Author: nishikunn

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戦没画学生慰霊美術館「無言館」


戦没画学生慰霊美術館「無言館」

美術館なのか戦没者の追悼施設なのか ー窪島誠一郎ー

絵を描くことへの愛情。人の心にある「生きる」に問いかける ドームの天井画と摩文仁の丘の石とマロニエの実。

1979年(昭和54年)に館主・窪島誠一郎によって「信濃デッサン館」が設立。夭折した村山槐多の代表作「尿する裸僧」(1915年)を始め、作品約1000点を所蔵、展示。1997年(平成9年)に分館として戦没画学生慰霊美術館「無言館」を開館。2008年 (平成20年) 9月21日に第二展示館「傷ついた画布のドーム オリーヴの読書館」がオープン。摩文仁の丘の石が敷き詰められている。1974年 (昭和49年) 9月、NHKで放送されたNHK文化展望「祈りの画集」から派生した画集『祈りの画集――戦没画学生の記録』が1977年 (昭和52年) の夏、刊行された。窪島は、戦没画学生の作品収集をはじめる。東京美術学校から始められたが、帝国美術学校 (後の武蔵野美術学校、多摩美術大学の前身)、京都絵画専門学校 (後の京都市立芸術大学) 出身者や独学で絵を学んだ画学生を含む。開館時の収蔵品は37名、作品数は約80点だったが、2010年頃には、作者108名、作品数600点を超えた。2008年 (平成20年) 9月、第2展示館「傷ついた画布のドーム」がつくられた。

戦争さえなければ、もっと絵が描けたのに。なかには、生没年すらわからない作品。20代が多い。結婚したかもしれない。戦地に画材を送ってもらい、最後の作品を描いた。戦死でなく行方不明のままの人もいる。戦争では、遺品が還ってくるとは限らない。遺族からの写真や手紙、コメントが涙をさそう。作品自体に悲壮感はなくむしろ生きるチカラが読み取れる。窪島氏の思いが。

彼岸が過ぎたが日差しがキツく初秋の雲が少し混じる。彼岸花が少し咲いているくらい。コスモスは咲いてきました。山紅葉はまだ。信州は涼しく、それでも朝晩が14℃くらい。秋はもう間もなく。小高い丘にあるコンクリート打ちぱなしのシンプルなアーティステックなオブジェ。本館は、クロスになっていて、祈りの場。ヴァイオリン天満敦子さんのコンサートが定期的にあるそうだ。第二展示館「 傷ついた画布のドーム」の天井画が凄い。「オリーヴの読書館」の本の数に圧倒される。記憶のパレット、おりかけのつる、絵筆のベンチ、開かないポストなどのオブジェ。前山はオアシスのようで、塩田平をみおろす。公園から子どもたちの遊ぶ声がきこえてきた。美術館は絵をみるところにとどまらず。

マロニエの実が秋を感じさせてくれた。

「記憶のパレット」第2次世界大戦で亡くなった画学生403人と東京美術学校の授業風景が刻まれている。2005年(平成17年)6月18日に赤ペンキがぶっかけられる事件が起きた。犯人は捕まっていない。赤ペンキは、授業風景のオブジェと右側パレットの穴の間の幅に上から下に塗られていて、下には塗料が漏れていた。現在は修復されている。
この事を忘れないために、2008年「無言館」第二展示館が開設された際、入口前の「絵筆のベンチ」に赤ペンキの一部が再現されている。

第二展示館「傷ついた画布のドーム オリーヴの読書館」

「記憶のパレット」から「絵筆のベンチ」に再現された赤ペンキの痕跡。

オリカケノツル 折りかけの鶴

公園から子どもたちの声が聞こえた。ここ前山はオアシスのよう。

マロニエの実が、秋を感じさせてくれた。


水無宮「古事記」


飛驒一宮水無神社 ひだいちのみや みなしじんじゃ 奥宮は「位山」とする みなしは「水のない川」から転じて「天の川」を指す

主祭神 御歳大神(スサノオの息子)

創建の年代は不詳。神代にありとする社伝。清和天皇の御代(858-876)に従五位上に列したと記録あり。『延喜式』で飛騨国の一宮とされた。鎌倉時代には「水無大菩薩」。近世には水無大明神・水無八幡宮と称した。戦国時代、祭祀が途絶えた。元禄5年(1692)から吉田神道系に属する。1773年(安永2年)の安永騒動の舞台。1871年 (明治4年)、近代社格制度において国幣小社に列した。1945年(昭和20年)8月22日から9月19日まで、熱田神宮の御神体(天叢雲剣)が一時安置されたという。

ここに来た時、天皇陵のような壮大さを感じた。本殿、神殿は遠い。一段ずつ登ると景色が変わるというか、近づいている実感がする。「みなし」「みなせ」から水の神様。
冷たい水でなく温かい水(白湯)のイメージがする。

昭和天皇がここを重視していた事がうかがい知れる。日本最古の歴史書「古事記」の編纂者「稗田阿礼」は、飛鳥時代から奈良時代にかけての官人で出生が不詳。飛騨の出身と推定されている。天武天皇は681年に古事記を編纂するよう勅詔を出した。その時、舎人の稗田阿礼が28歳。頭脳明晰で、天皇から帝紀などを誦習するよう命令された。天皇天皇が崩御し、25年が過ぎた元明天皇の御代(711年)に勅詔があり、古事記が編纂される。編纂の時、太 安万侶は彼が話した事を書き取った。序文にのみ稗田阿礼の記述がある。

 










2024.9.22「能登豪雨」秋分の日


2024.9.22「能登豪雨」秋分の日

秋の彼岸「秋分の日」日本独自の風習 墓参にいく盆、暮れ、正月、そして春と秋の彼岸の日。特に秋の彼岸は、彼岸花(曼珠沙華)が鮮やかに色を染める頃。長らく続いた猛暑日が9月20日で終わった。秋雨前線が南下し、寒気が入り気温が下がった。熱帯夜は、少し前から23℃になった。秋の到来を知らせる彼岸花の開花。ここ2年位、開花が遅めだが、ようやく見られた。月見と祭。今年の中秋の名月は9月17日だった。天気は良好で見られたが、暑さのためか月に彩雲がかかっていた。そして、秋のお祭りが催行される。

今回の「能登豪雨」。死者7名、行方不明者6名の被害。中国大陸に西進していた台風14号が日本列島に東進し、豪雨をもたらした。元台風なので、関西でも風が強めで雨も激しかった。21日午前に発表された「大雨特別警報」。輪島市で3時間に220ミリの集中豪雨。2024年のお正月の1月1日、震度7にみまわれた「能登半島地震」に追い打ちをかけるように爪痕を残した。私達への仕打ちはあまりに理不尽。人災であれば対策をし予防する事ができるはずだ。人智を超えた災害ならば、諦めるしかないのか、そして忘れ去られていく。物質を削ぎ落とされた生身の人に、希望を灯さなければ。猛暑や豪雨を引き起こす「とがめ」と自然の美しさは紙一重なのか。

「天譴」=乱れた世の中に対する天による「とがめ」、それは何を意味するのかと。100年前、関東大震災により10万人が死に「国民精神作興に関する詔書」があった。人々は、西洋化に順応し、のびのびと生きていた。その裏には、勢いがあった。日清戦争、日露戦争があったのだが。しかし、不況インフレで、生活に苦しむ人々の不満が、列強の植民地化への道に進み、やがては中華事変から大東亜戦争へ、第二次世界大戦の原爆投下で敗戦し自らを反省することになった。アメリカにならえ、現在まで来たのだが、日本独自の「もののあはれなり」無常観がある。現代は、さらに未曾有の大災害に備えるように警戒がよびかけられている。近年、大気中に含まれる水蒸気量が多いのが懸念。高度をあげなくても上昇気流が発生し大量の雨=豪雨となるのだ。考え方を変えなくては。

それにしても、彼岸花の不思議な美しさ。

 

記録的短時間大雨情報が発表された矢先、大雨特別警報の可能性があるニュースがあった。1時間に80ミリ以上の猛烈な雨がたった3時間で200ミリを超え、あっという間に浸水したという。

中屋トンネル 土石流の凄まじさ。1月1日に起きた能登半島地震でトンネル内部で崩落があり、災害復旧の工事がすすめられていた。住民の生活道路で、この25日から片側1車線で開通予定だった。60名近くが作業していた。懸命な捜索活動の中、行方不明の3名が生還したが2名が死亡。大雨注意報や土砂災害警戒情報は出てなかったのか悔やまれる。地震も怖いが、水害はもっと酷い。


2024.9.26(木)13:00「おきがるタイム」FM816 vol.276


2024.9.26(木)13:00「マコルネのおきがるタイム」シャンソン・昭和歌謡・アコーディオン FM816 パーソナリティ マコルネがお届けします。
【ネットラジオ(リアルタイム配信)アプリなしで視聴】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

【予定曲】マシュ・ケ・ナダ  甘い囁き 明日は月の上で 月下の蘭 さらば草原よ 逢いたくて逢いたくて  金木犀 村まつり 赤とんぼ 月の法善寺横丁 お祭りマンボ コスモス

【コラム】暑さ寒さも彼岸まで「清滝」瀧行が行われていました。
20日過ぎから秋雨前線が元台風14号と合わさり南下し、各地で激しい雨が降りました。能登豪雨が発生し、今も警戒が続いています。
数日前から彼岸花が見られるようになりました。秋の訪れを感じます。

中秋の名月は9月17日で「芋名月」でした。「十三夜」は10月15日で「栗名月」です。


飛騨山王宮『君の名は』


飛騨山王宮日枝神社(ひださんのうぐう)「君の名は」

大山咋神(おおやまくいのかみ)

1141年(永治元年)、飛騨国国司で三仏寺城(現在の高山市三福寺町に存在した飛騨国最古の城)城主である飛騨守平時輔が、近江国日吉神社を勧請し、三仏寺城の近くに創建した。4月14日、15日に行われる「山王祭」は「春の高山祭」として知られ、日本三大美祭に数えられている。高山を舞台とした人気アニメの『氷菓』に登場する「荒楠神社」のモデルとなった神社で、映画『君の名は』の宮水神社のモデルとも言われている。

摂社・末社:産霊社  造化三神の高皇産霊神(たかみむすびのかみ)と神皇産霊神 (かむむすひのみこと).
富士社  木花咲耶姫(このはなのさくやびめ)
天満社 菅原道真公 隣に「筆塚」がある。筆供養をすると書道が上達するといわれている。

 

 

 


リラ・クラシック 2024.9.21(土)7:00 「ドヴォルザーク」vol.136


2024/9/21(土)7:00「リラ・クラシック」は、クラシック音楽でリラックスする60分。第3週・第5週 パーソナリティ マコルネがお届けします。
【ネットラジオ(リアルタイム配信)で視聴可】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

【曲予定】ドヴォルザーク/ピアノ協奏曲ト短調より
スラヴ舞曲 我が母の教えたまいし歌 交響曲第9番ホ短調「新世界」より

【コラム】ドヴォルザークはチェコの作曲家、当時、珍しかった機関車が家の前を通っていた。毎日、駅を散歩し、型式などを暗記するほどだった。
名曲は、機関車にヒントを得たものもあるとか。

新大陸の機関車の発車イメージを描いたとされる交響曲第9番「新世界より」第4楽章


日本三大温泉「下呂温泉」


日本三大温泉「下呂温泉」

三大温泉は、草津、有馬、そして下呂。私的には、三大という括りは難しいので、道後や別府、山中や野沢温泉も含めてほしいな。温泉は日本全国に3000あると言われているが、室町時代の詩人の万里集九が記している。江戸時代、儒学者の林羅山がこれを引用した。岐阜県下呂市の湯ヶ峰の温泉寺にその碑文がある。開湯は神話・行基・空海などあるが、白鷺伝説によるものが17以上あるとか。白鷺が足を湯に漬けているところを村の人がみつけ、そこには湯が湧いていて源泉だったというもの。

下呂温泉のおこり:平安時代、湯ヶ峰(1,067m)の山頂付近で温泉が湧出したのがはじまり。1265年(文永2年)に山頂の湧出は止まったが、飛騨川の河原で湧出が発見。白鷺伝説が関係する。その河原は「噴泉池」。湯ヶ峰に安置していた薬師如来像を現在の温泉寺に安置した。

下呂大橋のたもとに噴泉池が2箇所あった。昔から野天湯だった。夜暗い時に入浴していた。白昼に公衆の面前ではよくない。現在は「足湯のみ」となった。割と熱い湯だった。
温泉寺に参詣。湯薬師如来像の湯口から出ていたのは熱くない湯だった。

温泉街は、賑やかで外国客が多かった。3湯を入浴できる「湯めぐり手形」が1500円(で販売されている。市営駐車場などは、1日1500円。

私もここの湯に浸かった。ぬるめと熱めの湯に交互に入り、筋肉痛がおさまった。リラックス効果もある。なかなかいい湯だった。

温泉街。中央、中根山の中腹に「湯之島館」。

 

 


2024.9.12(木)13:00「おきがるタイム」FM816 vol.275


2024.9.12(木)13:00「マコルネのおきがるタイム」シャンソン・昭和歌謡・アコーディオン FM816 パーソナリティ マコルネがお届けします。
【ネットラジオ(リアルタイム配信)アプリなしで視聴】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

【予定曲】秋の気配 秋のコンチェルト パリの秋 秋のテーマ ブエノスアイレスの秋 Otono Porteno すみれ 月のしずく 里の秋 十五夜お月さん  秋でもないのに 月の砂漠  曼珠沙華

【コラム】パリ・パラリンピック2024は、8月28日 – 9月8日で開催。台風10号の爪痕。自然の厳しさに言葉がありません。その後、酷暑が続いています。中秋の名月が17日にあります。彼岸花(曼珠沙華)も咲いてくるでしょう。短い秋になりそうです。

 


王滝里宮《御嶽古道》苔からしみでる御神水


御嶽神社王滝里宮《御嶽古道》1782 年普覚行者が王滝口を開く

苔の岩盤から滲み出るいのちの水

「御嶽山」は、三霊山(富士山、白山または立山、そして御嶽山)の一つである。文武天皇の御代大宝2年(702年)信濃国司の高根道基により頂上奥社が創建された。御祭神 国常立尊(くにのとこたちのみこと)大己貴命(おおむなちのみこと)少彦名命(すくなひこなのみこと)

三合目の「清滝」で百日の精進潔斎を修めたものが頂上への登拝が許された。江戸時代、天明二年(1782年)覚明行者が黒沢口を開いた。また、寛政四年(1792)普寛行者が王滝口を開いた。これにより、軽度の精進潔斎で登拝できるようになった。1891年(明治24年) ウォルター・ウェストンが登頂し、一般が登山できるようになった。

その信仰「御嶽講」は、法螺貝、白装束を身に着け、瀧行し、登拝する。登山道には、死後の魂が御嶽山に還るよう祈願した「霊神碑」がありその数は20000とも。御嶽神社は多くあるが、王滝口一合目に「里宮」がある。御嶽古道は、行人橋を起点に王滝口と黒澤口がある。

451の石段。樹齢500年のヒノキ科、椹(サワラ)が林立する。「龍の口龍神」そして、登りきったところに岩屋が。
立岩からしみ出る御神水。古人の智慧は素晴らしい。

 

 

 

秘境 心細くなりそう 雨や雪の日は注意。神々しい そして白木が。あれは御柱か。

「龍の口龍神」

この一滴からしたたる水が奇跡。御嶽山は凄い。


瀧「高賀六社」


瀧神社「高賀六社」高賀山 こうかさん (1224m)の麓 標高420m

山は神聖なもの、清浄であり、神がすむ。穢れは、高いところから川に流れ、海に注ぎ、海底で飲み込まれ浄化される。「大祓詞」にある瀬織津姫の存在。瀬織津姫は水の神。
自然の事象は、星の動きから学び、魔物が起こすとされていた。また、天狗や鬼が棲むとも言われている。仏教では天狗道があり、堕落したものが落ちる世界だとされた。天狗が神格化したのは、江戸時代からである。牛や馬のかたちをした鬼伝説もある。それが牛頭天王。蛇は弁天。狐は稲荷。木曽地方では白い雨が降る「蛇抜け」。俚諺として語り継がれ沢を蛇が抜けていくとされている。おそれられる=神、崇められるとなったのでしょう。さらに「さるとらへび」の魔物伝説が高賀山(こうかさん)にある。

奈良時代、元正天皇の頃(養老元年717年)に創建された高賀神社。平安時代の村上天皇の頃、「さるとらへび」の魔物が棲んで洪水や干魃を引き起こしているとの事。藤原高光が追討した。藤原高光は、三十六歌仙の一人。従五位上。高賀六社を建て、鎮めた。滝神社は滝大明神ともいう。御神体は、弓矢と剣。御祭神は、一.水園象女之尊(みなさめのみこと)二.瀬織津比咩尊(せおりつひめのみこと)三.八百万神(やおよろずのかみ)。十一面観音、不動明王、虚空蔵菩薩 これら三体が納められている。古い神明帳には「赤瀧明神」と記されている。拝殿の近くに「権現滝」がある。滝が村の人によって守られている。

さて、道中、さまざまなものを見つける。例えば「美人多し」それから鳥居前に「熊出没」。これは流石に腰を引いた。先日、別の場所で体長100cmほどの小グマをみたから。石段220段。女坂で細い道を車であがることはできるが。見上げると、大木が天を囲っているように。苔むしてるので霧が出ればさらに神秘的になるだろう。登りきったところに神殿と御神木がある。それが一番ビビッときた。まさか、こんなところに来る人はそうそういないと思ったのだが、私の前に一人、そして参詣終わり頃、一人(女性)が。なんというか、体感の余韻が残る凄いところだと思う。

岐阜県は山岳が多く、ぎふ百山(120)や続ぎふ百山(130)がある。奥穂高岳や槍ヶ岳は、高山市と長野県の境界にある。また、7つの県と隣接し、県境の山が多い。山が多ければ、もちろん滝も多いはずである。