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霊峰「白山」


霊峰「白山」

石川、福井、岐阜、富山の4県にまたがり 御前峰(ごぜんがみね・2702m)を中心に、大汝峰(おおなんじみね・2684m)、剣ヶ峰(けんがみね・2677m)、別山(べつざん・2399m)を主峰とする。奈良時代、養老元年(717)修験道の僧、泰澄が開山した。加賀禅定道、越前禅定道、美濃禅定道の三禅定道が開かれた。

ルートは、砂防新道、観光新道、平瀬道、中宮道などがある。【砂防新道ルート】(別当出合⇔室堂 標高差 1190m)(室堂⇔御前峰 標高差 252m)

市ノ瀬(830m)→【※マイカー規制のためシャトルバス】→別当出合(1260m)→【※下りは専用道有】→60分→ 中飯場(1500m)→40分→ 別当覗(1750m)
→50分→ 甚之助避難小屋(1965m)→20分→ 南竜道分岐(2100m)→60分→ 黒ボコ岩(2320m)→15分→ 弥陀ヶ原(2350m)
【エコーライン分岐】→45分→ 白山室堂(2450m)→40分→ 高天原(たかまのはら)→ 御前峰(2702m)

八ヶ岳、白馬、上高地はお気に入り。毎年行っているが、違うところへ行きたい。立山は20年前に一度行ったきり。
南八ヶ岳や南アルプスは昨今の高温化により虫が大量発生しているよう。視界を遮るほどの虫なので・・・
ひんやりする北アルプスを検討。日本海側だと涼しく、植生も違うのではないか。確かにササの種類が違う。
先日の西日本豪雨で、登山道の植物などが流され荒れてしまった。管理の方が、泥を掘削し笹や植物を刈り取ってくれたのだ。
そのため、登山道に虫がほとんどいなかった。観光登山ができるよう配慮されていることに驚いた。

この日は、晴れて危険な暑さになる予報。京都や名古屋で38℃。全国的にも、35℃以上の体温超えの危険な暑さ。体力が持つか。
休日は、マイカー規制。「一ノ瀬」に朝4時着く。「一ノ瀬」から「別当出合」までシャトルバス。5:00の始発バスを待つ100名以上が列をつくっていた。
バスは2台まで同時出発したが、入りきれなく、次の便を待つ。シャトルバスは 20分に一本。
対向がしずらい急カーブ道を延々と登る。この区間、一般車で通行できる時期があるが 道幅がせまいので 気をつけて。
20分ほどで「別当出合」に到着。準備体操をして道中の無事安全を願い、鳥居をくぐる。

「黒ボコ岩」の手前の急登がきついが、それを超えた「弥陀ヶ原」が絶景。お花畑だった。
もちろん「室堂平」は最高の景観。気温は20℃。天気は快晴。

帰り、福井県のパーティーの人に大変御世話になった。御礼を申し上げたい。お話ができるのも よい思い出となった。
風呂は、パーティーの方 おすすめ 勝山温泉センター 水芭蕉に行ってみた。http://www.mizubasyo.jp/index.php

 

一ノ瀬(860m)、マイカー規制の日はシャトルバスが別当出合まで往復する。5:00の始発は、100人以上が列をつくった。
次発の5:20に乗った。

一ノ瀬には 温泉もある。ありがたや。駐車整理員がいて たすかる。

別当出合(1260m)ここが登山の出発点、涼しい。朝6時前だから。今日は、暑くなるとか。

717年 奈良時代の修験道の僧、泰澄が開山、1300年を迎えた。

照りつけがすごいので、日焼け止めクリームは必須。ザックの調整、水の補給 ストレッチなど準備万端にして。

出発点の鳥居前で手を合わせ祈る。スタート。

長大な吊り橋がある。結構ゆれる。

滝が多い。中飯場(なかはんば)まで順調。水場、トイレがある。水補給はしない。次で休憩をとろう。

今のところ急登はないが 思ったより長く感じる。

甚之助避難小屋(1970m)水分補給。水飲み場、トイレがある。暑くなってきた。
避難小屋とあり、あまり広くはないが中で休憩ができそう。プチバーベキューみたくミニコンロを沸かすのをみた。

景色がよい。ふと気がつくと。登りの右側の景色は 一向に変わらないのである。白山は 懐が深い。
次は 南竜分岐点 もしくは 黒ボコ岩 高度をあげてゆく。

急に涼しさが。登山道にも雪渓が少しかぶっている。間もなく解けるだろう。踏み抜きに気をつけて。

しばらくすると 巻き道になった。そして、急登が待っていた。これは上からみた感じ。

まだまだ。どんどん高度を上げていかないと。

水はよいのだが 日影が欲しいね。

この急登、きびしい日差し。休憩をとりたいが 道が細く 休む場所がない。
ふと思ったところ 水飲み場があらわれる。

「延命水」ちょろちょろ出ている。この水は ありがたい。

黒ボコ岩(分岐点)まで あと少し。岩の上に人がいる。

黒ボコ岩(2320m)到達 かなりの人が休憩をしている。長そで必須だが 風通しのよいものを。
登りきった感があり 次に行きたい。景色がよいので 時間を忘れる。さっきまでの苦しさはない。

さて、最後の登り。少しいくと 絶景が「弥陀ヶ原」。阿弥陀如来が住む浄土とされる。御花畑。
木道が敷いてある。照り返しが強かったが 救われた気がした。自然は脅威であるが神々しい。
これは「行」である。自然の脅威はしみじみと感じている。自然の恩恵に感謝し「行」をし、将来に自然を遺していく「業」を継承しなければ。
人類は、滅ぼされてしまう。科学、医学、化学などは発展をしたが 法則の中にとどまるべき。

左手、水屋尻雪渓が伸びている。エコーライン分岐を経て最後、五葉坂を登る。

室堂(2450m)に着いた。標準タイムでは 4時間40分(休憩なし)となっている。写真を撮ったり 水飲み場、トイレや急登は休憩をとるので
6時間弱かかった。室堂ビジターセンター 大規模な施設。

ここで昼食。中に入ると さらに涼しかった(?)

昼食は、ラーメンやカレー他 一般の食堂なみの味だ。

ビジターセンター 今度は小屋に泊まるからね。この向かいに 白山奥社と頂上が拝めた。

暑くはないのかな、ベンチで休んでいる。長閑なこと。ここまで来れば快適だが、昼前 猛烈な暑さだったから、ペースがあがらなかった。
前回は、南八ヶ岳の硫黄岳と北八ヶ岳の茶臼山、雨池をトレッキングしている。

白山奥宮と白山頂上。心が洗われる感じ。

祈祷殿と授与所。西日本豪雨への祈り「無病息災」を祈願した。

頂上の様子。白い山 白峰 それが「白山」

室堂から帰る時の「白山」。今日は、晴れてくれてよかった。

室堂側から弥陀ヶ原をのぞむ。

弥陀ヶ原 エコーラインより

ベストショット。白山は万年雪がある。この時期はまだ雪渓が大きいそう。納涼 少しでも涼しくなれば。
また、違う時期に来たいね。


東山動物園「ぞうれっしゃ」


東山動物園「ぞうれっしゃ」のモニュメント 50周年記念に建立されたもの。

ぞうれっしゃが生まれた舞台「東山動物園」にうかがってきました。
実は、象をみるのが 子どもの時以来何とも久し振りで その生態についてもイメージだけでなく実際を知っておこうと思いました。

愛知県名古屋市千種区にある。東山動植物園が母体で 今年で80周年を迎えます。スカイタワー、遊園地が併設されている。動物を見られることを、サーカスではなく動物園で役割を果たしてきました。戦前は東洋一の飼育数を誇った。戦時体制が困難になる中、空襲によって暴れだしたら問題だということで多くの動物が殺される戦時猛獣処分が下された。

1937年(昭和12年)3月 開園
7月 日中戦争がはじまる。
12月 木下サーカスから4頭を引き取る。「花子」に、キーコ(メス22歳)、マカニー(メス20歳)、エルド(メス17歳)、アトン(オス16歳)を加える。
1939年(昭和14年)1月 花子が死去。

1941年(昭和16年)12月8日 真珠湾攻撃 太平洋戦争がはじまった。
1942年(昭和17年)4月 名古屋初空襲。
1943年(昭和18年)上野動物園では、毒薬による動物の殺処分がはじまる。14種27点の動物が殺された。
東山動物園にも軍の命令が下され、ヒグマは毒殺、ライオンは毒入りの肉を食べないので銃殺された。また、食糧不足から動物園の空き地で穀物の栽培が始まる。
1944年(昭和19年)北王英一園長は、「ぞうを殺すなら私を殺してからにしてくれ」と嘆願。
2月 キーコ死去
6月 日本への本格的な空襲がはじまる。
12月 内務省の命令でライオン、トラ、ヒョウを射殺。クマ8頭を射殺。
12月 名古屋市内空襲で 死者330名、負傷者256名。
1945年(昭和20年)1月 アトン死去(栄養失調)動物園に陸軍が駐屯し食料の貯蔵庫となった。今だから言えるが、だまって象に餌をあげたりした。
2月 名古屋大空襲 爆弾が落ちた。東山動物園閉園。
8月 終戦。終戦まで生き延びたのは5種26点(ゾウ2頭、チンパンジー1頭、カンムリヅル2羽、カモ20羽、白鳥1羽)のみだった。
1946年(昭和21年)3月 再開。動物が少ないため 動物の写真を映写していた。

動物園を守りました。日本国内では唯一ここの2頭のゾウ マカニーとエルドは生きぬいたのです。
上野動物園は、象をお借りできないかと依頼しました。試しに象を引き離してみますが、この2頭を離すことができない出来事がありました。

1949年(昭和24年)6月18日、彦根から1000名が第1号のゾウ列車が名古屋へ走る。
6月25日、東京から「ぞう列車」が走った。大阪・京都・草津、埼玉・千葉・神奈川、石川・福井、津などから名古屋へ向かう列車が設定され、総数1万数千人を運んだ。近畿日本鉄道でも8月3日から約3ヶ月間、大阪の上本町駅から伊勢中川駅経由近鉄名古屋駅へ向かう列車を設定し、毎日500人ずつ、総計約4万5000人の子供達が乗車した。たくさんの人に喜ばれました。

1963年(昭和38年)9月9日 マカニー死去(46歳)
10月8日 エルド死去(43歳)
10月26日 マカニー、エルドの動物園葬
1964年(昭和39年)6月 動物慰霊碑が建立。
1975年(昭和50年)小冊子「ぞうれっしゃがやってきた」小出 隆司 (著), 箕田 源二郎 (イラスト)が作られ、後に絵本となる。
1986年(昭和61年)合唱構成「そうれっしゃがやってきた」(原作:小出隆司 作詞:清水則雄 作曲:藤村 記一郎 制作:愛知子どもの幸せと平和を願う合唱団)が作られる。

面影がここにありました。この慰霊碑に手をあわせ「ぞうれっしゃ」の楽譜の詩を詠みました。
9月23日には 動物慰霊祭が行われています。

世界中では、今なお紛争が起きている。戦争は悪です。
戦争をできるだけ避けるべく方法をとられるように 世界は互いに連携し発展していかなければなりません。

慰霊碑 私は、ぞうれっしゃの楽譜を置き、歌詞を詠んで手を合わせた。

ゾージアムの前にあるモニュメント「ゾウ列車」

現在 休憩所および 草原となっているところが マカニーとエルドがいた「広場」です。

「ゾージアム」は、ほっこりする場所。
象の生態についての記述。そして、象との対面。鼻を動かし 耳をパタパタし 大きなおしりにかわいい尻尾をふります。
また、隣の象とのじゃれあいが 表情が豊かで感動しました。4000kg=4トン 歩く速さは鈍重で遅いように思われますが、
人間の最速と同じそれ以上の時速40~50kmでます。トレーニングを積んでいる事がわかりました。

ゾージアム

4頭の体重が記載。4000kg=4トン

マカニーとエルドの物語。

賑わう、ゾージアム。さすが、動物園の王者。

4頭の紹介

じゃれあいの表情をみて。笑っているようにみえる。

お散歩のよう。ずっと食べてばかりいるのだと 運動不足になるので トレーニングをしているとか。
合唱構成「ぞうれっしゃがやってきた」第11曲「平和とぞうと子どもたち」では、子どもたちの
「ワーイぞうだ!」「でっかいなー」「ながーいおはな」「大きなおみみ」の台詞がある。

しばらくすると 閉ざされているゲートが開き そちらへ帰っていった。

 

動物会館 図書室で「ぞうれっしゃ」の資料について相談し 回答を得た。80周年を迎える 東山動物園。

 

堺平和のための戦争展2018 (複数イベントが7月28日~29日にあります)

「ぞうれっしゃがやってきた」作 小出隆司 作詞 清水則雄 作曲 藤村記一郎
演奏会は 7月28日(土)13:00 堺サンスクエアホール 出演します。
(参加協力券 サポーター一口 500円をお願いいたします)

指揮 小池哲夫(合唱団「炎の街から」指揮者) ピアノ 中島優美 フルート 花室千佐 アコーディオン 西辻善則


八ヶ岳「硫黄岳」の世界


八ヶ岳「硫黄岳」の世界

桜平駐車場(中)(1900) ⇒ 夏沢鉱泉(2060) ⇒ オーレン小屋(2330)
夏沢峠(2433)(ヒュッテ夏沢) ⇒ 硫黄岳頂上(2760)

駐車場は台数の多い(中)がおすすめ。
登山口から 夏沢鉱泉まで ザレ道を下り上り 進む。
これくらいの坂の角度は急ではない。体調の確認と靴やザックの紐の調整等を。

夏沢鉱泉に着いた。女性スタッフが 荷物を担いで往復しているのをみた。
4WDの車で ザレた道を走っていった。よい温泉、スタッフの対応もよいと聞いている。休憩ポイントで売店もある。

次は オーレン小屋へ このルートから 石の大きさが大きくなる。だが 坂はきつくない。
先ほどより 少し長くかかったが 汗をたらたらかくほどではない。
6月ということと 早朝で まだ気温が上がる前だから。

オーレン小屋に着く。ここは 八ケ岳の中継地点。北には 根石岳 天狗岳 南は 硫黄岳 横岳などの縦走ができる。
ここまで 1時間半くらい。スタッフの明るい声がこだまする。

次、夏沢峠に向かう。稜線上の樹林帯なのでなだらか何ともないレベル。時間も予定どおり。ここまで2時間弱。
急に視界が開ける。そこが夏沢峠。ここから八ヶ岳は南北に分かれる。北には 天狗岳 南には 目標の硫黄岳が聳える。
有史以来の大噴火で 頂上付近が吹っ飛んで変な山容をしている。

さて、硫黄岳頂上へ向う。いよいよ 最後の乗越。今までとは違う急な坂。そして、写真にもあったあの頂点まで 簡単にはいかないだろう。
ザレた大きな石、岩を気をつけて段を登る。左手に崖や爆裂火口をみながら気をつけて。
ザレた巻き道で大きな岩を通過するとケルン。そこには、森林限界の斜面が存在していた。
頂上が見えたのかと思ったが、その手前のケルンまでが見えた。
ケルンを3つ超えたのに 頂上に着かせてくれない。日差しが強く汗がふきだしてきた。ここで休憩。
アプローチは標準で70分だが、写真撮りながらなど90分かかった。
ほどほどに人がいるのが、支えになる。道をふりかえると 天狗岳がよく見える。その絶景に 心をうばわれそう。

5つ目のケルン。ようやく頂上に着いた。広い頂上だ。爆裂火口が凄まじい地獄絵図を描いている。稜線上の峰を見渡す。
北は天狗岳ほか市街を見渡す。南は最高峰「赤岳」横岳の稜線など。左手から富士山がみえたのには驚いた。

登りがいのある山 それが硫黄岳。

6月は昼が長い。これを最大限に使って日帰り登山。しかし 工程は 予定として 7時間。
この青い空。気温は 15度くらい 肌寒い 標高は1900m。出発だ。

これが登山口。ここからは 許可車のみ。硫黄岳は 美濃戸口などもあるが。今回は、夏沢鉱泉 オーレン小屋経由。

第一の通過点 夏沢鉱泉へ。ここでは 宿泊もでき 温泉もつかることができる。

ここへ来るだけでも 別世界。賑わっている。これからシーズンだと言うのに。人気の小屋。次はオーレン小屋。

オーレン小屋(2330m)

ここまで 1時間半弱。快適な山歩き。ここから 夏沢峠か 峰の松目経由 どちらかを選択。
今回は 夏沢峠経由で。

なだらかな道の時は、道の状態をよく観察する。この木の橋はいつ頃からあったのだろうか、なんて。

急に視界が開けた。夏沢峠(2433m)に着く。夏沢ヒュッテは7月から営業。
ここを境に 北側は天狗岳への北八ヶ岳への稜線上の道。南八ヶ岳は 岩稜帯の存在する切り立った山上が特徴だ。
南側に 異様なかたちの硫黄岳が聳える。

ここで 栄養・水分補給をして 小休憩。天狗岳よりも硫黄岳の山頂の景色をみたいので。写真をおさめる。

今までとは違う。急登は間違いなく 厳しい登りが。

最初のケルンを発見。もう斜面は 爆裂火口の崖がある。ふりかえれば 天狗岳。

頂上と表記のあるケルンに到着。三角点を探すが・・・ 他の人もその様子はない。
広い頂上 どこでも登頂したことに変わりはない。が 気になるので さがしあてる。

これかな。三角点。どこで 休憩しようか。そういえば 火口があった。

 

爆裂火口。東西に1km 深さ 550m

鳥も頂上の岩場に立った。

こちらが天狗岳方面。右は爆裂火口の崖。

こちらは 横岳 赤岳などの南八ヶ岳方面。

ほとんどの人は 火口付近へ寄ってはこなかった。ここまで来ると 赤岳の後ろに富士山が隠れていたのを
見逃さない。

八ヶ岳は、130万年前からあり噴火活動を繰り返す。20万年前に活動が最盛期。主峰、古阿弥陀岳(推定 3400m)があったが 大規模な山上爆発をおこし山頂が吹きとんだ。現在の赤岳(2899m)は、最高峰。その後、硫黄岳が噴火し火口が吹きとんだ。自然の醍醐味を感じる。


東山(大文字山火床・銀閣寺・哲学の道)


東山(大文字山火床・銀閣寺・哲学の道)

京都一周トレイルの一つの道がある。全長83kmにおよぶ
参考HPはこちら https://kanko.city.kyoto.lg.jp/trail/

銀閣寺周辺の駐車場は 1時間400円が相場である。よって 2時間半以上いるならば 1000円の観光駐車場でもよいと思う。
疎水、岡崎、南禅寺、北白川には名勝がたくさん並ぶので 時間がいくらあっても足りない。

銀閣寺は欧米人が多い。哲学の道も関係するのだろう。Kiharuというアイスバー、フルーツ氷のお店があるが ほとんど外国人。
ここはヨーロッパと勘違いしてしまう。頬張っている。

本日 団体さんがいくつもいました。ガイドさんが「空気が澄んでいる 春までがお勧め」だとか。しかし京都は底冷えするので
日程を考慮して。また、登山道は灯りがないので 夜はヘッドライトを装備しないとね。

駐車場から銀閣寺の左側からの側道を通り登山口に入る。最初 ゆっくりした上り坂だが 途中 木の段になり
最後は、急な石段になっている。

銀閣寺→(脇道)→八神社→登山口(自転車置き場がある)→千人塚→リフト(青い建物)→石段→大文字山火床

そろそろ休憩しようかなの頃に「火床」に到着。
いい汗をかいた。写真を撮りながらなので上りが40分くらいの道のり。

「大文字火床」は、結構広い。1画は80mあり、そのちょうど中心「金尾」に、弘法大師像がある。大文字焼きは、弘法大師が発案したという説がある。
ここから 西をのぞめる。「大」の字で立ち 撮影される人が多いとか。気持ちのよいところだ。

「火床」は「大」という文字を75基で飾っている。遠くからでもはっきりと見えるように、高さを利用し立体的である。
1画 19基 80m 2画 29基 160m 3画 27基 120m。

「五山の送り火」は、8月16日に行われている。
護摩木を奉納し 御焚上げをする。
20:00に大文字に点火されると、5分おきに 他の山にも順次点火され、
夜の京都は幻想的で厳かです。

 

 

 

 


パイプオルガン演奏「ホールM」


パイプオルガンには 魅せられてきた。

思えば、小学5年生頃 ピアノの先生に 連弾しませんか、と。
バッハの トッカータとフーガニ短調を 先生の家で鑑賞し、レコードを聴いたのがきっかけ。

中学2年生の小フーガト短調で感化し、ピアノで何とか弾いてみようとした。
以来、教会のオルガンに惹かれている。

つい先日、パイプオルガンの講習を受講した。ペダルなどは ほとんど練習できなかったが
オルガンというものの響きについて認識を深めた。土橋薫先生にみていただきました。

ストップという音色を変えるスイッチがあり これにより音楽が劇的に変わる。
パイプオルガンは 鍵盤楽器でもあるが ストップの発想からすれば管楽器である。
しかし、リード楽器ではないので音は断定的に出る。その表現は、演奏している場所からは想像できなく客観的に聴けるのがよい。

これは、「ホールM」。立派なパイプオルガン。何年か後には、きっと ペダルの曲を演奏しているのかもしれない。

バッハ(ペツォルト)/メヌエット ト長調 ト短調 ストップの移り変わりに醍醐味を感じる。


「われらは涙しひざまずき」十字架へのわが愛「マタイ受難曲」


「マタイ受難曲」BWV244  最終曲 第68曲「われら涙しひざまずき」

新約聖書「マタイによる福音書」の26、27章のキリストの受難を題材にした受難曲。新約聖書のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書に基づくイエス・キリストの受難を描いた。受難曲はキリスト教の聖週間における典礼と密接に結びつき、中世以来の長い伝統があり、17世紀~18世紀には、ルター派圏内で合唱や管弦楽を伴うオラトリオ(受難曲)が作曲された。

ミサ曲などは、宗教の儀式で奏される 典礼文などに則り厳正な音楽としては限定的であり 音楽の普及のためには 門戸をひらき プロテスタントに道が開かれた。典礼文の一部を採用したり、ドイツ語や英語などの宗教曲もでてきて、あるいは聖書からのテクストなどさまざまな場面を採用していった。

ルターの宗教改革がおこなわれたのは、今から400年前。それまでは、カトリックが厳正で 守れないものは刑を免れなかった。

たとえば、コペルニクスの地動説については、ルターは厳しく非難した。コペルニクスは正式に70歳の晩年に主張し、その後没した。後にガリレオが 発明された「望遠鏡」で惑星を観測し発見する。地動説を主張したが、宗教裁判にかけられ 終身刑となった。カトリックにおける破門が宣告、すべての役職を剥奪され、『天文対話』の禁書目録入りとなり、地動説放棄を命じられる。1633年、有罪とされ、フィレンツェ郊外に幽閉された。それでも ガリレオは、研究をやめず 望遠鏡をみつづけた。1638年に『新科学対話』を、プロテスタント国オランダのライデンで発刊する。1642年、ガリレイは幽閉先で78年で亡くなった。身分回復は得られず、家族の墓地に葬られず、墓碑もない状態が続く。ローマ教皇ヨハネス=パウルス2世(位1920-2005)は 裁判の誤りを認め(1983)ガリレイの有罪判決を撤回した。2回目の裁判から359年ぶりの1992年に、ガリレイは破門を解かれたのである。

聖書という絶対的なテクストを守り伝える。この曲は「人生のテーマ」それ以上の価値を持つ。現代版「十字架へのわが愛」はこの曲、X JAPAN の「CRUCIFY MY LOVE」。人間という悪魔が引き裂く現実。人は 嫉妬深い存在で 他人を欺き 地獄に突き落とす 愚かな存在。その罪を清浄することが 生きていくための条件。人は十字架を背負って生きている・・・

バッハ(1685~1750)はルターの宗教改革と密接に関連していた。ドイツ語のカンタータ300曲に及ぶ。また、カンタータなど管弦楽の曲をオルガン用に転用し「オルガン小曲集」など親しみやすいものにしている。頂点にたつ作品が「受難曲」バッハは、4つの受難曲を作曲している。マタイ ヨハネ ルカ マルコである。このうち「マタイ」と「ヨハネ」が完全に遺っている。死後、長く忘れられていたが、1829年3月21日、メンデルスゾーンによってマタイ受難曲が、歴史的な復活蘇演がなされ、バッハの再評価につながった。

第1曲から 第68曲まで 第Ⅰ部(第1~35曲)と第Ⅱ部(第36~78曲)約3時間を要する 壮大なパッション。私が思うところを書いてみたい。

Thomas Quasthoff トーマス・クヴァストホフ  障害を乗り越えキャリアを積み重ね 歌手として活躍をする。また、指揮でも高い評価を得ている。

第1曲「来たれ娘たちよ、ともに嘆け。」 Kommt, ihr Töchter, helft mir klagen

ホ短調のバスから開始される。管弦楽の響き、合唱の叫びにもとれる声が印象的。
ただごとならぬ予感で、終わりをも期待させる。

Kommt, ihr Töchter, helft mir klagen, 来たれ娘たちよ、ともに嘆け。
sehet-Wen?-den Bräutigam, 見よ-誰を?-花婿を、
seht ihn-Wie?-als wie ein Lamm! 彼を見よ-どのような?-子羊のような!
Sehet,-Was?-seht die Geduld, 見よ-何を?-彼の忍耐を、
seht-Wohin?-auf unsre Schuld; 見よ-どこを?-私たちの罪を
sehet ihn aus Lieb und Huld 愛と慈しみゆえにみずから
Holz zum Kreuze selber tragen! 木の十字架を背負われるあのお姿を見よ!

Choral ‐ Soprano in ripieno コラール
O Lamm Gottes, uaschuldig おお、罪なき神の子羊よ
am Stamm des Kreuzes geschlachtet, 犠牲として、十字架に架けられた御方よ、

allzeit erfunden geduldig, たとえ侮辱されようとも、
wiewohl du warest verachtet. いつでも耐え忍ばれた。
All Sünd hast du getragen, すぺての罪をあなたは背負ってくださった。
sonst müßten wir verzagen. さもなければ私たちの望みは絶えていただろう。
Erbarm dich unser, o Jesu! 私たちを憐れんでください、おおイエスよ!

第21曲 受難のコラール「私を知って下さい、私の守り手よ」Erkenne mich, mein Huter,
合唱隊は、この曲が何度となく出てくるが、その場面毎に、忠実に再現するのだ。

Erkenne mich, mein Hüter, 私を認めてください、私の守り手よ。
mein Hirte,nimm mich an! 私の羊飼いよ、私を受け入れてください!
Von dir,Quell aller Güter, すべての宝の泉であるあなたから
ist mir viel Guts getan. 私のために多くのよいことが行われました。
Dein Mund hat mich gelabet あなたの口はミルクと甘い食べ物で
mit Milch und süßer Kost, 私を元気づけてくださいました。
dein Geist hat mich begabet あなたの聖霊は多くの天国の喜びを
mit mancher Himmelslust. もたらしてくださいました。

第47曲 アリア「憐れみたまえ,わが神よ」Erbarme dich, mein Gott,
深い悲しみが表現されている。美しいソロ・ヴァイオリンと哀しみのアルトの歌声。

キリストが逮捕された後、ペテロは大祭司の家の庭に連れてこられた。人々は彼を見て「お前もあの男の弟子の一人ではないのか」と言うと、ペテロは打ち消して「違う」と言う。大祭司の僕の一人で、ペテロに耳を切り落とされた人マルコの身内の者(下女)が言う。「園であの男と一緒にいるのを、私に見られたではないか。」ペテロは再び否定する。三度打ち消すとすぐ鶏が鳴く。ペテロはキリストの予言を思い出し、それを自分が強く否定した事も思い出し、後悔して泣き崩れた。

Erbarme dich, mein Gott, 憐れんでください、私の神よ!
un meiner Zähren willen ! 私の涙ゆえに、
Schaue hier. 私をご覧ください。
Herz und Auge weint vor dir bitterlich. 心も目もあなたの御前に激しく泣いています。

第58曲 アリア「愛ゆえに 我が救い主は死に給う」Aus Liebe will mein Heiland sterben

キリストが捕らえられ、広場に引き出されたとき、ローマ帝国の属州総督ピラトが、「このものは、どんな罪を犯したのというのか?」との問いかけに、一女性が「どんな罪もなく、ただ、私たちのために死ぬのです」と気高く答えるアリア。

Aus Liebe will mein Heiland sterben. 愛ゆえに私の救い主は死のうとしておられます。
von einer Sünde weiß er nichts. 罪ひとつ知らない御方なのに。
daß das ewige Verderben 永遠の破滅と
und die Strafe des Gerichts 裁きの刑罰が
nicht auf meiner Seele bliebe. 私の魂に覆いかぶさらないように、と。

第68曲 終曲 合唱「われら涙流してひざまずき」

Wir setzen uns mit Tränen nieder われらは涙してひざまつき
und rufen dir im Grabe zu, そして、墓の中のあなたに呼びかけます。
Ruhe sanfte, sanfte ruh! 安らかにお休みください、やすらかに。
Ruht, ihr ausgesognen Glieder! お休みください、疲れ果てた御体よ!
Ruhe sanfte, ruhet wohl! 安らかにお休みください、やすらかに。
Euer Grab und Leichenstein あなたの墓と墓石は、
soll dem ängstlichen Gewissen 悩める良心にとっては
ein bequemes Ruhekissen ここちよい憩いの枕、
und der Seelen Ruhstatt sein. 魂の憩いの場となるべきもの。
Höchst vergnügt schlimmern da die Augen ein. こよなく満ち足りて、その眼は眠りにつくでしょう。

私は、クリスチャンではないが、この曲を聴いた後は、拍手は一切しない。なぜなら、キリストが十字架に磔にされ 受難したことを重く受け止めるべきであるから。

感謝すること・・・

キリスト教的には、私たちは、罪深き存在で完璧ではない。良心を裏切り、嫉妬し、嘘をつき、他人を地獄につきおとす。欲望を捨てきれない限り、人間は神に仕える事のみ生きるすべである。神様には、その罪を打ち明け懺悔し、清浄につとめなければならない。そして、「聖書」をテクストとし、これを実践することが「生活」である。

仏教的には、人間には煩悩がある。自らが、悟りをひらき、自分の生き方について「慈悲」をもち、人には「仏の心」で接すること。また、己を律することが求められ、そのためには真言をとなえ行を実践する。仏の道を達観するには、「経典」を勉めるために「出家し」僧侶となり実践する生活を送る。
「帰依仏 帰依法 帰依僧」


伊豆七不思議「大瀬埼」


大瀬埼 駿河湾富嶽三十六景のひとつ 静岡県沼津市大瀬にある。沼津市から「あわしまマリンパーク」を経由し海岸線をすすむ事、約1時間、伊豆半島西北の端に位置し、「伊豆七不思議」のひとつ「神池」がある。

白鳳時代(684年)大地震がこの地を襲った。その際隆起し、突如あらわれた「琵琶島」。東側は砂浜 西側は大きな石がごろごろとしている。伊豆半島は、元はひとつの火山島。爆発し隆起、断崖絶壁の地形をつくりだし、フィリピンプレートに沿って日本列島に接近してきた。最接近するにつれ 海底が隆起 海がなくなり陸つづきになった。さらに押し縮められ 丹那山地となった。箱根に「大湧谷」があるが、その周辺は地殻エネルギーのたまりやすい場所。現在も、1年に数センチ、北西に移動している事で ひずみが生じ内陸地震がおきているのである。

大瀬神社(おせじんじゃ)という。引手力命神社(海の守護神)を祀る。突端には灯台があり、ダイビングスポットとして夏場など人気のスポット。海に従事するものは ここに祈願に来る。

さて、大瀬岬のような形は 砂嘴(さし)とよばれる。ここが特別なのは 淡水の池「神池」が存在すること。海から50mと離れていない。池の南側端と海の距離はで20mほどしかない。池に海水がかかってもおかしくないのだが、淡水の池をまもっている。しかし池の色は 若干緑色をしていて 独特の風合い。この日は、猛烈なシケで 海側では潮がどっぷりと飛沫をあげているのに この神池は何と穏やかなことか。

神池であるがゆえに 科学的な調査はあえて行っていない。この地を永久に保存するために。草木や魚をとったりすると 祟りを引き起こすとされている。崇りについては、事故や原因不明の病気で亡くなっている。自然は豊かだ。鯉が3万匹いるよう。近づくと、口をパクパクと餌をねだっている姿に驚く。隣に、餌を販売している。

この海岸は、ビャクシンの木々が生い茂る。「ビャクシン」は、130本以上の樹があるのだが。現在の御神木は 推定1500年以上。甚く感動したのは、これらの巨樹に 大きな石ころが樹の中にめり込んでいる。とってあげたい気持ちがあるのだが。御神木は、基本触れられないから。強風に耐えている、その姿には驚嘆しかない。

 


天竜峡 紅葉


天竜峡(標高382m)ライン下り。天竜川は、長野県諏訪湖を源流に太平洋へ流れ注ぐ一級河川。全長213kmあまり。伊那・飯田・愛知県の一部・浜松市・磐田へ。天竜川というと、新幹線の車窓からみえる天竜橋と富士山が印象的。

天竜峡は 川幅が狭く入りくんでいるために 奇岩など景勝に富むところ。日本は四季折々の景色が万とある。夏は 冷涼な気候で避暑ができ 秋は紅葉が楽しめる。

姑射橋(こやきょう)から 散策コースが整備されている。龍角峯(りゅうかくほう)をのぞむ

 

つつじ橋 全長80m 防護ネットは2011年ごろに設置された。吊橋 弾力に富む。雨の後は 滑るので気をつけて。

姑射橋(こやきょう)から

エメラルドグリーンの色 ライン下り 3社が運営している。2011年に転覆事故が起き、以来 救命胴衣を着けるようになった。もちろん 安全管理には気をつけている。

下りは船着き場へ。そして 電車またはバスで上ってくる。電車は 3駅分。天竜駅へ戻った。

天竜峡公園には 地元 代田銀太郎が作詞した「モンテンルパの夜は更けて」の歌碑がある。
日本とフィリピンとの友好の徴である。


乗鞍岳 初雪


乗鞍岳 初雪

ご来光が多く 夏の時期に登っていたが 10月に入ってからは初めて。平地との気温差は16℃である。標高 2500m以上のところなら 雪が観測されていてもおかしくない。 この日の 朴の木平 専用バス乗り場 標高1200m は気温7度 風はおだやかだが 空気が冷たい。だいたい この周辺は 紅葉が一番よくすすむところだ。登山口 畳平は標高2700mで 気温は0度近くだったと思う。

バスの案内でもあったが 戦中 軍用道路として建設された。戦後 濃尾バスに払い下げられ 観光用道路として整備された。平成15年からは マイカー規制により 許可された車両が往来できる道路になり、専用バスなどが運行している。名物 ご来光バスは人気だ。日の出前に畳平(一つ手前の富臨時停留所)に着き ご来光を拝める。

さて、この日の天気予報を詳しくみると 12時ごろから雨が降るとなっている。山の天気が変わりやすいから「三回に一回の割合で きれいに見えればいいのよ。」と教えてもらった事がある。雪が降って吹雪く事も考えられる。地面を見ると、霜がおりて凍っているところがあるのだ。

さて、ほおのき平 6時55分発 畳平 7時40分 着。トイレをすませ 準備体操をする。
いきなり 標高2700mだから 酸素も3分の2しかないので 呼吸を整えて。
スタート 鶴ヶ池経由で おおまわりするコースと お花畑を通り抜け不消ヶ池を右手にみて 坂を登り合流する道とある。往きは お花畑コースで。帰りは 鶴ヶ池コースで。風が 少し強めに吹いている。コロナ観測所への分岐までの坂道が楽ではない。分岐を左手に入り しばらくすると 右手に 山々が。そして 肩の小屋がみえてきた。ほっとする。そこからは 少し下り坂 きつくない。しばらく歩くと肩の小屋に着いた。が 営業は終了していた。

ライチョウの表記。北アルプスを中心に 乗鞍で 御嶽で 甲斐駒ヶ岳などで 確認されているが
数が少ない。ハイマツなどの芽を餌に隠れ 棲んでいるようだ。乗鞍でも 御嶽でも ライチョウをみたが それらは ハイマツの周辺を飛来していた。また、三の池周辺でも 池は植物がほとんどないので樹林帯を行き来していた。

不消ヶ池(きえずがいけ)とても魅力的な池で 色が虹の如く変化する。右上は、コロナ観測所(立ち入り禁止)

この分岐までが ゆるやかな登り坂となっているが 楽ではなかった。

さて、肩の小屋から 乗鞍岳を拝む。頂上は左手奥の剣ヶ峰。その前に 右手のピーク 朝日岳に到達しなければ。「頂上まで50分」だなんて。ゆっくり登ればいいのだ。ただ あまり時間を多くしたからといって 危険度は変わらない。森林限界なので 天井を遮るものはない。が 地点のピークがみえない状態が一番きつい。石のザレ場は歩きにくい。

稜線上に出た時は 力が抜けた感じ。もうひとつのピーク 頂上小屋を左手にみて 頂上がかすかにみえている。ここからは 15分くらいかな。

一番きついところを登って頂上にたどり着く。風が強い。そして、雪が降ってきた。
乗鞍本宮とあり 鳥居がある。乗鞍岳 剣ヶ峰 標高3026m もちろん視界は360度。御嶽山方面もしっかりみえる。国内第2位の高地にある権現池がみえた。

吹雪いてきた。我慢して頂上にいる必要はない。10分くらいしたら 降りよう。すぐ下の頂上小屋に入り寒さをしのいだ。頂上小屋が臨時的に営業していた。ホットココア(マシュマロ入り)をいただき 英気を取り戻した。たすかりました。

その後 下山をはじめる。11時30分前には畳平に無事戻ってきた。11時55分のバスで降りた。正解だったかもしれない。午後から「降雪のため」畳平に登るバスは 運行を取りやめた。
案の定 吹雪になった。

 


落葉松 鏡池 白駒池 


落葉松 からまつ 鏡池 秋が深まりました。

カラマツ 針葉樹で 紅葉の時期は黄色に色づく。モミジ・カエデは赤く色づく。
が この周辺では、モミジ・カエデはあまりみあたらない。そう、あの白駒池でも真っ赤に染まる事はない。が、もちろん綺麗。

この池は偶然見つけた。最初から、ここを知っていたわけではなかった。ある時に、ふっと浮かんだ。そういえば 立科はどうだったかな。大門稲荷に御参りして そのとき考えた・・・

蓼科山は 富士山のように裾野が広く 存在感のある山で「女神」がいるとされた。ヴィーナス街道所以である。表からみる蓼科山は、頂上手前まで緑が多く、頂上は岩がごろごろしていて殺風景である。溶岩の粘度が高く、頂上付近にしみだしたので 天狗の岩のような山頂になったのかな。よって樹林は育たない。一方、裾野は広大な森林帯となっている。

カラマツは東日本を中心に植林されたもので林立している。西日本は、杉がほとんどで 落葉松の林は印象が違う。実は、落葉松の原生林も少なからず存在する。

百メートルほど離れたところに「自然林のカラマツ」があった・・・標高2000m 池をみつけた。ある角度からみると 鏡池のように 逆さに映る。

カラマツ という響き 野上彰 作詞 小林秀雄 作曲 混声合唱組曲「落葉松」口ずさむ。「落葉松の 秋の雨に わたしの 手が濡れる  落葉松の 夜の雨に わたしの 心が濡れる・・・」

こちらは「白駒池」紅葉はじめは早かったが 気温が低くならないので 本格的にはまだ。これから見ごろを迎える。この日は、朝から日差しが強い。標高2000mなので 紫外線もきつい。

水に映える 波紋や 光の反射は 貴重な瞬間

苔が育っている。

これは「ミシャカイケ 御射鹿池」(ため池)日の出の時間に行ったが写真をおさめようと多くの方が訪れていた。東山魁夷の作品「緑響く」に表出。
神に捧げるための鹿を射るという神事、御射山御狩神事ゆかり。1933年に完成。酸性池。

ある「ため池」透明度が高く エメラルドグリーンの色。微生物が関係していると思われる。


神降地 上高地


神降地 上高地 神垣内 かみこうち この響き 標高1500mの梓川上流域 大正池から河童橋、明神池、徳澤、横尾までの10㎞程の広大な台地。横尾の先は涸沢カール、奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳、前穂高岳、西穂高岳、明神岳などの穂高連峰への道。3000m級の高山に囲まれているので 夏は涼しく過ごしやすい。

上高地は 台地だからこそ 神をみることができる。クマザサと大きな灌木。至る所に沢が縦横無尽に流れている。緑色、コバルトブルー、透明な色の水。潤いをもたらしている。光が注ぎ、神々しい。

ここで出逢う人、嫌な顔をしている人はほとんどいない、別天地。大正池は、焼岳の噴火後にできた池だが、水の色がきれい。明神池は、たしかに不思議な池。マガモが 首を突っ込んでイワナを採っている姿が微笑ましい。

あかんだな、さわんど駐車場から専用バス(マイカー規制有)大正池か、上高地バスターミナルで下車。梓川ルートは アップダウンが少しある。梓川とは対岸のルートはほとんど平坦だった。コースは、3㎞を60分標準としている。今回、19553歩 距離は13.6km。

木の吊り橋の名所「河童橋」周辺、「明神池」(穂高神社奥宮明神池)周辺はにぎわい、売店がいくつもある。

(大正池から下りの便「満席」で乗車ご遠慮でした。(実は、乗る前 運転手と話した時 中を少しのぞいてみたが、補助席は空いていたように思う。→何らかの事情があったのでは)次の便を待つが、よく見るとバス亭に標示が。

「下りの乗客が多い場合、乗車をお断りする場合もございます。『上りの上高地バスターミナルへ一旦行き、始発の便を待ち乗車ください』とあった」※上高地バスターミナルで行列に並ぶ。47名が待っていた。定員の40名を超えたが、補助席使用で運行 →もとい、下りの便 途中駅でも、補助席対応はできなかったのかな。(降りる人がいなかったので 難しかったのかな)待つ時間を無駄にしないためにも、大正池で降りて、上高地バスターミナル 河童橋 明神池 徳澤 横尾 徳澤 明神池 河童橋 「上高地バスターミナル」 ここで帰りのバスを待つのがベスト。

 


御嶽山 三ノ池 雷鳥 オコジョ 女人堂


御嶽山 三の池 雷鳥 オコジョ 女人堂

グーグルアースで俯瞰するhttps://earth.google.com/web/@35.90503107,137.49325363,2490.51386949a,3242.46901538d,35y,0.00000001h,49.99794402t,0r/data=Cj0aOxI1ChYweDA6MHhjNjhkN2JhYjAzYTc0MmYzGVaKcQhy8kFAIXy8x_vuL2FAKgnph5HliZvloIIYASAB

御嶽山は、岐阜県下呂市、高山市、長野県木曽町、王滝村にまたがる標高3067mの山である。
現在の状況(気象庁)[噴火警戒レベルを2(火口周辺規制)から1(活火山であることに留意)に引下げ](H29.8.21 15時発表)火口から1kmは立ち入り禁止区域に指定され 立ち入った場合は法律により罰せられます。

※このうち、三の池ルートは解禁された。二の池は立ち入り禁止、手前から周回し、五の池小屋に向かうことはできます。王滝頂上から火口までは立ち入り禁止で、周回することもできません。

今までで一日を通して一番多く歩いた。距離にして19km 6時間22分 休憩は 三の池で 約1時間 八合目 女人堂で食事など約40分 時間当たり3.1km 標高差 2720m-1810m=910m 日常では得られない 体力の限界に挑戦できた。この後、御嶽明神温泉「やまゆり荘」に入り 体もほぐれた。熱くない 茶色の源泉が癒す。JAが運営している。地元だけでなく 多くの人がここを訪れる。

御嶽山は 古くから山岳信仰のメッカ。702年(大宝2年)6月、修験道の開祖とされる役行者が開山し、日本神話で最高峰に位置する「国之常立神」クニノトコタチを祀っている。江戸時代には、覚明行者 普寛行者が大衆に御嶽登山を知らしめた。木曽節の「木曽のなかのりさん」でも知られる、日本の火山としては、富士山に次いで第2位の高さ。剣ヶ峰を主峰にして、摩利支天山(2,959.2 m、継子岳(2,858.9 m)継母岳(2,867 m) などの外輪山があり、南北約3.5 kmの山頂部が広い。頂上がいくつかあり 御嶽頂上(3067m)をはじめ、王滝頂上(2936m)飛騨頂上(2811m)開田頂上(2725m)がある。火山湖が5つ、一の池(2990m)二の池(2905m)三の池(2720m)四の池(2690m)五の池(2790m)がありそれぞれに特徴を持つ。登山口は5つ、王滝口 小坂口 黒沢口(御岳ロープウェイで7合目)日和田口(チャオ御岳利用のみ)開田口がある。平成24年9月27日の噴火後、二の池より火口手前の御嶽頂上は入山規制なので、摩利支天山や継子岳、飛騨頂上に登る人が多い。御嶽山は滝が多く、植物、動物が共生し自然の宝庫で、「花の百名山」でもある。

有史以来 たびたび噴火を繰り返してきたが、平成24年9月27日の噴火では 戦後最悪の犠牲者を出してしまう。謹んで哀悼の意を表します。日本は火山の国、浅間山は江戸時代、天明の大噴火で1624名の犠牲を出した。本日は「防災の日」1923年9月1日 関東大震災により10万人の犠牲が出た。われわれは常に火山、地震、津波の脅威にさらされ、しかし自然の恩恵を享受してきた。

今回のルートは、黒沢口 中ノ湯(六合目)1810m 行場山荘(七合目)2180m 女人堂(八合目)2470m 三の池トラバース 三の池 2720m 三の池トラバース 女人堂 行場山荘(七合目)中ノ湯(六合目)

この日 天気は晴れ 少し涼しい上空の風もあった後で 秋の風を感じながらの山行となった。5時過ぎ 御岳ロープウェイや 御岳ビューポイントで 朝陽をおがむ。6時すぎ 六合目 中ノ湯駐車場へ 体調を整えながら 登山届の確認をする。出発は6時50分 七合目までが長く感じた。御岳ロープウェイからはじめると、七合目から10分ほど下がったところから登山ができ 約1時間の短縮が図られるが、営業時間内の8時30分から16時30分まで。ゆとりを確保するには、小屋に宿泊することをおすすめする。七合目から八合目は、そんなに長く感じられなかった。八合目「女人堂」に着くと、山頂が開ける。頂上をあおぎながら金剛堂で手をあわせた。隣には、御嶽神社八合目中社(遥拝所)があり、御朱印やお札を受けることができる。ここでルートの再確認をする。

八合目 女人堂 2470m 九合目 石室山荘 2800m 最も高い付近 二の池(手前まで) 2905m 五の池 2790m 三の池 2720m のルートを考えたが、アップダウンがあるし、時間もそれほど変わらないので「三の池トラバースルート」を選択した。これは、雪渓、渡渉があり起伏に富んでいるのだが、常に通行できるルートではない。秋は、紅葉の絶景に出逢うことができる。斜面を横に辿り、裏側に入ったとたん、絶景が眼の前に。滝がみえ、瀑音が聴こえた。ザレ道の谷底に下り雪渓を通過する。1か所穴があいていて、踏み抜かないように気をつけて。上には、雪の上から飛び出した岩があるので落石に注意。また、雪渓や澤を渡る時、滑らないようにロープを辿る、その後は急峻な岩肌や高梯子をよじ登る。それなりの道である。雪渓のおかげで涼しい風が常時吹く。暑くはないがのどは渇く。行動食をし水を補給する。そして、三の池小屋が見えてきたときは万歳。ここまで、4時間。10時50分。写真も撮りながらコースタイムどおりなので 遅くはないという事。三の池の祠に手を合わせた。風の音を聞き、池の色を見つめる。ガスがとれると、青いエメラルドの色に変わる不思議な池。ご神水といわれる「お水とり」をさせていただいた。腐らない水 一つ目の幸運。しばらくすると、山の神 ライチョウ(雷鳥)が飛んできた。(絶滅危惧種)北アルプスでは、時々見られるが。年々数は少なくなってきている。人間をみているのかな。祠にとまった瞬間撮影できた 2つ目の幸運。この間、15人と出逢ったのみの静かな山行。約1時間で食事など休憩、元の道を戻る。三の池トラバースでライチョウ2羽がつがいで飛んでいるのを確認。そして雪渓を通るが、様子が違う。

午後は、暑さで雪が溶け一気に崩れ去り、ルートが変更され梯子や石が置かれていた。雪渓を通り過ぎ3分経った時、下の方でゴトッ、バリバリ・・・大きな音がしたと思ったら、雪渓の一部が大きく落盤した。小さい音はしょっちゅうしている。その後、高山植物と木々の森を歩く。ここで、カサコソと言う音、何やらイタチか兎かな。なんと、山の神「オコジョ」と出逢う事ができた。(絶滅危惧種)こちらが鳴きまねの声色をすると、興味があるのか近くに寄って来た。つぶらな瞳、こんなに可愛かったかな。3つ目の幸運。二匹いたと思われるが、一匹のみ現れた。音は2か所から聞こえたからだ。ある意味、ほっとした。集団で生息しているのなら発展の可能性は充分ある。私は、鈴を鳴らして歩くのは嫌である。五感で感じたい。動物の動く音が聴こえたのも、雪渓の雪が動くかすかな音や、落盤する音も感じる事ができた。

最後に、八合目「女人堂」で休憩 食事。宿泊もできる。ここで小寺さんに逢えた。小寺さんは あの噴火当時 二の池小屋本館の支配人で 50名近くを英断で誘導し救ったとされる人物。現在は、女人堂にいる。二の池小屋の再建に向けて尽力され 御嶽登山になくてはならない貴重な人なのである。少しだけお話した。もの静かであるが 、情熱の眼を持った方で敬意を表したいと思う。小寺さんとお話できたのは幸運だった。

朝陽

八合目 金剛堂より山頂をおがむ。霊神が多数祀られている。


これが 三の池 濁らない透明の水。湧水の音がごぼごぼするのに 水位は一定 まさに ご神水


三の池小屋の祠 ライチョウが飛んできてとまっている。


木々の陰から何やら音が。声色を使うと こっちに近付いてくる。オコジョ。


雪渓 一か所穴があいている。空洞になっているので 気をつけて。午後は 崩落し ルートが変更され 梯子 石が置かれていた。雨が降れば 雪渓はほとんどなくなるだろう。

御嶽山は 素晴らしい山であり 達成感がある。自然・植物・動物があり 高山での行場としての役割があると思っている。山歩きを楽しみ 花を愛で 愛護する動物に出逢える貴重な山である。もうひとつは、厳しい道を登る事により精神統一をし俗世間から違うところに身を置く事、神がすんでいるとされている山を拝む事は 人が人生を終えた時、天上に迎えられ、土に還る思想と一致する。

この山は、森林限界の山道をひたすら長時間登る富士山や、2時間弱で頂上に到達できる乗鞍岳とは違う。また槍ヶ岳のように、岩場や鎖場・ヤセ場を登るようなアルピニストが歓迎する山場とタイプが違う。もっとも自然崇高ができ 静かな山歩きを堪能できる。