Year: 2018年

SEASON2018「夏山」


SEASON 2018 「夏山」

季節はすすんでいる。年々、夏日が4月下旬から上旬にはじまるようになってきているのだ。

この冬は 気温が下がり 厳しい寒さとなったために 雪は多かったとみることができる。そして、春になり一気に気温があがった。ということは 雪解け水が いつもより多くなる。沢登りは危険性が増す。雪崩がいつもより多いかもしれない。雪渓などは、落石に衝突するおそれも増えてくる。自然が相手なのだから。それよりも 自分自身が競争相手であることを忘れてはならない。

さて、2018の夏山計画は、昨年登らない山に登頂する事、また同じ場所であっても、登り方を変えたりシーズンを変えたりしてヴァリエーションを楽しむ。
2017は、尾瀬を皮切りに 御嶽山(2回)木曽駒ヶ岳 乗鞍岳 上高地 白馬八方池 国師ヶ岳 浅間山(黒斑山) 志賀山 草津白根山 霧ケ峰 入笠山 高ポッチ山・・・このうち 扇沢(針の木岳)北沢峠(千丈け岳)は、雨のため 登山口で眺めていたので 今回は天候に恵まれることを願って。

目標は、まず八ヶ岳の 蓼科山 硫黄岳 天狗岳 周辺から はじめる事にしよう。

今年も 夏山フェスタ2018 が開催されます。6月23日(土)24日(日)ウインクあいち

 

 


国宝「高松塚古墳」壁画修理作業室の公開


国宝「高松塚古墳」壁画修理作業室の公開

1972年3月21日、男女の人物群 像、四神、日、月、星宿が描かれた極彩色での壁画が発見された。藤原京時代のものだと推測されている。このような形での発掘は、他にキトラ古墳があるくらいで 国家プロジェクトである。
保存科学、考古学、美術の結集で未来に遺す研究がされている。誰が埋葬されているか。誰が壁画のモデルなのか。
謎が紐解かれる日が待ち遠しい。

石は 二上山の凝灰岩が運びこまれた。記念切手にもなった壁画は 西壁女子群像となっている。
壁画に黴が生えて腐蝕しまったので、平成19年、壁画を解体する作業が行われた。
そして現在、壁画修理作業室で作業が行われている。気温21度、湿度55%を維持している。

16の石にわかれており、復元作業は、技術者が一日2cm四方の修復を進めているという。
気の遠くなるような作業だ。

模写は 高松塚壁画館にあり 詳細に再現されている。古墳は、壁画館の周辺にある。

古代の人は、星をみて 方角を知る。四神を知り 吉凶を占った。陵墓建造を後世にどのように遺すか考え抜いた。
壁画には 四神などが 描かれている。


「ミュージアムコンサート出演」2018.5.19


「ミュージアムコンサート出演」2018.5.19 奈良県立美術館

「奈良の刀剣~匠の美と伝統-」特別展での ミュージアムコンサート にしくん and  なってぃ(アコーディオン&リコーダー)

応援団が駆けつけていただき 撮影のお手伝いなど感謝します。今回は、初夏の曲を中心に 童謡・唱歌・歌謡曲を演奏し 歌集にそって 一緒に歌いました。
場の雰囲気を演出するトークも大切です。終始、和やかな雰囲気でお楽しみいただきました。

演奏終了後、鑑賞。14時から「学芸員」によるギャラリートークがあり 大変ためになりました。
解説があると 説得力も想像力もふくらみます。その後、刀剣と工具を持ち記念撮影。

奈良県立美術館FBページより(引用)https://www.facebook.com/narakenmuseum/posts/2018429038410918
「本日(5月19日)、「にしくんandなってぃ」さんをお迎えし、ミュージアムコンサートを開催しました。アコーディオン奏者の「にしくん」とリコーダー奏者の「なってぃ」のお二人の掛け合いトークも楽しく、童謡や歌謡曲などの懐かしい曲の演奏に合わせて会場の皆さまが歌ってくださいました。
コンサートに引き続き、当館学芸員が展示室で作品を見ながら解説を行う、ギャラリートークを開催、多くのお客様にご参加いただきました。」

神代の国 日本(にっぽん)有史以来、皇室が代々受け継ぎ 皇紀二六〇〇年を迎えた。元寇の時も「神風」が吹いて侵攻されなかった。
日本領土は 島々からなる国。本州、北海道、四国、九州の島については 一度も領土を失った事はない。
(※大戦後、民族、領土、国体の保持を優先に協議され、東京軍事裁判で戦争責任者が裁かれた。)

三種の神器 八咫鏡(伊勢神宮)草薙太刀(熱田神宮)八尺瓊勾玉(皇居)
皇室は、三種の神器をもって「正統のあかし」とし、引き継いでいる。だが、壇ノ浦の戦い、南北朝時代に 三種の神器による事件が度々おこっている。

壇ノ浦の戦いでは、平時子が安徳天皇を抱え壇ノ浦の戦いで入水し、草薙剣が戻らなかった。
安徳天皇退位の宣下がない状態、後白河院のすすめで、三種の神器がないまま 後鳥羽天皇が即位した。
やがて、伊勢神宮祭主から奉られた御剣が用いられた。

また、鎌倉時代末期、譲位問題で倒幕計画が漏れ後醍醐天皇に危険がせまった。京都から三種の神器を持ち去り、

吉野に朝廷を移した(南北朝時代)。北朝の守護、足利尊氏に後醍醐天皇が渡したとされる三種の神器は贋物であった。
南北朝時代は約60年続き、後亀山天皇が北朝の後小松天皇に三種の神器を渡して退位し、南北朝が統一された。(明徳の和約)

刀とは・・・ 祭祀用である。(御神霊)尊い。触れてはならぬ。容れ物は見た事はあるが 中身は 神聖なものであり 見たものはいない。
大事に扱わないと崇りがある。刀とは武器である。元は狩猟の鏃から。石器から鉄器と変化した。鉄の産地は出雲、奈良にも鉄の産地がいくつもある。
炉に空気を送りこむ鞴の鑪(たたら)が必要だ。鉄と炭を混合させるところから 刀が生まれるのだ。また、鞘(さや)鍔(つば)柄(つか)の部分が別につくられ
合わせられる。最後の工程は 研ぎ。どんなに刀の反りなどを精巧につくったとしても 最高の砥石を使い 最高の技術で磨かないと あのような艶(美しさ)は得られないという。改めて、弥生時代からの製鉄法と刀の美術に感嘆した。

 


バッハ/平均律クラヴィーア曲集 第2巻22番 変ロ短調 BWV 891


バッハ/平均律クラヴィーア曲集 第2巻 22番 変ロ短調 BWV 891

1742年ごろの作品とされている。バッハは 1685年3月21日~1750年7月28日(ユリウス暦)
50歳代の作品となる。壮年期に教会のミサのために 毎月のごとくカンタータを作曲し聖歌隊を指揮しオルガン曲の作曲にいそしんでいた頃とは違う。
トーマス教会のオルガニストに就任し 演奏家として身を立てていた。たくさん子どもがいたので その子を音楽家に引きあわせたり
親としてのつとめを果たしている。子孫に手ほどきをし 遺すことを考えはじめていたのだろう。

クラヴィア練習曲集(第1巻 パルティータ BWV825‐830 第2巻 フランス風序曲 BWV831 · イタリア協奏曲 BWV971
第3巻 前奏曲とフーガ 変ホ長調『聖アン』 BWV552 · 21のコラール前奏曲 BWV669‐689 · 4つのデュエット BWV802‐805 第4巻 ゴールドベルク変奏曲)。
練習曲として作曲しているうちに 芸術的にも高い水準の曲ができあがったのだ。

私は 2巻が好きだ。まず 作風に3拍子系が割に多く登場する。プレリュードに田園風(パストラール)がある。
フーガは3声、4声でできている。3拍子系は ジーグと捉える事もできる。リズミカルな動機を対位法を駆使して気品溢れる作品となった。

さて、第2巻22番 変ロ短調BWV891 プレリュードは3声 切ない感じの ロ短調 2分の2に 早い走句が流れ出る。
Bb Bb Bb AbBb C  C C BbA Bb パッセージは滑らかに対し 対旋律(内声)は 動きがなく
嘆きのようにも思える。それから Bb A や D Db や G Gb など同時打鍵でぶつかる音は
悲壮感が漂う。半音階の上昇は キリストの昇天をあらわす。

以下 参考音源は 1、チェンバロ 2、ピアノ 3、オーボエ&フルート&ファゴットなど(雰囲気として「音楽の捧げもの」に近い)

平均律クラヴィーア曲集 第2巻 BWV 870-893/ヘンレ社/原典版(2007年改訂版/シフ アンドラーシュによる運指付き)が2009年に出版されたことは大きい。
バッハ解釈者として高い評価を得るシフ。

 

 

コーダの前に一旦静まり返る。次に用意するのは 早い走句の3度 6度のカノンで 天上に昇りつめるような音型は 美しい。
コーダは 何か言いたそうだが 次のフーガへ導いている。

フーガ 4声 堂々たる構成で クラヴィア曲の中でも傑作とされている。世俗的でなく 宗教感があり 壮大である。

その主題は力強く フーガを推進している。それぞれの手は ふたつのコーラスを奏で なおかつ もうひとつの手の 2声も聴こえるように
弾かれなくてはならない。ピアノの場合、タッチで音楽をコントロールする。
特に 右手 左手 それぞれに2声のかけあいがあり重音もある。

半音階で上昇 あるいは下降しながら 和声を整えている。また、反行形があり フーガの技法に
匹敵するような高度な音楽性をも持ち合わせている。
この曲をオルガンで演奏すると 効果的だろうと思う。(後世の作曲家がオルガン編曲している)

コーダは 反行型の2重フーガが 近づいてくる。このために、最初の仕掛けが用意されていて構造的。
これぞ バッハの崇高な精神。


ボランティア連絡協議会「総会」


ボランティア連絡協議会 総会

市の社会福祉協議会には 役割がある。
ひとつが、私の属している「ボランティア連絡協議会」。ボランティア団体が加盟し それぞれの理事が理事会に出席する。
(市や社会福祉協議会と連携しながら)団体が活動を行いボランティアを拡充している。
もうひとつが、「ボランティアセンター」個人的なボランティア活動をサポートしている。受け持っているのが 市民生活サポートセンター。

その二つが一年に交流する行事が ボランティア体験フェアである。
いつもは 1月第4週日曜日に開催している。もう25年になる。

市のボランティア連絡協議会は、各市と交流し 県の社会福祉協議会の会員であり 連携する。
県の社会福祉協議会は 全国社会福祉協議会と連携する。
2018年、全国ボランティアネットワークは、11月に軽井沢でフォーラムを行う。

今日は、ボランティア連絡協議会の総会があった。2年に一度 改選が行われる。
私は おそれ多く三役の副会長をおおせつかっている。結果は再任。
「三役」の「副会長」。会長を補佐し頑張っていこうと思う。
今回は、会長の仕事の動きを知らなければならないという。2年後は 覚悟も必要になってくる。

ボランティア活動というけれど 創意工夫が必要だと思う。
活動するにあたって何か「スパイス」を使ったものになるようにする。
前進するために。

ところで、会議の様子。これは難聴者用磁気ループ(ヒアリングループ)という。

音声信号を磁気ループアンプを通し、床に這わせたループアンテナに電気信号として送ります。ループアンテナ内で誘導磁界が発生し、音声磁場ができることにより磁気コイル(Tモード)付補聴器、人工内耳(Tマーク)、専用受信機で音声信号として聴くことが出来ます。会議室、ホール、教室などでスピーカーから発せられる音は、壁、床、天井などを反射して難聴者には聞き取りづらい音になっていますが、磁気ループを使用することにより、難聴者が目的の音(演者の声、音楽など)を鮮明に聞くことが可能になります。

福祉機器なども進化している。


2018.5.24(木)13:00「おきがるタイム」vol.124


ティーブレイク@マコルネのおきがるたいむ(第2・第4木曜13時~15時)
シャンソン・アコーディオン・昭和歌謡(J-POP)パーソナリティ マコルネ

ネットラジオ(pc)http://816.fm/816hp.asx

設定 http://816.fm/?page_id=71

【コラム】動物園について
【曲予定】鳥になった私 宝野アリカ セ・シ・ボン ロラン・パン 青色のジャヴァ フレエル 失われた小鳥たち 都市 冴木杏奈 真昼の月 沙羅双樹 島谷ひとみ 5月のこもりうた 手のひらを太陽に 由紀さおり 一杯のコーヒーから 霧島昇 君の名は 織井茂子 東京ブギウギ 笠置シズ子

日の照り返しが強く 夏本番もそろそろ。雨があるとほっとする時もあります。
5月19日(土)12時50分~ 奈良県立美術館「ミュージアムコンサート」出演。限定80名【入場無料】
にしくん & なってぃ (アコーディオン & リコーダー)懐かしの 童謡・唱歌・昭和歌謡・歌謡曲

5月の連休は東山「哲学の道」「銀閣寺」と「大文字山火床」に登りました。

また、嵯峨野の「寂庵」をたずねました。


ショパン/マズルカ第41番嬰ハ短調作品63-3


ショパン/マズルカ第41番嬰ハ短調作品63-3(1846)

これは ショパン協会のある オストログスキー宮殿。

生涯に60曲(遺作を含める)。晩年の作風

マズルカなので 第2拍目に強拍があり 長めの音がある。躍動するリズム。
左手は シンプルに3拍子をキープしている。ワルツなのではと思ってしまう。
でも ショパンは ワルツをつくりたかったわけではない。
この寂しさは何と表現すればよいのだろう。

中間部は 変二長調 柔和だが 左手が主導権を握っている。
変化し 後半の嬰ハ短調へ引き継ぐ。


後半部 繰り返しのように思うが 仕掛けがある。
「コーダ」の部分。右手の旋律を左手が追いかける「カノン」が とても美しい。
しかも 普段なら同時に鳴らすとぶつかってしまう不協和音を敢えてここで使い、何かを伝えたかったのである。

この後、エコーで最高音に登りつめる。途中終止。最後は決然と終わる。

この不協和音(青い線の囲み)汚い音にならないように、最新の注意を払う。
「嗚咽」と捉えられるほど ショパンの音に対する「厳しさ」が出ている。そのあとの、エコーが美しいので猶更だ。
中声部(赤い囲み線)が浮き出さなければならない。どんな小品に対しても妥協をしない。マズルカは ショパンが生涯 愛しんだポーランドの民族舞踊。


バラードと違い 音の素材や輪郭が明確である。
ショパンの祖国 ポーランドのへの思い。これこそが音楽だったのでは。

 


千二百羅漢「愛宕念仏寺」


「千二百羅漢」愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)(※あだし野念仏寺とは違います)
一つとして同じものはない。ほっこりする。

奥嵯峨野から15分くらい歩く。愛宕山神社の鳥居や平野屋を過ぎて寂しくなる。
愛宕山を登る道 清滝が目の前 喧噪を離れたところがよい。

奈良時代・天平神護2年(766)東山六波羅密寺付近に聖武天皇の娘、稱徳天皇(在位749-758)により創建された愛宕寺。
本尊は「厄除千手観音」また「火除地蔵菩薩」を祀る。鴨川の洪水により廃寺となってしまう。
それを復興したのが僧侶、千観内供(念仏上人)。愛宕山念仏寺とよばれるようになる。本尊を彫った。
この千手観音は、左右非対称の慈悲の姿をあらわしている。

大正11年(1922)に本堂が奥嵯峨野に移築された。また、昭和30年(1955)仏師西村公朝が住職を拝命し復興された。
この西村公朝氏は、東京芸術大学を経て三十三間堂の修復など昭和の大修理を成功させた人物。東京芸術大学名誉教授。

釈迦が入滅した時 五百名が集まり 後に七百名集まった事に因んだのか。
昭和55年(1981)仏師でなくても 仏像をつくることができると発願し、五百羅漢で満たそうと呼びかけた。
平成3年(1991)当初は、五百体だったが後に七百体を追加。「千二百体羅漢落慶法要」が十年をかけ厳修された。

平成3年(1991)「ふれ愛観音」をつくりお堂を建てた。目の不自由な方が触れてもよい、触れられる事を喜ぶ観音とある。
【これまで 仏様は拝むもので触れる事はご法度でした】※撫でてもよい仏は その旨説かれています。

静かなところ。時期は初夏。蛙の鳴く音がコダマする・・・大量にカタカタ・・・
帰ろうと思っても この鳴き声を聞くと 帰れなくなる。何とも風情がある。

 


ショパン/練習曲第24番ハ短調作品25-12「大洋」


ショパン/練習曲第24番ハ短調作品25-12「大洋」

24の練習曲集 最後を飾る ハ短調。疾風怒濤の感情が投影される。この練習曲集は作品10と25だが、それに遺作が3曲ある。
遺作は、当初、前奏曲のようで「落ち穂拾い」などと評価されていたが、リズムとピアノの表現に関わる重要なエチュード。

26歳の作品。すでに、ピアノという楽器を現実的に(ピアニストに拷問をかけることなく)
藝術的に極限まで高めたショパンは天才である。しかし、手の捩じれたものは弾かない方がよいと。当時は、リストとクララ・シューマンが演奏できたという。

1900年代に入ってはじめて全集が収録された。

 

ポーランドの音楽教師 ゴドフスキーは ショパンの練習曲をさらに難しくした パラフレーズを作曲した。
嬰ハ短調へ移調し左手のみで演奏できるようにした。もちろん 難曲には違いないのだが ハーモニーは参考になる。

 

テクニックとして「無窮動」の表現。 アルペジオを休みなく弾き続ける事で無機質にならないこと。
単純にアルペジオと言うが、3オクターブに亘る 乖離した分散和音を弾くには
肩の弛緩 肘の支え 手首の柔軟さ 左右に動くときの膝の使い方。
密集和音とは違う、指先の力。跳躍が的確にする握り(スパン)がポイントとなる事を。

2分の2拍子。
様々なアルペジオが出ているが 表情も違う。

冒頭の ハ長調の和声 輝く白い星のように。
中間部 変イ長調の和声 柔らかい波のように。
中間部 ハ短調の和声 厳しい波のように うねる。(悼みを伴って)
最後の へ短調の和声 コーダに向かって 突進するがごとく。

最初の16分音符は ペダルで響かせる事。下記のようなイメージ。

息は長いが このようになると思う。冒頭の8小節を和声で示す。

中間部 変イ長調の和声が柔らかくなる。さざ波か・・・(和声とフレーズを示す)

しかし その後の ハ短調の和声は 非常に厳しい。少しずつ クレッッシェンドし FFが頂点に。
特に2段目の冒頭の音、Dのアクセント、テヌートであらわしたところは ショパンの中でも哀しみをたたえている和声。
闘っているのか 絶望に瀕しているのか・・・

出だしは「弱い」となっているが 最初の音は響かせなければならない。

 

コーダのところ へ短調の和声 雷鳴のごとく星が瞬き(上昇)落ちてくるような(下降)。
の後 ハ長調の和声が堂々と波打ち、この曲集を終える。


嵯峨嵐山 保津峡


嵯峨嵐山 京都市西部(洛西)桂川周辺の風光明媚な観光地。平安時代から貴族の別荘地とされた。
桂川左岸を右京区嵯峨 右岸を西京区嵐山という。嵐山とは、松尾大社のある(四条通り)右岸までとみてよい。

京福電鉄「嵐山駅」付近が渡月橋に近い。阪急嵐山線は「嵐山駅」となっている。
JR山陰線「嵯峨嵐山」駅としているが、実際、嵐山までは 少し距離がある。

渡月橋 竹林の小径 周辺が外国人も含む観光客が最も多い。

桂川はかつて水の便が悪く堰をつくって水路を確保した。桂川は、鴨川と合流する京都の一級河川。
平安時代、承和3年(836)弘法大師の高弟、道昌(どうしょう)により大堰川を修築した際
法輪寺(葛井寺)から嵯峨に橋を架けられた。道昌は 行基の再来とされた。
鎌倉時代、亀山天皇(在位1260-1274)がこれを「くまなき月の渡るに似る」と謂われ「渡月橋」とされた。
戦国時代から江戸時代、角倉了以(1554-1614)が開削し、林業、舟運の開拓につとめた。

さて、嵐山からみる。小倉山、愛宕山は大堰川の雰囲気と相まって風情を醸し出す。
保津川へとすすめると 流れはゆったりめで岩礁が多く川幅は狭い。緑が麗しい。
ここは、嵯峨付近の一日100円レンタサイクルが活躍するだろう。

小倉山は百人一首で詠まれる山。また、愛宕山は京都一番に高い山。