Author: nishikunn

☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ

奥嵯峨「祇王寺」平家物語


奥嵯峨「祇王寺」山号は高松山 本尊は大日如来 平清盛に翻弄された悲恋の尼寺

法然上人の門弟良鎮によって創建された往生院が元で「平家物語」ゆかりの地。歌舞「白拍子」の祇王(21歳)は平清盛の寵愛を受けたが清盛の仏御前への心変わりにより都を追われ妹の祇女(19歳)、母の刀自(45歳)と出家し往生院で尼僧になった。のちに仏御前(17歳)が加わる。仏道に励み、みな往生を遂げたという。境内に清盛の供養塔と祇王姉妹らの「宝篋印塔」が建立。荒廃したが、1895年(明治28年)第3代京都府知事の北垣国道が寄進し大覚寺が管理、再興した。本堂の仏壇に鎌倉末期作の、本尊大日如来、祇王、祇女、母刀自、仏御前と平清盛の木像が安置されている。また、吉野窓があり「虹の窓」と呼ばれる。旧嵯峨御所大本山大覚寺の塔頭寺院。

祇王が平清盛に捨てられた時に詠んだ歌「萌え出るも 枯るゝもおなじ 野辺の草 いづれか秋に あはで果つべき」

平家物語は12巻からなる鎌倉時代に成立した軍記物語で、平家の栄華と没落、武士階級の台頭などが描かれた。第1巻に「祇園精舎」や「祇王」がある。作者は、吉田兼好作の徒然草(第226段)に「信濃前司行長」(藤原行長?)の記述があるが確定していない。有名な出だしではじまる。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず・・・」

映画「時雨の記」で登場している。京都の紅葉と恋物語。紅葉のように恋焦がれしかし無常観に苛まれる。木像の祇王が荘厳でわびさびを感じる。
晩秋の紅葉と苔、竹林は何と素晴らしいのだろう。

 


旧嵯峨御所「大覚寺」


旧嵯峨御所 大本山「 大覚寺」山号は嵯峨山 本尊は五大明王 歴代天皇や皇族が住職に就かれた格式の高い寺院である門跡で一番古い。
五大明王とは 中心に不動明王 東に降三世明王(ごうざんぜ )南に軍荼利明王(ぐんだり )西に大威徳明王(だいいとく )北に金剛夜叉明王(こんごうやしゃ )
弘仁2年(811)、空海が嵯峨天皇が命を受け、大沢池の畔に五覚院(後の「五大堂」)を建立し五大明王を祀ったのがはじまり。
五社明神(伊勢外宮=豊受皇大神、伊勢内宮=天照皇大神、八幡宮=応神天皇、春日宮=天津兎屋根命、住吉宮=神功皇后、他)
空海が嵯峨殿の鎮守社として勧請した。

嵯峨天皇(786年- 842年 在位 809年- 823年 譲位後、太上天皇)と空海(774年- 835年)
嵯峨天皇は、檀林皇后(だんりんこうごう)とご成婚の新居として離宮「嵯峨院」を建立。818年、大飢饉などが起き帝は心を傷められ離宮に移り質素倹約し、空海のすすめにより心経を金文字で一字三礼を尽くされ書写。そして空海が五大明王に祈祷すると平安が訪れたという。

・大覚寺エリア 宸殿、勅使門、村雨の廊下、勅封心経殿、御影堂、安井堂、五大堂など。
宸殿 後水尾天皇より下賜された、寝殿造り。入内された徳川2代将軍秀忠の娘東福門院和子が、女御御所の宸殿として用いられた。
御影堂 嵯峨天皇、弘法大師(秘鍵大師)、後宇多法皇、恒寂入道親王をお祀りしている。
安井堂 後水尾天皇を祀る。格天井鏡板に花鳥などが描かれている。
・大沢池エリア 五社明神、閼伽堂、大日堂、聖天堂、心経宝塔、石仏群、護摩堂、天神社(御神木)、望雲亭、名古曽の滝跡など。菊ヶ島と天神島がある。
名古曽の滝跡 池北部に名古曽滝の瀧組が残っている。現在は、涸れ滝。藤原公任 歌詠み「滝の音は たえて久しく なりぬれど名こそ流れて なほ聞こえけれ」

嵯峨天皇は、三筆の一人。書写された般若心経は「勅封心経殿」に奉安され、薬師如来像が祀られている。60年に一度、勅使により開封される。
又、大沢池の菊ヶ島から手折った菊を生け「嵯峨御流」を創始した。

今のような衛星も電話も車もない時代。人並以上の感覚や知識を持った人たち。命がけで歴史をつくってきた人に耳を傾けることは自分も生きている共感に繋がる。為になる人は、歴史からあるいは人から学ぶものだと思う。

神の使いが。五社明神を参拝した直後「白鷺の番」が池で羽を休めていた。貴重な瞬間だった。
写経の根本道場の大覚寺。「嵯峨菊」の華の香が芳しい。奇しくも、11月の菊のきれいな時期だった。

嵯峨大覚寺の入り口「嵯峨御流華道芸術学院」が見える。

門跡の庭園。歴史の重みを感じる。

玄関。「嵯峨菊」は11月中 展示されている。

左近の桜、右近の橘。

宸殿

石舞台と勅使門

心経殿 嵯峨天皇の心経をはじめ、門跡が書写した心経が奉安されている。

大沢池は日本で初めての庭池。周囲1㎞。

五大明神

閼伽堂

大沢池から嵐山方面。

菊ヶ島 菊を栽培した華を生け、華道「嵯峨御流」の家元となった。

天神島にある「天神社」菅原道真を祀る。

心経宝塔

白鷺の番 五大明神を参拝後、現れた。


称名滝 紅葉


称名滝 しょうみょうだき(標高1035m)立山連峰が源流 水量は毎秒0.5~2t以上。国の名勝、天然記念物に指定。

日本一の落差350mを誇り、四段からなる。一段目40m、二段目58m、三段目96m、四段目126mで深さ6mの滝つぼ。雪解け時期のみ右側にあらわれる幻の滝「ハンノキ」は落差500m。立山連峰の室堂周辺が源流とされ、地獄谷からの水や落差130mのソーメン滝(標高2350m)が合流し弥陀ヶ原から「称名廊下」と呼ばれる大峡谷のゴルジュを通る。ここは地図上になく登攀するしかない「最後の秘境」だ。紺屋川出合から大谷出合まで2Kmの「上の廊下」、大谷出合から一ノ谷出合まで4.3Kmの「中の廊下」、一ノ谷出合から滝面まで2.5Kmの「下の廊下」を経て、滝面(標高1410m)から瀑音をたて一気に落ちる様は唯一無二。11月中旬、雪が残っていた。

常願寺川沿いの県道をすすめ立山駅周辺の橋の手前で何やら声が。お猿さんの朝食だった。邪魔をしてはと思いながら行動を観察。どんぐり、柿などの実を食べていた。そして木登り。もちろん毛繕いをしている。10頭くらいの集団だった。幼い子ザルが元気に走り回り、木から落ちるところも見た。身を寄せ合い「サル団子」で生き抜く。何とも微笑ましい。冬支度前の大事な食事時、失礼しました。

サルは、木登りが得意。この後、子ザルが木から落下する。

表情が豊かで微笑ましい。

山紅葉。

悪城の壁(あくしろのかべ)高さ500m長さ2㎞の一枚岩で日本一の高さ。見るものを圧倒させる。

駐車場から約30分ほどで滝見台に着く。半分くらいに差し掛かったところ。すでに滝の強風と瀑音で会話の声は聴きとりにくい。

「八郎坂」立山黒部アルペンルートの「弘法」へ抜けられる。かなり角度が急でしかも滑りやすい。雨の日などは通らない方がよい。

称名峡谷 高さ500mのV字谷 夏は涼しい。

滝つぼまでの全体 とにかく大きすぎて写真におさまりきれない。

標示板の前で。滝面から


2020.12.9(木)13:00「おきがるタイム」vol.185


2020.12.10(木)13:00「マコルネのおきがるタイム」FM816
【ネットラジオの視聴方法がPC スマートフォン タブレット共通に】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

【予定曲】アメイジング・グレイス 本田美奈子 ローズ クミコ サイレント・イヴ ブレノスアイレスの冬 ホーリーナイト アヴェ・マリア セリーヌ・ディオン まきびとひつじを きよしこのよる 懐かしきケンタッキーの我が家 ペチカ 倍賞千恵子 ルビーの指環 寺尾聰

【コラム】冬らしくなってきました。あちこちで クリスマスのリースが見られ、BGMが聴こえてくるようになりました。温かくしてお過ごしください。

The Rose 森山良子・平原綾香・手嶌葵

クリスマス・リストの装い 穏やかな新年が訪れますように。


「リラ・クラシック」2020.12.19(土)7:00「クリスマス特集」vol.75


2020/12/19「リラ・クラシック」は、クラシック音楽でリラックスする60分。第3週・第5週 パーソナリティ マコルネがお届けします。
【ネットラジオの視聴方法がPC スマートフォン タブレット共通に】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

「クリスマス特集」

【曲予定】バッハ/クリスマス・オラトリオBWV248より
ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」より
ヘンデル/オラトリオ「メサイア」より「ハレルヤ」「アーメンコーラス」
マーラー/交響曲第2番ハ短調「復活」より第5楽章後半「合唱」

【コラム】クリスマスシーズンですね。新年の門出を祝えるように。

ヘンデル/オラトリオ「メサイア」救世主 より 最終曲「アーメンコーラス」

 

クリスマスは(欧米では)降誕祭とともに一年のはじまりでもある。終わり、はじまる。「復活」のもう一つの時でもある。
「復活」の合唱の15分間は、至福の時だ。蘇るために死ぬ、生きるために死ぬのだ・・・「クロプシュトックの讃歌」より

復活 / フリードリヒ・ゴットリープ・クロプシュトック 「イエス・キリスト、わたしたちの救世主」


霊峰「立山」


霊峰「立山」

立山は富士山、白山、御嶽山と並ぶ日本三霊山(白山と御嶽山が入れ替わることがある)の一つ。飛鳥時代から奈良時代にかけての越中国守の息子・佐伯 有頼 さえき の ありより 天武天皇5(676年) – 天平宝字3(759年)が『立山開山縁起』に登場、大宝元年(701年)の開山とされる。雄山神社の芦峅中宮祈願殿には、開山廟がある。広大な山容は、「立山曼荼羅」として篤く信仰されている。それは「天国」と「地獄」を体現。弥陀ヶ原や地獄谷、餓鬼の田など仏教由来の名称が多い事からもわかる。

立山は、山頂部だけでなく、山腹部、山麓部も自然の宝庫で四季が楽しめ 「立山黒部アルペンルート」が、富山県側 立山駅から ケーブルカー、高原バス、ロープウェイ、トロリーバス、長野県側 扇沢駅 までを結んでいる。

立山は山頂部 雄山(3003m)富士の折立(2999m)大汝山(3015m)の事。また、浄土山(2831m)雄山(3003m)別山(2880m)これらを「立山三山」と呼ぶ。
山域として、剣岳(2999m)真砂岳(2861m)大日岳(2501m)などがある。

立山室堂(2450m)が登山口の拠点 「立山黒部アルペンルート」高原バスの終点
ミクリガ池(2405m)周囲が600m。ハイマツが植生し、ライチョウに出逢える場所。
血の池(2382m)赤い色をした池で、酸化鉄を含んでいる。
地獄谷(2300m)火山性ガスの危険のために立ち入り規制されている。
雷鳥沢(2280m)剣岳(2999m)への導線にあたる。
山崎圏谷(カール)1905年、日本で最初に発見された氷河で形成された地形。国の天然記念物に指定。

天狗平(2300m)溶岩台地。
弥陀ヶ原(1600~2000m)湿原(餓鬼田)があり高山植物の宝庫。
大観台 だいかんだい(1470m)
美女平(977m)美女杉がある。女人禁制で、掟を破り立山に入ろうとした姫がここで動けなくなり、杉の木に変わったという。

経路 富山地鉄「立山駅」(475m)よりケーブルカーで「美女平駅」(977m)約7分 それから「美女平」バス停から高原バスで「室堂」(2450m)約50分
立山室堂 → ミクリガ池《周遊》 → ライチョウ沢 → 立山室堂(昼食)→ 室堂山 → 立山室堂 【マイカー規制のため、立山駅の無料駐車場を利用】

立山は、3000m級の高山帯なので、10月上旬に降雪があり、下旬には積雪がある。この時期に 山小屋の営業を終了するところが多い。
11月上旬に、40㎝の積雪があった。さらさらしたパウダースノーだ。その後、雨が降っていない。登山道は、雪で踏み固められている。日向は、シャーベットのようになっていた。日陰は、凍っていてツルツル。アイゼンが必要。コロナ対策の一環として、山頂部の雄山などの三山は、登頂禁止。すでに雄山神社は、8月中旬に営業を終了していた。
立山は、夏山の新緑、秋の紅葉、初冬の雪山軽登山もよい。11月オープンしている山小屋は3ケ所だけで24日でクローズ。アルペンルートも11月末まで。
12月から4月初旬まで「立山アルペンルート」は、冬季休業期。もちろん、山小屋もオープンしていない。森林限界なので強風が吹き、暴風雪もよくあり雪崩も起きる。気温はマイナス20℃になる。積雪は7m以上。「雪の大谷」では深さ20mの雪壁。登山道は不明瞭。厳しい自然で、遭難、滑落、低体温症、凍死するだろう。

初めての冬山が「立山」。ミッションは、防寒具とアイゼンの性能チェック。ミクリガ池 雷鳥沢 室堂山周遊が目的。浄土山は希望だが、行けなくてもかまわない。美女平から高原バスで標高1500mを一気に稼ぐ。高原バスはドライバーがガイドを直接行う。このガイドがなかなか凄い。見所では一時停止。気配りが効いている。みるみる内に、銀世界になりバスの中で歓声があがった。室堂に着くと、早速、雪の感触を五感で感じた。まず快晴で風がほとんどない最高のコンディション。気温はマイナス2度。一面が白いので、太陽の反射が強くサングラスが必要。スキーやスノーーボードで滑降している人がいた。雪質はよい。午後2時頃から風が冷たかった。それにしても、普通の冬服で来ている人がいたけど大丈夫だったかな。登山道以外は、ズボッと膝下まで沈み込み深みにはまる。ミクリが池周遊はところどころ高度差があり、下り坂でスリップし転びそうになった。この日、ライチョウと出逢う事はなかった。雷鳥沢まで行ってみたんだけどな。又の機会に。

高原バスから銀世界

立山室堂

浄土山方面、

ミクリガ池 氷が張っている 透明度が高い。

山崎カール(圏谷)

地獄谷

ライチョウ沢


「宇奈月湖」黒部峡谷


宇奈月湖 黒部峡谷

富山鉄道の宇奈月温泉駅を経て、黒部峡谷鉄道の宇奈月駅からトロッコ列車で欅平まで。「最後の秘境」と称えられ、11月のシーズンは観光で賑わう。
宇奈月駅を行き来するトロッコ列車、宇奈月湖のエメラルドグリーンの湖面、快晴の青空、山紅葉と、冠雪した後立山連峰の絶妙な景色。

黒部ダムは日本を代表するダムの一つ。10の発電所がつくられた。そのひとつが宇奈月湖の発電所。黒部峡谷は日本三大峡谷の一つ。その渓谷美は、国の特別天然記念物(天然保護区域)特別名勝指定、立山黒部ジオサイト。数百万年前からのユーラシア大陸プレートと北米大陸プレートがこの付近で衝突し隆起を続け、割れ目に雨雪が侵食し、標高3000mの立山連峰と後立山連峰、比高1500mの黒部峡谷をつくったとされる。
その黒部峡谷は黒部川が流れるが急流で有史以来、度々大規模な水害をもたらしてきた。高度成長時代の関西地方の電力を賄うために構想され、1953年着工、1961年完成。当時、破格の予算を計上、多くの労働者が従事し厳しい工事作業のため殉職者が200名近く出た。その後も、大水害が1969年起き、治水対策が急務とされた。宇奈月ダムが1979年着工される。黒部峡谷鉄道の線路が高地に付替えされ、ようやく2001年に大工事が完成した。

2020年7月、熊本県での球磨川流域の氾濫は6000棟以上の浸水、犠牲者が65名と大惨事になった。知事は住民の命を守るため方針を転換し治水対策のダム建設を国に答申した。
川の氾濫は、複雑で様々な要因が絡む。治水対策は、堤防の強化、川幅の拡張や掘削、放水量の調整、ダムの建設などがあるが最終的には、雨量に耐えうるかの予測は難しい。最近は、合流する支流の小河川の逆流が要因の一つとされ、適切な対応が取れる事が重要である。

ダム情報資料館と「湖面橋」、エメラルドグリーンの宇奈月湖。

上流の「尾の沼公園」。うなづき湖と山紅葉。

「とちの湯」から、宇奈月湖と黒部峡谷の山紅葉、後立山連峰の冠雪と洞門を通過するトロッコ列車とのコラボレーション。

自然の恵みに感謝。刻々と変わる湖面の色。立山の雪解け水が渓谷美をつくりだした。


ベートーヴェン/ピアノソナタ第26番「告別」


ベートーヴェン /ピアノソナタ第26番「告別」作品81a(1809)

ベートーヴェン(1770-1827)「楽聖」 生誕250周年を迎えるメモリアルイヤー。https://sp.universal-music.co.jp/beethoven250th/

教科書で習うベートーヴェンは「悲愴」ソナタにあるように難聴という困難を乗り越え、人類遺産の一つである「第九」を作曲したとある。難聴とは、感音性難聴と伝音性難聴があるが、最近の研究では、後者であるようだ。まったくではなく、少し聴こえていた可能性がある。現代のように再生機がない時代に、作曲に関する能力が明晰であった。

ベートーヴェンは幼少の頃、モーツァルトを超える天才だと持て囃され素晴らしいピアニストであった事から、将来、時代を代表する作曲家になるだろうという期待に応えるべき、プレッシャーの中で作曲を開拓していった。それは、新しい「現代音楽」であった。彼は宮廷音楽家の道でなく、演奏会の収入、楽譜出版、レッスンで生計を立てていく。
特に神聖ローマ皇帝レオポルト2世の末子「ルドルフ大公」が生涯最後まで庇護者をつとめた事が大きい。ハイドンは30年間も宮廷音楽家であった事とは事情が違う。

性格的には、はったりをかますようなところが散見される。「第九」のエピソードのなかに「ミサ・ソレムニス」を並行して出版社に高く購入してくれるように交渉した。

さて「告別」ソナタの事。自分でタイトルをつけた曲は「悲愴」と「告別」くらい。それ以外「月光」や「熱情」「テンペスト」「ワルトシュタイン」ハンマークラヴィア」などは、出版社が勝手につけたものである。作曲技法の転換点がこの辺りにある。1809年は「田園」「運命」交響曲、またピアノ協奏曲「皇帝」の大作を生み出した傑作の森だった。

1809年オーストリア戦役 1809年4月10日 – 10月14日)は、オーストリア帝国がナポレオン1世のフランス帝国による覇権に挑み、戦役。5月、ナポレオン軍がウィーンに侵攻、ウィーンを疎開し、ルドルフ大公もウィーンを離れた。戦闘は半年ほど続き、11月にフランス軍はウィーンから撤退。翌1月、ルドルフ大公はウィーンに戻ってきた。

 

 

第1楽章 アダージオ → アレグロ 4分の2 → 2分の2 変ホ長調。序奏は、黄昏のバラードのよう。主題は、オクターブや上昇を含み、前向きな感じが。第2主題は、早い走句、メリハリの効く、リズムの変容も巧妙。全体的に半音階的な和声進行が特徴。

第2楽章 アンダンテ 4分の2 ハ短調 間奏曲 リズムとところどころのスフォルツァンドがベートーヴェンらしい。

第3楽章 ヴィヴァーチェシモ 8分の6 変ホ長調 左手が主導権を握っている。右手の主題が左手にとって代わる。右手のトレモロが特徴。早い走句が快活である。

 


「真楽寺」聖徳太子


真楽寺 佐久(東信)聖徳太子 「七尋芹」

佐久地方は広い。小諸市、佐久市、東御市の一部(旧北御牧村)北佐久郡(軽井沢町、御代田町、立科町)南佐久郡(佐久穂町、小海町、川上村、南牧村、南相木村、北相木村)

真言宗智山派で山号は浅間山。本尊は普賢菩薩。神代杉、仁王門、観音堂、三重塔を構える。用明天皇元年(586年)勅願による開山。聖徳太子、源頼朝、松尾芭蕉らが参詣。甲賀三郎伝説、龍神伝説として知られる。浅間山が突如大噴火し、用明天皇は勅使を派遣し、鎮火祈願のため真楽寺を被災地に建立。源頼朝は真楽寺に巨大な本堂を寄進し、自らの厄除祈願を行った。聖徳太子は皇父の痕跡を訪ね、泉「七尋芹」の美しさに感嘆。

大沼池。それは、透き通った色。浅間山の湧水だった。

龍神伝説があり、甲賀三郎が登場する。聖徳太子は「七尋芹」をみて感嘆した。この池は、浅間山の名水が流れる。
古代の天変地異に智慧を以て祈願され、今尚歴史が刻まれている重みに、感動した。
この泉は美しい。


浅間山【ガトーショコラ】


浅間山(2568m)【ガトーショコラ】

長野県軽井沢町、御代田町、群馬県嬬恋村にわたる標高2568mの山。ただし、登山口は長野県小諸市が管理している。有史以来、噴火活動で今なお小規模な火山活動がみられる活火山。釜山 2568m を筆頭に、黒斑山、前掛山、蛇骨岳、仙人岳、鋸岳、車坂山、牙山 それに西側の水ノ塔山、東籠ノ登山、西籠ノ登山、三方ヶ峰、湯ノ丸山、烏帽子岳などが山域で、寄生火山の小浅間山、浅間隠山なども関連。現在は、釜山(第3期)が噴火警戒レベル2【火口から2㎞まで立入規制】であるため「賽の河原」2215mまで登山可能。レベル1では前掛山(第2期)2524m まで登れたが火口に近い。火口は巨大で東西500m、南北440m 深さ150mもある。そのため、安全確保ができる黒斑山(第1期)2404m を山頂としている。軽井沢西部(追分)からは、東側に凹んだ火口が見える。

あのずんぐりむっくりのガトーショコラ。雪のシーズンだと、褐色の山肌に白い雪をかぶったスイーツのよう。「トーミの頭」「草すべり」では、大迫力の山容。山頂からのいくつかの筋がはっきりとみえる。雪をかぶったガトーショコラは、いずれ又の機会に。

群馬県 二度上峠 1380mから

車坂峠 1973mから 八ヶ岳と富士山 左側に三角の飛び出し。(この画像は、トリミングしています。)山腹のカラマツ林と佐久、立科の山なみ、麓の草紅葉。

第一ミッションは「トーミの頭」2320m「黒斑山」2404m そして「草すべり」からの草紅葉・・・
登山口は A 車坂峠 B 浅間山荘

A 車坂峠登山口 トイレがある(※ビジターセンターの開館時期を確認ください)、途中にトイレはない。表コース、中コースがある。
表コース メインに使われるルート。南側斜面で陽当たりがよく、時々、木々から展望が見られる。
中コース 樹林帯で眺望はほとんどないが、距離が300m短い。「トーミの頭」の手前で合流する。槍ヶ鞘へは、直接通らない。

B 浅間山荘登山口 登山口と途中の「火山館」にトイレがある。湯の平から草すべり経由【トーミの頭、黒斑山分岐】までの急坂は、標高300m差、登りは1時間も続く。

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登山日は、わずかながら噴煙がたなびいたが快晴で風が穏やかだ。登山道は、霜や残雪が少しあったが、アイゼンが必要なレベルではない。
午後2時をすぎると風が冷たかったので防寒対策をしっかりと。

車坂峠登山口 1973m 高峰高原ビジターセンターは冬季閉鎖。トイレは高峰高原ホテルを利用させていただきました。
ホテルにぜひ立ち寄りください。高原ならではのアイテムがたくさん。日帰り温泉もあります。(※、予約が必要な場合有)

《表コース》車坂峠 → 車坂山 ダウン アップ → ガレ場 → 赤ゾレの頭 → シェルター
→ 槍ヶ鞘 ダウン アップ → トーミの頭 → ダウン 湯の平【草すべり方面】分岐 → ダウン 草すべり → 往復

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「山の神」に参拝。御朱印は、高峰高原ホテルにある。

登山口では、ルートを確認。準備体操をして。登山届を提出。

西側の稜線。遠くに白馬連峰がみえる。

登山道に岩場はない。降灰した火山礫がある。

槍ヶ鞘の手前が少々しんどいが、ようやく浅間山が見えてきたので、気分が楽になる。

シェルター 50人は収容できる避難小屋。

「槍ヶ鞘」歓声があがる。浅間山の眺望がよいところ。平らなところがあるので ここでお弁当を。崖下は厳しい岩場になっている。
左に「トーミの頭」が。アップダウンの15分で登れる。

「トーミの頭」第一のミッション完了 さきほどとは違い、草紅葉の浅間山全体がみえる。

黒斑山と湯の平分岐付近から 仙人岳、鋸岳の稜線、火口までは、4㎞ほどある。浅間山がいかに大きいか。
古くから篤い信仰を集めた。地蔵信仰の聖地《賽の河原》三途の川の河原がある。

「草すべり」へ 黒斑山をみあげる

浅間山 「草すべり」 大迫力の山容 草紅葉