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志賀高原 四十八池めぐり 自然の宝庫


志賀高原は、浅間山(2568m)を最高峰とする火山から構成される上信越高原国立公園のひとつ。長野県北東部、山ノ内町に位置し標高1300mから2300mの広大な高原をさす。草津温泉 白根山(2160m)横手山(2307m)志賀山(2037m)鉢山(2041m)などがある。

日本最大のスキー場がある。また、温泉や高原を利用した観光でにぎわっている。四十八池めぐりもそのひとつ。志賀山 鉢山 大沼池を囲む 渋池 ひょうたん池 丸池など 大小60からなる。これは、大昔 志賀山が噴火しできた湿原。日本海側気候で冷涼。夏山の 八ヶ岳 扇沢 白馬 上高地などは 人がたくさんだが ここでは静かな散策ができる。標高2000mクラスでも 涼しいのは日陰であり、昼間は気温が高めで日差しも強く羽虫やセミの声がするのだが、志賀高原はそれがほとんどなかった。その辺 扇沢や白馬雪渓などは さすがに涼しい。

志賀高原へは、長野県軽井沢から浅間山に入り(日本ロマンチック街道)群馬県嬬恋村 草津温泉、白根山(2160m)を通り、長野県山ノ内町 横手山(2307m)が入口となる。その後 渋峠 日本国道最高地点(2172m)そして硯川駐車場にたどり着く。ここが 志賀高原 四十八池めぐりの一つの起点である。

硯川駐車場(1695m)→サマーリフト→前山山頂(1796m)《スタート》→渋池(1810m)→四十八湿原(1880m)(ここまで約1時間)⇔志賀山(2036m)(湿原からは600mの距離にある)

サマーリフトを使い 前山山頂へ(1796m)ここから 約1時間の道のり。まず渋池へ 魚のはねる音などはきけない 静かな池。実は 酸性池で魚介類はすめない。湿原に赤みがあるのは モウセンゴケが群落している。植物は通常、光合成で生きられるのだが このモウセンゴケは「食中植物」で変わり種。小さくかわいい花である。それは、透明で放射状にのびる赤い触手が無数にあり、孔雀の羽のように魅力的である。昆虫などが触手に触れると粘液で逃げられなくなる。すぐに周りの触手が伸び、獲物を全体的に捉え身動きできなくする。大きなトンボなども 罠にかかっている様は 何とも言葉に表しようがない(‘_’)。生命の儚さや 自然の残酷さを思う。私たち人間は、牛・豚・鶏・魚・野菜・穀物から生命を頂いて生きているのを当たり前のようにしているが、殺生は最小限に そして感謝を忘れずに。

モウセンゴケに捕まったトンボやハエ(‘;’) モウセンゴケは華麗にみえる。しかし多年草で長いものは50年も生きる。それだけに、生命活動は重要である。ひまわりは一年草で種がすぐできるが それと大違いだ。モウセンゴケは 絶滅危惧種に指定されている。湿原の中への立ち入りは禁止され、木道の指定された道を散策する。よく見ると茎や葉など高く伸びる花ではない。低地にひっそりと生えている。一方、トンボは高いところを行き来でき自由に飛び交う事ができる。トンボの餌は 水辺にいる昆虫など。また、受粉の作業などで植物にとまる事がある。しかし こんな低いところにわざわざとまる事はないと思うのだが。それが「自然界の掟」なのかもしれない。


朗読と小説 青木裕子&小池真理子氏


軽井沢朗読館館長(元NHKアナウンサー)青木裕子さんの朗読会

朗読やよみきかせはとても大切なこと。文学を音おこしするだけでなく登場人物の特徴を活かしストーリーを聴く。すばらしい。子どもたちも聞き入っていた。

もうひとつ、 作家の小池真理子さんの講演は珍しく、お会いできて嬉しい。20年前から小池真理子さんの小説「柩の中の猫」「死に向かうアダージョ」などを嗜んでいる。最近は、作品「二重生活」映画化もされている。小池さんの小説は、音楽や楽器が必ずといっていいほど登場する。また、登場人物は 映画のシナリオのように輪郭がはっきりと浮かび上がる それが心地よいし リアルである。

この出逢いを祝して、20年前の文庫本を持参し特別にサインをいただいた。「柩の中の猫」ララが登場するこの小説は「図書館においてほしいですね」と。
軽井沢朗読館の青木さんとお会いできることを願って さらに出逢えた小池真理子氏。

中軽井沢図書館にて

 


白馬美術館 シャガールの芸術


白馬美術館 マルク・シャガールの芸術がここに。シャガール専門のミュージアム。
元館長 石塚要さんの事は鮮明に残っています。480点の中から 120点ほどを 時期をみて 入れ替えしている。

特に モノクロの作品や 塑像などもあり シャガールの広い芸術をみることができる。森の中にある美術館。
これは 私立の美術館である事を忘れてはならない。個人で 美術館を建造したことは 素晴らしい。
しかも この美術館の建築物としての価値も高い。

グランドピアノもあり 時々 コンサートが行われている。
シャガールの青に魅せられる。お気に入りは 「月あかりの恋人たち」

冬季(10月下旬~4月下旬)は休館。また、水曜が休館日(祝日の場合は翌日)となっている。


御嶽山 飛騨頂上 三の池


御嶽山(3067m)は日本第3位の火山、剣ヶ峰頂上を指すが、外輪山が多く 継子岳(2857m)摩利支天山(2959m)などの峰がある 独立峰、山裾が広大で麗しい。木曽福島 開田高原などは 蕎麦の栽培がさかんである。今回、飛騨頂上(2811m)九合目に登った。山行とでもいうのだろうか。手ごたえのある山、登り甲斐のある山といえる。また、山岳信仰からみると 日本三大霊山(富士山 立山 御嶽山)の一つとされる。もちろん 白山も三霊山のひとつではある。

気象庁は11日、5段階の噴火警戒レベルを2(火口周辺規制)から最も低い1(活火山であることに留意)に引き下げる方針を明らかにした。
http://www.yomiuri.co.jp/science/20170711-OYT1T50083.html

登山口は小坂口 日和田口 王滝口 黒沢口 開田口(※松原新道は廃止)がある。ロープウェイを利用し登山口まで。また、車で登山口に行く事ができる。火山として日本第2位の乗鞍岳(3026m)は「マイカー規制」があり、畳平(2702m)から登る。私の 登山デビューは「乗鞍岳」だった。それ以来 手ごろな山との出逢いが。トレッキングのポイントは、まず朝早く起きる。極限まで空腹になり、感覚が限界になった時の食べ物の美味しい事、疲れない歩き方を通す、そして何よりも怪我をしない事。高山病かな。体調が悪いと、胃痛ではきけをもよおし 進めなくなる。急登の角度や時間による。もし 下山しても 準備して再挑戦すればいい。山は逃げないから大丈夫。

6月には 夏山に備え道具を新調、トレッキングシューズ クッションジェル(足を冷やす)。たしかに疲れにくい。尾瀬で10数キロ歩いた時も疲れなかった。なるほど 道具は大事なんだなと痛感する。ポールも収納式でなく折りたたみに買換、以前のザックは肩への圧迫があったので買換、軽量でコンパクトに。最低限のものは積んでおく。

積載物:コンパス 地図 水 500ml×3 グローブ ポール 帽子 ストール 飴(塩分)カルボナーラ(保存食)ドリンクゼリー カメラ×2 ミニ三脚×2 サングラス【SEA BREEZE + ハッカ油 = オリジナル虫よけスプレー】レインポンチョ 折りたたみ傘 長袖シャツ 超薄インナー上・下(3000m級では緊急時必要)目薬・消毒薬・絆創膏・三角タオル・胃薬・鎮痛薬・・・バッテリー スマートフォン(GPSアプリ)ヘッドライト ウールのソックス

駒ヶ根から「木曽駒ヶ岳」を過ぎると 突然 大きな山が。それが 御嶽山。九蔵峠展望台から御嶽山をのぞむ。広大な高原は 自然の恵み。スキーリゾート。木曽福島 開田高原の蕎麦は日本でも有数の産地。南側斜面は 火山灰によって茶色い色をしている。2014年9月27日 噴火により 大惨事となった。あの出来事を忘れたわけではない。自然に 畏怖を意識で感じ帰依する 私たちは学ばなければならないから。前兆現象は 2週間前に 硫黄の匂いがし 水蒸気があがっていたとされている。(YOUTUBEにあった)一度 登ってみたい山だったので調べていた。災害の前日は、乗鞍岳に登っていたのである・・・ 御嶽神社奥宮に手を合わせた。むやみに自然を汚さない。そこに棲む動植物を伐ったり採ったりしない事。

さて、登山口は 濁河温泉(1800m)小坂口で 岐阜県下呂市の県境。ここからなら 標高差と距離 斜角・・・登りは 時間がかかる方 写真を撮ったり地点を確認するので。「仙人の滝」にも立ち寄る。往きは 4時間10分【湯の花峠 のぞき岩 お助け水【森林限界】で休憩】(標準3時間30分) 帰りは 2時間10分(休憩ほとんどなし【途中 半分の地点で水を足したくらい】)(標準2時間30分)4.5km×2=9km 午後にガスってきて 雨が降りそうだったが、結局降らなかったのが幸い。下界では おしめりがあり 雨の後の森の緑がきれいだった。

五の池小屋で 高地の「珈琲」をいただく。スタッフに話をうかがう。山開きが行われてから 営業を開始する 6月と、7月上旬までは 予約制で受付 夏休み時期から シーズンに入りにぎやかになる。夏山は 7、8月 紅葉は 8月末 9月 10月中旬まで。厳しい3000mとを意識しないと。夏でもひょうが降ったり 霰や雪が降ることがあるのだ。

「三の池」は絶景だった。
コース 小坂口→ 湯の花峠 → のぞき岩 → お助け水 → 飛騨頂上 → 三の池
帰りに 開田高原で 蕎麦大盛を。わさび 頭に貫通するくらい凄い。もちろん 味もたしか。

九蔵峠付近 山頂が綺麗に顔をだした。山型の雲にみえる。

御嶽山の麓は 果てしなく広い。高原は自然の恵み。独立峰の強み。何万年かかったのだろう。

濁河温泉に向かう。小坂口の登山口 注意書きがあり 忘れ物をチェック

ここから はじまる

立入禁止区域 表示 2017年7月現在

鳥居 御嶽山神社とある

七福神にもおまいりを。

碑文がたつ

最初の分岐で 「仙人の滝」へ 瀑布は迫力がある

登山道はほとんど整備されている。テープや色で印があるので 迷う心配はないと言える。(小坂口)木道はありがたい。特に下り。登りは ストックで補強しながら登る。たまにぐらついてるところがある。ストックで足元を確認。石畳の道は 着地に気をつける。あわてず 呼吸を整え 確実に。

湯の花峠(2103m) 硫黄の匂いがした。湯の花といわれるだけある。

のぞき岩(2290m)から 山頂が立ちはだかる まだまだ高い これからといったところ。

標示が100m毎にある。親切である。迷う心配もない。200mを10分~ 4200mを210分のペース

お助け水(2450m)このあたりになると水が欲しいところだが(残念ながら 水は出ていない。)森林限界に。水分補給し、上着の長袖を脱ぐ。暑くなった。もう そろそろ 山頂がみえる。それにしても虫が多いね。首は、ストールをまいてるから大丈夫。日焼けまでは防げない。

視界がひろがる。ザレの岩ゴロと。

雷鳥岩

頂上かなと思ったら 祠だった。

祠 手をあわせたくなる光景。

五の池小屋と飛騨頂上への分岐 あと100m

分岐 ほとんど着いた感じ 頂上は近い。

近づいていく

頂上に近づいた

到達 飛騨頂上 標高2811m 神聖な空気

風が涼しく快適 丁度良い 気温は17℃ 御嶽山としては 温かい方だとか。

 

五の池 池の色はさまざまに変えてゆく不思議な池 鏡池でもある 荒涼とした風にはみえなかった。大自然の中にある ごくありふれた風景 左手には稜線が。ここから摩利支天山へ。飛騨頂上より俯瞰。摩利支天山 左手奥には 剣ヶ峰がみえる。

五の池小屋 一度に100人以上収容できる小屋。まろやかな「珈琲」をいただく。
7、8、9、10月中旬まで営業。

三の池を見に行く

突然ひろがる この光景

やはり 凄いです 「三の池」の絶景 しばらく 佇んだ・・・


五の池小屋にて 珈琲をいただく 憩いの時間

帰りに 開田高原で 蕎麦大盛を。わさび 頭に貫通するくらい凄い。眠気とばし~
何故か 今回は 帰りの運転 全く眠気がなく あのタイミングでわさびそばが利いたのかも。


樅の木とオルガン


樅の木とオルガン

モミの木というと クリスマスを思い起こす。また 谷山浩子の「もみの木」の歌にあるように 大自然の力を思う。ラテン語 ABIES 葉を落とさない樹で 脂は薬に利用され 生命力の強い木である。冬には モミの木片を暖炉にくべ、温かく過ごす事ができる。

日本は国土の68.2%を森林が占める山林国で フィンランドに次 世界第2位で 3位はスウェーデンである。自給率は30%で 近年上昇している。植樹も積極的に行っているが すぐに効果が出てこない。何しろ 20年~60年という歳月がかかるのだから。60年というのは ひとえに3代を指す。桜の木なども 20年が一人前になる節目をいう。「遷宮」も20年に一度である。

木材といえば 法隆寺 正倉院である。例えば 法隆寺の心柱は 2000年以上の 一番古い木を取り寄せた。古ければ古いほど 経時変化が少なく安定している。赤い部分は腐りにくく白い部分は不安定である。神宮(伊勢)も木をとっている。遷宮の際に伐採される300年経つ木曽のヒノキは10,000本。昔から木曽では むやみに伐採したりすると「蛇抜け」がおこり、大蛇が土砂災害を起こすといわれている。「白い雨」が降ると、土砂崩れが起きる・・・

オルガンについて ルーツは紀元前の「笙」にはじまる。西洋では最古は1400年代から。バロック時代からは オルガン作品が作曲され、19世紀には「オルガン交響曲」が作曲されたりし、現在も主役として使われている。ひとすじに「オルガン」というが種類がある。パイプオルガンとリードオルガンは 似ているようで全く違う。アタックから減衰まで音量が一定なのがパイプオルガン。一方、エアの送り具合によってビブラートなどニュアンスがつけられるのがリードオルガンで アコーディオンに近い。アコーディオンやバンドネオンは、蛇腹で空気を送り音のたちあげから減衰までコントロールできる「心を震わせる楽器」である。私は、断定的な音色を発声できるパイプオルガンも素敵だと思う。

日本で戦後初 国産のオルガン製作家 辻宏さんは シュバイツァーのバッハを聴いて オルガンの道を志し、東京芸術大学にすすんだ。その後、教師をつとめるかたわら オルガン製作にも感心を持ち、製作家としての道を歩んだ。辻さんは オルガンに最適な木材を求めて神奈川県から岐阜県白川町に移住している。ある時、モミの木を切り倒すことになった。お神酒をかけ祈りをささげてから伐採するのだが、突然竜巻のような「あおり風」が吹き跳ね飛ばされた。ー切り倒されたその木ー命が経たれた瞬間、瑞々しい樹液が吹き出ていた。木の痛み・・・これをみた辻さんはむせび泣いた。300年も育てられた木を切り倒したのだから。「心に誓って」オルガンを制作できるように力を貸してほしいとモミの木にお願いをした。そして、この一本から3台のオルガンができ、ひとつも無駄のない木材の使われ方がされたという。

国内最大のオルガンビルダー辻宏さんは、精力的にオルガン製作に勤しみ、生涯に82台のオルガンを製作した。(2005年12月永眠)奥さんの紀子さんは 30年ぶり(2008年)に モミの木の「木の株」に逢いにいった。見つけた途端 杖をついていた紀子さんは 夢中でかけあがった。その切り株は、小さな虫が取り巻き芽が生えていた。幹や枝はなくなったけど 空の方を見上げている・・・宏さんにも見せたかったという。(2016年6月永眠)

紀子さんはいいました。

「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは 決して滅びることがありません。」
~マタイ24章35節~

岐阜県立美術館にある「第37号」

バッハ:18のコラール前奏曲集より、第三番 コラール「バビロン川のほとりに」BWV653


はるかな「尾瀬」


はるかな尾瀬

シーズンの「尾瀬」に行ってまいりました。新宿から 関越自動車道で 約3時間 ドライバーさん 長距離運転 ありがとうございました。

この日 梅雨に入ったものの 雨は降らなかったのが幸い。そして 暑くない。

新宿から 練馬IC 川越IC  行きは 高坂SA 帰りは 三芳PA で休憩。沼田IC経由 新緑が綺麗。いろいろな形の山(台形 エアーズロック 上州三峰山 三角 戸神山)がそびえる。まいたけ弁当で有名な「井上食堂」さん通り過ぎ 方品村へ。いよいよ尾瀬道に入る。登山入口は5か所ほどあるが 群馬県側の鳩待峠へ。

通常は、「尾瀬戸倉」から専用バスに乗り換え登山口へ。今回は乗り換えなしの直通で 中型バス。鳩待峠。標高1400m 気温は18度。

木道(もくどう)が2本敷かれており 基本 右側通行で歩くようになっている。
最初は 石道 約200mくらいかな。いびつな凹凸の石段をさがり ゆるやかにおりていく それから木道がはじまる。前の日の雨で泥があり 歩きにくい。尾瀬は ハイキングなんてとんでもない。トレッキングという言葉が相応しい。スニーカーで往復した人がいるらしいが かなり足に負担があったに違いない。残雪がみられる。1か所は どうしても 雪上を片側通行のところがあった。シャーベット状になっており 少し滑った。澤が至るところにあり 勢いよく流れている 水の音が癒しになる。

山の鼻までの約3.3kmの半分以上進めた時に はじめての「ミズバショウ」をみつける。群落しているあの場所まではやくいきたい。これがなかなかそうはいかない。東西約6km、南北3km。尾瀬は広い、至仏山 尾瀬沼 燧ヶ岳・・・一万年もかけつくられた高山に囲まれた湿地
(この時に気付いた 万歩計をセット この日は 5時間で 5.5km×2=11km 歩いた)

山の鼻。ここまで70分 (通常より10分程度 遅く到着)たくさんの人が前を歩いている。小学校の遠足らしき団体さんも。至仏山荘 ツバメが飛び交うにぎやかな景色。巣に雛がいて 餌を与えている。雛が巣から落ちないように。成長したら 飛びたっていくのだろう。

ツバメの飛び交う光景が微笑ましい。雛の細高い啼き声 親鳥が餌を与える。巣から落ちないで。

山の鼻 ビジターセンター 熊情報 出没するので気をつけて。

7月には夏山に。ニッコウキスゲが群落 また 秋には クサモミジが敷き詰め金色の尾瀬。飽きさせることはない。

至仏山方向 7月1日から登山ができるようになる。

燧ヶ岳方面 尾瀬ヶ原から はるかな尾瀬


大台ケ原 日出ヶ岳 大蛇嵓 絶景


大台ケ原 日本百名山 深田久弥著 紀伊半島 秘境のひとつ 奈良県上北山村と 三重県大台町にまたがる 日出ヶ岳 (一等三角点 三重県)標高1695m と 数々の峰 正木ヶ原 牛石ヶ原 大蛇嵓(標高1579m) 大杉谷 西大谷 などをさす。台地になっており 紀伊半島 本州最遠 273km で富士が見えるので 御来光の場所でもある。また 日本神話 「神武東征」で この大台ケ原がでてくる。牛石ヶ原には魔物を封じたという牛石(うしいし)そこに神武天皇の立像がある。

ここ数日 雨らしい雨が降っていない。これは 今後 雨期に 猛烈な雨が降ることを意味している。国内でも有数の豪雨地帯。雨が降った後は 石 岩にが 滑るので気をつけるが その心配はなく 幸運だ。

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大蛇嵓(だいじゃぐら) 鎖場 絶景 ヤッホーがこだまする。眼前に 修験道で有名な 「大峰山」が。鎖の下は 600mの川。高度1000mの落差。断崖絶壁 または 右方には 断崖の山から木々が生えているのがわかり ダイナミック。

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大台ケ原駐車場 200台は 混雑時は朝からいっぱいになってしまう。ドライブウェイだけでも19kmあるので
ゆっくり登ろう。お盆の時期 早朝から 満車ちかくで、付近の路肩にとめているのを見かける。気温は朝方20度だが 午前8時に 30度に達した。標高1500m この暑さには 閉口してしまう。日本全土 熱風が吹き荒れていると言ってよい。

関西では 数少ない「トウヒの立ち枯れ」が見られる。しかし コケは 以前ほど 見られなくなった。伊勢湾台風により 山頂の森林が 剥がされ 日光がさし 苔が衰退し ミヤコザサが群集するようになった。シカがミヤコザサを好物としており 大発生した。八ヶ岳の 白駒池(標高2155m)の苔は まもられている。

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「自然環境が 守られず 残念な状況 将来に 驚嘆を鳴らす」。シカを駆除している。夏、鹿の大群は見られなかった。夏は えさが比較的みつかるから。冬はそういうわけにはいかない。昨年 冬 下の道で 大群を見た。越冬しなければならず シカも 群れをつくって 身を守りながら獲物を探すのだろう。

登山口以降 山内は 極めて清浄な状態におかれているが 100%達成されているとは 言えず 98%。
観光化されたことは よくも悪くも。登山者のごみは持ち帰ってほしい。

ルート 駐車場登山口 日出ヶ岳 尾鷲辻 正木ヶ原 牛石ヶ原 大蛇嵓(だいじゃぐら) 分岐 駐車場 休憩いれて 5時間程 約9km

大蛇嵓の手前でおにぎり一つ。登り下りの坂 登りの前に軽くこまめに水分を摂る。膝のバネを利用して 先に足首から地面につけて歩く。
朝食は食べたかったが 止めた。お腹 すいた状態で登る。しばらくすると お腹の音がしなくなった。
多分 内臓の蓄えを利用しているはず。トイレが 中間地点にない。

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一等三角点 日出ヶ岳(大台ケ原)ケルン

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山頂のひとつ上に展望台が。360度の展望。東側は 熊野灘 をのぞめる。避雷針が設置。

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雨量観測所

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神武天皇の立像 牛石ヶ原

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ここから「大蛇嵓」豪快な岩盤 その先に断崖がある。

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帰りは 国道309号線を使ったが 難儀した。避暑地の「みたらい渓谷」は 混雑。路肩駐車が多く ただでさえ道幅が狭い上に 車両感覚の疎い大型車が突っ込んでくると 対向が難しい・・・


八ヶ岳 北横岳 2480


「横岳」は標高 2480m 北八ヶ岳に属する。南八ヶ岳にも 横岳 2829mがあるので 区別するため北横岳と謂われている。

北八ヶ岳 蓼科山 2,531m 縞枯山 2403m 雨池山 2325m 三ッ岳 2360m 他 茶臼山 天狗岳・・・ そして 横岳。
蓼科山は 山頂の頭が こんもりと膨らんでいるような。太古の昔 大爆発を起こしたのだろう。山頂の ごろごろした岩と 山の形状が何ともいえない。

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このロープウェイ駅 山麓駅までも 急坂を登る。霧がかかっていて これは だめかなと思っていたら 山頂駅で 晴れてくれた。100名乗車できる ロープウェイ 日曜とあって 老若男女 子どもから お年寄りまで 人気の高い山だと思った。

北八ヶ岳ロープウェイで 山麓 山頂 1771m~2237m たった7分で 高度を500m程度あげる。山頂駅涼しい。もし 雨が降り 風がでてくれば 体感温度はさらにさがる。

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この時期は 朝 8時30分すぎから ロープウェイを利用できる。なお 割引券をプリントして持っていくと 適用される。

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雲の上 「坪庭」といって 高山植物園を回廊するコース 散策でもよい。登山整備は不要。足場は ところどころザレテいるので スニーカーは最低いるでしょう。

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坪庭の第1休憩所はすぐ しばらくいくと第2休憩所。ここまでは 10分程度かな。
分岐の標識があり 横岳へは 登山道となる。

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30分前後で 分岐の標識が。

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登山道のルートは整備され 通常 道に迷うことはない。足首をひねらない様 リズムよく 歩幅を考えて 一番大切なのは ひざを上げすぎないこと。当然 3点補強で 歩行する。

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さらに 30分で 横岳ヒュッテにたどり着く。
そして 急坂を登る 20分で 北横岳南峰
さらに3分で 北横岳北峰に到達。

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日曜 朝 横岳へは 年長者の方も結構登られている。蓼科山が 眼前にそびえる。

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下山して 耳は大した事ないが 気圧の加減か 体が重い 頭が若干重い。そこで 高濃度「酸素水」を飲む。頭痛がひいていった。効果あるかな。


「今生の思い」80歳トリオ アコーディオン動画有 


第30回 ビバアコーディオン 無事終了しました。ありがとうございます。当方、実行委員をしています。今回 30回記念で 今まで出ていただき 活躍されている方を「記念コンサートコーナー」で演奏していただきました。そのため ゲストはなしということでしたが。豪華になりました・・・

その中でも ひときわ 異彩を放つ 80歳トリオ 「今生の思い」 実現しました。80歳を超え 現役で活躍される3名によるセッション。聴衆に元気と勇気をあたえました・・・素晴らしい演奏

トンボ楽器製作所会長 真野泰治 元NHKのど自慢伴奏者 ビバアコーディオン実行委員長 杉村寿治 全関西アコーディオン協会 理事長 吉田親家

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「インデファランス」フランスのはやいワルツ調 ミュゼットの名曲 真ん中 真野氏 リズムが駆け抜ける 立ちまわりして演奏できるのが「アコーディオン」のよいところ・・・ステージに出てきました・・・『セッションに入って』 普段 逢う事のない 3人でしたが 30回記念コンサートのゲストの話で偶然 このセッションの提案が持ち上がり実現しました


アリス=紗良・オット ピアノリサイタル 2015.5.23


15歳でリストのパガニーニ練習曲を演奏した アリス=紗良・オット。それ以来 ラ・カンパネラは 自家薬籠中にしている。また ベートーヴェンを得意とし 熱情ソナタなど名演が多い。今回は ベートーヴェン バッハ ブゾーニ リスト 凄いプログラムを。

5月23日(土)14時から びわ湖ホール大ホール 2階 正面の前2列目 少しカーブした左側。パガニーニ練習曲は ピアニストがなかなかプログラムを組まれない。そして バッハ330年生誕の年に ブゾーニ編曲のシャコンヌ。東京、大阪などでも公演。

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調『テンペスト』Op.31-2
バッハ:幻想曲とフーガ イ短調 BWV944 バッハ(ブゾーニ編):シャコンヌ
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リスト:愛の夢 第2番 ホ長調/第3番 変イ長調
リスト:パガニーニ大練習曲 第1番 第2番 第6番 第4番 第5番 第3番「ラ・カンパネラ」

アンコール ショパン 雨だれの前奏曲 グリーグ 抒情小曲集から「小妖精」

びわ湖ホール 1800名収容 アリスは、檀上で 何倍にも大きくみえる。白いドレスに裸足。26歳の世界的女流ピアニストが「ピアノ」という音楽はこうなんだと教えてくれる。超絶技巧は勿論だが、演奏曲に合わせて スタイルを変えていくのは流石。ベートーヴェンの テンペストソナタ ミステリアスな開始。聴き手を惹きこむ才能。息つく間もない 弱音や曲間の緊張感。それだけ 聴衆も集中しているということ。続いてバッハ幻想曲イ短調 チェンバロのようなオルガンのような響かせ方 現代のピアノではどうか。ペダルで華麗にアルペジオが飛翔する。とにかく速い演奏。
バッハ=ブゾーニ シャコンヌ 緻密であるところは 聴かせて ダイナミックなところは ヴィルトゥーゾ的に みせる。余裕が感じられた。オフでは、「ロック」なども聴くという彼女。ピアノと格闘というより シャコンヌでロックのような箇所がみられた。

後半のリスト 「愛の夢 第3番」 おなじみの曲だが、アリスの「愛の夢」純粋な世界。ペダルを多用しないで、打鍵力と繊細さが アリスの持ち味なんだろう。
パガニーニ大練習曲 3番と6番を入れ替えでのぞむ、独自の趣向。前半の1曲目 緩急をつけて 情緒を出す。前半の最後は 主題と変奏 私は久々でこの曲の生演奏をみた。指が速くまわっている。速い部分とゆっくりな部分のメリハリをつける演奏。後半の最後は「ラ・カンパネラ」よくコントロールされている。特に中間部のカデンツァの右手の下降 両手交差による高音部への上昇は「鐘」をイメージ「可憐な華」と思った。コーダは、アリスの渾身の表現。一度、この「ラ・カンパネラ」を生で聴いたら忘れられないだろう。

こちらは、サイン会の様子。ヘアスタイルがショートになり、軽くなった印象。(撮影許可されています)

別会場でのエピソードを聞きました。演奏中の携帯電話の着信音のこと、アリスが何といったか・・・
アンコールの前にアリスが一言「自分も荷物を落とした事があり・・・」「気にしないでくださいね」
「人間は完ぺきではないから。そういうことが音楽にも必要なんです」
この後のアンコール後の拍手が鳴りやまなかったのは言うまでもない・・・アリスというピアニストが人間的にも 気遣いできる人格を持っている。

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Bach in the Subways メディア掲載


3月21日のバッハ・イン・ザ・サブウェイズですが WEBニュースなどでも掲載されております。

ぶらあぼ http://ebravo.jp/archives/17192

ぶらぼう記事

朝日新聞 http://www.asahi.com/and_M/information/pressrelease/Cdpress000109326.html

3/21(土)音楽の父J.S.バッハ生誕330年を祝う、地球規模のクラシック音楽ムーヴメント日本上陸!!!

  • 2015年3月18日 記事
(ドリームニュース プレスリリース) – 2010年、ニューヨークの地下鉄でチェロ奏者デール・ヘンダーソンが「無伴奏チェロ組曲第1番」を弾きはじめたことから、「バッハ・イン・ザ・サブウェイズ」は始まりました。以来バッハの誕生日である3月21日は、音楽の父・バッハの誕生日を祝い世界の街角で音楽家が集い、バッハの曲をライヴ演奏する活動が続けられてきました。志に賛同する音楽家の輪は広がり、世界39カ国129都市以上に広がる地球規模のムーヴメントへと発展。
そしてバッハ生誕330年にあたる2015年3月21日、日本でもいよいよ「バッハ・イン・ザ・サブウェイズ」が開催されます。
日本での幕開けは朝9時15分「真言宗総本山 高野山」からー。その後、東京・大阪・京都・奈良・広島にも、有志の演奏家による音楽の輪が広がっていきます。
中でも東京では、日本トップクラスの演奏家やアマチュアも多数参加、この日限りの夢の共演が実現!
注目は日本を代表するヴァイオリニスト漆原啓子(17時半~ハクジュホール)や、昨年バッハコンクールで日本人初優勝の快挙を成し遂げた20歳のヴァイオリニスト岡本誠司。若手世界一に輝いた岡本誠司は、16時から東京山手教会、そして18時から表参道ヒルズに出演。
CMなどで一度は聞いたことのあるバッハの有名曲や演奏されることが少ない超絶技巧曲などを、気軽に無料で聴けるこの機会をお見逃しなく!【日本全国、14カ所以上でバッハの音楽が奏でられる!!】
●東京 表参道ヒルズ、渋谷ヒカリエ、湘南T-SITE、代官山 蔦屋書店、日本基督教団東京山手教会、日本橋三越本店 新館半蔵門線口、日本橋三井タワー アトリウム、株式会社白寿生科学研究所/Hakuju Hall、他
●大阪 りんくうパピリオ星の広場
●京都 京野菜まつ屋老舗
●奈良 いかるがホール、トラットリア松澤
●広島 イオン三原店
●和歌山 真言宗総本山 高野山霊宝館
【日本トップクラス演奏家も続々参加!】
漆原啓子(ヴァイオリン)、枝並千花(ヴァイオリン)、大宮臨太郎(ヴァイオリン)、岡本誠司(ヴァイオリン)、クリストファー・ギブソン(チェロ)、高橋敦(トランペット)、高山由美(ソプラノ)、竹原奈津(ヴァイオリン)、丹野めぐみ(フォルテピアノ)、寺井馨(ヴァイオリン)、西辻善則(アコーディオン)、土師雅人(テノール)、広田智之(オーボエ)、松木さや(フルート)、三浦克之(ヴィオラ)、森田昌弘(ヴァイオリン) 、ヤコブ・ロイシュナー (チェンバロ)、横山弘泰(バリトン)、渡邉ゆづき(ヴァイオリン)、他多数ホームページ http://bachinthesubways.com/ja
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石巻 釣石神社 大川小学校「滅災を誓う」


石巻を視察した。釣石神社 大川小学校 3月10日は 寒く 風が強く 雪が横なぐりに降ってきて 吹雪のようなありさまだった。自然の厳しさ。釣石神社付近 河北地域。旧北上川は なだらかで 湖を思うくらいだ。約60kmにわたる運河は 石巻市内に入り 仙台湾にそそぐ。その上流は 一関から 雪解け水なども運んでいて 流量が豊富。自然の恵み。この対岸 景色が一変する。(2015年3月訪問)

関連記事:がんばろう!石巻 http://nishikunn.net/nishikunn_wp/?p=11613
陸前高田 http://nishikunn.net/nishikunn_wp/?p=13153
南三陸町(旧志津川町 防災庁舎)http://nishikunn.net/nishikunn_wp/?p=13167
大船渡 http://nishikunn.net/nishikunn_wp/?p=13210

旧北上川

釣石神社 今回の津波10mでも 落ちなかった石(左上)。前回の津波の時も大丈夫だったことから この近辺に避難してきた人が多かったが 山の中腹まで津波が遡った。

釣石神社1

コンクリートの白い階段が修復されている。こんなところまで 津波が来たのか、信じられない。吹雪で雪が残っている。

釣石神社2

そのあと 対岸にある 大川小学校を視察。74名が犠牲・不明になった。バスが一台 それ以外は車が数台あったのみ。地面がぬかるんでいる。地盤沈下で すぐ浸水してしまう。大川小学校の建物と 慰霊塔が建っていた。(慰霊塔は撮影禁止)ここは この現状を保存していくという住民の苦渋の決断があった。

近づいてきた 大川小学校。地面にひざまついてしまった。「なぜ こんなことになってしまったのか」津波の恐ろしさに動けなくなった。私が今までみた中でどこよりも ひどかった。まるで戦争の爆撃で学校の機能がすべて失われたようだった。すぐにこの場所を離れることができなかった。無念の魂を肌で感じていたから。ただただ合掌するしかなかった。

まず率直に思ったのが、三角州のようなところに学校がある事に疑問はなかったか。それから、この校舎には屋上がなかった。普通、学校・公共施設には避難誘導路の表示や避難場所として屋上が設置されることが多い。例えば3Fの屋上への階段やその屋上スペースがなかったのである。かなり疑問。よってこの学校での避難場所は、少し高台にある森林の高台ということになる。津波注意報の値として、1mでも流される危険があるが、当時は5m以上の津波10mともいう危険な高さの津波が来るかもしれない、それもすぐに。そもそも屋上でもたすからない可能性もあったので、屋上への避難は正しいと言えなかったかもしれない。しかし、2Fの高さが7m、3Fが11m(柱の高さを3.5mと換算すると)。
招集してとどまるより、高台に一目散に避難するのができるかか教訓となる。

10年以上経ったので、当時の状況をここに残しておきたいと思って。
2011年3月11日14時46分 震度7を伴う東日本大震災が起きた。度重なる余震に混乱した。マグニチュード9.0は1000年に一度起きるかの大震災。
学校側のとった行動を検証する。津波が来るのは予想できた。どれくらいの。かなり大きいと。
しかし、屋上に避難ができないこの学校では、まず校庭に全生徒を招集し、そこで待機。少し離れた森を抜けた高台への避難が適切だと判断されたのは、かなり時間が経っていた。
校長は、公用で出張。当時は、卒業式、終業式、修了式の時期。職員も忙しかった。校長の指示を速やかに仰ぐことができなかった。残された職員も「どうすれば」
避難をはじめたのが遅かった。はじめようとした時に大津波に襲われた。言葉がありません。ここは、1000年、いや、後世に慰霊を続け絶対に忘れてはならないところ。
無念にも亡くなった方が多すぎる。

他には甚大な被害のあった荒浜海岸など合掌せずにはいられない。
でも、これはこんな大きな地震が起きたらどこででもありうるという事を示しているのであり、教訓にされなければならない。

大川小学校1

濡れている地面には 未だにデニムのジャンパーが泥の中から一部姿を出していた。4年を経た今でも、陶磁器の破片など がれきが積もっている。

「防災訓練などというが、そんな甘いもんじゃない!命を守る行動のこと。」
「減災」でなく「滅災」を真剣に取り組んでほしい。

大川小学校2