Author: nishikunn

☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ

高野山「正御影供」 2025.3.21


正御影供 2025.3.21 高野山金剛峰寺「奥之院」

正御影供(しょうみえく)とは、真言宗の開祖である弘法大師空海が835年(承和2年)3月21日に高野山で入定した日に執り行われる法要です。高野山では、毎年新暦と旧暦の3月21日に『御影供』と称し、全山住職をあげてお大師さまに報恩を捧げます。この日にはお大師さまの身代わりとして1年間にわたり高野山の重要な法会の御導師をお勤めになる「法印御房」が御出仕なされ、信者の方も大勢参列。御衣(ぎょい)のお寺として有名な寶龜院(ほうきいん)より、金剛峯寺へ従者と共に唐櫃にて「御衣」を奉持。金剛峯寺では本山の重役を初め、執行代(しぎょうだい)がまちうけします。金剛峯寺に運ばれた「御衣」は一端持仏間(じぶつ=お寺の先住様のご位牌や仏様をおまつりしている部屋)の前の浄薦の上に蓋を開けて置かれ、御法楽(仏様にお経を読んで捧げる)をします。続いて先の執行代様が目録と中身を照らし合わせて確 認し、すぐに寶龜院様と先の従者と共に奥之院へ向かいます。奥之院に着けば燈籠堂正面に唐櫃を安置し、ただちに執行代様がご供養のために一座の修法をされます。さらに9時から「正御影供」を執行し、懇ろに供養された唐櫃の中の「御衣」は再び従者と共に今度は御影堂へ向かいます。そうして御影堂に着いた「御衣」は御影堂の内々陣(お堂の一番奥のところ)に安置され、1年間にわたり供養が続けられます。この御衣は来年の法印御房がおめしになります。

高野山は、八方蓮華の地、標高900mの山地。19日の雪が。国道370号や国道480号は除雪してあるので通行に問題はない。矢立から上は、雪が残っていた。山上は、雪が10㎝積もっているところがある。日差しが暖かく雫がしたたる。重たい雪が解けて上から落ちてくる。幻想的な「奥之院」大師御廟は祈りに包まれた。

 

 


バッハ・コレギウム・ジャパン神戸松蔭女子学院チャペル2025.3.15


バッハ・コレギウム・ジャパン神戸松蔭女子学院大学チャペル2025.3.15

コラール・カンタータ300年プロジェクトNo.5【全40曲】(1724-1725 ちなみにルターの讃美歌が刊行されたのが1524年であり500年。)

寒の戻りで風が冷たい日、雨も降ってきた。コートやマフラーの装いが多い。特に足元が寒い。立見席もあったようだが。
バッハ・コレギウム・ジャパンの公演は、機会が大切。神戸と東京で、特にマタイ受難曲、ヨハネ受難曲などは事前予約で売り切れとなるため。バッハのみでなく、音楽の幅が広く、ファンを惹きつけている。ここ神戸松蔭女子学院大学は、拠点でもある。

鈴木雅明さん 世界的に活躍するバッハ・コレギウム・ジャパンの創設者であり、音楽監督である。1990年創設、1992年から壮大なバッハ・教会カンタータ全集を日本人として2013年に完結。その録音、演奏は高水準。ドイツ・ライプツィヒバッハ音楽祭にも出演。2023~2024年頃、体調不良で心配されていました。2023年、バッハのオルガン作品全集第6集「ライプツィヒコラール」の収録など精力的な活動をされていた。ご快復の姿を見たくて。

神戸松蔭女子学院大学:1892年1月 – 英国聖公会の宣教師フォスが、女性宣教師バーケンヘッドと、神戸市北野町に松蔭女学校を創立。1952年、旧チャペル献堂。1981年、六甲新学舎完成。

チャペルは、1981年に祝別式。ステンドグラスが印象的なきれいな教会。

第269回神戸松蔭チャペルコンサート

プレトーク 14:45 鈴木優人さんによる

プログラム:
コラールプレリュード
《ピエス・ドルグ》ファンタジート長調 BWV572.2
オルガン独奏 鈴木雅明

 

カンタータ第133番「私は、あなたのうちにあって喜び」12/27 クリスマス第3日
カンタータ第122番「新しく生まれた嬰児の」12/31 降誕節後日曜日

休憩

カンタータ124番「私のイエスを離さない」1/7 顕現節後第1日曜日

カンタータ第3番「ああ神よ、何と多くの心の痛みが」1/14 顕現節第2日曜日

ハナ・プラシコヴァ ソプラノ
青木洋也 アルト
セイル・キム テノール
加来 徹 バス

バッハ・コレギウム・ジャパン(合唱と管弦楽)
鈴木優人 指揮

 

神戸松蔭女子学院大学の周辺は、急な坂の上にある。海を見下ろせる。阪急六甲駅から徒歩で15分。駐車場が少ないエリア。


バッハ・イン・ザ・サブウェイズ2025大和郡山×第64回お城まつり「麒麟曲輪」2025.3.29 12:15


バッハ・イン・ザ・サブウェイズ2025大和郡山×第64回お城まつり「麒麟曲輪」2025.3.29 12:15

リハーサルと演奏場所下見

3.29(土)12:15 演奏の大和郡山城 麒麟曲輪について:
現在、オープン前で最終段階でした。第64回お城まつりは、3月24日(月)から。

お城の天守閣 入口でなく そのまま 内郭を歩くと「情報館」(昨年10月にオープンした)が見えます。さらに 左手にトイレ 坂の上に白い休憩スペースが見えます(旧体育館)。そして広いスペースの芝生広場(旧城内学舎グラウンド)が演奏場所。西口からだと橋を渡ってすぐ右手に「歴代皇陵遙拝所」の石碑があり左手が標示板と休憩スペースがあります。※雨天の場合、休憩スペースのピロティ

左が休憩スペース(旧体育館)※雨天の場合、ピロティで演奏予定

桜はつぼみ 3/16現在 桜の名所 600本以上 ライトアップもある。


二科会写真部「照井四郎」写真展「阪神大震災30年」25.3.10


二科会写真部「照井四郎」写真展「阪神大震災30年」25.3.10

30年前のモノクロ現像の写真の奥深さに感動。受付の方も親切な対応でした。
なんとそこにカメラを持った照井氏とNHK小野寺侑美キャスターが。お二方は、NHK総合の番組「ギュギュっと」に出演されています。
すぐわかりました。オーラがありました。

 

 


映画「生きる」~大川小学校津波裁判を闘った人たち~2025.3.11


映画「生きる」~大川小学校津波裁判を闘った人たち~2025.3.11

学校の管理下にある子どもが犠牲になった事故としては戦後で最悪「大川小学校」の悲劇。児童・教員84名の生命が一瞬にして奪われた。未だ行方不明者4名。震災遺構として、後世に伝える。

2011年3月11日14時46分の東日本大震災。日本人の心に大きな爪痕を残している。
私は、2011年6月、大槌町の災害ボランティア、2015年3月、石巻を訪れた。また、2015年6月、大船渡を訪れ17年ぶりの旧友に逢う。その時の記事はこちら。【閲覧注意】

あの風景は、アウシュビッツ収容所と同じくらい衝撃。原爆ドームの建造物の方がまだきれいだと。それは生々しさ。原爆ドームの資料館はもちろん内容が凄まじい。
なぜ、あのような低地(標高1m)に学校がある事が。普通あるはずの2階の上の「屋上」がない学校。校長は不在。教員が対応で口論になり、児童は校庭にいたまま。広域避難所に指定されていた。その場から避難しようとした関係者が引き戻される。「とにかく今すぐ高いところに!」ではないのか。送迎に来た児童の母もここにとどまり死亡。ここが安全でないのはわかっているはずなのに。避難が標高の高い「裏山」(標高372m)でなく川に近い方の少し高い三角州(標高7m)に避難しようとしたのか。津波は8.6m。北上川を3.7㎞遡上した。校舎の2F天井まで浸水した。

小学校の残骸に、言葉がみつからない。地面には津波の瓦礫が散乱している。建立された慰霊碑に合掌する。【撮影禁止】あまりの悲しみで、膝をついてしばらく動けなくなった。すぐ立ち去るなんてできない。その日も、雪の舞う天気。震災の日は、もっと寒かっただろう。

何かできることはないか。祈るしかできなかった。疑問と怒りがこみあげてくる。この映画「生きる」ができた事には大きな意味があると思います。

共感しやすい感動的な奮闘ストーリーがある映画ではありません。起きた事実を記録しているため、見ていて、苦しく、つらい場面があるかも知れません。それでも「誰にも同じ思いを二度としてほしくない」と闘った親たちの生き様を、劇場で多くの方々と一緒に観ていただければ嬉しく思います。 =監督: 寺田 和弘=

《更新》2025.3.11

映画「生きる」~大川小学校津波裁判を闘った人たち~ をみた。十三にあるシアターセブン
トークショー 監督 寺田和弘さん 番組「サンデープロジェクト」の制作。戸田香さん(元テレビ朝日、京都女子大学助教)「政治学」が専門で「寄りそう」をテーマにあげられた。
生き残った教員への配慮も忘れない。裁判では、金額が14億と高額である事が話題となったが、原告は、そんな報道を望んでいなかった。学校側の説明会で唯一生き残った教員の説明は、初回と2回目だったがおかしかった。ハザードマップで、小学校が避難場所になっているが、標高が1mのところがなぜ。どこかの県の地図をコピーしたものであった。避難訓練をしていると学校が嘘の報告をしていたり、教育委員会が実際の避難訓練を確認するなどの管理を怠った。また、聴き取りしたメモを破棄したなど、遺族の疑問と怒りはつのる。新しい校長の就任も画策されたもの。事故調査委員会では、子どもたちの様子についての報告が全く反映されてなかった。裁判をするしかないと思い立ったという。真実を話してほしいのが本意であった。

 

 

3.11を考える会 大川小学校の修理における財政支援を。管理は石巻市。寺田監督の話によると、振込先は現在、使用できないので まずはメールでお問い合わせくださいとの事です。


2025.3.20「泉ヶ丘駅前」演奏


2025.3.20「泉ヶ丘駅前」演奏

春分の日(祝祭日)の朝です。9時45分から演奏します。歌の伴奏です。楽しく歌いましょう。

 

泉北高速鉄道「泉ケ丘駅」改札でて南口へ少しいくと陸橋付近です。ココカラファインの右となり。

今回は、二人で演奏。去年より暖かい。日差しがない陸橋付近は、15分もすると手が冷えてくる。そんななか、目の前の「551の蓬莱」の豚まん「あるとき~」この匂いはたまらないね。

スウェーデン人の彼は、アコーディオンを弾くらしい。私達のアコーディオンに興味を持ってもらった。

 

 


2025.3.13(木)13:00「おきがるタイム」FM816 vol.287


2025.3.13(木)13:00「マコルネのおきがるタイム」シャンソン・昭和歌謡・アコーディオン FM816 パーソナリティ マコルネ【ネットラジオ(リアルタイム配信)アプリなしで視聴】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

【予定曲】花は咲く 春の訪れ 青春時代 どこかで春が 「わが心よ、清めよ」 my graduation 桜の木になろう どじょっこふなっこ  黄色いさくらんぼ  さくら貝の歌 北国の春  春よこい

【コラム】肌寒く、寒暖差が気になります。ニューヨークの地下鉄ではじまった「バッハ・イン・ザ・サブウェイズ」アメリカで2010年にはじまったのですが、日本では2015年に初上陸、今年で10周年。【入場無料】3月21日から31日まで、全世界でバッハの生誕日に有志がバッハの音楽を奏するムーブメント。あなたの街で。

3月3日「大正浪漫展」にうかがいました。竹久夢二、南葵音楽文庫など、多方面とリンクする素敵な企画でした。


リラ・クラシック 2025.3.15(土)7:00 「バッハ」vol.143


2025/3/15(土)7:00「リラ・クラシック」は、クラシック音楽でリラックスする60分。第3週・第5週 パーソナリティ マコルネがお届けします。【ネットラジオ(リアルタイム配信)で視聴可】https://www.jcbasimul.com/radio/1302/

【曲予定】バッハ=グノー/アヴェ・マリア 無伴奏チェロ組曲第1番ト長調前奏曲 無伴奏ヴァイオリンパルティータニ短調「シャコンヌ」パッサカリアハ短調よりフーガ カンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声あり」より第4曲 コラール 「シオンは物見らの歌うの聞けり」 「マタイ受難曲」第62番コラール「いつか私が世を去るとき」第75番アリア「わが心よ、己を清めよ」

【コラム】ヨーロッパを中心とするキリスト教圏では「四旬節」で4月20日のイースターの準備期間です。バッハは、この期間、祝祭的な音楽を自粛しました。4月18日(聖金曜日)には、マタイ受難曲を演奏していました。バッハ・イン・ザ・サブウェイズ2025、日本上陸10周年。オーガナイズしている6会場、7公演はすべて【入場無料】。有志が演奏する「街角のバッハ」にご期待ください。

「マタイ受難曲」第62番コラール「いつか私が世を去るとき」


マタイ受難曲 第62番コラール「いつか私がこの世を去るとき」


マタイ受難曲第62番コラール Wenn ich einmal soll scheiden「いつか私がこの世を去るとき」

3月5日~4月19日 四旬節に入りました。ヨーロッパ キリスト教圏では、断食し、悔い改め、4月20日のイースターに向けての準備期間となっています。
4月18日に聖金曜日(Good Friday)を迎えます。イースターは、満月の次の日曜日。

バッハもこの時期は、受難節に合わせ、祝祭的な音楽の演奏をやめ慎み深く過ごしたそう。受難節のための音楽を書いている。
マタイ、ヨハネ、マルコ、ルカ受難曲。聖金曜日には、マタイ受難曲やヨハネ受難曲が演奏される。

マタイ受難曲の壮大な3時間に及ぶ音楽。レチタティーヴォ、アリア、コラールがあり、印象的な受難コラールが5回出てくる。

讃美歌では第136番「血しおしたたる」。曲はハンス・レオ・ハスラーの歌曲『わが心は千々に乱れ』から。詞は1607 – 1676 パウル・ゲルハルトによる。

1回目(第15曲)過越の食事の時
2回目(第17曲)信仰告白
3回目(第44曲)イエスが沈黙し、全てを神に委ねる
4回目(第54曲)十字架につけられたイエスが亡くなる直前
5回目(第62曲)イエスが息を引き取った後でしめやかに歌われる。自分自身の死を瞑想する

 

15 Erkenne mich, mein Hüter われをみとめたまえ

Erkenne mich, mein Hüter, われをみとめたまえ、私のまきびとよ
mein Hirte, nimm mich an! 私の羊飼いよ、私を受け入れてください!
Von dir, Quell aller Güter, すべての宝の泉であるあなたから
ist mir viel Gut’s getan. 私に多くの福音がありました。
Dein Mund hat mich gelabet あなたの口は私を元気にしてくれました、
mit Milch und süßer Kost, 乳とスィーツにより。
dein Geist hat mich begabet あなたの魂は私に与えました、
mit mancher Himmelslust. 多くの天の喜びを。

 

17 Ich will hier bei dir stehen 私はここに、あなたの側におります

Ich will hier bei dir stehen; 私はここに、あなたの側におります。
verachte mich doch nicht! どうか私を侮らないで下さい!
Von dir will ich nicht gehen, あなたのもとから私は離れません、
wenn dir dein Herze bricht. あなたの心が張り裂ける時も。
Wenn dein Herz wird erblassen あなたの心が、
im letzten Todesstoß, 最後の死の衝撃で蒼ざめる時、
als denn will ich dich fassen 私はあなたをしっかりと抱きましょう、
in meinen Arm und Schoß. 私の腕と膝に。

 

44 Befiehl du deine Wege  委ねよ、お前は、お前の道と

Befiehl du deine Wege 委ねよ、お前は、お前の道と、
und was dein Herze kränkt お前の心を傷つけていることを、
der allertreusten Pflege 全く誠実なご加護に
des, der den Himmel lenkt. 天をおさめる方の。
Der Wolken, Luft und Winden その方は雲に、空気に、そして風に、
gibt Wege, Lauf und Bahn, 道を与えてくださる。
der wird auch Wege finden, その方が新たな道を見つけてくれるだろう、
da dein Fuß gehen kann. お前の脚が歩むことのできる道を。

 

54 O Haupt voll Blut und Wunden, おお、血しおにまみれた御頭よ

O Haupt voll Blut und Wunden, おお、血しおにまみれた御頭よ、
voll Schmerz und voller Hohn, 苦痛と、嘲笑に充ちた、
o Haupt, zu Spott gebunden おお、嘲りのために
mit einer Dornenkron’, 茨の冠で縛られた御頭よ、
o Haupt, sonst schön gezieret おお、御頭よ、さもなければ美しく
mit höchster Ehr’ und Zier, 最高の誉れと誇りで飾られていたのに、
jetzt aber hoch schimpfieret, 今や甚だしく辱められた、
gegrüßet seist du mir! 私の心からの言葉を受け入れてください。

 

62 Wenn ich einmal soll scheiden いつか私がこの世を去る時

Wenn ich einmal soll scheiden, いつか私がこの世を去る時、
so scheide nicht von mir. 私から離れないでください。
Wenn ich den Tod soll leiden, 私が死に苦しまねばならぬ時、
so tritt du dann herfür! その時は、姿を現してください!
Wenn mir am allerbängsten 私が、この上ない不安によって
wird um das Herze sein, 心を包囲されるであろう時、
so reiß mich aus den Ängsten 私を不安から引きはがして下さい!
kraft deiner Angst und Pein! あなたの不安と苦痛の力によって。