(594年~654年)の勅願所と寛文2年 (1662) 改築の拝殿棟木に記されている。祭神は、天津彦々火瓊々杵尊 (あまつひこひこほににぎのみこと)、左が天児屋根命 (あめのこやねのみこと)、右が太玉命 (ふとだまのみこと) の三柱で伊勢神宮外宮相殿の祭神と同じ。天太玉命は八尺瓊勾玉や八咫鏡を天照大神に捧げた。本殿 は、寛政九(1797)年に改築。大変珍しい総欅造りであり、棟梁は糸魚川の相馬十郎左衛門昌信。

『万葉集』(巻十三 三二四七 作者未詳)に詠まれた
渟名河の 底なる玉  求めて 得まし玉かも  拾ひて 得まし玉かも 惜しき君が 老ゆらく惜しも

「渟名河」は現在の姫川。奴奈川姫に由来し「底なる玉」は翡翠を指している。沼河比売はこの地のヒスイを支配する祭祀女王。天沼矛の名のように古語の「ぬ」は宝玉の意味があり「ぬなかわ」とは「玉の川」の意。

 

 


軽井沢最古の教会「ショー記念礼拝堂」


軽井沢ショー記念礼拝堂

軽井沢最古の教会。1895年(明治28年)カナダ生まれの聖公会宣教師アレキサンダー・クロフト・ショー(1846年6月26日 – 1902年3月13日))によって創設された。1873年、ショーは横浜に着き、福沢諭吉家の英語教師として就いた。また、慶應義塾の英語教師として務めを果たす。後に、英国公使館付きの牧師に任命された。

礼拝堂の前にはショーの胸像と1903年(明治36年)に村民によって寄贈された記念碑がある。隣にショーハウス記念館が1986年(昭和61年)に復元されている。

 


聖母たちのララバイ【プラハ・バージョン】


聖母たちのララバイ【プラハ・バージョン】岩崎宏美 Hiromi Iwasaki  チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 (2007)

医療従事者に最大の感謝をしながら・・・

看護師は、アンリー・デュナンの精神を戴帽式に誓い従事し、敵・味方関係なく手当てする。

2020年(令和二年)8月15日で、終戦の日を迎える。「戦後75年」私たち人類は、民族、国家同士で戦っている時でなく、見えないものと闘っている・・・

コロナ禍で、レジャーでの遭難者や熱中症などの患者が増えると、新型コロナのみならず、重症患者の医療技術の提供を受けることが難しくなる。
自粛は確かに辛いと思う。心が折れそうになるかもしれない。が、気をつけているだけで「世界のため」になっている事を誇りに思ってほしい。

「この町は戦場だから 男はみんな傷を負った戦士・・・」 戦場では、女は聖母のような誇りを持つことだった。女は強し、しかし甘えは許されなかった。

平安に過ごせる事を感謝し、一人でも多くの方が傷つかないよう祈る戦後75年です。

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デビュー45周年の岩崎宏美さん、歌唱力が増している・・・この曲からは、オーケストラの響き、教会のオルガンの音色が印象を強くする。

この赤煉瓦の塔の画像をみると、すぐにプラハだとわかる。「百塔の街」私も、2007年、11月プラハで演奏した。まさしく「音楽の神」がいる。
聖ヴィート大聖堂(聖ヴォティーフ教会)、プラハの誇り。戦災を受けず、中世1300年代からの建造物が今なお遺る。ゴシック建築 バラ窓 ステンドグラス。
世界で最も美しい都の一つ「プラハ」

私どもの演奏は、2007年11月 チェコプラハ 旧市街(クレヌンティヌム)にある聖サルヴァトーレ教会 Church of St. Salvator

岩崎宏美さんは、ドヴォルザークホールで収録された。プラハの春は、ドヴォルザークから。

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霧降高原「キスゲ平」群落


霧降高原「キスゲ平」群落

日光に多く自生しており、元祖「日光黄菅」はこの霧降高原から。霧ヶ峰高原、尾瀬の大江湿原でも咲くが、霧降高原では6月から7月上旬に「キスゲ平」で群落がみられる。標高1,300m~1,600m。赤薙山の中腹で女峰山への登山口がある。「霧降」の名の通り、霧が名物で涼しい。

「ニッコウキスゲ」は山地や高山の草原などに群生する多年草。約10cmの濃い黄色の花(「ゼンテイカ」は多種あり地域によって若干色合いが薄いものや橙色のものがある。)を複数付けるが、朝に咲き夕方しぼむ一日花で花言葉は「日々あらたに」。「一日花」儚い美しさがある。園地の遊歩道と1,445段の天空回廊が整備され、多くの人が観覧を楽しむ。この後の時期は、シモツケソウなどの群落がみられる。

平成6年にシカの食害によりキスゲが激減した。このためキスゲの補植活動が行われ、シカ侵入防止柵が設置された。このような施策が功を奏し、ニッコウキスゲ群落は元にもどりつつある。たしか、尾瀬の人が言っていた。日光のシカが増えて広範囲に生息し、食害の影響が出ていると。

最近、知人に種苗をわけてもらい植えたが、最初の花が付くのに5年かかるという。じっくり待つとしよう。レストハウスで、涼をとりながら散策ができる。いいところ。

 

自然園では、生態系の営みが行われている。

帰りに、トンボの大集団が。車のアンテナにとまった・・・


日光「紫雲石」発祥の中心地


日光「紫雲石」発祥の中心地

勝道上人 天平7年4月21日(735年5月17日) – 弘仁8年3月1日(817年3月21日)が日光山を開山したのが766年。大谷川【だいやがわ】の激流を神仏の加護を受けて渡り神橋【しんきょう】)山内地区に庵を結び、二荒山【ふたらさん】(男体山【なんたいさん】)の霊峰を拝していると、ある日、紫の雲が立ち昇り男体山方面にたなびいた。(紫雲石【しうんせき】)が、青竜【せいりゅう】・白虎【びゃっこ】・朱雀【すざく】・玄武【げんぶ】の四神守護【ししんしゅご】の霊地と感じ、ここを「紫雲立寺【しうんりゅうじ】」とし、後に「四本龍寺【しほんりゅうじ】」と改名。782年(延暦元年)宿願の二荒山山頂(2486m)を極め補陀洛(ふだらく)と名をつけた。後に二荒山(ふたらさん)とする。
延暦20年(810年)嵯峨天皇即位に際し、四本龍寺、二荒山神社で天下泰平を祈願し、四本龍寺に「満願寺」の称号を賜る。後に「輪王寺」となる。三重塔、観音堂などで構成され、日光発祥の中心地とする。

「二荒山神社別宮・本宮神社」は、延暦九年(790年)勝道上人が「四本龍寺」内の鎮守「二荒山神社」を創立、二荒山(男体山)を祀る。嘉祥元年(848年)に慈覚大師円仁が来山し、滝尾山麓に阿弥陀如来・千手観音・馬頭観音を祀る「本地神宮寺(現在の輪王寺、三仏堂の起源)」を創立した際「二荒山神社」は、新たに二荒山(男体山)をお祀りする事になった「新宮」に譲り、馬頭観音の応現である「太郎山権現」=「味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)」をお祀りする「本宮大権現」とした。

(三山)  (三仏)   (三所)    (三神)    (三社)
女峰山 - 阿弥陀如来 -女体権現  - 田心姫命   - 滝尾
男体山 - 千手観音 - 男体権現  - 大巳貴命   - 新宮
太郎山 - 馬頭観音 - 太郎大明神 - 味耜高彦根命 - 本宮

四本龍寺観音堂の脇にある仏岩と碑文。厳かで重々しい。気がひきしまる思い。

紫雲石の伝説がここにあり。

三重塔

観音堂と三重塔の間にある社。低い鳥居と不動明王。

観音堂の扁額

観音堂と三重塔