Author: nishikunn

☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ

「リラ・クラシック」2020.12.19(土)7:00「クリスマス特集」vol.75


2020/12/19「リラ・クラシック」は、クラシック音楽でリラックスする60分。第3週・第5週 パーソナリティ マコルネがお届けします。
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「クリスマス特集」

【曲予定】バッハ/クリスマス・オラトリオBWV248より
ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」より
ヘンデル/オラトリオ「メサイア」より「ハレルヤ」「アーメンコーラス」
マーラー/交響曲第2番ハ短調「復活」より第5楽章後半「合唱」

【コラム】クリスマスシーズンですね。新年の門出を祝えるように。

ヘンデル/オラトリオ「メサイア」救世主 より 最終曲「アーメンコーラス」

 

クリスマスは(欧米では)降誕祭とともに一年のはじまりでもある。終わり、はじまる。「復活」のもう一つの時でもある。
「復活」の合唱の15分間は、至福の時だ。蘇るために死ぬ、生きるために死ぬのだ・・・「クロプシュトックの讃歌」より

復活 / フリードリヒ・ゴットリープ・クロプシュトック 「イエス・キリスト、わたしたちの救世主」


霊峰「立山」


霊峰「立山」

立山は富士山、白山、御嶽山と並ぶ日本三霊山(白山と御嶽山が入れ替わることがある)の一つ。飛鳥時代から奈良時代にかけての越中国守の息子・佐伯 有頼 さえき の ありより 天武天皇5(676年) – 天平宝字3(759年)が『立山開山縁起』に登場、大宝元年(701年)の開山とされる。雄山神社の芦峅中宮祈願殿には、開山廟がある。広大な山容は、「立山曼荼羅」として篤く信仰されている。それは「天国」と「地獄」を体現。弥陀ヶ原や地獄谷、餓鬼の田など仏教由来の名称が多い事からもわかる。

立山は、山頂部だけでなく、山腹部、山麓部も自然の宝庫で四季が楽しめ 「立山黒部アルペンルート」が、富山県側 立山駅から ケーブルカー、高原バス、ロープウェイ、トロリーバス、長野県側 扇沢駅 までを結んでいる。

立山は山頂部 雄山(3003m)富士の折立(2999m)大汝山(3015m)の事。また、浄土山(2831m)雄山(3003m)別山(2880m)これらを「立山三山」と呼ぶ。
山域として、剣岳(2999m)真砂岳(2861m)大日岳(2501m)などがある。

立山室堂(2450m)が登山口の拠点 「立山黒部アルペンルート」高原バスの終点
ミクリガ池(2405m)周囲が600m。ハイマツが植生し、ライチョウに出逢える場所。
血の池(2382m)赤い色をした池で、酸化鉄を含んでいる。
地獄谷(2300m)火山性ガスの危険のために立ち入り規制されている。
雷鳥沢(2280m)剣岳(2999m)への導線にあたる。
山崎圏谷(カール)1905年、日本で最初に発見された氷河で形成された地形。国の天然記念物に指定。

天狗平(2300m)溶岩台地。
弥陀ヶ原(1600~2000m)湿原(餓鬼田)があり高山植物の宝庫。
大観台 だいかんだい(1470m)
美女平(977m)美女杉がある。女人禁制で、掟を破り立山に入ろうとした姫がここで動けなくなり、杉の木に変わったという。

経路 富山地鉄「立山駅」(475m)よりケーブルカーで「美女平駅」(977m)約7分 それから「美女平」バス停から高原バスで「室堂」(2450m)約50分
立山室堂 → ミクリガ池《周遊》 → ライチョウ沢 → 立山室堂(昼食)→ 室堂山 → 立山室堂 【マイカー規制のため、立山駅の無料駐車場を利用】

立山は、3000m級の高山帯なので、10月上旬に降雪があり、下旬には積雪がある。この時期に 山小屋の営業を終了するところが多い。
11月上旬に、40㎝の積雪があった。さらさらしたパウダースノーだ。その後、雨が降っていない。登山道は、雪で踏み固められている。日向は、シャーベットのようになっていた。日陰は、凍っていてツルツル。アイゼンが必要。コロナ対策の一環として、山頂部の雄山などの三山は、登頂禁止。すでに雄山神社は、8月中旬に営業を終了していた。
立山は、夏山の新緑、秋の紅葉、初冬の雪山軽登山もよい。11月オープンしている山小屋は3ケ所だけで24日でクローズ。アルペンルートも11月末まで。
12月から4月初旬まで「立山アルペンルート」は、冬季休業期。もちろん、山小屋もオープンしていない。森林限界なので強風が吹き、暴風雪もよくあり雪崩も起きる。気温はマイナス20℃になる。積雪は7m以上。「雪の大谷」では深さ20mの雪壁。登山道は不明瞭。厳しい自然で、遭難、滑落、低体温症、凍死するだろう。

初めての冬山が「立山」。ミッションは、防寒具とアイゼンの性能チェック。ミクリガ池 雷鳥沢 室堂山周遊が目的。浄土山は希望だが、行けなくてもかまわない。美女平から高原バスで標高1500mを一気に稼ぐ。高原バスはドライバーがガイドを直接行う。このガイドがなかなか凄い。見所では一時停止。気配りが効いている。みるみる内に、銀世界になりバスの中で歓声があがった。室堂に着くと、早速、雪の感触を五感で感じた。まず快晴で風がほとんどない最高のコンディション。気温はマイナス2度。一面が白いので、太陽の反射が強くサングラスが必要。スキーやスノーーボードで滑降している人がいた。雪質はよい。午後2時頃から風が冷たかった。それにしても、普通の冬服で来ている人がいたけど大丈夫だったかな。登山道以外は、ズボッと膝下まで沈み込み深みにはまる。ミクリが池周遊はところどころ高度差があり、下り坂でスリップし転びそうになった。この日、ライチョウと出逢う事はなかった。雷鳥沢まで行ってみたんだけどな。又の機会に。

高原バスから銀世界

立山室堂

浄土山方面、

ミクリガ池 氷が張っている 透明度が高い。

山崎カール(圏谷)

地獄谷

ライチョウ沢


「宇奈月湖」黒部峡谷


宇奈月湖 黒部峡谷

富山鉄道の宇奈月温泉駅を経て、黒部峡谷鉄道の宇奈月駅からトロッコ列車で欅平まで。「最後の秘境」と称えられ、11月のシーズンは観光で賑わう。
宇奈月駅を行き来するトロッコ列車、宇奈月湖のエメラルドグリーンの湖面、快晴の青空、山紅葉と、冠雪した後立山連峰の絶妙な景色。

黒部ダムは日本を代表するダムの一つ。10の発電所がつくられた。そのひとつが宇奈月湖の発電所。黒部峡谷は日本三大峡谷の一つ。その渓谷美は、国の特別天然記念物(天然保護区域)特別名勝指定、立山黒部ジオサイト。数百万年前からのユーラシア大陸プレートと北米大陸プレートがこの付近で衝突し隆起を続け、割れ目に雨雪が侵食し、標高3000mの立山連峰と後立山連峰、比高1500mの黒部峡谷をつくったとされる。
その黒部峡谷は黒部川が流れるが急流で有史以来、度々大規模な水害をもたらしてきた。高度成長時代の関西地方の電力を賄うために構想され、1953年着工、1961年完成。当時、破格の予算を計上、多くの労働者が従事し厳しい工事作業のため殉職者が200名近く出た。その後も、大水害が1969年起き、治水対策が急務とされた。宇奈月ダムが1979年着工される。黒部峡谷鉄道の線路が高地に付替えされ、ようやく2001年に大工事が完成した。

2020年7月、熊本県での球磨川流域の氾濫は6000棟以上の浸水、犠牲者が65名と大惨事になった。知事は住民の命を守るため方針を転換し治水対策のダム建設を国に答申した。
川の氾濫は、複雑で様々な要因が絡む。治水対策は、堤防の強化、川幅の拡張や掘削、放水量の調整、ダムの建設などがあるが最終的には、雨量に耐えうるかの予測は難しい。最近は、合流する支流の小河川の逆流が要因の一つとされ、適切な対応が取れる事が重要である。

ダム情報資料館と「湖面橋」、エメラルドグリーンの宇奈月湖。

上流の「尾の沼公園」。うなづき湖と山紅葉。

「とちの湯」から、宇奈月湖と黒部峡谷の山紅葉、後立山連峰の冠雪と洞門を通過するトロッコ列車とのコラボレーション。

自然の恵みに感謝。刻々と変わる湖面の色。立山の雪解け水が渓谷美をつくりだした。


ベートーヴェン/ピアノソナタ第26番「告別」


ベートーヴェン /ピアノソナタ第26番「告別」作品81a(1809)

ベートーヴェン(1770-1827)「楽聖」 生誕250周年を迎えるメモリアルイヤー。https://sp.universal-music.co.jp/beethoven250th/

教科書で習うベートーヴェンは「悲愴」ソナタにあるように難聴という困難を乗り越え、人類遺産の一つである「第九」を作曲したとある。難聴とは、感音性難聴と伝音性難聴があるが、最近の研究では、後者であるようだ。まったくではなく、少し聴こえていた可能性がある。現代のように再生機がない時代に、作曲に関する能力が明晰であった。

ベートーヴェンは幼少の頃、モーツァルトを超える天才だと持て囃され素晴らしいピアニストであった事から、将来、時代を代表する作曲家になるだろうという期待に応えるべき、プレッシャーの中で作曲を開拓していった。それは、新しい「現代音楽」であった。彼は宮廷音楽家の道でなく、演奏会の収入、楽譜出版、レッスンで生計を立てていく。
特に神聖ローマ皇帝レオポルト2世の末子「ルドルフ大公」が生涯最後まで庇護者をつとめた事が大きい。ハイドンは30年間も宮廷音楽家であった事とは事情が違う。

性格的には、はったりをかますようなところが散見される。「第九」のエピソードのなかに「ミサ・ソレムニス」を並行して出版社に高く購入してくれるように交渉した。

さて「告別」ソナタの事。自分でタイトルをつけた曲は「悲愴」と「告別」くらい。それ以外「月光」や「熱情」「テンペスト」「ワルトシュタイン」ハンマークラヴィア」などは、出版社が勝手につけたものである。作曲技法の転換点がこの辺りにある。1809年は「田園」「運命」交響曲、またピアノ協奏曲「皇帝」の大作を生み出した傑作の森だった。

1809年オーストリア戦役 1809年4月10日 – 10月14日)は、オーストリア帝国がナポレオン1世のフランス帝国による覇権に挑み、戦役。5月、ナポレオン軍がウィーンに侵攻、ウィーンを疎開し、ルドルフ大公もウィーンを離れた。戦闘は半年ほど続き、11月にフランス軍はウィーンから撤退。翌1月、ルドルフ大公はウィーンに戻ってきた。

 

 

第1楽章 アダージオ → アレグロ 4分の2 → 2分の2 変ホ長調。序奏は、黄昏のバラードのよう。主題は、オクターブや上昇を含み、前向きな感じが。第2主題は、早い走句、メリハリの効く、リズムの変容も巧妙。全体的に半音階的な和声進行が特徴。

第2楽章 アンダンテ 4分の2 ハ短調 間奏曲 リズムとところどころのスフォルツァンドがベートーヴェンらしい。

第3楽章 ヴィヴァーチェシモ 8分の6 変ホ長調 左手が主導権を握っている。右手の主題が左手にとって代わる。右手のトレモロが特徴。早い走句が快活である。

 


「真楽寺」聖徳太子


真楽寺 佐久(東信)聖徳太子 「七尋芹」

佐久地方は広い。小諸市、佐久市、東御市の一部(旧北御牧村)北佐久郡(軽井沢町、御代田町、立科町)南佐久郡(佐久穂町、小海町、川上村、南牧村、南相木村、北相木村)

真言宗智山派で山号は浅間山。本尊は普賢菩薩。神代杉、仁王門、観音堂、三重塔を構える。用明天皇元年(586年)勅願による開山。聖徳太子、源頼朝、松尾芭蕉らが参詣。甲賀三郎伝説、龍神伝説として知られる。浅間山が突如大噴火し、用明天皇は勅使を派遣し、鎮火祈願のため真楽寺を被災地に建立。源頼朝は真楽寺に巨大な本堂を寄進し、自らの厄除祈願を行った。聖徳太子は皇父の痕跡を訪ね、泉「七尋芹」の美しさに感嘆。

大沼池。それは、透き通った色。浅間山の湧水だった。

龍神伝説があり、甲賀三郎が登場する。聖徳太子は「七尋芹」をみて感嘆した。この池は、浅間山の名水が流れる。
古代の天変地異に智慧を以て祈願され、今尚歴史が刻まれている重みに、感動した。
この泉は美しい。


浅間山【ガトーショコラ】


浅間山(2568m)【ガトーショコラ】

長野県軽井沢町、御代田町、群馬県嬬恋村にわたる標高2568mの山。ただし、登山口は長野県小諸市が管理している。有史以来、噴火活動で今なお小規模な火山活動がみられる活火山。釜山 2568m を筆頭に、黒斑山、前掛山、蛇骨岳、仙人岳、鋸岳、車坂山、牙山 それに西側の水ノ塔山、東籠ノ登山、西籠ノ登山、三方ヶ峰、湯ノ丸山、烏帽子岳などが山域で、寄生火山の小浅間山、浅間隠山なども関連。現在は、釜山(第3期)が噴火警戒レベル2【火口から2㎞まで立入規制】であるため「賽の河原」2215mまで登山可能。レベル1では前掛山(第2期)2524m まで登れたが火口に近い。火口は巨大で東西500m、南北440m 深さ150mもある。そのため、安全確保ができる黒斑山(第1期)2404m を山頂としている。軽井沢西部(追分)からは、東側に凹んだ火口が見える。

あのずんぐりむっくりのガトーショコラ。雪のシーズンだと、褐色の山肌に白い雪をかぶったスイーツのよう。「トーミの頭」「草すべり」では、大迫力の山容。山頂からのいくつかの筋がはっきりとみえる。雪をかぶったガトーショコラは、いずれ又の機会に。

群馬県 二度上峠 1380mから

車坂峠 1973mから 八ヶ岳と富士山 左側に三角の飛び出し。(この画像は、トリミングしています。)山腹のカラマツ林と佐久、立科の山なみ、麓の草紅葉。

第一ミッションは「トーミの頭」2320m「黒斑山」2404m そして「草すべり」からの草紅葉・・・
登山口は A 車坂峠 B 浅間山荘

A 車坂峠登山口 トイレがある(※ビジターセンターの開館時期を確認ください)、途中にトイレはない。表コース、中コースがある。
表コース メインに使われるルート。南側斜面で陽当たりがよく、時々、木々から展望が見られる。
中コース 樹林帯で眺望はほとんどないが、距離が300m短い。「トーミの頭」の手前で合流する。槍ヶ鞘へは、直接通らない。

B 浅間山荘登山口 登山口と途中の「火山館」にトイレがある。湯の平から草すべり経由【トーミの頭、黒斑山分岐】までの急坂は、標高300m差、登りは1時間も続く。

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登山日は、わずかながら噴煙がたなびいたが快晴で風が穏やかだ。登山道は、霜や残雪が少しあったが、アイゼンが必要なレベルではない。
午後2時をすぎると風が冷たかったので防寒対策をしっかりと。

車坂峠登山口 1973m 高峰高原ビジターセンターは冬季閉鎖。トイレは高峰高原ホテルを利用させていただきました。
ホテルにぜひ立ち寄りください。高原ならではのアイテムがたくさん。日帰り温泉もあります。(※、予約が必要な場合有)

《表コース》車坂峠 → 車坂山 ダウン アップ → ガレ場 → 赤ゾレの頭 → シェルター
→ 槍ヶ鞘 ダウン アップ → トーミの頭 → ダウン 湯の平【草すべり方面】分岐 → ダウン 草すべり → 往復

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「山の神」に参拝。御朱印は、高峰高原ホテルにある。

登山口では、ルートを確認。準備体操をして。登山届を提出。

西側の稜線。遠くに白馬連峰がみえる。

登山道に岩場はない。降灰した火山礫がある。

槍ヶ鞘の手前が少々しんどいが、ようやく浅間山が見えてきたので、気分が楽になる。

シェルター 50人は収容できる避難小屋。

「槍ヶ鞘」歓声があがる。浅間山の眺望がよいところ。平らなところがあるので ここでお弁当を。崖下は厳しい岩場になっている。
左に「トーミの頭」が。アップダウンの15分で登れる。

「トーミの頭」第一のミッション完了 さきほどとは違い、草紅葉の浅間山全体がみえる。

黒斑山と湯の平分岐付近から 仙人岳、鋸岳の稜線、火口までは、4㎞ほどある。浅間山がいかに大きいか。
古くから篤い信仰を集めた。地蔵信仰の聖地《賽の河原》三途の川の河原がある。

「草すべり」へ 黒斑山をみあげる

浅間山 「草すべり」 大迫力の山容 草紅葉


軽井沢の「落葉松」


落葉松(カラマツ) 日本の針葉樹で珍しくも黄葉し落葉する。短枝上に集まる葉が、唐松風をイメージできる。それにしても、カラマツ この響きは何だろうか? 唐松岳(2696m)があるが。音のする松の印象。松カサがカラカラ・・・

東日本より北の標高の高い冷涼な地に植生する。西日本では杉が多く、カラマツやシラカバはほとんど見られない。また、ナナカマドやダケカンバ、ハイマツは南アルプスでも激減している。これが、ライチョウの生息と関連がある。人工林としては上信越をはじめ、街区に造林されているのを見かけ軽井沢の旧三笠通のカラマツ林がよく知られている。また、大学村のセミナーハウスなどで見られた。一方、自然林は希少になっている。軽井沢南部のゴルフ場などからよく見られる。規模が大きいものは高峰高原や二度上峠で見られる。

「落葉松」の黄葉について、北原白秋と野上彰の詞がある。

北原白秋 1885年(明治18年) – 1942年(昭和17年) 大正10年(1921年)作 四行八節の詞 井上武士・後藤惣一郎が曲をつけている。


からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。


からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。

・・・続く

湯川にある記念碑 通り過ぎる人がほとんど 気づいているだろうか

野上彰 1909年(明治42年) – 1967年(昭和42年)1947年(昭和22年)作 4連8行 小林秀雄 歌曲「落葉松」

落葉松の 秋の雨に
わたしの 手が濡れる

落葉松の 夜の雨に
わたしの 心が濡れる

落葉松の 陽のある雨に
わたしの 思い出が濡れる

落葉松の 小鳥の雨に
わたしの 乾いた眼が濡れる

混声合唱曲集「落葉松」- 日本大学合唱団

高峰高原のカラマツ

時期はほとんど終わり頃だったが、壮観である。実質、ものの2週間で劇的に色が変化していく。

「野鳥の森公園」のカラマツ

落葉したカラマツの林を踏みしめてゆく。

三笠通のカラマツ林


見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮


「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮」

藤原定家(ふじわらのていか)1162(応保2)年~1241(仁治2)年 平安時代末期 鎌倉時代初期 公家・歌人。
藤原俊成の二男。官位は「権中納言」。京極殿または京極中納言。鎌倉時代初期、京都・小倉山荘で『小倉百人一首』秀歌撰を編纂。勅撰和歌集『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の選者。『源氏物語』『土佐日記』などの書写。『明月記』(2000年、国宝指定)を遺した。明月記は、1180(治承4)年から1235(嘉禎元)年に至る貴重な日記。

見渡せば、美しく咲く花も紅葉もないことだよ。浜の素庵だけが目に映る、わびしい秋の夕暮れだなあ。

秋の夕暮れに、わびしさがあはれなり。冬を越すために準備をするのが秋で自然のうたなのだ・・・


内村鑑三記念堂「石の教会」


内村鑑三記念堂「石の教会」ケンドリック・ケロッグ

オーガニック建築。1988年竣工。

内村鑑三 1861(万延2)年ー1930( 昭和5)年 キリスト教思想家、文学者。軽井沢・星野で「芸術自由教育学習会」を講演。

無教会とは、こころから祈る事のできるすべての場所。教会の教義、教典にとらわれる事がない。理論に惑わされず、超然的な禅のようでもある。しかし、瞑想でもない。

浅間山は、十数万年前からの火山活動により、第一期(黒斑山)第二期(前掛山)ができ現在は、第三期(釜山)となっている。かつては、標高2800mだったものが、山体崩壊したものと考えられている。火口は直径1.3km、深さ150mにおよび、現在の釜山ができた。有史以来、浅間山(2568m)の噴火は、685年(天武天皇14年)【飛鳥時代】をはじめ、1108年(嘉承3年、天仁元年) 【平安時代】天仁大規模噴火が最大。1783年(天明3年) 天明大噴火 では大量に降灰、日照不足により不作が続き、天明の大飢饉をもたらした。江戸時代は、五街道のひとつ中山道(なかせんどう)の宿場町「軽井沢宿」「沓掛宿」「追分宿」があったが、幕府の失政とともに衰退していった。1886 (明治 19年)カナダ・トロント市生まれの英国聖公会宣教師アレキサンダー・クロフト・ショー氏によって、避暑地として紹介され今に至る。標高800mから2500mまでの高原に位置する国際的観光都市の一つ。

軽井沢の住民には「軽井沢町民憲章」

わたくしたちは、雄大な浅間山にいだかれた高原の町軽井沢の町民です。わたくしたちは、国際親善文化観光都市の住民にふさわしい世界的視野と未来への展望に立って、ここに町民憲章を制定します。(昭和48年)

一 世界に誇る清らかな環境と風俗を守りつづけましょう
一 すべての来訪者に心あたたかく接しましょう
一 かおり高い伝統と文化を育てあげましょう
一 緑ゆたかな高原の自然を愛しまもりましょう
一 明るい家庭と伸びゆく町を築きあげましょう


「リラ・クラシック」2020.11.21(土)7:00「秋のアンサンブルⅡ」vol.74


2020/11/21「リラ・クラシック」は、クラシック音楽でリラックスする60分。第3週・第5週 パーソナリティ マコルネがお届けします。
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「秋のアンサンブルⅡ」

【曲予定】モーツァルト/オーボエ協奏曲ハ長調
ベートーヴェン/七重奏曲 クラリネット、バスーン、ホルン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス
ブラームス/クラリネット三重奏曲 クラリネット チェロ ピアノ
シューベルト/八重奏曲 クラリネット、バスーン、ホルン、ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ、コントラバス

【コラム】2020年の秋が深まっています。それだけで秋は演出しないものです。アンサンブル。紅葉にはさわやかな秋晴れが似合います。人には、自然が似合います。移り行く景色と音楽で、秋の時間をゆるりと楽しみたいものです。

モーツァルトのディヴェルティメントは弦楽セレナーデ編成でした。ベートーヴェンは、初期に七重奏曲を作曲しています。それは、弦楽4本(ヴァイオリンとヴィオラ、チェロ、コントラバス)と管楽3本(ホルン、クラリネット、バスーン)でかなり変則的な編成で珍しい。後にシューベルトは、これを参考に八重奏曲を作曲(【遺作】)。これは「大交響曲」に発展する可能性があったよう。室内楽は、楽器の繊細な息遣いが聴ける。全体や前後の楽器との調和(ハーモニー)を考え音楽をつくりあげてゆく。

ベートーヴェン/七重奏曲


「どうやったらできるか」考えを変えていく


内村航平選手の言葉 10日前 新型コロナウィルスの陽性反応が出て衝撃が走ったと思う。それは「偽陽性」だった事で落ち着きを取り戻したが、動揺は隠せなかった。

日本、ロシア、中国、米国による体操の国際大会「Friendship and Solidarity competition」が8日、東京・国立代々木競技場で行われた。コロナ禍で入国制限が設けられて以降、五輪競技では国内に海外選手を招く初の大会。東京五輪実現へ、男子の内村航平(リンガーハット)は閉会式で国民の協力を求めた。合間に通訳の時間を交えた約5分半のスピーチ

「五輪ができないんじゃないかというのが、80%を超えていて残念。できないじゃなくて、どうやったらできるかを皆さんで考えて、そういう方向に考えを変えてもらえれば。これは非常に大変なことであると、承知の上で言っている。国民の皆さんとアスリートが同じ気持ちじゃないとできない。どうにかできるやり方は必ずある。できないと思わないでほしい。」

主催者の思い 現場にいる人の思い 来場者の思い が同じ気持ちになれるよう願う。内村選手は、演技も素晴らしいが、確たる信念を持っている。多くの支援者が賛同する事を願いたい。

実は、今日これと同じ思いになった。

私の所属する 市ボランティアサークル連絡協議会の会議だった。一応、私は副会長をおおせつかっている。
一年に一度の主催行事「ボランティア体験フェア2020」(2021年1月24日予定)が中止と決まった事は仕方ないと思ったが力が入らない。
何しろ、1日1000人が集まる一大イベントだから。役員をして15年になるが、ボランティア体験フェアの参加者が年々増加し実績をあげてきた。
ボランティアがあらゆるサービスを潤滑にし、共働する社会に貢献している事は明白。しかし今後、何か対策をしないとできないのは、わかっている。

ある文化祭の事、「コロナ禍」で、参加できたところと出来なかったところの明暗が分かれたというのだ。できない事は寂しいし、不平等ではないのか。悔しい気持ちがつのる。
コロナ禍で「次の年もできませんでした」にならないよう考えを変え努力を傾けていかなければならない・・・

まだまだやらなければならない事がたくさんあるし、考え抜く事は、大きな意味がある。
その智慧は、他のマネージメントなどに対応する力を身に着けることにつながるのでありがたい事である。

 

 


2020.11.26(木)13:00「おきがるタイム」vol.184


2020.11.26(木)13:00「マコルネのおきがるタイム」FM816
【ネットラジオの視聴方法がPC スマートフォン タブレット共通に】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

【予定曲】LOVE IS ALL  愛を聴かせて パリの空の下 サンフランシスコの6枚の枯葉 フーガ・イ・ミステリオ 落葉松 Autumn Leaves  旅愁 リンゴ村だより 落葉しぐれ 黒い落葉 ズンドコ節

【コラム】散歩道、あたりは少しづつ変化し 来年への冬支度をはじめています。

藤原定家 詠み「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮」