ブラームス ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品83
ブラームス(1833-1897)の作曲した ピアノ協奏曲は2曲。ブラームスは、卓越したピアニストであり ピアノソナタは20代に集中している。
シューマンの音楽評論での紹介で注目されることとなった。ピアノ協奏曲第1番ニ短調(1857)は、満を持して発表されるはずであった。
ブラームスとしては、2台のピアノのためのソナタとしていたものを「交響曲」へ変更、さらに変更し最終的にピアノ協奏曲第1番作品15に落ち着いたのである。
セレナード第1番作品11(1857)などの管弦作品でオーケストレーション力をつけた。
ピアノ協奏曲第2番変ロ長調(1881)は 交響曲第2番 ヴァイオリン協奏曲 と同じ頃につくられた傑作である。
私の中では 好きな曲のひとつであり 特に第3楽章が美しい。実は、この協奏曲は長大で 第2楽章 スケルツォが後に挿入されることになったのだが
ブラームスは 力説した。この曲が3楽章だと「対照的にならないので 第2楽章が必要だ。」それも 謙虚に「小さなスケルツォ」だと言っているが
10分近くある。シンフォニックな作品となった。ピアノがメインというより オーケストラとピアノが協奏していて さらに チェロやホルンが協奏するイメージである。
第1楽章 変ロ長調 4分の4 ホルンの牧歌的な主題にピアノが応じる。それと対照的なアパッショナートのラプソディ(7分02秒)に注目。力強くオクターブも幅が広く 演奏が難しい。
やわらかい管楽の響き。
ラプソディのところが ブラームスらしい。低音部から高音部まで早いパッセージで終わる。
第2楽章 スケルツォニ短調 4分の3拍子 スキップのようで機敏に躍動するが
爆発的にシンフォニックな部分がある。最後は、低音部から高音部まで一気に駆け上がりホルンの一撃で曲を閉じる。
そう、この楽章がなければ この曲は成り立たなかった。
ホルンやヴァイオリンの強奏など ドラマティックに引き立てる。
スケルツォの主題が再現部で増幅される(24分19秒)激しさのあらわれ。
爆発的なラプソディで終わる。
第3楽章 アンダンテ 変ロ長調 4分の6 バラードのよう。弦楽の穏やかな響きには、コントラバスの支えと、オーボエソロとチェロソロの掛け合いが見事に調和し、ピアノの導入を待つ。追いかける動機(B♭-G-E♭-C A-F-D-B♭)は ブラームスらしい。これは 交響曲第1番フィナーレでも使われていたが ここでも使用された。
交響曲第4番でも使われている。ピアノソロは最初、光輝くようだったが曇っていき短調(アパッショナート)となる。
「哀しみ」で心が破けてしまったのかもしれない。アガーテ、ヘルツォーゲンベルク夫人、クララ・シューマン、ユーリエ・・・ブラームスは諦観したのだろうか。
へ短調の和音の終わりからロ短調へ向かうところが、底に沈んだ最も哀しい「音」。
徐々に氷解してゆく・・・長調になるが、哀しみはぬぐい切れておらず、ため息のような音が続く。
再現部のロ長調ではじめて元に戻った気がする。
白眉はチェロソロの下降とピアノのアルペジオが最も美しい場面で、これまでの事(恋)を振り返り懐かしむ。
私は、チェロソロがブラームスでピアノがクララではと思う。この楽章、ホルンの響きが情緒的で重要な役割をしている。
弦楽の穏やかな響きには、コントラバスの支えがある。(B♭-G-E♭-C A-F-D-B♭)
オーボエとチェロソロの掛け合いにフルートが入り美しいハーモニーを奏で ピアノの導入を待つ。
ブラームス得意の「音の動きの少ない」部分。これが、短調に向かってゆく。
最も痛切な部分(32分26秒~)重音で感情を。「どこへも行かないで」と打ちひしがれる。変ロ短調の最後の和音でブラームスは沈んだ。
この静けさで、どこへも動けない。哀しみが。涙なしに聴けない。
演奏会では、園田高広 ゲルハルト・オピッツ 清水和音 を聴いた。音源では、ポリーニ 伊藤恵 を聴いた。
ロ短調に変わっていく。ブラームスの心情は底にあるが、少しづつ変容し氷解する。
ロ長調に変わったが、クラリネットの高音とピアノ。この前の悲劇が後をひいてしばらくは漂流したまま。
ロ長調の再現部、チェロや弦楽の温かな雰囲気。
そして変ロ長調に回帰。チェロソロにピアノがアルペジオで応えるところ(37分12秒)がブラームスとクララの会話なのではと思う。その掛け合いが最も美しい。
静かにおさまり 融和された。
第4楽章 ロンド 変ロ長調 4分の2 スキップするような 軽快なロンド。北イタリアをブラームスは歩いているのだろうか。
演奏の難しい重音のパッセージがある。
室内楽的に聴こえる。あまり力まず ブラームスにしては 軽快な響き。
クラウディオ・アバド指揮ウィーンフィル ピアノ マウリツィオ・ポリーニ
ウィーン中央墓地にある ブラームスの墓