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PeaceLive2018「堺ぞうれっしゃ合唱団」出演の事18.9.1


PeaceLive2018「堺ぞうれっしゃ合唱団」18.09.01出演の事

7月28日「堺平和を願う戦争展2018」で「堺ぞうれっしゃ合唱団」のアコーディオンソロとして出演しました。
あの時の感動は忘れません。子どもたちが30名ほど集まり歌ってくれました。

この物語は 次につながるストーリーがありました。PeaseLive2018に 平和を伝えるメッセージとして
堺ぞうれっしゃ合唱団が出演、私はアコーディオンソロとして出演しました。

このピースライブは 20組の出演者が交流を図っています。もっと 多くの人にこのコンサートに参加していただき 感じていただきたい そう思います。

合唱構成「ぞうれっしゃがやってきた」原作 小出隆司 作詞 清水 則雄 作曲  藤村 記一郎

指揮 小池哲夫 ピアノ 中島優美 フルート 花室千佐 アコーディオン 西辻善則

第3曲 「雪よふるな」

第11曲 「平和とぞうと子どもたち」

私の感想として 前回の7月28日の時は フルバージョンに近いかたちでの演奏だった。期間も集中して挑んだものであり 緊張感がありました。
しかし 演奏本番を終え 何か違ったものを感じました。進歩する演奏をめざす事が課題になった。

合唱やピアノ、フルートの音色をもっとしっかりと聞いた上でのアコーディオンを活かす演奏をするためには。
もっと アコーディオンの深みのある音を出したい。そう考えて取り組んだものです。少し 落ち着いて演奏できたかな。

合唱団団員、指揮者、ピアノ、フルートの方と長い時間共有しお話ができた事はよかった。音楽に対する考えや意志を理解できた事が
大きかったと思います。また、機会があれば演奏したいですね。

 

第3曲「雪よふるな」

第11曲「平和とぞうと子どもたち」

 

 


天皇皇后両陛下「軽井沢町行幸啓」


天皇皇后両陛下「軽井沢町行幸啓」 軽井沢町千ケ滝にて

千ヶ滝は別荘地として知られている。西側の大日向(おおひなた)は 昭和天皇が御製を詠まれたところ。
軽井沢は浅間山の噴火とともにあった。律令時代に東山道がしかれ 江戸時代に中山道が整備された。
江戸時代に、天明の噴火により大災害となった。明治時代、いちはやくキリスト教の宣教師ショーが別荘地を建てこの地に住む。文豪、芸術家らが集う場所となった。
電気鉄道の敷設は苦難の中すすめられた。碓氷峠の眼鏡橋に代表される隊道である。また西武、三井などを中心に別荘地整備がされ 旧軽井沢 新軽井沢 中軽井沢 南ヶ丘 追分などの街区が形成。北軽井沢は、群馬県嬬恋村 長野原町である。東京からの日帰り観光もできる避暑地として世界的にも知られ 愛されている。

ところで、この日は 気温33℃ 猛暑の勢いはとまらない。今年の軽井沢は 日中9日ほど30℃を超えたが 朝晩は涼しい。翌日の朝は14℃ 寒いくらいだった。

天皇陛下は84歳 美智子皇后は83歳 いつ何時にも、勇気を与えてこられた。
天皇陛下は軽井沢のテニスコートで美智子さまと出逢いになられ1959年(昭和34年)4月10日ご成婚された。2019年4月に「御成婚60年記念」となられる。

この日は千ヶ滝の「セゾン美術館」にうかがおうと停車していると 警察から「間もなく通行止めとなりますので 車の移動をお願いできませんか。天皇陛下のお姿見られますか・・・」という。思えば1993年(平成5年)6月、皇太子殿下・雅子さまご成婚パレードを四谷見附の交差点で日の丸を振ってからになる。

指定の場所に行ってみると 続々と人が集まってきた。住民を中心に。私服警官から指示がありそれに従った。軽井沢が「御用邸の候補」であった事について住民から話をきいた。

護衛パト  白バイ SP そして・・・瞬間は訪れた。

天皇陛下・美智子皇后の御姿を拝しました。感動。御料車でなくマイクロバス。
手をふられました。オーラがでていて言葉がみつかりません。つつましく手をふりました。
(御写真撮影できました)

平成最後の夏が終わろうとしていました・・・


「堺ぞうれっしゃ合唱団」2018.7.28 出演のこと


2018.7.28「堺ぞうれっしゃ合唱団」出演
会場:サンスクエア堺 13:00 開演 ごあいさつ 演奏(~13:35)
指揮 小池哲夫  ピアノ 中島優美 園長セリフ 植田幸夫 フルート 花室千佐 アコーディオン 西辻善則
児童合唱 いずみ保育園 あおぞら保育園 新金岡センター保育園の園児たち

当日は、朝一番から 舞台セッティング中 声だし セッティング完了 舞台リハ(通し)
リハーサル室 チェック ゲネプロ 舞台(子どもたち セリフ 効果音 パネルなど)

原作者の小出隆司氏が名古屋からお越しになられました。舞台リハーサルをしていると、指揮者やピアノ、私への握手を求めてくる。
もちろん、一人ひとりにお声をかけてらした。私としては、原作者の御本(サイン入り)を持っているので 感慨深い。

私にとっては、リスペクトする大バッハ(1685/3/21~1750/7/28)268年目の命日に、このめぐり合わせは「運命を感じずにはいられない」。
台風12号が日本を脅かした。中止された行事があったよう。3つの学童保育の引率の方や保護者の方にも参加できるかどうかは安全を考慮して
いただき了解の上で参加していただくしかない。そんな中、開催、演奏できた事はひとえに「奇蹟」。
台風が過ぎ去り(しかし、九州ではまだ影響を受けているので警戒中であるが)穏やかな満月をみた。

すごく長い一日に感じた。スローモーションで流れているよう。

次は、ピースライブ2018 9月1日(土)13:30~16:30 堺ぞうれっしゃ合唱団 出演します。

刻々と変わる編成に驚く。舞台リハーサル時は 子どもたちは15名ほどだった。
リハーサル室で ちょっとした発音や解釈などの再確認などを行う。
ゲネプロ時になると、響きが変わっていた。子どもたちも30名ほどになっていた。豪華なキャストで平和へのメッセージを歌う。
堺ぞうれっしゃ合唱団2018は 5月に編成されたばかりで実質2か月。このステージは二度とないという思いだった。

合唱編成「ぞうれっしゃがやってきた」

1 サーカスのうた 児童合唱
2 ぞうを売らないで(※1)
3 雪よふるな
4 動物園へようこそ 児童合唱
5 動物を殺せ(※2)
6 悲しみの日(※1)
7 いくさの終わる日まで アコーディオン(バンドネオン風)ソロあり
8 本物のぞうが見たい 児童合唱
9 ぞうをかしてください (児童合唱)(※3)
10 ぞうれっしゃよはしれ 児童合唱
11 平和とぞうと子どもたち 児童合唱

※1 今回は歌わない ※2 セリフのみで曲は歌わない ※3 児童合唱でなく ナレーションによる

全曲に フルートの音色がちりばめられている。銀の音色で柔らかく素朴で天使のよう。また、子どもっぽく角笛で童心にかえる。
低音部の管楽器のパートを アコーディオンがする。

原作者の小出隆司氏が激励に。演奏後、講演会をされた。

7 いくさの終わる日まで アコーディオン(バンドネオン風)独奏

園長セリフ たくさんの動物が殺されてしまいました。・・・「ぞうを殺すなら私を殺してからにしてくれ」銃剣を突き付けられたこともありました・・・
悲劇のシーン ひとえにアコーディオンというけれど どういった音色、表現が必要なのか考えた。ドラマで出てくるバンドネオン、ヴィブラート
(心の震え)を意識する・・・

 

11 平和とぞうと子どもたち《エンディング》児童合唱 ーーー ぞうれっしゃが 彦根、東京をはじめ全国各地から走りだす。戦争を生き抜いた2頭のゾウ
「マカニー」「エルド」と初めて出逢う子どもたち。大勢の子どもたちに囲まれ マカニー、エルドもうれしそうでした。ーーー

“いっしょに行進しよう ぼくたちと ・・・おおきな おおきな ともだちと あそぼう 日のしずむまで”

子どもたちに平和を伝えていく責任は私たち大人にある。フルートは「子どもの無邪気な声」角笛みたい。アコーディオンは 元気を演出したり
エネルギーの迫力を伝えることなど どういう音が必要なのか考えた。


霊峰「白山」


霊峰「白山」

石川、福井、岐阜、富山の4県にまたがり 御前峰(ごぜんがみね・2702m)を中心に、大汝峰(おおなんじみね・2684m)、剣ヶ峰(けんがみね・2677m)、別山(べつざん・2399m)を主峰とする。奈良時代、養老元年(717)修験道の僧、泰澄が開山した。加賀禅定道、越前禅定道、美濃禅定道の三禅定道が開かれた。

ルートは、砂防新道、観光新道、平瀬道、中宮道などがある。【砂防新道ルート】(別当出合⇔室堂 標高差 1190m)(室堂⇔御前峰 標高差 252m)

市ノ瀬(830m)→【※マイカー規制のためシャトルバス】→別当出合(1260m)→【※下りは専用道有】→60分→ 中飯場(1500m)→40分→ 別当覗(1750m)
→50分→ 甚之助避難小屋(1965m)→20分→ 南竜道分岐(2100m)→60分→ 黒ボコ岩(2320m)→15分→ 弥陀ヶ原(2350m)
【エコーライン分岐】→45分→ 白山室堂(2450m)→40分→ 高天原(たかまのはら)→ 御前峰(2702m)

八ヶ岳、白馬、上高地はお気に入り。毎年行っているが、違うところへ行きたい。立山は20年前に一度行ったきり。
南八ヶ岳や南アルプスは昨今の高温化により虫が大量発生しているよう。視界を遮るほどの虫なので・・・
ひんやりする北アルプスを検討。日本海側だと涼しく、植生も違うのではないか。確かにササの種類が違う。
先日の西日本豪雨で、登山道の植物などが流され荒れてしまった。管理の方が、泥を掘削し笹や植物を刈り取ってくれたのだ。
そのため、登山道に虫がほとんどいなかった。観光登山ができるよう配慮されていることに驚いた。

この日は、晴れて危険な暑さになる予報。京都や名古屋で38℃。全国的にも、35℃以上の体温超えの危険な暑さ。体力が持つか。
休日は、マイカー規制。「一ノ瀬」に朝4時着く。「一ノ瀬」から「別当出合」までシャトルバス。5:00の始発バスを待つ100名以上が列をつくっていた。
バスは2台まで同時出発したが、入りきれなく、次の便を待つ。シャトルバスは 20分に一本。
対向がしずらい急カーブ道を延々と登る。この区間、一般車で通行できる時期があるが 道幅がせまいので 気をつけて。
20分ほどで「別当出合」に到着。準備体操をして道中の無事安全を願い、鳥居をくぐる。

「黒ボコ岩」の手前の急登がきついが、それを超えた「弥陀ヶ原」が絶景。お花畑だった。
もちろん「室堂平」は最高の景観。気温は20℃。天気は快晴。

帰り、福井県のパーティーの人に大変御世話になった。御礼を申し上げたい。お話ができるのも よい思い出となった。
風呂は、パーティーの方 おすすめ 勝山温泉センター 水芭蕉に行ってみた。http://www.mizubasyo.jp/index.php

 

一ノ瀬(860m)、マイカー規制の日はシャトルバスが別当出合まで往復する。5:00の始発は、100人以上が列をつくった。
次発の5:20に乗った。

一ノ瀬には 温泉もある。ありがたや。駐車整理員がいて たすかる。

別当出合(1260m)ここが登山の出発点、涼しい。朝6時前だから。今日は、暑くなるとか。

717年 奈良時代の修験道の僧、泰澄が開山、1300年を迎えた。

照りつけがすごいので、日焼け止めクリームは必須。ザックの調整、水の補給 ストレッチなど準備万端にして。

出発点の鳥居前で手を合わせ祈る。スタート。

長大な吊り橋がある。結構ゆれる。

滝が多い。中飯場(なかはんば)まで順調。水場、トイレがある。水補給はしない。次で休憩をとろう。

今のところ急登はないが 思ったより長く感じる。

甚之助避難小屋(1970m)水分補給。水飲み場、トイレがある。暑くなってきた。
避難小屋とあり、あまり広くはないが中で休憩ができそう。プチバーベキューみたくミニコンロを沸かすのをみた。

景色がよい。ふと気がつくと。登りの右側の景色は 一向に変わらないのである。白山は 懐が深い。
次は 南竜分岐点 もしくは 黒ボコ岩 高度をあげてゆく。

急に涼しさが。登山道にも雪渓が少しかぶっている。間もなく解けるだろう。踏み抜きに気をつけて。

しばらくすると 巻き道になった。そして、急登が待っていた。これは上からみた感じ。

まだまだ。どんどん高度を上げていかないと。

水はよいのだが 日影が欲しいね。

この急登、きびしい日差し。休憩をとりたいが 道が細く 休む場所がない。
ふと思ったところ 水飲み場があらわれる。

「延命水」ちょろちょろ出ている。この水は ありがたい。

黒ボコ岩(分岐点)まで あと少し。岩の上に人がいる。

黒ボコ岩(2320m)到達 かなりの人が休憩をしている。長そで必須だが 風通しのよいものを。
登りきった感があり 次に行きたい。景色がよいので 時間を忘れる。さっきまでの苦しさはない。

さて、最後の登り。少しいくと 絶景が「弥陀ヶ原」。阿弥陀如来が住む浄土とされる。御花畑。
木道が敷いてある。照り返しが強かったが 救われた気がした。自然は脅威であるが神々しい。
これは「行」である。自然の脅威はしみじみと感じている。自然の恩恵に感謝し「行」をし、将来に自然を遺していく「業」を継承しなければ。
人類は、滅ぼされてしまう。科学、医学、化学などは発展をしたが 法則の中にとどまるべき。

左手、水屋尻雪渓が伸びている。エコーライン分岐を経て最後、五葉坂を登る。

室堂(2450m)に着いた。標準タイムでは 4時間40分(休憩なし)となっている。写真を撮ったり 水飲み場、トイレや急登は休憩をとるので
6時間弱かかった。室堂ビジターセンター 大規模な施設。

ここで昼食。中に入ると さらに涼しかった(?)

昼食は、ラーメンやカレー他 一般の食堂なみの味だ。

ビジターセンター 今度は小屋に泊まるからね。この向かいに 白山奥社と頂上が拝めた。

暑くはないのかな、ベンチで休んでいる。長閑なこと。ここまで来れば快適だが、昼前 猛烈な暑さだったから、ペースがあがらなかった。
前回は、南八ヶ岳の硫黄岳と北八ヶ岳の茶臼山、雨池をトレッキングしている。

白山奥宮と白山頂上。心が洗われる感じ。

祈祷殿と授与所。西日本豪雨への祈り「無病息災」を祈願した。

頂上の様子。白い山 白峰 それが「白山」

室堂から帰る時の「白山」。今日は、晴れてくれてよかった。

室堂側から弥陀ヶ原をのぞむ。

弥陀ヶ原 エコーラインより

ベストショット。白山は万年雪がある。この時期はまだ雪渓が大きいそう。納涼 少しでも涼しくなれば。
また、違う時期に来たいね。


東山動物園「ぞうれっしゃ」


東山動物園「ぞうれっしゃ」のモニュメント 50周年記念に建立されたもの。

ぞうれっしゃが生まれた舞台「東山動物園」にうかがってきました。
実は、象をみるのが 子どもの時以来何とも久し振りで その生態についてもイメージだけでなく実際を知っておこうと思いました。

愛知県名古屋市千種区にある。東山動植物園が母体で 今年で80周年を迎えます。スカイタワー、遊園地が併設されている。動物を見られることを、サーカスではなく動物園で役割を果たしてきました。戦前は東洋一の飼育数を誇った。戦時体制が困難になる中、空襲によって暴れだしたら問題だということで多くの動物が殺される戦時猛獣処分が下された。

1937年(昭和12年)3月 開園
7月 日中戦争がはじまる。
12月 木下サーカスから4頭を引き取る。「花子」に、キーコ(メス22歳)、マカニー(メス20歳)、エルド(メス17歳)、アトン(オス16歳)を加える。
1939年(昭和14年)1月 花子が死去。

1941年(昭和16年)12月8日 真珠湾攻撃 太平洋戦争がはじまった。
1942年(昭和17年)4月 名古屋初空襲。
1943年(昭和18年)上野動物園では、毒薬による動物の殺処分がはじまる。14種27点の動物が殺された。
東山動物園にも軍の命令が下され、ヒグマは毒殺、ライオンは毒入りの肉を食べないので銃殺された。また、食糧不足から動物園の空き地で穀物の栽培が始まる。
1944年(昭和19年)北王英一園長は、「ぞうを殺すなら私を殺してからにしてくれ」と嘆願。
2月 キーコ死去
6月 日本への本格的な空襲がはじまる。
12月 内務省の命令でライオン、トラ、ヒョウを射殺。クマ8頭を射殺。
12月 名古屋市内空襲で 死者330名、負傷者256名。
1945年(昭和20年)1月 アトン死去(栄養失調)動物園に陸軍が駐屯し食料の貯蔵庫となった。今だから言えるが、だまって象に餌をあげたりした。
2月 名古屋大空襲 爆弾が落ちた。東山動物園閉園。
8月 終戦。終戦まで生き延びたのは5種26点(ゾウ2頭、チンパンジー1頭、カンムリヅル2羽、カモ20羽、白鳥1羽)のみだった。
1946年(昭和21年)3月 再開。動物が少ないため 動物の写真を映写していた。

動物園を守りました。日本国内では唯一ここの2頭のゾウ マカニーとエルドは生きぬいたのです。
上野動物園は、象をお借りできないかと依頼しました。試しに象を引き離してみますが、この2頭を離すことができない出来事がありました。

1949年(昭和24年)6月18日、彦根から1000名が第1号のゾウ列車が名古屋へ走る。
6月25日、東京から「ぞう列車」が走った。大阪・京都・草津、埼玉・千葉・神奈川、石川・福井、津などから名古屋へ向かう列車が設定され、総数1万数千人を運んだ。近畿日本鉄道でも8月3日から約3ヶ月間、大阪の上本町駅から伊勢中川駅経由近鉄名古屋駅へ向かう列車を設定し、毎日500人ずつ、総計約4万5000人の子供達が乗車した。たくさんの人に喜ばれました。

1963年(昭和38年)9月9日 マカニー死去(46歳)
10月8日 エルド死去(43歳)
10月26日 マカニー、エルドの動物園葬
1964年(昭和39年)6月 動物慰霊碑が建立。
1975年(昭和50年)小冊子「ぞうれっしゃがやってきた」小出 隆司 (著), 箕田 源二郎 (イラスト)が作られ、後に絵本となる。
1986年(昭和61年)合唱構成「そうれっしゃがやってきた」(原作:小出隆司 作詞:清水則雄 作曲:藤村 記一郎 制作:愛知子どもの幸せと平和を願う合唱団)が作られる。

面影がここにありました。この慰霊碑に手をあわせ「ぞうれっしゃ」の楽譜の詩を詠みました。
9月23日には 動物慰霊祭が行われています。

世界中では、今なお紛争が起きている。戦争は悪です。
戦争をできるだけ避けるべく方法をとられるように 世界は互いに連携し発展していかなければなりません。

慰霊碑 私は、ぞうれっしゃの楽譜を置き、歌詞を詠んで手を合わせた。

ゾージアムの前にあるモニュメント「ゾウ列車」

現在 休憩所および 草原となっているところが マカニーとエルドがいた「広場」です。

「ゾージアム」は、ほっこりする場所。
象の生態についての記述。そして、象との対面。鼻を動かし 耳をパタパタし 大きなおしりにかわいい尻尾をふります。
また、隣の象とのじゃれあいが 表情が豊かで感動しました。4000kg=4トン 歩く速さは鈍重で遅いように思われますが、
人間の最速と同じそれ以上の時速40~50kmでます。トレーニングを積んでいる事がわかりました。

ゾージアム

4頭の体重が記載。4000kg=4トン

マカニーとエルドの物語。

賑わう、ゾージアム。さすが、動物園の王者。

4頭の紹介

じゃれあいの表情をみて。笑っているようにみえる。

お散歩のよう。ずっと食べてばかりいるのだと 運動不足になるので トレーニングをしているとか。
合唱構成「ぞうれっしゃがやってきた」第11曲「平和とぞうと子どもたち」では、子どもたちの
「ワーイぞうだ!」「でっかいなー」「ながーいおはな」「大きなおみみ」の台詞がある。

しばらくすると 閉ざされているゲートが開き そちらへ帰っていった。

 

動物会館 図書室で「ぞうれっしゃ」の資料について相談し 回答を得た。80周年を迎える 東山動物園。

 

堺平和のための戦争展2018 (複数イベントが7月28日~29日にあります)

「ぞうれっしゃがやってきた」作 小出隆司 作詞 清水則雄 作曲 藤村記一郎
演奏会は 7月28日(土)13:00 堺サンスクエアホール 出演します。
(参加協力券 サポーター一口 500円をお願いいたします)

指揮 小池哲夫(合唱団「炎の街から」指揮者) ピアノ 中島優美 フルート 花室千佐 アコーディオン 西辻善則


八ヶ岳「硫黄岳」の世界


八ヶ岳「硫黄岳」の世界

桜平駐車場(中)(1900) ⇒ 夏沢鉱泉(2060) ⇒ オーレン小屋(2330)
夏沢峠(2433)(ヒュッテ夏沢) ⇒ 硫黄岳頂上(2760)

駐車場は台数の多い(中)がおすすめ。
登山口から 夏沢鉱泉まで ザレ道を下り上り 進む。
これくらいの坂の角度は急ではない。体調の確認と靴やザックの紐の調整等を。

夏沢鉱泉に着いた。女性スタッフが 荷物を担いで往復しているのをみた。
4WDの車で ザレた道を走っていった。よい温泉、スタッフの対応もよいと聞いている。休憩ポイントで売店もある。

次は オーレン小屋へ このルートから 石の大きさが大きくなる。だが 坂はきつくない。
先ほどより 少し長くかかったが 汗をたらたらかくほどではない。
6月ということと 早朝で まだ気温が上がる前だから。

オーレン小屋に着く。ここは 八ケ岳の中継地点。北には 根石岳 天狗岳 南は 硫黄岳 横岳などの縦走ができる。
ここまで 1時間半くらい。スタッフの明るい声がこだまする。

次、夏沢峠に向かう。稜線上の樹林帯なのでなだらか何ともないレベル。時間も予定どおり。ここまで2時間弱。
急に視界が開ける。そこが夏沢峠。ここから八ヶ岳は南北に分かれる。北には 天狗岳 南には 目標の硫黄岳が聳える。
有史以来の大噴火で 頂上付近が吹っ飛んで変な山容をしている。

さて、硫黄岳頂上へ向う。いよいよ 最後の乗越。今までとは違う急な坂。そして、写真にもあったあの頂点まで 簡単にはいかないだろう。
ザレた大きな石、岩を気をつけて段を登る。左手に崖や爆裂火口をみながら気をつけて。
ザレた巻き道で大きな岩を通過するとケルン。そこには、森林限界の斜面が存在していた。
頂上が見えたのかと思ったが、その手前のケルンまでが見えた。
ケルンを3つ超えたのに 頂上に着かせてくれない。日差しが強く汗がふきだしてきた。ここで休憩。
アプローチは標準で70分だが、写真撮りながらなど90分かかった。
ほどほどに人がいるのが、支えになる。道をふりかえると 天狗岳がよく見える。その絶景に 心をうばわれそう。

5つ目のケルン。ようやく頂上に着いた。広い頂上だ。爆裂火口が凄まじい地獄絵図を描いている。稜線上の峰を見渡す。
北は天狗岳ほか市街を見渡す。南は最高峰「赤岳」横岳の稜線など。左手から富士山がみえたのには驚いた。

登りがいのある山 それが硫黄岳。

6月は昼が長い。これを最大限に使って日帰り登山。しかし 工程は 予定として 7時間。
この青い空。気温は 15度くらい 肌寒い 標高は1900m。出発だ。

これが登山口。ここからは 許可車のみ。硫黄岳は 美濃戸口などもあるが。今回は、夏沢鉱泉 オーレン小屋経由。

第一の通過点 夏沢鉱泉へ。ここでは 宿泊もでき 温泉もつかることができる。

ここへ来るだけでも 別世界。賑わっている。これからシーズンだと言うのに。人気の小屋。次はオーレン小屋。

オーレン小屋(2330m)

ここまで 1時間半弱。快適な山歩き。ここから 夏沢峠か 峰の松目経由 どちらかを選択。
今回は 夏沢峠経由で。

なだらかな道の時は、道の状態をよく観察する。この木の橋はいつ頃からあったのだろうか、なんて。

急に視界が開けた。夏沢峠(2433m)に着く。夏沢ヒュッテは7月から営業。
ここを境に 北側は天狗岳への北八ヶ岳への稜線上の道。南八ヶ岳は 岩稜帯の存在する切り立った山上が特徴だ。
南側に 異様なかたちの硫黄岳が聳える。

ここで 栄養・水分補給をして 小休憩。天狗岳よりも硫黄岳の山頂の景色をみたいので。写真をおさめる。

今までとは違う。急登は間違いなく 厳しい登りが。

最初のケルンを発見。もう斜面は 爆裂火口の崖がある。ふりかえれば 天狗岳。

頂上と表記のあるケルンに到着。三角点を探すが・・・ 他の人もその様子はない。
広い頂上 どこでも登頂したことに変わりはない。が 気になるので さがしあてる。

これかな。三角点。どこで 休憩しようか。そういえば 火口があった。

 

爆裂火口。東西に1km 深さ 550m

鳥も頂上の岩場に立った。

こちらが天狗岳方面。右は爆裂火口の崖。

こちらは 横岳 赤岳などの南八ヶ岳方面。

ほとんどの人は 火口付近へ寄ってはこなかった。ここまで来ると 赤岳の後ろに富士山が隠れていたのを
見逃さない。

八ヶ岳は、130万年前からあり噴火活動を繰り返す。20万年前に活動が最盛期。主峰、古阿弥陀岳(推定 3400m)があったが 大規模な山上爆発をおこし山頂が吹きとんだ。現在の赤岳(2899m)は、最高峰。その後、硫黄岳が噴火し火口が吹きとんだ。自然の醍醐味を感じる。


東山(大文字山火床・銀閣寺・哲学の道)


東山(大文字山火床・銀閣寺・哲学の道)

京都一周トレイルの一つの道がある。全長83kmにおよぶ
参考HPはこちら https://kanko.city.kyoto.lg.jp/trail/

銀閣寺周辺の駐車場は 1時間400円が相場である。よって 2時間半以上いるならば 1000円の観光駐車場でもよいと思う。
疎水、岡崎、南禅寺、北白川には名勝がたくさん並ぶので 時間がいくらあっても足りない。

銀閣寺は欧米人が多い。哲学の道も関係するのだろう。Kiharuというアイスバー、フルーツ氷のお店があるが ほとんど外国人。
ここはヨーロッパと勘違いしてしまう。頬張っている。

本日 団体さんがいくつもいました。ガイドさんが「空気が澄んでいる 春までがお勧め」だとか。しかし京都は底冷えするので
日程を考慮して。また、登山道は灯りがないので 夜はヘッドライトを装備しないとね。

駐車場から銀閣寺の左側からの側道を通り登山口に入る。最初 ゆっくりした上り坂だが 途中 木の段になり
最後は、急な石段になっている。

銀閣寺→(脇道)→八神社→登山口(自転車置き場がある)→千人塚→リフト(青い建物)→石段→大文字山火床

そろそろ休憩しようかなの頃に「火床」に到着。
いい汗をかいた。写真を撮りながらなので上りが40分くらいの道のり。

「大文字火床」は、結構広い。1画は80mあり、そのちょうど中心「金尾」に、弘法大師像がある。大文字焼きは、弘法大師が発案したという説がある。
ここから 西をのぞめる。「大」の字で立ち 撮影される人が多いとか。気持ちのよいところだ。

「火床」は「大」という文字を75基で飾っている。遠くからでもはっきりと見えるように、高さを利用し立体的である。
1画 19基 80m 2画 29基 160m 3画 27基 120m。

「五山の送り火」は、8月16日に行われている。
護摩木を奉納し 御焚上げをする。
20:00に大文字に点火されると、5分おきに 他の山にも順次点火され、
夜の京都は幻想的で厳かです。

 

 

 

 


パイプオルガン演奏「ホールM」


パイプオルガンには 魅せられてきた。

思えば、小学5年生頃 ピアノの先生に 連弾しませんか、と。
バッハの トッカータとフーガニ短調を 先生の家で鑑賞し、レコードを聴いたのがきっかけ。

中学2年生の小フーガト短調で感化し、ピアノで何とか弾いてみようとした。
以来、教会のオルガンに惹かれている。

つい先日、パイプオルガンの講習を受講した。ペダルなどは ほとんど練習できなかったが
オルガンというものの響きについて認識を深めた。土橋薫先生にみていただきました。

ストップという音色を変えるスイッチがあり これにより音楽が劇的に変わる。
パイプオルガンは 鍵盤楽器でもあるが ストップの発想からすれば管楽器である。
しかし、リード楽器ではないので音は断定的に出る。その表現は、演奏している場所からは想像できなく客観的に聴けるのがよい。

これは、「ホールM」。立派なパイプオルガン。何年か後には、きっと ペダルの曲を演奏しているのかもしれない。

バッハ(ペツォルト)/メヌエット ト長調 ト短調 ストップの移り変わりに醍醐味を感じる。


「われらは涙しひざまずき」十字架へのわが愛「マタイ受難曲」


「マタイ受難曲」BWV244  最終曲 第68曲「われら涙しひざまずき」

新約聖書「マタイによる福音書」の26、27章のキリストの受難を題材にした受難曲。新約聖書のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書に基づくイエス・キリストの受難を描いた。受難曲はキリスト教の聖週間における典礼と密接に結びつき、中世以来の長い伝統があり、17世紀~18世紀には、ルター派圏内で合唱や管弦楽を伴うオラトリオ(受難曲)が作曲された。

ミサ曲などは、宗教の儀式で奏される 典礼文などに則り厳正な音楽としては限定的であり 音楽の普及のためには 門戸をひらき プロテスタントに道が開かれた。典礼文の一部を採用したり、ドイツ語や英語などの宗教曲もでてきて、あるいは聖書からのテクストなどさまざまな場面を採用していった。

ルターの宗教改革がおこなわれたのは、今から400年前。それまでは、カトリックが厳正で 守れないものは刑を免れなかった。

たとえば、コペルニクスの地動説については、ルターは厳しく非難した。コペルニクスは正式に70歳の晩年に主張し、その後没した。後にガリレオが 発明された「望遠鏡」で惑星を観測し発見する。地動説を主張したが、宗教裁判にかけられ 終身刑となった。カトリックにおける破門が宣告、すべての役職を剥奪され、『天文対話』の禁書目録入りとなり、地動説放棄を命じられる。1633年、有罪とされ、フィレンツェ郊外に幽閉された。それでも ガリレオは、研究をやめず 望遠鏡をみつづけた。1638年に『新科学対話』を、プロテスタント国オランダのライデンで発刊する。1642年、ガリレイは幽閉先で78年で亡くなった。身分回復は得られず、家族の墓地に葬られず、墓碑もない状態が続く。ローマ教皇ヨハネス=パウルス2世(位1920-2005)は 裁判の誤りを認め(1983)ガリレイの有罪判決を撤回した。2回目の裁判から359年ぶりの1992年に、ガリレイは破門を解かれたのである。

聖書という絶対的なテクストを守り伝える。この曲は「人生のテーマ」それ以上の価値を持つ。現代版「十字架へのわが愛」はこの曲、X JAPAN の「CRUCIFY MY LOVE」。人間という悪魔が引き裂く現実。人は 嫉妬深い存在で 他人を欺き 地獄に突き落とす 愚かな存在。その罪を清浄することが 生きていくための条件。人は十字架を背負って生きている・・・

バッハ(1685~1750)はルターの宗教改革と密接に関連していた。ドイツ語のカンタータ300曲に及ぶ。また、カンタータなど管弦楽の曲をオルガン用に転用し「オルガン小曲集」など親しみやすいものにしている。頂点にたつ作品が「受難曲」バッハは、4つの受難曲を作曲している。マタイ ヨハネ ルカ マルコである。このうち「マタイ」と「ヨハネ」が完全に遺っている。死後、長く忘れられていたが、1829年3月21日、メンデルスゾーンによってマタイ受難曲が、歴史的な復活蘇演がなされ、バッハの再評価につながった。

第1曲から 第68曲まで 第Ⅰ部(第1~35曲)と第Ⅱ部(第36~78曲)約3時間を要する 壮大なパッション。私が思うところを書いてみたい。

Thomas Quasthoff トーマス・クヴァストホフ  障害を乗り越えキャリアを積み重ね 歌手として活躍をする。また、指揮でも高い評価を得ている。

第1曲「来たれ娘たちよ、ともに嘆け。」 Kommt, ihr Töchter, helft mir klagen

ホ短調のバスから開始される。管弦楽の響き、合唱の叫びにもとれる声が印象的。
ただごとならぬ予感で、終わりをも期待させる。

Kommt, ihr Töchter, helft mir klagen, 来たれ娘たちよ、ともに嘆け。
sehet-Wen?-den Bräutigam, 見よ-誰を?-花婿を、
seht ihn-Wie?-als wie ein Lamm! 彼を見よ-どのような?-子羊のような!
Sehet,-Was?-seht die Geduld, 見よ-何を?-彼の忍耐を、
seht-Wohin?-auf unsre Schuld; 見よ-どこを?-私たちの罪を
sehet ihn aus Lieb und Huld 愛と慈しみゆえにみずから
Holz zum Kreuze selber tragen! 木の十字架を背負われるあのお姿を見よ!

Choral ‐ Soprano in ripieno コラール
O Lamm Gottes, uaschuldig おお、罪なき神の子羊よ
am Stamm des Kreuzes geschlachtet, 犠牲として、十字架に架けられた御方よ、

allzeit erfunden geduldig, たとえ侮辱されようとも、
wiewohl du warest verachtet. いつでも耐え忍ばれた。
All Sünd hast du getragen, すぺての罪をあなたは背負ってくださった。
sonst müßten wir verzagen. さもなければ私たちの望みは絶えていただろう。
Erbarm dich unser, o Jesu! 私たちを憐れんでください、おおイエスよ!

第21曲 受難のコラール「私を知って下さい、私の守り手よ」Erkenne mich, mein Huter,
合唱隊は、この曲が何度となく出てくるが、その場面毎に、忠実に再現するのだ。

Erkenne mich, mein Hüter, 私を認めてください、私の守り手よ。
mein Hirte,nimm mich an! 私の羊飼いよ、私を受け入れてください!
Von dir,Quell aller Güter, すべての宝の泉であるあなたから
ist mir viel Guts getan. 私のために多くのよいことが行われました。
Dein Mund hat mich gelabet あなたの口はミルクと甘い食べ物で
mit Milch und süßer Kost, 私を元気づけてくださいました。
dein Geist hat mich begabet あなたの聖霊は多くの天国の喜びを
mit mancher Himmelslust. もたらしてくださいました。

第47曲 アリア「憐れみたまえ,わが神よ」Erbarme dich, mein Gott,
深い悲しみが表現されている。美しいソロ・ヴァイオリンと哀しみのアルトの歌声。

キリストが逮捕された後、ペテロは大祭司の家の庭に連れてこられた。人々は彼を見て「お前もあの男の弟子の一人ではないのか」と言うと、ペテロは打ち消して「違う」と言う。大祭司の僕の一人で、ペテロに耳を切り落とされた人マルコの身内の者(下女)が言う。「園であの男と一緒にいるのを、私に見られたではないか。」ペテロは再び否定する。三度打ち消すとすぐ鶏が鳴く。ペテロはキリストの予言を思い出し、それを自分が強く否定した事も思い出し、後悔して泣き崩れた。

Erbarme dich, mein Gott, 憐れんでください、私の神よ!
un meiner Zähren willen ! 私の涙ゆえに、
Schaue hier. 私をご覧ください。
Herz und Auge weint vor dir bitterlich. 心も目もあなたの御前に激しく泣いています。

第58曲 アリア「愛ゆえに 我が救い主は死に給う」Aus Liebe will mein Heiland sterben

キリストが捕らえられ、広場に引き出されたとき、ローマ帝国の属州総督ピラトが、「このものは、どんな罪を犯したのというのか?」との問いかけに、一女性が「どんな罪もなく、ただ、私たちのために死ぬのです」と気高く答えるアリア。

Aus Liebe will mein Heiland sterben. 愛ゆえに私の救い主は死のうとしておられます。
von einer Sünde weiß er nichts. 罪ひとつ知らない御方なのに。
daß das ewige Verderben 永遠の破滅と
und die Strafe des Gerichts 裁きの刑罰が
nicht auf meiner Seele bliebe. 私の魂に覆いかぶさらないように、と。

第68曲 終曲 合唱「われら涙流してひざまずき」

Wir setzen uns mit Tränen nieder われらは涙してひざまつき
und rufen dir im Grabe zu, そして、墓の中のあなたに呼びかけます。
Ruhe sanfte, sanfte ruh! 安らかにお休みください、やすらかに。
Ruht, ihr ausgesognen Glieder! お休みください、疲れ果てた御体よ!
Ruhe sanfte, ruhet wohl! 安らかにお休みください、やすらかに。
Euer Grab und Leichenstein あなたの墓と墓石は、
soll dem ängstlichen Gewissen 悩める良心にとっては
ein bequemes Ruhekissen ここちよい憩いの枕、
und der Seelen Ruhstatt sein. 魂の憩いの場となるべきもの。
Höchst vergnügt schlimmern da die Augen ein. こよなく満ち足りて、その眼は眠りにつくでしょう。

私は、クリスチャンではないが、この曲を聴いた後は、拍手は一切しない。なぜなら、キリストが十字架に磔にされ 受難したことを重く受け止めるべきであるから。

感謝すること・・・

キリスト教的には、私たちは、罪深き存在で完璧ではない。良心を裏切り、嫉妬し、嘘をつき、他人を地獄につきおとす。欲望を捨てきれない限り、人間は神に仕える事のみ生きるすべである。神様には、その罪を打ち明け懺悔し、清浄につとめなければならない。そして、「聖書」をテクストとし、これを実践することが「生活」である。

仏教的には、人間には煩悩がある。自らが、悟りをひらき、自分の生き方について「慈悲」をもち、人には「仏の心」で接すること。また、己を律することが求められ、そのためには真言をとなえ行を実践する。仏の道を達観するには、「経典」を勉めるために「出家し」僧侶となり実践する生活を送る。
「帰依仏 帰依法 帰依僧」


伊豆七不思議「大瀬埼」


大瀬埼 駿河湾富嶽三十六景のひとつ 静岡県沼津市大瀬にある。沼津市から「あわしまマリンパーク」を経由し海岸線をすすむ事、約1時間、伊豆半島西北の端に位置し、「伊豆七不思議」のひとつ「神池」がある。

白鳳時代(684年)大地震がこの地を襲った。その際隆起し、突如あらわれた「琵琶島」。東側は砂浜 西側は大きな石がごろごろとしている。伊豆半島は、元はひとつの火山島。爆発し隆起、断崖絶壁の地形をつくりだし、フィリピンプレートに沿って日本列島に接近してきた。最接近するにつれ 海底が隆起 海がなくなり陸つづきになった。さらに押し縮められ 丹那山地となった。箱根に「大湧谷」があるが、その周辺は地殻エネルギーのたまりやすい場所。現在も、1年に数センチ、北西に移動している事で ひずみが生じ内陸地震がおきているのである。

大瀬神社(おせじんじゃ)という。引手力命神社(海の守護神)を祀る。突端には灯台があり、ダイビングスポットとして夏場など人気のスポット。海に従事するものは ここに祈願に来る。

さて、大瀬岬のような形は 砂嘴(さし)とよばれる。ここが特別なのは 淡水の池「神池」が存在すること。海から50mと離れていない。池の南側端と海の距離はで20mほどしかない。池に海水がかかってもおかしくないのだが、淡水の池をまもっている。しかし池の色は 若干緑色をしていて 独特の風合い。この日は、猛烈なシケで 海側では潮がどっぷりと飛沫をあげているのに この神池は何と穏やかなことか。

神池であるがゆえに 科学的な調査はあえて行っていない。この地を永久に保存するために。草木や魚をとったりすると 祟りを引き起こすとされている。崇りについては、事故や原因不明の病気で亡くなっている。自然は豊かだ。鯉が3万匹いるよう。近づくと、口をパクパクと餌をねだっている姿に驚く。隣に、餌を販売している。

この海岸は、ビャクシンの木々が生い茂る。「ビャクシン」は、130本以上の樹があるのだが。現在の御神木は 推定1500年以上。甚く感動したのは、これらの巨樹に 大きな石ころが樹の中にめり込んでいる。とってあげたい気持ちがあるのだが。御神木は、基本触れられないから。強風に耐えている、その姿には驚嘆しかない。