Author: nishikunn

☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ

【世界遺産】日光の勝道上人「開山堂と仏岩」


【世界遺産】日光の勝道上人「開山堂と仏岩」原点

ここに開山。勝道上人の木像が安置。西に香車堂。北に勝道上人と弟子の墓所。そして、東に仏岩。早朝は、朝露と朝霧に覆われ神秘的でした。もちろん、誰もいません。東照宮や輪王寺が雅なのもわかるがある事に出くわしたのでがっかりした。もっとも歴史を支えてきた勝道上人は何を思うだろう。

勝道上人のお墓に来た時、何かいにしえの重みを感じていました。日光の原点がここにあることを感じないわけにはまいりません。そして、絶壁の窟に仏岩。風雪に打たれながらの六体の仏のお姿。その中でさらに奥にあるお地蔵様に、ただならぬ慈悲を感じ、心をうたれたのです。
(お大師様は、若い頃、四国の洞窟の中で修業を重ね道を開きました。そんな事を思いながら。)

この「仏岩」に惹かれ辿り着いたに違いない。お大師さんを通じ、十時間かけ「尾瀬」に着き「日光」に赴いた。「日光に来るなら瀧尾道に進め」と諭されたのだ。
調べてここに来たのではなかった。勘だけ。いつの間にか「開山堂」へ辿り着いた。そして、最も霊感のある「仏岩」に逢わせてくれた。
言葉では表現できない感動があって震えていた。奥に鎮座されている地蔵様。何かを言おうとされている・・・じんわりとくる涙でした。

実は、勝道上人がここで荼毘に付されたのだ。日光を開山し、今も尚、気に懸けておられるのだと。悟りと情けや寂しさ・・・
勝道上人の墓所は、日光の山中、基本にかえるところ。いつでも鏡のように自分に問いかける。

後日、他の方のブログで、仏岩の記事がありましたが、ここは「涙が出てとまらない」とありました。やはり何かあるんだなと考えています。
画像からでも、言葉では表せない慈悲深いものを感じます・・・逢わせてくれて有難い

「産の宮」香車堂とも。香車は、突き進むが、後戻りはできない駒。ここの駒を借り、妊婦が安産祈願をすれば、無事出産できるとある。
成就後、駒を返納し祀っているので、多くの信者が絶えない。

勝道上人と弟子の墓所。静寂で温かさがあった。

元は、上方の岩壁に仏の姿をした岩が並んでいたが、地震で岩が崩れ消失し「仏岩」のみが残った。
七体のうち六体が膝の高さまで埋もれている。(帝釈天・多聞天・梵天・不動明王・広目天・持国天)

愛おしさが溢れ、強烈な印象。私はこの事を一生忘れないだろう。ものすごい何かを問いかけてくる・・・
私は、この地に来なければならないと思う。国の平安と人々の幸福を祈る事。

それは、勝道上人が、空海(弘法大師)に告げていた事である。留学していた唐で
恵果阿闍梨より大日如来を意味する「遍照金剛(へんじょうこんごう)」名を与えられ密教の第八代の伝法者の地位についた。
「私に持っているものをすべて授けた。だから早く日本に帰り、この教えを持って天皇に仕えて、国の平安と人々の幸福を祈りなさい」
これが、京都の高雄山寺、東寺、嵯峨大覚寺、和歌山の八方蓮華の高野山、真言宗の開創へとつながるのである。


めがね橋「アプト道」碓氷峠


めがね橋「アプト道」~ 碓氷第三橋梁 ~

群馬県安中市にある鉄道橋。碓氷川に架かる煉瓦造の4連アーチ橋で、信越本線横川駅 ―軽井沢駅の橋梁の一つ。設計者は、1882年(明治15年)に鉄道作業局技師長としてイギリスから日本に招聘された技師のパウナルと古川晴一。高崎駅と直江津駅を結ぶ信越本線のうち、1893年(明治26年)に竣工。全長91 m、川底からの高さ31 m、煉瓦造の橋の中では最大規模。1997年(平成9年)9月30日 、北陸新幹線(高崎駅 – 長野駅間)開通で、信越本線横川駅 ⇔ 軽井沢駅が廃線と駅廃止となる。横川駅からこの橋までの旧線跡が遊歩道「アプトの道」13㎞、約4時間のハイキングコースになっている(※18時~ トンネル内の照明が消灯します)。2012年3月に碓氷第三橋梁~旧熊ノ平駅間1.2kmを延伸し、4月1日から横川~熊ノ平間、全長5.9 kmとなった。なお平成9年に廃止となった 信越線横川~軽井沢間の下り線を使用し、トロッコ列車を運行している。

《トロッコ列車》
【行き】「鉄道文化むら」⇒「まるやま駅」⇒「峠の湯」
【帰り】「峠の湯」 ⇒(※まるやま駅は停車しません)⇒「鉄道文化むら」

《アプト道》主なルート
信越線 横川駅 → 碓氷峠 鉄道文化むら → 関所跡 → 変電所跡 → 峠の湯 → めがね橋 → 熊ノ平駅 → 碓井湖 → 峠の湯 → 信越線 横川駅

碓氷川の流れが涼しい。こんな落差のあるところにトンネルを通すという計画は、よく考えたものだ。街道のなかでも難所だったでしょう。測量技術の高さに驚く。少し離れたところに新しい信越本線の橋がある。中仙道は、熊野皇大神社の旧碓氷峠を通過する旧中仙道、旧国道18号線、国道18号碓氷峠バイパスがある。旧国道18号線のカーブは184か所もあり交通量の多さに対応できなくなっていた。国道18号線バイパスは、日光のいろは坂に匹敵する45か所のカーブがあり勾配も8パーセントで高め。曲がってからさらにRの角度の深く、パワーハンドルによるコントロール以外にも気を遣う。雨天時や夜間は大型車との対向に注意が必要である。特に下りは大変。できれば、高速道で通過したいところ。

2016年(平成28年)1月15日1時55分頃、首都圏の学生達を乗せたスキーバスツアーの大型バスが、国道18号碓氷峠バイパスのカーブ45か所中、43か所目で転落、乗員・乗客41人(運転手2人、乗客39人)中15人が死亡(うち乗員は2人とも死亡)、負傷者26名と戦後最悪クラスのバス事故となった。入山峠付近に「軽井沢スキーバス転落事故」の慰霊碑がある。戦後最悪の「飛騨川バス転落事故」から私たちは学んだはずだった・・・

 

 

 

 

 


翡翠の里「奴奈川」


翡翠の里(ひすいのさと)「奴奈川(ぬながわ)」

新潟県糸魚川市は日本でも唯一の翡翠の産地。糸魚川周辺には、蛇紋岩が多く存在するので見つけられるかな。(※翡翠狭での採取は禁止されています。)

 

翡翠とは、金より珍重されていた。「生命の再生」を意味する。金属のように錆びることがない事、非常に硬い石なので永遠にその艶を保つことができるという。色は、翡翠色の深緑が知られているが、ピンク色、黄土色、白色もある。翡翠は、日本古来から「三種の神器」のひとつ「八尺瓊勾玉」に使用されてきた。三種の神器は、日本神話の天孫降臨にアマテラス(天照大神)がニニギ(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)に授けたもので皇室代々に今も伝わる。八咫鏡(やたのかがみ)天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を指す。勾玉は、生まれる前の胎児の形で、子孫繁栄を願い縁起物とされている。出雲では、玉造りが盛んであった。

・翡翠狭(小滝川) 明星山(1118m)のふもと。この明星山はサンゴ礁からできた山。石灰岩から成る。クライミングの名所。
・翡翠海岸 小滝川の支流の姫川は日本海に注ぎ、海岸に打ち上げられヒスイ海岸では「ヒスイ探し」イベントが行われ、専門家の鑑定を受けることができるそうだ。

・翡翠神社(奴奈川神社)越後国一宮。天津神社の末社で同じ境内にある。奴奈川姫命を主祭神とし、後に八千矛命(大国主)が合祀された。第12代景行天皇時代(130年)の創建で、孝徳天皇(594年~654年)の勅願所であったと伝えられている。『延喜式神名帳』には式内社として記されている。奴奈川姫は、祭祀具「翡翠」を支配していた巫女王。豪族は、翡翠を持っていることが条件とされた。日本神話に奴奈川姫命の元を出雲の八千矛命が訪れ、大層気に入った。姫は大国主命に歌を贈答し 一日後に求婚を受け入れ、結婚した両神の間の子が建御名方命(たけみなかたのみこと)であり、姫川を遡って信濃国に入り諏訪大社の祭神である。元々は、糸魚川市蓮台寺の奥・柳谷にあったが、元暦二(1185)年に山崎に移り、その後現在地に鎮座された。

天津神社は、第12代景行天皇御代の創建で第36代孝徳天皇(594年~654年)の勅願所と寛文2年 (1662) 改築の拝殿棟木に記されている。祭神は、天津彦々火瓊々杵尊 (あまつひこひこほににぎのみこと)、左が天児屋根命 (あめのこやねのみこと)、右が太玉命 (ふとだまのみこと) の三柱で伊勢神宮外宮相殿の祭神と同じ。天太玉命は八尺瓊勾玉や八咫鏡を天照大神に捧げた。本殿 は、寛政九(1797)年に改築。大変珍しい総欅造りであり、棟梁は糸魚川の相馬十郎左衛門昌信。

『万葉集』(巻十三 三二四七 作者未詳)に詠まれた
渟名河の 底なる玉  求めて 得まし玉かも  拾ひて 得まし玉かも 惜しき君が 老ゆらく惜しも

「渟名河」は現在の姫川。奴奈川姫に由来し「底なる玉」は翡翠を指している。沼河比売はこの地のヒスイを支配する祭祀女王。天沼矛の名のように古語の「ぬ」は宝玉の意味があり「ぬなかわ」とは「玉の川」の意。

 

 


軽井沢最古の教会「ショー記念礼拝堂」


軽井沢ショー記念礼拝堂

軽井沢最古の教会。1895年(明治28年)カナダ生まれの聖公会宣教師アレキサンダー・クロフト・ショー(1846年6月26日 – 1902年3月13日))によって創設された。1873年、ショーは横浜に着き、福沢諭吉家の英語教師として就いた。また、慶應義塾の英語教師として務めを果たす。後に、英国公使館付きの牧師に任命された。

礼拝堂の前にはショーの胸像と1903年(明治36年)に村民によって寄贈された記念碑がある。隣にショーハウス記念館が1986年(昭和61年)に復元されている。

 


聖母たちのララバイ【プラハ・バージョン】


聖母たちのララバイ【プラハ・バージョン】岩崎宏美 Hiromi Iwasaki  チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 (2007)

医療従事者に最大の感謝をしながら・・・

看護師は、アンリー・デュナンの精神を戴帽式に誓い従事し、敵・味方関係なく手当てする。

2020年(令和二年)8月15日で、終戦の日を迎える。「戦後75年」私たち人類は、民族、国家同士で戦っている時でなく、見えないものと闘っている・・・

コロナ禍で、レジャーでの遭難者や熱中症などの患者が増えると、新型コロナのみならず、重症患者の医療技術の提供を受けることが難しくなる。
自粛は確かに辛いと思う。心が折れそうになるかもしれない。が、気をつけているだけで「世界のため」になっている事を誇りに思ってほしい。

「この町は戦場だから 男はみんな傷を負った戦士・・・」 戦場では、女は聖母のような誇りを持つことだった。女は強し、しかし甘えは許されなかった。

平安に過ごせる事を感謝し、一人でも多くの方が傷つかないよう祈る戦後75年です。

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デビュー45周年の岩崎宏美さん、歌唱力が増している・・・この曲からは、オーケストラの響き、教会のオルガンの音色が印象を強くする。

この赤煉瓦の塔の画像をみると、すぐにプラハだとわかる。「百塔の街」私も、2007年、11月プラハで演奏した。まさしく「音楽の神」がいる。
聖ヴィート大聖堂(聖ヴォティーフ教会)、プラハの誇り。戦災を受けず、中世1300年代からの建造物が今なお遺る。ゴシック建築 バラ窓 ステンドグラス。
世界で最も美しい都の一つ「プラハ」

私どもの演奏は、2007年11月 チェコプラハ 旧市街(クレヌンティヌム)にある聖サルヴァトーレ教会 Church of St. Salvator

岩崎宏美さんは、ドヴォルザークホールで収録された。プラハの春は、ドヴォルザークから。

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霧降高原「キスゲ平」群落


霧降高原「キスゲ平」群落

日光に多く自生しており、元祖「日光黄菅」はこの霧降高原から。霧ヶ峰高原、尾瀬の大江湿原でも咲くが、霧降高原では6月から7月上旬に「キスゲ平」で群落がみられる。標高1,300m~1,600m。赤薙山の中腹で女峰山への登山口がある。「霧降」の名の通り、霧が名物で涼しい。

「ニッコウキスゲ」は山地や高山の草原などに群生する多年草。約10cmの濃い黄色の花(「ゼンテイカ」は多種あり地域によって若干色合いが薄いものや橙色のものがある。)を複数付けるが、朝に咲き夕方しぼむ一日花で花言葉は「日々あらたに」。「一日花」儚い美しさがある。園地の遊歩道と1,445段の天空回廊が整備され、多くの人が観覧を楽しむ。この後の時期は、シモツケソウなどの群落がみられる。

平成6年にシカの食害によりキスゲが激減した。このためキスゲの補植活動が行われ、シカ侵入防止柵が設置された。このような施策が功を奏し、ニッコウキスゲ群落は元にもどりつつある。たしか、尾瀬の人が言っていた。日光のシカが増えて広範囲に生息し、食害の影響が出ていると。

最近、知人に種苗をわけてもらい植えたが、最初の花が付くのに5年かかるという。じっくり待つとしよう。レストハウスで、涼をとりながら散策ができる。いいところ。

 

自然園では、生態系の営みが行われている。

帰りに、トンボの大集団が。車のアンテナにとまった・・・


日光「紫雲石」発祥の中心地


日光「紫雲石」発祥の中心地

勝道上人 天平7年4月21日(735年5月17日) – 弘仁8年3月1日(817年3月21日)が日光山を開山したのが766年。大谷川【だいやがわ】の激流を神仏の加護を受けて渡り神橋【しんきょう】)山内地区に庵を結び、二荒山【ふたらさん】(男体山【なんたいさん】)の霊峰を拝していると、ある日、紫の雲が立ち昇り男体山方面にたなびいた。(紫雲石【しうんせき】)が、青竜【せいりゅう】・白虎【びゃっこ】・朱雀【すざく】・玄武【げんぶ】の四神守護【ししんしゅご】の霊地と感じ、ここを「紫雲立寺【しうんりゅうじ】」とし、後に「四本龍寺【しほんりゅうじ】」と改名。782年(延暦元年)宿願の二荒山山頂(2486m)を極め補陀洛(ふだらく)と名をつけた。後に二荒山(ふたらさん)とする。
延暦20年(810年)嵯峨天皇即位に際し、四本龍寺、二荒山神社で天下泰平を祈願し、四本龍寺に「満願寺」の称号を賜る。後に「輪王寺」となる。三重塔、観音堂などで構成され、日光発祥の中心地とする。

「二荒山神社別宮・本宮神社」は、延暦九年(790年)勝道上人が「四本龍寺」内の鎮守「二荒山神社」を創立、二荒山(男体山)を祀る。嘉祥元年(848年)に慈覚大師円仁が来山し、滝尾山麓に阿弥陀如来・千手観音・馬頭観音を祀る「本地神宮寺(現在の輪王寺、三仏堂の起源)」を創立した際「二荒山神社」は、新たに二荒山(男体山)をお祀りする事になった「新宮」に譲り、馬頭観音の応現である「太郎山権現」=「味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)」をお祀りする「本宮大権現」とした。

(三山)  (三仏)   (三所)    (三神)    (三社)
女峰山 - 阿弥陀如来 -女体権現  - 田心姫命   - 滝尾
男体山 - 千手観音 - 男体権現  - 大巳貴命   - 新宮
太郎山 - 馬頭観音 - 太郎大明神 - 味耜高彦根命 - 本宮

四本龍寺観音堂の脇にある仏岩と碑文。厳かで重々しい。気がひきしまる思い。

紫雲石の伝説がここにあり。

三重塔

観音堂と三重塔の間にある社。低い鳥居と不動明王。

観音堂の扁額

観音堂と三重塔


2020.8.27(木)13:00「おきがるタイム」vol.178


2020.8.27(木)13:00「マコルネのおきがるタイム」FM816
【ネットラジオの視聴方法がPC スマートフォン タブレット共通に】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

【予定曲】Summer Rain 夏の終わり 海賊の歌 タンゴ組曲 ヴァケーション 砂に消えた涙 五木の子守歌 竹田の子守歌 湖畔の宿 矢切の渡し 青い山脈

【コラム】昭和歌謡「湖畔の宿」は「特攻隊」戦地慰問を行った歌手、高峰三枝子の代表曲。榛名湖の畔に記念碑があり、隣に竹久夢二のアトリエがある。
榛名湖には、榛名富士(1390m)がある。巨人ダイダラボッチが、富士山、浅間山、榛名山を競争で作り、あと一息というところで富士山が勝った伝説がある・・・

榛名湖畔は「ゆうすげの道」をはじめ「榛名富士」に毎年100万人の観光客が訪れる。

昭和歌謡「湖畔の宿」高峰三枝子 榛名湖の畔に記念碑


「リラ・クラシック」2020.8.29(土)7:00「水の精Ⅱ」vol.71


2020/8/29「リラ・クラシック」は、クラシック音楽でリラックスする60分。第3週・第5週 パーソナリティ マコルネがお届けします。
【ネットラジオの視聴方法がPC スマートフォン タブレット共通に】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

【曲予定】リスト/巡礼の年 第一年「スイス」第4曲「泉のほとりで」ラヴェル/組曲「夜のギャスパール」より第1曲「水の精」サン=サーンス/組曲「動物の謝肉祭」より第7曲「水族館」ホルスト/組曲「惑星」より第3曲「水星」 リムスキー=コルサコフ/交響組曲「シェヘラザード」より第1楽章「海とシンドバッドと船」ショパン/「舟歌」嬰ヘ長調作品60

【コラム】まだまだ厳しい暑さが。朝の涼しいうちに 物事がはかどりますように。ヒトの体は、60%以上の水で構成され細胞内液に貯蔵されています。一日、2.5㎏ほどの水を必要とします。また、ナトリウムは細胞、骨格などに一日5g(10gとする研究もある)が必要とされています。生命維持には、水とナトリウムが大切です。蝶は、水とナトリウムにより遠距離まで飛ぶことができるのです・・・ ヒメシジミチョウ(体長約17mm)の吸水

 


弘法大師創建「瀧尾」日光三社権現


日光三社権現のひとつ。新宮の二荒山神社、女体の瀧尾神社、本宮の本宮神社の三社を日光三社という。三山と三仏の三社を同一とされる神仏習合の地。

二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)別宮「瀧尾神社」は空海《宝亀5年(774年)- 承和2年3月21日(835年4月22日)》が弘仁11年(820年)創建。本尊、田心姫命(たごりひめのみこと)。二荒山神社の主祭神、大己貴命(おおなむちのみこと)の妃神(きしん)が田心姫命である。日光は、勝道上人《天平7年4月21日(735年5月17日) – 弘仁8年3月1日(817年3月21日)》が、天平神護二年(766年)に開山。弘仁(こうにん)元年(810年)、 嵯峨天皇(さがてんのう)より満願寺(まんがんじ)の寺号を賜る。後に「輪王寺(りんのうじ)」と改名。勝道と空海は仲介人を通して知り合い、勝道は空海に託す。空海は、文集「勝道上人日光開山記」を記した。

男体山 新宮 千手観音  二荒山神社から遥拝 頂上に奥宮 中腹に中宮祠
女峯山 女体 阿弥陀如来 瀧尾神社から遥拝  頂上に奥社
太郎山 本宮 馬頭観音  本宮神社から遥拝  頂上に太郎山神社

「日光の聖地」ここに呼ばれたような気がする。尾瀬に行くとき、日光に立ち寄りたいと思ったが「瀧尾」にひかれた。きらびやかな日光のイメージと歴史を支えてきた先人達の思いを今一度立ち返りたい。日光市は、市街の「旧今市」(標高200m)から「いろは坂」《第一(6.5㎞)第二(9.5㎞)標高差440m》を境目に、中禅寺湖の「奥日光」(標高1200m)から男体山(標高2460m)日光白根山(標高2578m)までと、ここまで標高差のある町はそうそうない。市街部の「神橋」を超えると雰囲気は劇的に変わる「日光の社寺」世界遺産エリア。太く大きく高い木々に囲まれ、独特の湿気がある。

「開山堂と仏岩」の道は、勝道上人の霊が、日光山に今もなお気をかけてくださっている事を肌で感じ取った。その道は「瀧尾道」につながっている。石畳の道を進めると、小川の流れと瀧の音が聴こえてきた。三途の河のような清水と渡橋。囂々と流れる瀧。滝は、音をかき消し邪念を打ち破る。入りたいくらいの気持ちだった。滝の水で手を清め、顔と首を洗った。冷たいのだがなぜか柔らかい触りが。渡橋を戻ると、駐日米国公使「ジョン・ケネス・エマソン」の墓碑。その横に石像が。お大師さまだろうか。参道の名を刻した石碑と石段があり、歩を進める。

運試しの鳥居:小石を3つ投げて通った数で運を占った
桜門:蜘蛛の巣がかかっているが、それが自然になる。
拝殿:吸い込まれるような気。
本殿:近づけないくらい神々しい。
縁結びの笹:西南角にあり。これは、すべての縁に御利益が。
別所跡:戦国武将が強飯式(ごうはんしき)を行った。
影向石(ようごういし):空海が神の降臨をみたところにあった石。
無念橋(むねんばし):別名「願い橋」三本杉を通して御神体「女峯山」を遥拝するため、身を清め俗界と縁を切る橋。歳の歩数で渡ると女峯山頂奥宮の登拝が叶えられる。
子種石(こだねいし):子宝祈願の石
酒の泉:湧き水。お酒の味がするそうで、この水でお酒をつくると美味しくなる。
御神木「三本杉」:垣内に1700年頃、横たわれになりあそばされた御神木の先代が。日光山を護っている。

夏の梅雨明け直前、早朝の朝露と朝霧に覆われていた。もののけがいるかもしれない。

天狗沢の白糸の瀧:弘法大師は滝行をされたのでしょう。手水舎というと、伊勢別宮「瀧原宮」や神宮の五十鈴川を思うが、次元が全く違う。
ここに入りたいくらい。身も心も清められる。

駐日米国公使「ジョン・ケネス・エマソン」の墓碑

瀧のそばにある石像。

運試しの鳥居:あの丸い穴へ小石を三つ投げ、開運できるか占ったという。なかなか難しい。

桜門:1697年(元禄10年)に建てられたもの。空海筆の「女体中宮」の扁額と仁王像が鎮座されていた。(1870(明治3年)年の詔書「大教宣布」『神仏分離令』まで)

拝殿 霧が立ち込めより神秘的

本殿 縁結びの笹 西南の角にある。本殿は、厳かで近寄れないくらいだった。西にある参道の石は苔ているが、そこで滑った。はっと我に帰る。

別所跡 ここで戦国武将が強飯式を行ったと思うと感慨深い。

影向石(ようごういし)弘法大師が祈願した時、大岩のあたりで女神があらわれた。

無念橋(むねんばし)己の年齢の数で渡ると願いが叶うとされる。

御神木「三本杉」厳めしく静寂なところ。このすぐ脇に、切り株があり年輪がうかがえる。

三本杉と先代:先代の御神木は横たわれたが、日光山を護っているのです。

子種石を祀る鳥居と石積(ケルン) 参詣者が絶えない。

霊石:子種石(こだねいし)

世界遺産「開山堂と仏岩」の記事は次に書きます。