ショパン/スケルツォ第3番嬰ハ短調作品39 1839年 ショパン 29歳ごろの作品。
バラード第2番 即興曲第2番嬰へ長調など 新しい音の響き。バラード2番のような劇的な作品が書かれている。
スケルツォ(滑稽に、おどけて)ベートーヴェンの時代は、4楽章ある交響曲で 第3楽章 または第2楽章に配置され
気分を転換する役目を担っている。交響曲第3番、第7番は第3楽章 交響曲第9番は第2楽章にある。
ショパンは(冗長に 冗漫に)の意味を含めたと 私は思っている。ショパンは 幼少の頃から漫画を描き センスがあった。
人を喜ばすのが好きであった。現代での漫画 ショパン物語というのがあり わかりやすい。http://www.piano.or.jp/report/01cmp/c_chopin/
そのショパンがスケルツォを 4曲書いている。独立した性格曲。そう 何も 管弦楽のスケルツォだけではないのだから。
共通した特徴は プレスト・コン・フォーコ(嵐のように速く)の第1主題と、対照的な中間部 ゆったりめ ソステヌート Meno mosso のコラールが挿入されている。
1番は、陰鬱な感情と 濁った音と和音の効果 中間部のコラールとの対比。「ポーランド陥落」に怒り、最も激しさに満ちた作品を書いてみたいと言った作品のひとつ。
2番は、完璧に求める情熱と カンタービレ、輝かしいアルペジオ と中間部のコラールの対比。なお、コラールの色彩の変化が見逃せない。
3番は、徹底したオクターブの情熱、ベートーヴェンのソナタにも似た動機の活用、中間部のコラールのパッセージとの対比。ユニゾンや左手ソロの明確さ。
4番は 気軽な感じのテーマと左手の和声と右手の圧倒的な早いパッセージ 一見何気ないフレーズが冗長。
中間部は重苦しいがカンタービレ。不協和音的な新しい響きを余裕で娯楽している。
スケルツォを好んで弾くとすれば 2番が多いとされる。演奏効果が高まるからである。
しかし、コンクールでもない限り 他のスケルツォを弾くとなると その思いを伝えられるか 難しい一面がある。
スケルツォを 技術的に弾けても どう弾くのか意思を持っていないと 崩壊してしまう。いわゆる構成力のなさが憂き目になる。
冒頭から終始までコントロールを緩めてはならないのである。
唯一 興味深い作品が 第3番だと私は思う。徹底したオクターブ。コラールの部分を聴いていると やはりショパンだなと思う。
このオクターブも考え弾かなければならない。練習曲の激しさに似た、鋭いタッチが求められるだろう。
特にマイナーのコラールからコーダが素晴らしいと思う。低音部のバスの動きをしっかりと出し コントロールすることを念頭に置いておく事
ユリアンナ・アヴデーエワ マルタ・アルゲリッチ以来の女性のショパン国際コンクール2010最優秀賞者。端正で技巧的なピアニスト。
この曲 高校の音楽の先生がよく弾いていた。2階の教室から 3階の音楽室までは そう距離が離れていない。
現代国語の授業中に こんな音楽が流れてくると 集中できなかった。当初 最も好きだった曲のひとつ。弾いた事もある。
さて、導入部 ユニゾン低音部で発せられる声 それに対する高音部の強打。楽譜に注意。
7小節目1拍目、フレーズの最後の音 上声部と低声部の同音の一致がある。強調されるということ。
リゾルート 決然と弾かれるオクターブ。この曲は 強弱がポイント。フォルテッシモから ピアノまで。
右手のスラーと対照的に 左手はスタッカートになっていること。
中間部のコラールの部分。変ニ長調。和音を充分保ってからのレジェロなモーションが効果的。(冗長)
5241の運指や6度の拡張は、練習曲作品25の11「木枯らしのエチュード」や
作品25の8 変ニ長調(通称:The Sixths(6度))でも出てくるので参考に。
中間部の終わり 神秘的な響きと左手のコントロール。
主題1’に回帰する部分への橋渡しが絶妙。
中間部’がホ長調。下行での右手の親指と左手の小指の着地のバランス。この後、マイナーに。
やがて コーダに向かって(オクターブとトレモロ)大きなうねりとなる。左手の音型が新しい。
そして 突然のオクターブ終止。激しいコーダが。あっさりと弾き去るが、音の粒はそろえること。
左手のソロは、決然と。さらりとしかしはっきりと聴こえるように。難しい箇所のひとつ(冗長)。ユニゾンは圧倒的で 右手の最高音から最低音までをひとつのフレーズとする。
オクターブの全音符は 充分伸ばされるように。フォルッテシモ(FFF)アクセントもある。
この曲は、休み(間)をどうとるか。メリハリをつける事が肝要。