Author: nishikunn

☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ

「オーベルマンの谷」リスト 巡礼の年 第1年「スイス」より


「オーベルマンの谷」リスト(1811-1886)ハンガリーの作曲家 ピアノの魔術師
ラ・カンパネッラ「鐘」ハンガリー狂詩曲第2番 愛の夢第3番など 愛すべき名曲を遺した。
優れたピアニストで、作曲家となり 後に僧侶となる、数奇な運命。作風は、ヴィルトゥーゾ的でアクロバットな派手な音使い。
これまでの作曲家になかった、音符の数が極端に多く 超絶技巧を要する作品が少なくない。ロマン的で宗教的でかつ前衛派でもある。
ソナタ形式からの脱却、交響詩の確立、国民音楽派への先駆けとなった。

巡礼の年 Années de pèlerinage は、ピアノ独奏曲で各曲に「タイトル」がありポエティックな組曲のようなもの。各地を訪問し霊感を得、スケッチしたもの。
20代の1835年から書きはじめられ晩年まで続けられている。
第1年「スイス」9曲 1842年 初版 1855年 改訂
第2年「イタリア」7曲 1858年 出版 補遺「ヴェネツィアとナポリ」3曲 1861年出版
第3年 7曲 1883年 出版

私的におすすめは
第1年 第1曲「ウィリアム・テルの聖堂」第6曲「オーベルマンの谷」
第2年 第3曲「サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ」第5曲「ペトラルカのソネット第104番」第7曲「ダンテを読んで」
第3年 第2曲「エステ荘の噴水」

さて、第1年「スイス」1835年から36年にかけてマリー・ダグー伯爵夫人と共にしたスイスの印象を表現したもの。
第1曲「ウィリアム・テルの聖堂」 / “La chapelle de Guillaume Tell”
第2曲「ワレンシュタットの湖で」 / “Au lac de Wallenstadt”
第3曲「牧歌」(パストラール) / “Pastorale”
第4曲「泉のほとりで」 / “Au bord d’une source”
第5曲「夕立」 / “Orage”
第6曲「オーベルマンの谷」 / “Vallee d’Obermann”
第7曲「牧歌」(エグローグ) / “Eglogue”
第8曲「郷愁」 / “Le mal du pays”
第9曲「ジュネーヴの鐘」 / “Les cloches de Geneve”

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「オーベルマンの谷」についての考察。セナンクールの文から

Que veux-je? que suis-je? que demander a la nature? ・・・ 【原文】

what do I want? What am I? what can nature ask? ・・・【英訳】

自分は何を欲するのか? 自分は何者か? 自然には何を求むのだろう? ・・・
無用の人。・・・フランスからスイスに行き、アルプスの自然を受容した。孤独な山歩きする者。
人間は、思いがけないが(消えうる)存在である。

セナンクール(1770年11月16日-1846年1月10日 フランス)の小説『オーベルマン』Etienne Pivert de Senancour Obermann (1804)
『オーベルマン』は発表当時、『若きウェルテルの悩み』にも匹敵するベストセラーになった。

この絵で オーベルマンの谷に辿りつけるだろうか。

最も演奏時間が長く14分。ソナタ形式で構成されているが、遠隔短調が多くファンタジーに富んでいる。

ミステレオーソ 和音の不協和(増音程など)とチェロで奏するイメージのテノール。

そして、調性不明なこの音の流れ。再び、最初の主題が出てきて レジタティーボでテンポを緩め 次に入る。

ハ長調の明るい主題が登場。右手のアルペジオなど 華麗で柔らか。再び、レジタティーボが次の緊張感とのメリハリをつくる。

左手が不気味で不穏なトレモロ。右手が打ち出すオクターブ。アパッショナートとアジタート。その後、左手の交差が出て激しさが増す。

オクターブの連打によるパッセージが強烈。右手高音のトレモロが降ってくるが、左手に主導権がある。デミニッシュの和声が続き 鎮まり 次へ。


今度は、主題がバラード風に変容する。

コーダ オクターブの連打が迫力を増し発展。あくまで 重たくならずに さらっと弾きぬける事だが メリハリのアクセントと 効果的なペダルを忘れないように。

最後、オクターブの連打 上昇は讃歌を謳う。小休止のあと、このストーリーの余韻を残す和音で終止。


2019年9月29日(日)18:00~「県民きらめきステージ」「にしくんandなってぃ」出演


2019年9月29日(日)「県民きらめきステージ」奈良県大芸術祭 奈良県障害者大芸術祭 イオンモール橿原 18:05

より にしくん and なってぃ (アコーディオン and リコーダー)出演します。
童謡・唱歌から歌謡曲・ポップス、クラシックまでお届けします。入場無料です。どうぞ お越しください。

9月26日(木)~29日(日)イオンモール橿原で開催しています。お時間ある方は お楽しみください。

 


「リラ・クラシック」2019.9.21(土)7:00「コンチェルトの世界1」vol.56


「リラ・クラシック」は、クラシック音楽でリラックスする60分。第3週・第5週 パーソナリティ マコルネがお届けします。ネットラジオ ※パソコンの方は、リンクをクリックで視聴 http://csra.fm/asx/hasimoto.asx  スマホアプリ(TuneIn Radio)。 設定でモバイル視聴 http://816.fm/?page_id=71

【曲予定】モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第5番 ラロ/ヴァイオリン協奏曲第2番「スペイン交響曲」 ドヴォルザーク/ヴァイオリン協奏曲 パガニーニ/ヴァイオリン協奏曲第2番「鐘」(ラ・カンパネッラ)ジュリアーノ・ゾンマーハルダー & ロイヤル ・コンセルトヘボウ管弦楽団

【コラム】コンチェルトの世界 協奏は楽器との重厚な響きや掛け合いに醍醐味があります。芸術の秋、コンサートに出かけるのはいかがでしょうか?
ヴァイオリン協奏曲は、3大、4大、5大(ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス、チャイコフスキー、シベリウス)などと言われていますが 数々の名曲が生まれています。そちらをお聴きいただきましょう。パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番の終楽章は、フランツ・リストがこれを聴いて感銘を受け、パガニーニによる大練習曲の第3番「鐘」ラ・カンパネラが生まれた・・・

Sayaka Shoji plays Paganini : La Campanella

Violin Concerto in A Minor, Op. 53 (Antonin Dvorak) 【Encore】 Hindemith Violin Sonata in G Minor, Op. 11, No. 6, III. Finale

ドヴォルザークは ヴァイオリン協奏曲やチェロ協奏曲、ピアノ協奏曲を作曲し重厚な響きを持つ。アンコール 超絶技巧の ヒンデミット 無伴奏ヴァイオリンソナタト短調 作品11-6 第3楽章 フィナーレ を 快速度で演奏する ユリア・フィッシャー氏 観衆は熱狂。もちろん 優れたピアニストでもある。Julia Fischer, 1983年6月15日 –  ドイツのヴァイオリニスト、ピアニスト。2006年7月にはドイツ史上最年少記録の23歳でフランクフルト音楽・舞台芸術大学教授に就任。2012年から、現代ヴァイオリン製作者フィリップ・アウグスティン(Philipp Augustin)の楽器などを使用している。


津和野「太鼓谷稲成」 


津和野「太鼓谷稲成神社」

出雲詣が終わり、山口へ。島根県出雲市から国道9号線(山陰道)高速またはバイパスで。大田市(おおだし)江津市(こうづし)浜田市(はまだし)益田市(ますだし)を通過。
「山と海」、日本海沿いの風光明媚な町、リアス式海岸、白い砂浜など ずっとみても飽きない。津和野町(つわのちょう)に入る。津和野は 森鴎外の生地でもある。また、産業では 津和野のふき わさびは有名。車で走らせていると、目の前に突然ものすごい大きな朱色の鳥居があらわれた。「津和野大鳥居」という。島根県では2番目に信仰を集めている「太鼓谷稲成神社」。ただ事ではないというか、導かれるように道を走らせると、急な坂道を歩いている女性や外国人観光客が。気温は36℃。高台にこの社はある。津和野の街を見下ろせる場所。パワースポット。千本鳥居がここにある。

伏見稲荷大社・笠間稲荷神社・竹駒神社・祐徳稲荷神社とともに日本五大稲荷の一つに数えられる。出雲大社に次いで県内2位の年間参拝客を誇る。

安永2年(1773年)、津和野藩7代藩主亀井矩貞が、藩の領民安寧のために京都の伏見稲荷大社から勧請を受け、三本松城(津和野城)の鬼門に当たる太皷谷の峰に社を創建したのに始まる。以降、歴代藩主の崇敬を受け、廃藩後は庶民も参拝できるようになり、中国地方有数の稲荷神社となった。津和野城の城山の一角に位置し、江戸期には時刻を知らせる太鼓が鳴り響いた谷間であったことから太鼓谷と呼ばれる。「稲成」と表記するのは、願い事が叶うようにとの思いから。

宇迦之御魂神(稲荷神)衣食住の大祖神様、五穀豊穰の神様であり、江戸時代よりは商売繁昌の神様としても信仰された。 願望成就の神様として崇敬。 御神徳は五穀豊穰・産業発展・商売繁昌・開運厄除・福徳円満・願望成就(良縁・学業・受験など) また、失せ物(紛失物)発見などのご利益。
伊弉冉尊 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)とともに日本の国造りの神。 御神徳は、創造開拓 夫婦円満 良縁成就 開運 病魔退散 鬼門除け 方災除け

4か所参りをする順番は、まずは元宮へ。そして、元宮の裏へ回り、命婦社へ。3番目にご本殿へ参拝し、最後にご本殿の裏へ回り奉拝所にお供えします。

 


「美保神社」ゑびすさま


「美保神社」ゑびすさま

出雲大社とあわせて「出雲のえびすだいこく」事代主神系えびす社3,385社の総本社。えびす神としての商売繁盛の神徳のほか、漁業・海運の神、田の虫除け、「鳴り物」の神。4月7日の青柴垣(あおふしがき)神事、5月5日の事代主神とその御后の御神霊を「地之御前」「沖之御前」島から迎える神迎(かみむかえ)神事、12月3日の諸手船(もろたぶね)神事などがある。

御祭神 右に 事代主神 海上安全・大漁満足・商売繁盛・学業・歌舞音曲(音楽)
大国主神の第一の御子神。鯛を手にする福徳円満の神えびす様「海上安全、大漁満足、商売繁昌、歌舞音曲(音楽)、学業」の守護神。また、出雲神話・国譲りの段において御父神・大国主神より大変重要な判断を委ねられた尊い神。

左に 三穂津姫命 五穀豊穣・夫婦和合・安産・子孫繁栄・歌舞音曲(音楽)
高天原の高皇産霊命の御姫神で、大国主神の御后神。高天原から稲穂を持ってお降りになり、人々に食糧として配り広められた神で「五穀豊穣、夫婦和合、安産、子孫繁栄、歌舞音曲(音楽)」の守護神。美保という名はこの神の御名に縁があると伝えられている。

創建 天平5年(733)編纂の『出雲国風土記』及び延長5年(927)成立の『延喜式』に社名が記されており、遅くともその時期には「社」が存在していた。境内地からは4世紀頃の勾玉の破片や、雨乞いなどの宗教儀式で捧げたと考えられる6世紀後半頃の土馬が出土しており、古墳時代以前に祭祀が行われていたとされる。

本殿 文化10年(1813)造営。大社造を二棟並立した「美保造」で特殊な形式で、国の重要文化財に指定。

拝殿 昭和3年(1928)造営。設計は、明治神宮や築地本願寺を設計した建築史学者、伊東忠太氏。

神門 昭和3年(1928)造営。檜材・杉板柿葺きの屋根。注連縄の直径は50cm。吊り下げられた二つの祓解(ばっかい)。祓具を奉げ、奏楽する「祓解奏」という神事がある。

美保の崎(地蔵崎)鳥居の約4km先の島を『沖之御前』、手前を『地之御前』という。海底から神楽の音の響きがすると伝えられている。ゑびす様がこの島で鯛釣りをしていた。

宝物殿 様々な地域から夥しい鳴物の奉納があり、そのうち846点が国の重要有形民俗文化財に指定。七日など指定日に、こちらで展示される。

日本渡来最古のアコーディオン
朝日千助 嘉永2年(1849)奉納 天保12年(1841)頃、オーストリア・ウィーンで製作された、日本渡来最古の手風琴(アコーディオン)。
朝日千助は松平治郷時代の家老、幕末の頃、子孫の手による奉納。アコーディオンは、雅楽で使われる鳳笙がもとになったと考えられています。中国の笙が中世にヨーロッパに渡り、19世紀前半に笙をヒントにハーモニカが誕生し、ハーモニカが発展してアコーディオンになったと言われている。

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この日、美保関灯台を先に御参りした。地蔵埼からみえる「地之御前」「沖之御前」をみた。日本海の水平線と「隠岐の島」がとても綺麗。
そして、美保神社へ。夕方だった。港町で、大漁を祈り、漁師の生活を見守っている感じがした。漁船が多くみられ盛んな様子。「イカ飯」が名産だそう。

夕方、人はそんなにいなくて 落ち着いた参拝となった。そういえば 駐車場、僕の横に女性が車をとめた。白のブラウスにベージュのスカート。神門から入り、拝殿から本殿へ丁寧に参拝。周囲の摂社など一つ一つの神に柏手を打つ音が響いた。姿勢がよく清楚で凛としていた。

 

向かって右が、三穂津姫命 女神 内削ぎ 鰹木 偶数。左側が、事代主神 男神 は外削ぎ 鰹木 奇数。の原則です。

大社造を二棟並立した「美保造」で特殊な形式。


ベートーヴェン/ピアノソナタ第31番変イ長調「嘆きの歌」Klagender Gesang


ベートーヴェン/ピアノソナタ第31番変イ長調作品110

強音でなく、静寂の世界や節約・凝縮された構成 のだめカンタービレの「嘆きの歌」の場面で使われる。

ベートーヴェンのピアノソナタ32曲の中で 後期ソナタ 30番 31番 32番 の2つ目にあたる。
ブレンターノに霊感を得たのでは。29番の「ハンマークラヴィア」で すべて出し切った感があるが、
さらに進化した 30番 31番 32番 の深淵なる世界へと昇華している。

30番は、はじめ 水の流れるがごとく 前奏曲のような1楽章で 2楽章のスケルツォを強調している。3楽章は、ファンタジックなテーマの変奏曲で
ドビュッシーを思わせる未来的な音の扱い。32番は 2楽章のソナタで 1楽章は徹底したフーガが決然と表される。2楽章は変奏曲~嘆きの歌~浄化された高い音と弦楽
を思わせる。その中にあって 31番は個性的なソナタで 幻想曲と呼んでもよいのではないか。

ベートーヴェンは気づいていた。ピアノソナタが限界に来ているのを。形式を重視するのは悪くないが、おきまりの処理で、正直なところ自由に作曲できない。
もちろん 工夫は必要だが。テーマを謡う第1楽章。間をとりゆっくりテンポの第2楽章。元気で滑稽なスケルツォの第3楽章。ロンドとコーダの第4楽章・・・
完成した楽章「組曲」を関係調でつなぎとめたものではソナタというには乱暴だ。調性が「関係調」のみだと自由に欠ける。

そこで、新しいものを打ち出す。楽章の最終音に明らかな変化。最強音では終わらず、次の楽章につなぐ役目。
楽章間の拍手を嫌ったともとれる。最初の楽章で使った音が、他の楽章でも変容し登場、終楽章での回帰など効果を高める。
終楽章での予想しない調性への転調はファンタジックになる。長いコーダは緊張感があり、演奏効果が高い。
なお、このソナタは「献呈者なし」となっている。通常は「献辞」が添えられているはずだが・・・どうなったのか。
自分のために書かれた唯一の作品と言えるかも。

Beethoven: Piano Sonata No.31 /Kate Liu

第1楽章 冒頭の4小節と6小節 これがこの楽章を支配する。右手・左手を交換するかたちなど無駄がない構造物のよう。
流れるような32音符のアルペジオが流麗である。素材の使い方が絶妙。

流れるような32音符のアルペジオ ドイツ語表記

 

短調 シンプルでのびやかな旋律が寂しさを。左手のバスが謳うところは丁寧で歌謡的に。
今度は 左手に32分音符のアルペジオにとってかわる。

第1楽章の最後は、最強音で決然と終わらない。次の楽章につなぐ表示。アタッカのような感じ。

 

第2楽章 スケルツォ 4分の2拍子 ヘ短調 4小節単位で括る。武骨な感じが否めないが これがコンパクトにできている。
突然終止 シンコペーションリズムの使用など これだけで充分 構成をなしている。
中間部 変二長調 変ト長調の和音が出てくる。何か苦心をしたのだろうか。リズムに特徴はあるものの 旋律的には感じられないが、無駄に長くせず
次の楽章へと導く。

第3楽章 8分の6拍子 変イ長調 「フーガ」

変ロ短調 レジタティーボ 幻想曲風から

コーダ「発展形」となり、盛り上がりの前にフーガの世界。パストラール風で舟歌(漂流している哀しみ)を組み合わせた。このフーガは、バッハとは違う。
ベートーヴェン風カノンというか。変イ短調『嘆きの歌』アリオーソ・ドレンテ(Klagender Gesang) バッハの『ヨハネ受難曲』の「Es ist vollbracht」と関連性が。
ベートーヴェンの嘆きは人間的に感情を伴うもの。

変イ長調 フーガ

ト短調 アリオーソ 「疲れ果て、嘆きつつ」(Ermattet, klagend)バス、アルト、そしてソプラノ

ト長調 フーガ 上行形のフーガ (前出のフーガの反行形)「次第に元気を取り戻しながら」(Poi a poi di nuovo vivente)と記した

変イ長調 コーダ

コーダ 右手のアルペジオが左手にとって代わられて推進する。フーガで出てきた4度進行をコーダでは6度の跳躍で応答している。(オクターブでの転回または反行形)
左手のアルペジオが劇的に ストレットのように高めていく。最強音の変イ長調のアルペジオは、勝利を得、天にも昇るよう。
上から下へ降りてくるアルペジオと、がっしりと掴んだ和音の響きで終えている。

終わった感じがしないのは、32番があると言っている、ベートーヴェン。


レジタティーボ 幻想曲風 小節線はもはやなく めまぐるしく転調する Aの連打は クラヴィコードを想定して書かれている。
等分でなく フレーズをよくみて。休符こそ入ってないが そこには「間」がある。


変イ短調『嘆きの歌』アリオーソ・ドレンテ(Klagender Gesang) バッハの『ヨハネ受難曲』の「Es ist vollbracht」


変イ長調のフーガ バス、アルト、そしてソプラノが重ねていく。


ト短調の アリオーソ 「疲れ果て、嘆きつつ」(Ermattet, klagend)

ト長調のフーガ 上行形のフーガ (前出のフーガの反行形)「次第に元気を取り戻しながら」(Poi a poi di nuovo vivente)イタリア語で記した

 

フーガの高度な処理。ト短調に変わり、付点のリズムが一層 難しくさせている。苦悩がうかがえる。

ピアノソナタは32曲あるが このような終わり方は この曲しかない。考えぬかれた構成。第1楽章に出てきたアルペジオが最後にこのようなかたちで出てくる。
終わった感じがしないのは、32番があると言っているのでしょう。


「リラ・クラシック」2019.8.31(土)7:00 ベートーヴェンvol.55


「リラ・クラシック」は、クラシック音楽でリラックスする60分。第3週・第5週 パーソナリティ マコルネがお届けします。ネットラジオ ※パソコンの方は、リンクをクリックで視聴 http://csra.fm/asx/hasimoto.asx  スマホアプリ(TuneIn Radio)。 設定でモバイル視聴 http://816.fm/?page_id=71

【曲予定】ベートーヴェン/4手のためのピアノソナタ ニ長調 Op.6
「ミサ・ソレムニス」より「アニュス・デイ」
ピアノソナタ第31番変イ長調作品110
交響曲第7番イ長調第4楽章

モーツァルトは作曲家として天才的で神童。ベートーヴェンはピアニストとして大成するが、作曲家としては推敲することにより大規模な作品が生まれた。
また、モーツァルトやハイドンよりも大胆な改革をしている。弦楽四重奏曲やピアノ三重奏曲、ピアノ協奏曲、ピアノソナタの作品に投影される。
オペラには苦労したようだ。

ピアノソナタは、第27番あたりはスランプだった。歌曲集「遥かなる恋人に」An die ferne Geliebteを作曲し、ブレンターノへの憧れを表現する。そして乗り越えてこその
第29番「ハンマークラヴィア」と後期30、31、32番の三大ピアノソナタがある。そこにはバッハの平均律の研究が垣間見られる。
あの第九やミサ・ソレムニス、ディアベリ変奏曲、大フーガも生まれた。

耳が聴こえなくなったが、イメージと音感はたしかで。各パートに一つずつ音を与えては加えていく作曲。時には、ピアノを鳴らしながら拡声器で振動を聴いたりしていた。
音楽家に絶対の誇りを持ち、神に近い存在だといった。

31番のソナタは、32番のような「悟り」でなく30番のように「水に流れる」ものでなく
「立ち止まり考え抜いたもの」答えを出したのが『嘆きの歌』だった。シンメトリックな構成でなく、第3楽章のコーダに重点を置く。

第3楽章「嘆きの歌」(Klagender Gesang)~ フーガ ~「疲れ果て、嘆きつつ」(Ermattet, klagend)~
フーガ「次第に元気を取り戻しながら」(Poi a poi di nuovo vivente)~ コーダ

フーガを取り入れることにより「横の揺れの空間」をつくり、音楽の充実をはかった。8分の6拍子は、牧歌風のパストラーレであるが、哀しみの中に浮かぶ舟歌でもある。
バッハでいうジーグとはまた違う音楽性。拡大したコーダはアルペジオで高潮し最強音に登りつめ和音で掴みとり
天を見出した・・・ なお、このソナタの献呈者は、ブレンターノ?でなく献呈者なしとなった。自分のために書いた唯一の作品といえるかもしれない。

Hélène Grimaud – Beethoven – Piano Sonata Nº31 Op110 (9分22秒から 第3楽章「嘆きの歌」~フーガ~)


小さな戦争遺跡「奉安殿」~竜門のてまり唄~


小さな戦争遺跡 ~竜門のてまり唄~

著者 神林規子 光陽出版社

神林さんは 鋭い感覚で 現代と当時をクロスオーヴァーの世界に引き入れる異色の作家です。
「小さな戦争遺跡」をご紹介いただきました。

8月22日(木)13:00~ FMはしもと81.6 マコルネのおきがるタイム
2時台「トークン&トーク」のコーナーで一部ご紹介させていただきます。ネットラジオに対応
記事はこちら

今から74年前、今日は「終戦の日」です。戦時中、全国にあった「奉安殿」の事 ご存じですか?
御真影と教育勅語が祀られていたところです。御真影とは、天皇陛下と皇后陛下のお写真の事です。教育勅語は1910年に制定された。当時は、職員室、校長室に「奉安所」があった。生徒に対しては教育勅語の全文を暗誦することも強く求められた。特に戦争激化の中にあって、1938年(昭和13年)に国家総動員法(昭和13年法律第55号)が制定・施行されると、その体制を正当化するために利用された。そのため、教育勅語の本来の趣旨から乖離する形で軍国主義の教典として利用されるに至った。「奉安殿」の前では脱帽、最敬礼。また、教育勅語を読み誤る職員は左遷。御真影が火災、地震などで焼失・損壊した時、校長が割腹自殺をした。教育勅語を読むときに、くしゃみをした生徒に往復ビンタがとんだこと。戦争は「非常事態」繰り返してはならない。

「奉安殿」が驚く場所にあった事、これに気付く人はいるのだろうか。時代を紐解きます。


出雲日御崎 日沉宮(ひしずみのみや)


日御崎神社 日沉宮(ひしずみのみや)出雲日御崎大神宮

「祖神(おやがみ)さま」下の本社/日沈の宮 と 上の本社/神の宮 を総称。『出雲国風土記』に「美佐伎社」と記される。
下/天照大御神(アマテラスオオミカミ)上/神素盞嗚尊(スサノオノミコト)を祀る。

経島(ふみしま)は御神域。日御碕大神宮 下の本社(日沉の宮、ひしずみのみや)は天暦2年(948年)、村上天皇勅命により祀られる。上の本社(神の宮、かみのみや)は安寧天皇13年(紀元前536年)、勅命により祀られた。伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」による。
現在の社殿は3代将軍・徳川家光の命によりつくられた。ここでは「御神砂守」がある。陳列されておらず、社務所できいてみましょう。限定発売です。

出雲大社に行く前に「稲佐の浜」に着くと、広がる海岸線と水平線をみつめる。
西を守る神に気づき、西北にある「日御崎宮」に導かれると思う。
ここに来ると何というか清々しい気持ちになれる。キヨキヨ

稲佐の浜より 美しい海岸線と 小さいながらも日御崎が見え 導かれるように行けた。

経島(ふみしま)※ 御神域

隣に港 テトラポットがある。

楼門 鮮やかな朱

下の宮 「日沉宮」天照大御神(アマテラスオオミカミ)

稲荷神社

上の宮「神の宮」神素盞嗚尊(スサノオノミコト)

何度みても堂々たる拝殿


美保関灯台


美保関灯台

1898年(明治31年)島根半島の東端 地蔵崎の馬着山に、フランス人により設計。当初は「地蔵崎灯台」と呼ばれた。1930年に与謝野鉄幹・晶子夫妻が地蔵埼を訪れ、後に碑文がつくられた。1935年(昭和10年)「美保関燈台」と改名。1998年(平成10年)世界燈台100選に選ばれる。2007年(平成19年)、国の登録有形文化財となる。2009年(平成21年)、近代化産業遺産に認定。灯台横の旧吏員退息所は「美保関灯台ビュッフェ」として観光のスポット。岬から見える鳥居は「沖の御前島」、美保神社の祭神、事代主神が鯛釣りをしていたとされる。美保神社は、事代主神と三穂津姫命が祀られており「国引き神話」に登場することから「出雲だけでは片参り」と、出雲大社とともに拝む習わしがあります。

中海は、汽水湖であり、淡水性と海水性の両方の生物が生息している。ヤマトシジミが収穫。島根県松江市・安来市と鳥取県境港市・米子市にまたがり、弓ヶ浜半島と島根半島に囲まれている湖で、日本では5番目に大きい。2005年(平成17年)11月8日には、ラムサール条約に登録。江島と大根島があり、また名勝「日本庭園 由志園」がある。

境水道大橋 全長709m、幅8m(2車線)の3径間連続トラス橋。昭和47年7月開通。竣工当時、中国地方最長、全国で5番目の橋梁。支間長が240mと広大な設定。歩道が設計されている。2002年まで有料道路であった。美保神社へは7km、美保関灯台までは10㎞の距離にある。

「夫婦岩」美保神社に行く途中にある。

美保関灯台の入口「燈臺」と旧字体で書かれている。

旧吏員退息所は「美保関灯台ビュッフェ」としてオープンした。

展望台よりのぞむ、絶景のひとつ。

「大山」が要塞のごとく聳えている